5-1. 初陣 -vs ユウキオーガ-


 

 ブロスファイトの世界で戦っているバリバリのプロ、ユウキオーガとの模擬試合が組まれる時まで、歩は自らをあくまで正規パイロットが来るまでの代理と位置づけていた。

 日々の訓練もセミオート機構の稼働データを取るための作業と割り切り、自分がブロスファイトの舞台に立つ事などは無いと高を括っていたのだ。

 しかし現実に正規のパイロットは見付からぬまま、本職は整備士でありワーカー用のオートマ免許しか持たない自分がプロのブロス乗りと戦うことになる。

 模擬試合の件を告げられてから歩は、迫り来る現実から逃れるように無心で対ユウキオーガ用の訓練を続けていた。

 そしてあっという間に一週間が経過し、とうとう運命の模擬試合の日を迎えてしまう。


「…ちょっと、その目の隈は何なの! パイロットは体が資本よ、しっかり睡眠は取っときなさいよ!!」

「否、寝ようとは思ったんですけど、色々と考えてたら眠れなくて…。

 それに体調管理が出来ていないのはお互い様ですし…」

「私は寝る間も惜しんで、作戦を考えているの。 模擬戦とは言えこれは私のデビュー戦でもあるのよ。

 此処で失敗したら私の未来は…」


 プロのブロス乗りとの模擬試合が近づくに連れて、歩はプレッシャーのせいなのか余り眠れない夜が続いていた。

 試合当日を迎えた歩の顔には徹夜明けの福屋先輩の如き目の隈が出来ており、健康チェックを受けるまでもなく寝不足気味である事は読み取れた。

 体調管理を怠るパイロットに対して監督である犬居が苦言を呈するが、当の本人が歩と同じように隈を作っていては説得力は皆無である。

 模擬試合が決まった事で忙しくなったのは歩だけでは無く、指揮する事になる監督も同様に慌ただしくなった。

 ユウキオーガの情報を元に訓練計画を立て歩を訓練させ、それと並行して当日の試合の作戦プランも考えなければならない。

 新米監督である犬居にとって実際にそのような作業をするのは初めてあり、その負担は傍から見ても大きいものであった。

 そして相変わらずメンタルに難があるらしい監督様は、歩以上にプレッシャーを感じているのか何時ぞやのように明後日の方向を見ながら自問自答を繰り返す始末である。


「…そ、そう言えば犬居さんは、どうしてブロスファイトの監督をやろうと思ったんですか?」

「…運動音痴で不器用な私にはパイロットも整備士も無理だった。 頭を使う監督しか、ブロスユニットに関わる方法が無かったのよ」

「ブロスユニットに関わる? そんなにブロスユニットが好きなですか…」


 曲がりなりにもパイロットとして働いてきた歩から見て、犬居は口ではこんなチームなどと嘆きながらも決して仕事に手を抜かなかった。

 今回の模擬試合に際して犬居は過去のブロスファイトの公式記録から、ユウキオーガの情報を徹底的に調べ上げてその対策を歩に授けていた。

 それはたかが模擬試合のために用意されたとは思えない程の出来であり、幾つものブロスチームを渡り歩いてきたベテランの重野が手放しで褒めたレベルの代物だった。

 そこから見られる犬居のブロスファイトに対する姿勢は、彼女はブロスファイトに対して仕事の枠を超えた何かを持っている事を感じさせた。


「だってブロスユニットは…、大きいじゃない。 私よりずっとずーっとっ…」

「へっ…」

「…っ!? 今のはなし! いい、絶対に忘れるのよ!!」


 自分より大きい、それは比喩なのでは無く明らかに物理的なサイズの事を言っていた。

 確かに全長20メートル前後の現代の狂人と比べれば、歩より一回り大きい180センチオーバーの犬居など豆粒である。

 しかしブロスユニットが自分より大きいことが、どうしてブロスユニットに拘る理由になるのだろうか。

