第九節

 閑静な住宅街の一角。等間隔で並ぶ電灯の明かりに照らされて、少女は歩道の上に眠るように横たわっていた。紺色のブレザーに暗赤色のスカートを身に着けており、まだあどけなさの残る幼い顔立ちをしている。ちょっと太めの体型だが、まだまだ子どもなので可愛らしいものだ。警官の制服に身を包んだ桜屋敷さくらやしき薄黄うすきは、思わず彼女を揺り起こしたい気持ちに駆られたが、そんなことをしても意味は無いこともよく分かっていた。少女はもう目を覚まさないのだ。

 警察学校を出てから初めて見る本物の死体を前にして、桜屋敷はごくりと唾を飲み下した。

「桜屋敷巡査部長」

「あ、はいっ」

 尊敬する先輩に呼びかけられて、桜屋敷は慌てて振り返った。すらりと伸びた長い脚にパンツスーツのよく似合う女性、野々のの御空みそらが、冷静な瞳で彼を見ていた。

「そちらは鑑識に任せよう。君にはこちらの第一発見者から事情を聴いて欲しい」

「了解であります、野々警部補」

 一瞬、野々が眉を寄せたような気がしたが、桜屋敷は気にせず野々の隣に立つ女性の近くへ歩み寄って行った。

「貴方が第一発見者の方ですか」

「ええ……そうです」

 女性はちらちらと少女の死体に目を向けながら、途切れ途切れに名乗り、どういう経緯でこの現場に遭遇したのかを話した。それによると、彼女はこの住宅街に住んでおり、たまたま午後七時、犬の散歩中に、倒れている少女を見つけ、慌てて救急車を呼んだという。駆け付けた救急隊員が既に死亡していることを確認し、すぐに警察へ連絡が入ったという訳だった。女性は少女とは面識がなく、どこの誰かは分からないと話した。矛盾点は無いようだ、と桜屋敷は手帳を見ながら頷いた。

「それでは、今日のところはもうお帰りになってくださって結構です。また何かお話を伺うことがあるかもしれませんが、その際はご協力よろしくお願いします」

 桜屋敷は愛想良く笑顔で女性を見送ってから、野々の傍へ近づいた。野々は鑑識から受け取ったらしい資料を検分していたが、桜屋敷に気付くと顔を上げた。桜屋敷は畏まって聴取した事項を報告し、「以上であります」と姿勢を正した。野々は眉一つ動かさず聞き、桜屋敷の報告が終わると、常と変わらぬ声色で言った。

「……殺人だね」

「やっぱり……そうなんですね」

 桜屋敷は口を歪めた。

「まだ子どもなのに……」

「ああ、まったく酷い話だよ」

 野々は表情こそ変えなかったが苦々しげに呟き、手に持っていた資料を掲げた。透明な袋に密封されたそれは、掌サイズの小さな手帳のようなものだった。

「桜屋敷巡査部長。これは、彼女の所持品だ」

「それは……生徒手帳ですか」

「ああ」

 野々は手袋をはめた右手で生徒手帳を摘まみ出し、ぱらぱらとめくった。やがて一つのページで手を止めて、桜屋敷に視線を向けた。

「これから言う番号に電話して、この名前に心当たりがあるか聞いてほしい」

「了解であります!」

 桜屋敷は勢いよく返事をしながら、仕事用の携帯電話を取り出し、野々が読み上げる番号を打ち込んでいった。何度目かのコール音の後に、真面目そうな男性の声が聞こえてくる。「正月一日月白」という名前と、彼女の現在の状態について知らせた途端、電話越しに男性がふらついたらしいのが分かった。明らかに狼狽している少女の父親の声を聴きながら、せめてこの残忍な犯行をした人間の逮捕だけは、必ずしなくてはいけない、と桜屋敷は心に誓った。

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