第二部. 闘技者たち
0. 三者三様
幾重もの防護対策を施しているブロスユニットのコックピットは、例え機体が大破しようとも搭乗者の安全を守ってくれるだろう。
無様に地面に倒された青いブロスユニット、その搭乗者はこの頑強なコックピットに守られてかすり傷一つ負っていない。
しかし男とは対象的にブロスユニットの方は片腕が半ば絶たれた上に頭部も半分もげており、誰が見ても戦闘不能と思われる重症であった。
スタジアムを埋める観客達の熱狂、通信を通してこちらに話しかけてくる監督の声、そして試合終了を告げる無機質な機械音声。
それらの不協和音が絶えず耳に飛び込んでいた筈なのに、男はその時の音を何も覚えていなかったらしい。
男が唯一覚えている音、それは自分をと倒した勝者が発した短い語句だけだった。
「"…残念です"」
「くっ…」
男は敗北した、それは覆し難い事実であった。
別にこれが最初の挫折では無い、連盟が発足して公式競技化される以前からブロスファイトに関わってきた男に取って敗北した経験など数えきれない程ある。
問題はその敗北の仕方だ、男はに苦々しげにこの敗北を生み出した自分の右腕を睨みつけた。
操作ミス、40代を迎えた男の体が競技用ブロスの過酷な操縦についていけず、この大一番でとんでもない失敗をしてしまったのだ。
男と対戦相手は言わば師弟と言ってもいい関係であり、男は自分の弟子に敗北したのだ。
弟子は男のことを尊敬し、男にブロスファイトのイロハを教わりながら此処までやってきた。
そして弟子は師匠である男と試合で戦える程に成長し、今日は師匠に自分の全てを見て貰おうと全力で挑んだ。
男は弟子の意気に応えて戦い、ブロスファイトの歴史に残る名勝負が繰り広げられていたのだ、その瞬間まで…。
異常な難易度を誇る競技用ブロスを操るには、プロのアスリートと同等かそれ以上の体力・精神力が必要となってくる。
必然的にその競技年齢のピークは低くなり、実際に40代になる男はブロスファイトの世界では最高齢であった。
若い頃に男と切磋琢磨した同輩たちは皆老いを理由に引退しており、自分以外の現役の選手を見渡せば男より一回りや二回り若い若造たちだけである。
「…待ってろ、絶対にもう一度お前と勝負してやるからな」
自分の老いに自覚はあった、日々衰えていく自身の性能を自覚しながら男はだましだまし今日までやってきた。
この敗北は男の限界を世に知らしめた結果と言え、ここで男が引退しても誰もが納得するに違いない。
しかし例え周囲が納得しようとも、男自身は納得しなかった。
ただ敗北しただけなら男は自分の老いを素直に認めて引退を決めただろうが、弟子の放った言葉が男に火を付けた。
あの弟子は嫌味を言うような奴では無い、あの言葉は純粋に自分を真っ向から倒せなかった事に対する落胆を述べたのだろう。
自分と正面からぶつかり合って勝つことを夢見ていた弟子との幕引きが、老いから来る操作ミスなんて詰まらない展開で終わることなど断じて認めてられない。
どんな手を使っても再び弟子の前に立つ、今度こそ弟子と最後まで戦って見せる。
長年守ってきたチャンピオンの座から転落したこの日、"ナイトブレイド"のパイロットである"麻生 清吾(あそう せいご)"の再起が此処から始まった。
スタジアムの内部に設けられた選手控室、ブロスユニットサイズに作られた巨人の部屋の中で一人の男が地団駄踏んでいた。
悔しげな表情を浮かべながら地面に八つ当たりをする男、その周囲では淡々とブロスユニットを撤収する準備が進められている。
試合後の控室にこの男の反応を見れば、彼らのチームの勝負の結果を予想するのは容易いことだろう。
しかし感情をあらわにする男とは対象的に、彼のチームメンバーらしき他の人間たちは全く悔しそうにしていないのはどういう事か。
