(中)


光山くんは私のことを、アリカちゃんと呼ぶようになった。

本当はユウカ。有花だ。一度訂正したけど、彼はアリカというやや異質な響きをいたく気に入ったらしい。

「アリカは、在り処に通じるよね。魂の在り処とかね、いいじゃん」

そんなふうに言った。

普段それほど男子と話さない私が光山くんと親しくしていることを、真由や他の友だちにずいぶん驚かれた。

「なんで光山?」

「有花は変わってんねぇ」

同じように最初は光山くんも男子に驚かれて(というよりは冷やかされて)いたようだけど、相変わらず吹いてもすいても飄々としているので次第に周りは飽きていった。いつしか私たちは半ば公認のカップルのように扱われ始めた。

そうして制服が半袖から長袖に移ろう季節には、どちらともなく、私たちは付き合うようになっていた。


幾度となく真由からは

「光山と何の話してるの?」

と聞かれたけれど、別に最初から何も変わるところはない。私が彼にねだるのはいつだって前世の話だ。

前世、についての物語を光山くんが事欠くことはなかった。

カミツキガメだったときには水槽の中から全世界を哲学し、雀だったときには二度も飛びながらうたた寝をして仲間とはぐれてしまった。ミジンコだったときは(あの時ミジンコだったというのは今の光山くんが、振り返っての推測らしい)、なんだか明るい方へ向かっていたなとか、もっとなんだかよくわからないままフワフワとしていたこともあると言った。

彼の話はいつだってリアリティに満ちていて、とるに足らない出来事も、生命の危機も同じくらいに面白かった。光山くんの前世の夢を、私が見ることもあった。興奮冷めやらぬままそのことを伝えたら、珍しくげらげらと笑い転げていた。

「アリカちゃんは俺の前世の大ファンだね」

その時はあんまり笑い止まないので、眼鏡を取り上げたら、謝ってくれたので許してあげた。


つまるところ、光山くんは前世をずっと覚えているのだそうだ。前前世も、前前前世も。自我は一応連続していて、大脳が発達した生き物のときはだいたい思い出せるのだと。

嘘でも本当でもどっちでもよかったけれど、確かに時々不思議に思えることもあった。

例えば、彼の家で初めてを終えた日。

私たちは薄暗いベッドの中でも、いつものように話をした。

「光山くんて絶対童貞だと思ってたけど、うまいね。いや、私もよく知らないけどさ」

想像していたほどの痛みもだるさもなく、薄いシーツにくるまってそんなことを呟いた。

「そうなのかな」

「中三のとき、真由はすごく痛くて二度と嫌だって言ってた」

まっさらな天井に、蓄光性の星型のシールがまばらに散っている。手を伸ばせば届きそうに見えた。

「前世のどこかで、無類の遊び人だったのかもなあ」

「そんなことまで覚えてるの」

「いやそれは予想。思い出そうと思えば手繰れるけど、そこまで遡ったことはないから」

彼は体勢を変えて、私の方を向いた。三十センチもしない距離に、光山くん。素顔の彼は眼鏡をしているときより幾分目が小さくなる分、下向きの長いまつ毛が際立った。

「昔さ、ナマケモナだったときがあって。何もしないままぼーっと前世の記憶を思い返していたら、ジャコウアゲハくらいまで遡った。それが自己ベスト」

ジャコウアゲハくらいと言われても、時間の隔たりはまるで想像できない。

「今の光山くんは、何世代目なの」

「それはちょっとわかんないね。世代とかいえないくらい、儚い命のときもあるし」

「じゃあ光山くんが死んだら、今度は何になるの」

「それもわかんない、なあ」

シーツの中を探っていたら彼の手にぶつかる。ぎゅっと握りしめたら温かくなった。

「恋人はいた?」

手の筋を繰り返し、なぞりながら尋ねる。

「いたよ。いっぱいいっぱい」

「わざわざいっぱいとか、言わなくていいけど」

そういえば、イルカのときは奥さんと子供もいたんだっけ。鳥だって、虫だって、恋人くらいいるもんだ。

今日の初めても、私のと、光山くんのは全然違う。改めて考えると切なくなった。

もう一度、彼の手を強く握りしめる。

「でもね」

彼は続けた。

「恋をしたことは、数えるほどしかないのかもしれない」

もっと強く握り返す感触があった。

いいな、と思う。ここはいいな。ふたりだけの、この狭い世界の、繋がった手のひらが一番確かだと感じる。

「もし君が死んじゃったら、ヒーローになってよ。ヒーローになって、私をかっこよく救ってよ」

「俺、アリカちゃんより先に死ぬのか」

「光山くんは、ひょろっちいからね」

「これでも西ローランドゴリラだったこともあるんだよ」

「それ、似合わなすぎるからね」

失礼な、と彼は私の目を見つめた。

「じゃあ努力するよ。アリカちゃんのピンチに駆けつけられるようなヒーローね」

「うん」

「こんな約束で命が救われちゃうんだから、君は本当にスーパーラッキーガールだなあ」

なにそれ、と笑い返す。同じくらいに、玄関の戸が開く音がした。光山くんの家族の誰かが帰ってきたのだろう。

そろそろ帰り時かと着替えに伸ばした手を、光山くんがぴしゃりと止めた。

「え、アリカちゃんさっき約束したじゃん」

「どういうこと?」

「ヒーローになるから、君はもうしばらくここにいるって。それから、俺の名前を呼んでくれるって」

そんな約束交わした覚えは微塵もないけれど、光山くんは珍しく強気だった。

「呼んでくれないの?」

じりじりと距離を詰めてくる。

「もしかして俺の名前忘れてる?」

「そんなことは、ない、けど」

忘れているわけではなかった。単に恥ずかしいからそれとなく避けていたアリカちゃんと呼ばれた日に、彼が教えてくれた、彼の名前。

「……かおる」

繰り返した。

「薫、くん」


一度のキス。二度目のキス。それから後は、数えるのをやめた。

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