1-1. 出会い
かつての歩(あゆむ)が憧れたブロスバトルの舞台へと上がるためには、当然のようにブロスユニットに乗る必要がある。
ブロスユニット、全長20メートル前後の機械仕掛けの巨人。
その全身を収めるためには首が痛くなるほど見上げなければならないブロスユニット、実はそのサイズには合理的な理由は存在しないそうだ。
ただ架空のロボットに近づくためだけに決められた、実用性皆無な完全な趣味の産物と言える存在。
この巨大ロボットに乗るためには、国が定めたある国家資格が必要であった。
本来であれば長く小難しい資格名が存在するのだ、大抵の人間はその正式名称を口に出さずに単にブロス用の"免許"と呼んでいる代物。
歩はこのブロス用の免許取得に失敗し、夢だったブロスファイトへの道を諦めざるを得なくなったのだ。
「…夢は夢さ。 さて、遅刻したらリーダーに怒られるぞ。 さっさと朝飯をすませて、お仕事に行きますか…」
ブロス用の免許を取得するためには、免許取得のための訓練施設を卒業しなければならない。
車の免許にあやかりその訓練施設は"教習所"と呼ばれており、歩もかつてはこの教習所に通っていた人間の1人だった。
しかし車のそれと違ってブロスユニット用の教習所の難易度は別次元であり、年に合格者が数人レベルの過酷な狭き門なのである。
歩はその試練を突破することは出来ず、幼き日の夢を捨てることになってしまった。
そして夢を諦めた歩は何時の間にか定職に付かなければならない年齢へとなっており、先月より新しい職場で働き始めている。
幼い頃の夢を思い出した時の余韻を拭い去るように、歩は意識して今の仕事のことを考えるようにしていた。
その施設を端から見たらどのように見えるだろうか。
外界と施設を阻むように金網が張り巡らされており、その広さは数キロ四方の広大な敷地を持っていた。
その広い面積の半分には灰色の背の高い無骨な建物が立っており、残り半分は何の建物も無い土だけが見える茶色の風景が広がっている。
建物の方が白色であればグラウンド付きの小学校と言えるかもしれないこの施設こそ、先日より歩が通っている新しい職場であった。
此処はとある目的のために設けられた専用の施設であり、歩はその施設の一員として働いているのだ。
「歩、こっちだ。 これは裏庭まで運ぶぞ」
「了解! 踏み潰されるなよ」
噂をすれば当の歩が、建物の方から出てきたでは無いか。
青色の作業服を纏う歩と同年代の若い男に先導されて、建物から飛び出したのは歩が操る人形の機械であった。
全長20メートル前後で洗練されたスタイルを持つブロスユニットと違い、それは作業機械と呼ぶに相応しい無骨な姿をしている。
全長は10メートルにも満たないそれには、顔の無い胴体に短い手足が付いていた。
一応は人形の体裁を整えているその機体は、工事現場で見かけるような重機を思わせる黄色の塗装が全身に施されている。
そして本来なら顔に当る部分には剥き出しの操縦席が設けられており、そこに先程の男と同じ作業服を着る歩の姿が有るでは無いか。
歩は先導する男の言葉に従い、自らが操る人形の機械の両の腕に荷持を持たせながら鈍重な速度で一歩一歩進ませていく。
「おーし、そこに置いてくれ。 やっぱりこういう仕事はブロスワーカーが有ると楽だなー」
「まあ、一応人形って事の利点だな。 コスト的には普通の重機の方が安上がりだけど…」
ブロスワーカー、それはブロスファイト専用に制作されるブロスユニットと一線を画す、人形の作業用機械の名称である。
歩は自らが操るワーカーの先を行く男の指示に従い、建物の裏手に広がる"裏庭"の隅に運んできた荷物を置いた。
巨大な人形ロボットなど現実には無用の長物と言われながらも、実際にそれが誕生してみれば意外にも人形ロボットを求める者があちこちで出てきた。
一般的な重機と比べてコストが割高となるが、人形であるが故に細かな作業をこなせるブロス搭載の人形ロボットは一部の現場で重宝される代物となったのだ。
こうして完全なる競技用のブロスユニットとは別に、作業用のブロスワーカーもまたこの世界で市民権を獲得していた。
「いやー、お前がワーカーの免許を持っていて本当に助かるよ。 流石は教習所のパイロットコース上がりだ」
「…まあ、これも昔取った杵柄って所なのかな」
ブロスユニットの免許を得るために教習所に通っていた歩は、その教習の過程でブロスワーカー用の免許を取らされていた。
人形の機械を動かす感覚に少しでも慣れるため、教習所ではブロスワーカーを利用した訓練も行うのである。
結局、歩自身はブロスユニットの免許を取ること無く教習所のパイロットコースを去ったが、教習所で身に付けた技術は此処で役立つことになるとは人生解らない物である。
「しかしこのワーカー、使いやすいな…。 これが噂の白馬システム製の改造ブロス搭載機か」
「なあ、前から聞きたかったんだけど、そもそもブロスって改造できるのかよ?
