第七節

 赤羽千夜が玄関の扉を開けて帰宅したのは、午後七時半のことだった。黙ったまま玄関で靴をそろえる彼女に、背中から抱き着くように腕を回したのは、背の高い男性……千代己ちよきだった。

「おかえり。今日は部活だったのか。遅かったね」

「…………」

 父親の質問には答えず、その両手を邪魔気に払いのけた千夜は、居間へと歩き出した。千代己は千夜が放り出した鞄を持って、そのあとを歩いた。居間は暗く、照明もついていない。その中に、テレビの画面だけが煌々と光を発している。千夜は照明をつけようともせず、その画面に見入った。男性アナウンサーの淡々とした声が、ボリュームを絞った箱の中から聞こえてくる。

「萌芽学園中等部、女子生徒殺害事件については未だ進展がなく……」

 千代己は千夜の背後に立ち、彼女の細い腰に両手を回し、引き寄せた。今度は何の抵抗もせず、千夜はただひたすらテレビ画面を注視している。千代己が首筋に顔を寄せたので少しばかり身じろぎしたが、慣れた感覚に逆らうことはしなかった。

「絵具の匂いがする」

 千代己が呟くと、千夜は答えの代わりに父親の柔らかい髪の毛に指を絡めた。

「まだ犯人は、分かっていないのね」

「恐ろしい事件だ」

 千夜はその言葉を鼻で笑った。肌の白さを確かめるように動く千代己の手に、自分の手を重ねて、そっと言う。

「本当に、恐ろしい事件ですわ」

 男性アナウンサーは、既に別の話題を読み上げていた。その音声の他には、二人の呼吸音しか聞こえない。千代己はテレビを消すことも照明をつけることもしない。千夜はもう、テレビを見てすらいなかった。

 その視線の先には、母親の遺影が整然と置かれていた。

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