「くそっ、くそっ…」
「若、やはり無謀なんですよ。 ワーカーもどきでブロスファイトに勝つなんて…」
ワーカーもどき、それがパイロットとである男と他のチームメンバーの温度差の原因だった。
東洋の龍をイメージしているらしい男のブロスユニットは、見た所傷らしき傷が見当たらなかった。
試合を終えた後にも関わらず傷一つない機体、それは全うなブロスユニットとワーカーもどきとの非常な差を示す物である。
瞬殺、男はブロスユニット相手に手も足も出ず、優しく地面へと倒されて無傷のまま敗北したのだ。
こちらの機体に傷一つ付けずに自分を倒してみせた相手からの施しは、相手がこちらを対等の相手と見ていないと言う事だろう。
それはワーカーもどきとは言え、あくまで真剣に勝負を挑んだ男に取っては侮辱的な行為でしかなかった。
しかし相手の哀れみに対して怒りを感じているのは男だけであり、やはり他のメンバーからは全くの感情は見られない。
ワーカーもどきが勝てるわけが無い、それは恐らくこのチームの相違でありこの結果は当然の事という認識のようだ。
「兄さん…、残念だったわね」
「ああ、メイリンか。 ふっ、今日は勝利の女神が微笑まなかったようだ。 だが安心してくれ、次こそはお前に勝利を捧げてみせる」
感情のままに悔しさを見せていた男であるが、とある少女が控室に入ってきた途端にそれを押し殺して取り繕う。
先程の事が無かったかのような爽やかな笑みを浮かべながら、男は控室に入ってきた少女と対面した。
どうやら男の妹であるらしい少女は、一目で高級品と分かる華美な服とその服に相応しい美しい容姿をしている。
少女は先程の男のように純粋に兄の敗北を悲しんでいるようで、そんな妹に対して男は強気な言葉で必勝を誓った。
「…ええ、兄さんならきっと出来るわ」
「そうとも、見ていろよ、メイリン。 ははははははっ…」
兄の勝利宣言にメイリンと呼ばれた妹は一瞬虚を突かれたように瞳を見開き、しかし次の瞬間に先程の兄のように動揺を抑え込んで笑みを浮かべる。
そんなメイリンの反応に気付いたのかどうかは分からないが、兄は妹の期待の言葉に対して爽やかな笑みで応えた。
妹に対して虚勢を張り続ける兄の内面は未だに折れておらず、その内には熱いものが滾り続けていた。
「そうだ、僕は勝つんだ…、」
作業用ブロスを登載したブロスユニット、ワーカーもどきにしか乗れない男に競技用のマニュアル免許など有る筈も無い。
歩と同じ作業用のオートマ免許しか持たないにも関わらず、男は未だにブロスファイトでの勝利を諦めていなかった。
そんな無謀としか言えない男の何度繰り返されたか分からない決意に、少なくとも妹を含めた周囲の人間に嘲りの色は見えなかった。
メイリンの兄である"ロン"と、彼の愛機である"ビューティードラゴン"の戦いはこれからも続いていくようだ。
異常なまでの難易度を誇る競技用ブロス用のマニュアル免許、その難易度は年に数人程度の合格者が出ない事実からも理解できるだろう。
男がマニュアル免許を取得した年もその例に漏れず、その年の合格者は彼を含めた三人しか居なかった。
年に数人しか現れない競技用ブロスを操る資格を手に入れた天才の一人、しかし残念ながら彼の名前は一部のマニアを除けば殆ど知られていない。
何故なら彼と同じ年に卒業したある人物の影響によって、彼の存在は半ば無視されてしまったのだ。
二代目シューティングスター、20歳にも満たない若さでマニュアル免許を手に入れた次世代のスターの輝きに彼は埋もれてしまった。
「何故だ、何故あの女ばかり…。 シューティングスターなんて、一度もチャンピオンになれなかったただの負け犬じゃ無いか。
そんな負け犬の娘が何故そこまでチヤホヤされる!!」