ブロスの中身は最新のコンピュータでも未だに解析出来てないって聞いたが…」
「それは競技用の方だ、作業用の方は限定的だが解析が進んでいるよ。
それを差し引いても、白馬製の改造ブロスは画期的な代物って評判だがな…」
ブロスユニットとブロスワーカー、競技用と作業用にそれぞれ作られた二種の機械人形には見た目以外の明確な差異が存在した。
それは今まさに動いている、ブロスワーカーの鈍重な動きを見れば理解出来るだろう。
腕を前に出す、指を閉じて目の間の荷物を掴む、腕を上げて荷物を持ち上げる…。
一度に一つの動作しか出来ないブロスワーカーのそれは、まさに人々が思い描く旧時代の鈍重なロボットのそれである。
ユニットとワーカーにそれぞれ搭載されている制御ソフト、ブロスの種類が異なるのだ。
ブロスユニットが搭載する競技用のブロスは自由度が極端に高く、人間さながらの複雑な動きが可能であった。
しかしそれ故に競技用のブロスを操るには凄まじい技量が必要であり、競技用のブロスは選ばれた人間にしか扱えない代物だった。
加えて数十年前に開発された競技用のブロスの中身はブラックボックス化しており、現在においても未だにその全容は明らかにされてない。
誰かがブロスは今より100年後の未来から送られた未知のソフトであると冗談で言った事もあるが、それが冗談で済まされない程の代物なのである。
それに対して作業用のブロスは作業に必要と思われる定められた動作しか出来ない代りに、操作の方も競技用と比べれば酷く簡単な物であった。
加えて作業用は中身の方も単純にできているようで、競技用と違って部分的には解析が進んでいるようだ。
「"こら、お前ら! 雑談している暇があったら、働け!! もうすぐ重野(しげの)リーダーが帰ってくるぞ"」
「うわっ!? 五月蝿いっ!?」
「あ、やべっ! 歩、さっさと他に荷物も運んじまうぞ!!」
「よ、よしっ!!」
ワーカーに乗る歩とその足元に居る青年がブロスの話で盛り上がっている所、それに水を刺すような甲高い声が裏庭へと響く。
裏庭に設置されたスピーカーを通して伝わった声は、彼らの職場の先輩あたる女性の物であった。
スピーカーから放たれた指向性を持った音は周囲に余分な騒音を漏らすこと無く、まるで凄腕のスナイパーのように正確に歩たちの元へ彼女の声を届けていた。
耳元で怒鳴りつけられたかのような音の暴力に両耳を塞ぎながら、歩たちは慌てて音が飛んできた建物の方を見やる。
よく見れば裏庭を見下ろせる位置に設けられた広い窓から、歩たちの方を覗く人影が有るでは無いか。
どうやら歩たちが仕事の手を止めて話している所を見られたらしく、こうしてスピーカーを通してお説教が飛んできたらしい。
先輩の声に促されるように、歩たちは慌てて作業を再開するのだった。
同僚である青年、寺崎 吉人(てらさき よしひと)と共に急いで作業を終わらせた歩は施設の中へと戻っていた。
施設の1階部分にあたるそこは、10メートル程のワーカーが余裕で収まる巨大なハンガーだった。
一般の建物であれば四階層分をぶち抜いて設けられた此処にワーカーが入るのは当然である、何しろ此処にはワーカー以上のデカ物を扱うための施設であるからだ。
ワーカーをハンガーの隅に位置する専用のスペースへと移動させ、慣れた手付きで電源を落とした歩はそのまま寺崎の方へと向かう。
「さて、いよいよブロスユニットの初お見目か。 楽しみだなー」
「ふっ、今度の子はどれだけの付き合いになるかな…」
ハンガーの入口付近で寺崎は、先程スピーカーで歩たちに声を掛けた女性と並んで立っていた。
福屋 嘉子(ふくや よしこ)、歩たちより一足早くこの施設で働いている先輩の名前である。
歩たちと同じ作業服を着ながらもその姿には女性らしい膨らみが見え、また睡眠時間を削ってゲームでもしたのか目の下に若干の隈が見えていた。
寺崎たちと並ぶようにハンガーの入り口に立った歩は、徐々に湧き上がる胸の高まりを抑えきれずに居た。
いよいよ自分たちの担当するブロスユニットと対面する機会が来たのだと思うと、否応なしに興奮を覚えてしまう。
何を隠そうこの施設はブロスユニットを管理・整備するための"ベース"であり、歩はブロスユニット専属の整備士としてこの施設で働いていた。
ブロスユニットに乗ることを諦めた歩は現在、ブロスユニットに関わる事が出来る整備士への道を選んだのだ。
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