 歩は犬居の予想外の発言に呆気に取られてしまい、そんな歩の反応に自らの失言に気付いたらしい犬居は僅かに顔を赤らめながら早歩きで何処かに行ってしまう。

 今の反応からして先程の犬居の言葉は本音であることは間違いなく、彼女も彼女なりの理由を持ってブロスファイトの世界に足を踏み入れているようだ。


「…よし、やるか!!」


 あんなに頑張っている犬居に恥をかかせられない、正直勝つとは断言できないが少なくとも恥ずかしくない試合をしよう。

 本人は意図していない事であろうが、新米監督はパイロットのモチベーションを上げるという重要な役割を果たしていた。











 ブロスユニットに乗るためには競技用のブロス免許、所謂"マニュアル免許"を取得しなければならない。

 俗にマニュアル免許と呼ばれるそれは、選ばれた人間が最大限の努力をして初めて手に入れることが出来る。

 しかし免許はあくまでブロスファイトの世界に足を踏み入れるための参加証でしかない。

 ブロスファイトで対峙する相手はその殆どは自身と同格かそれ以上の天才であり、それらの天才たちが巨大な壁となって立ち塞がるのである。

 此処にその壁を超えられず、燻っている一人のブロスユニット乗りが居た。

 名前は佑樹(ゆうき)、序列で言えば下から数えた方が早い位置に居る下位のブロスファイトチームのメインパイロットである。


「ちぃ、何で俺がプロにもなっていない奴の相手をしないとならないんだ…」

「これも仕事だぞ、佑樹。 ライセンス取得を目指す未来の後輩の面倒を見る、先輩ブロスユニット乗りとしての大事な役目だぞ」

「俺はそんな物に頼らなくても、一発でライセンスに受かったぜ」


 ブロスユニットを搭載した巨大トレーラーの運転席で、佑樹はふてくされたような顔をしながら頬杖を付いていた。

 そんな佑樹を宥めすかすように佑樹の隣に座る男はハンドルを握りながらも、その視線は前方を向いておらず佑樹の方に向けられていた。

 よく見ればハンドルを一切動かしいないのに、トレーラーは自分の意思で動いているかのように自走している。

 自動運転技術がほぼ完全に確立している現代において、余程のことが無い限りは操縦者が自分で車両を操る必要は無い。

 様々なしがらみによって運転手の搭乗は義務付けられているが、この時代において運転手の役割などあってないような物である。


「本当に未来の後輩になれるか解らないがな、どうにも評判が悪いチームじゃねぇかよ」

「噂は噂だ、天下の白馬システムのチームだぞ。 報酬も相場より高いし、こちらとしては良い商売だよ」


 年に一度だけ訪れる、ブロスファイトの参加資格を得るためのライセンス試験。

 この機会を逃せばブロスファイトに参加する機会は最短でも一年後になってしまい、何処のチームもそんな停滞は避けたい物である。

 それ故に少しでも合格率を上げるため、ライセンス試験を受ける予定のチームは試験の予行を行う物だ。

 プロのブロスファイトチームに声を掛けて行われる模擬試合、今日の佑樹はプロ未満の相手を指導する立場にあるのだ。

 勿論、このような指導役をブロスファイトの上位チーム陣に依頼できる筈も無く、必然的に下位のチームに声が掛かる物である。

 そして自分がその下位のチームであることを改めて突きつけられた佑樹は、自らの思い描いた理想と現実の差異に苛立ちを隠せずにいた。






 その日まで佑樹と言う男は、自身が選ばれた人間であると信じて疑わなかった。

 確かに免許取得のための教習所の訓練は過酷であったが、自分は誰よりも上手くブロスを操ることが出来たのだ。

 トップの成績で教習所を卒業し、そのままストレートで免許を取得した時にその自信は確信に代わった。

 ブロスファイトに鳴り物入りで入り、全勝記録を叩き出し、史上初の1年目の総合優勝も夢では無い。