男にはマニュアル免許を取れるだけの才があり、その才に裏打ちされた過剰なまでのプライドがあった。
かつて歩が戦った佑樹と同じ、自身の才能をひけらかすブロスファイトの世界では珍しくも無い天才様である。
そんな彼に取って天才である自分を差し置いて世間の注目を集めた葵・リクターには、憎しみに近い感情を覚えていた。
若干15歳で教習所に入った事が偉いのか、そんなことは自分だって本当は出来たんだ。
高校くらい出ておけという外野の雑音に惑われて、仕方なく18歳で教習所に入ったがやろうと思えば葵と同じことは自分も可能であった。
確かに自分の両親はブロスファイトに何ら関わりのない凡人だ、しかしブロスファイトは親の名前では無く自身の腕を競う場であろう。
彼から見れば騒がれる価値も無い理由で騒がれている葵・リクターに対して、男は決して許してはならない敵であった。
教習所を卒業した男は二年もの就職活動を経て、成績不信でパイロットが解雇されたチームの後釜パイロットとして受け入れられていた。
天才である自分がブロスファイトのチームに入るまで二年も掛かったなど、彼に取っては非常に耐え難い屈辱である。
これも全て彼が浴びる筈の脚光を葵・リクターが奪った事が原因であると、葵に対する憎悪は二年の月日を経て収まるどころか逆に膨れ上がっていた。
「はははは、葵の奴! まさかワーカーもどきと引き分けるとはな…、天才も二十歳過ぎれば賞味期限切れかぁ…
しかもよりによって相手は、俺が教習所から追い出した負け犬じゃ無いか!!」
しかし世間を騒がせた葵・リクターのライセンス試験の顛末は、彼の溜飲を大きく下げる結果となった。
あれだけ注目を集めながらライセンス試験を受けるまで二年を費やし、勝って当然のワーカーもどき相手に引き分ける。
彼から見れば論外と言っていいライセンス試験の結果である、二代目シューティングスターの名前は地に落ちたと言えよう。
更にワーカーもどきに乗るパイロットが、自分や葵と教習所時代で同期であった歩であったことが彼の機嫌をますます良くした。
どうやら彼は歩ともそれなりに因縁のある相手のようであり、その口振りから彼と歩が仲の良い友人では無かったことは確実だろう。
「くそっ、なんで葵の奴の評価が落ちない。 あいつはワーカーもどきに負けたカスだぞ。
なんでだ、なんであの負け犬まで騒がれている」
喜びの絶頂にあった男の機嫌は、数日を経たことによって一気に下落していた。
このライセンス試験の結果で葵・リクターの評判は地に落ちるだろうと言う男の予想に反して、二代目シューティングスターの名前は今でも世間で持て囃されていたのだ。
彼のようにワーカーもどきに負けた事実だけ捉えて、葵・リクターを悪く言う人間は確かに増えた。
しかしライセンス試験とは言えないレベルの高い戦いを繰り広げた、葵・リクターの実力を好意的に捉える者も多く居た。
そして葵・リクターが評価されることは、相対的に彼女と引き分けた歩の評価へも繋がっていた。
「あんな負け犬なんかに、そうだ、いいことを思いついたぞ。 くくく…、あの負け犬に現実を解らせてやる!!」
教習所を落ち零れた負け犬が自分を差し置いて持て囃されるなど、この男に取っては決して認められないであった。
そんな時に男の脳裏に悪魔の閃きが浮かび上がる。
それは彼に取って負け犬でしかない歩の化けの皮を剥がし、ついでに自分の評価を高めることが出来る彼から見たら良い事尽くめの画期的なプランだった。
既に自分の勝利を確信した男、"光崎 刃(みつざき じん)"は愛機である"ストライクエッジ"と共に脚光を浴びる自分の姿を想像して一人高揚していた。
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