第四節

 放課後、グラウンド。柚葉は陸上部の仲間と、合同練習を行っているテニス部員たちと共に、大きな掛け声を口にしながら柔軟運動を行っていた。一日一日と強さを増す日差しが、顔だけでなくむき出しの腕と足を確実に焼いているのが分かる。

「いーち、にー」

 柚葉にとってカウントは、これからの運動に集中するための儀式のようなものだった。他の部員たちと声を合わせ、体をほぐしていく。少しずつ日常の諸事を忘れ、競技に没入していく感覚。しかし。

 美しい脚で。綺麗な髪。

 常ならば、これから自分がどのように走れば記録を伸ばせるか、昨日までの走りのどこをどう直そうか、という思考でいっぱいになるはずのところが、今日はそうはいかなかった。柚葉の頭の中では、教室で千夜と交わした会話ばかりが何度もリフレインしている。

 これではいけない。集中しなくては。

 柚葉は何度か頭を振って、雑念を追い出そうと試みた。が、あまりうまくいかず、カウントする声もつい小さくなっていく。

「先輩、今日は調子悪そうですね」

 柔軟ペアの後輩にまで、そう囁かれてしまう始末だ。柚葉は苦笑いして、そう見える? と尋ねる。勝気な後輩は、しかし柚葉を心配してひそひそと言葉を継ぐ。

「見えますよ。多分、部長も気づいてますよ。……さては、男の子のことでも考えてましたね?」

「いやいや」

 はは、と笑い、柚葉は後輩の背中に背中を合わせ、体をゆだねる。背負われるように体を引っ張られ、背筋が伸びて、気持ちが良い。役割を交代し、後輩の身体を背中に乗せながら、柚葉は内心、男の子のことなら、いっそ良かったのに、と嘆息した。

「もう、集中してくださいよ。次の選手権、先輩に頑張ってもらわなきゃ、うちの優勝はあり得ないんですから」

「わかってるって」

 まったくもって、後輩の言う通りなのだ。今回の選手権で、これまでの二年間に培ってきた全てを出さなくては。厳しく愛情をもって指導してくれた顧問の先生や先輩方、それに期待してくれている後輩や家族、友人らに申し訳ない。

 気を引き締めないと。

 そう思った矢先、後輩は「そういえば」と話題を変えた。

「赤い鋏の殺人鬼の話、聞いたことあります?」

 今の今まで「集中」を説いていたというのに、なんという切り替えの仕方か。スミレといい、この後輩といい、私の周りには目まぐるしい勢いで頭を回転させる人が多い、と柚葉は内心思う。

 しかし、赤い鋏の殺人鬼、とはまた面妖な言葉だ。初めて聞いた、と答える柚葉に、後輩は得意げに話し始めた。もちろん柔軟運動中なので、あくまでカウントの掛け声に混じるくらいの声量だったが。

 それによると、赤い鋏の殺人鬼とは最近新しく学校の七不思議に数えられるようになった逸話らしく、いじめられて自殺した少女の霊が、自分をいじめた相手に復讐して回るというものだった。赤い鋏とはその少女が生前愛用していたもので、いじめた相手の死体に、必ず刺さっているのだという。

「怖いですよね!」と目を輝かせる後輩に、柚葉は若干心理的な距離を感じつつも、そうだねと応じた。だが、いじめっ子以外には何の実害もないというところが、恐怖感を半減させているような気もする。それは本当に七不思議のひとつなのだろうか、と不思議に思うが、しかし現に人が殺されているというところで妙な不安感を誘うのも事実だ。

 どうしたものかと、柚葉は頭の中での処理に窮したのだった。

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