 そんな無双は初めての実戦で儚く消えるとは知るよしも無く…。


「何でだ、俺の方が早いのに! 俺のほうが上手いのに!!」

「"経験不足だな、ルーキー! あんまりオジサンを舐めない方がいいぜ!!"」


 初戦の相手は勝利数より敗北数が多い、選手歴だけが取り柄のぱっとしないベテランだった。

 試合の映像は何度も見た、その動きは一流と言われる者たちと比べれば明らかに精彩を欠いており、情けない戦績の理由を示していた。

 自分の初戦の相手には弱すぎるとさえ思っていたが、この相手なら確実に勝てる。

 公式戦の最短試合時間を更新してやると、勝利を確信していた佑樹は自信満々で試合に望んだのだ。

 …結果は完敗、佑樹は終始相手に遊ばれる最悪の負け方をした。

 相手の動きは決して早くない、上手くない、しかしそれでも自分の攻撃は当たらずに相手にいいようにされてしまう。

 曲りなりにもブロスファイトの世界で生き残ってきた相手に、その時の自分は経験も技量も何もかも足りていなかったのだ。


「くそ、くそ。 俺は特別なんだ、その筈だったのにぃぃ…」


 結局、佑樹は井の中の蛙でしか無かったのだ。

 ブロスファイトと言う大海に漕ぎ出した時、周りに居るのは自分と同等かそれ以上のギフトを持つ選ばれた者たちだった。

 運がなかった、そんな情けない言い訳すら吐けなくなるほどに佑樹は負け続けた。

 一敗する事に佑樹のプライドはごっそりと削れていき、最初の勝利を得た頃には佑樹は自分が特別な人間では無いと完全に理解させられていた。











 ブロスファイトの頂点に立つ、その夢を佑樹は未だに諦めていない。

 しかしブロスファイトの世界に足を踏み入れた早数年経つが、佑樹が率いるチームの成績は一向に振るわない。

 この調子が続いたらチームの解散すらも有り得るだろう、理想と現実の差に佑樹の苛立ちは否応なく増していく。

 決して佑樹の努力が足りない訳では無い、それは服の上からでもはっきりと見て取れる佑樹の鍛えられた体を見れば自ずと理解出来るだろう。

 競技用ブロスの劣悪な操縦環境は、下手なスポーツ顔負けの凄まじい体力を要求される。

 それ故にプロのブロス乗りは自らの体をアスリート並に鍛えなければ、とてもで無いがブロスファイトの世界ではやっていけないのだ。


「ワークホース、ね。 初戦はワーカー用のシステム会社のチームだ、大した相手じゃ無いだろう。

 パイロットは…、知らない名前だな。 せめて噂の二代目シューティングスターでも連れてこいよ」


 佑樹は手元の端末を弄りながら、今日自分が相手をするヒヨッコのデータに目を通す。

 その機体は地味で面白みのない茶色のブロスユニットであり、パイロットの方も聞いたことのない名前の奴だった。

 有望なパイロットで有るならば教習所時代にその名は広まり、プロである佑樹の耳にも入ってくる物である。

 自分が知らない時点でそのパイロットの価値はたかが知れており、佑樹は詰まらなそうな顔をしながら端末に表示していたデータを消す。

 仮にこの時に佑樹が練習愛を務めるパイロットの名前を調べていたら、何が何でもこの練習試合をキャンセルしていた事だろう。

 競技用ブロスのマニュアル免許の合格者は公に公開されており、調べようと思えばすぐに今日の相手がマニュアル免許すら持たない論外の存在である事を知れた筈なのだ。

 しかし幸か不幸か佑樹はブロスユニットに乗る者は皆マニュアル免許持ちであると言う先入観と、相手はライセンス取得前の若造と言う侮りから練習相手の事を調べることは無かった。

 そして歩はこの日初めて、マニュアル免許を勝ち取った本当の意味でのプロのブロスファイト乗りと対峙することになる。

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