照京編35話 湧き上がる殺意
「……あ、あの、少佐。」
「俺は他言しない。姫も気取られるな。剣狼が敵である以上、面倒な事になる。」
「……はい。」
「キスした事も内緒にしとく。……クククッ……歯と歯がごっちんこしたらしいな?」
トーマ少佐は心底可笑しそうに、喉を鳴らした。
「どうしてその事を!……キカちゃん……喋っちゃったんだ……」
「魔女の森で絶体絶命の危機を救われた少女と、ニヤけ面だが有能な青年兵士。そういう事態は当然予想される。隠しておくのは姫を危険に晒しかねないと言ったら、キカは話してくれた。歯と歯のごっちんこは事故にせよ、頬にキスしてもいいぐらいに好感を持っているのはわかった。そして剣狼に実際に会ってみて思ったんだよ。こりゃあ姫と相性が良さそうな奴だな、ってね。」
「相性がいい、ですか。」
「性格的な相性だけじゃなく、足らずを補完するって意味でもな。しかし、この恋の成就はハードルが高いぞ?」
「……和平協定の樹立が条件ですもんね。」
「ハードルはそれだけじゃない。これは同盟機関誌の取材で撮られた写真だ。」
少佐はテーブルの上に何枚かの写真を置いた。
……なにこれ!女の子とのツーショット写真ばっかりじゃない!
「え~と、これが雪村ナツメ、無表情の殺戮天使だったが、剣狼のお陰で笑顔を取り戻したらしい。このでっかいパツキン姉ちゃんはシオン・イグナチェフ、やさぐれてたが、剣狼と出逢ってからは尽くしたがりの地に戻ったって話だ。」
「このカナタとほっぺを合わせてるちっちゃいコは、ローエングリン伯のお孫さんですよね!」
「そうらしい。剣狼はロリコンじゃないかって地元の街では噂になってる。」
ナツメさんは強引に腕を組んでるし、シオンさんは傍に立って頬を赤らめてるし、リリスちゃんはほっぺをくっつけてるし……
ドス黒い感情が心に広がっていくのを感じる……カ、カナタの奴~!!
可愛い部下を三人も連れてるっていうのは以前に聞いたけど、写真はまだあるんだよね!
「それでこの和装の方は!どなたなんです!」
「八熾家の家人頭、八乙女シズル。寝ても覚めてもお館様が大事、ずいぶん思い込みの激しい女なんだとさ。」
「この赤毛のコは!それにこのオペレーター服のコも!……民族衣装っぽいコまでいる!」
「……全部、説明せにゃならんか?」
少佐は心底面倒くさそうな顔をしたけど、聞かない訳にはいかないんだから!
「もちろんです!わかっている事全部!洗いざらい話してください!」
「え~と、この赤毛はキンバリー・ビーチャム。辺境基地の雑用係をやっていたんだが、剣狼にスカウトされた。基地の底辺から連れ出してくれた剣狼をえらい尊敬してるんだとさ。民族衣装のコはリムセ、龍頭大島の現地語で刃って意味らしい。リムセは剣狼が入隊してきた頃からの付き合いで……」
どのコがライバルなのかわかんないけど、いくらなんでも多過ぎ!……殺意が湧いてきた!
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リリージェンに到着したボク達は二手に分かれた。
クリフォードは要人との会談があるので別行動、お見舞いの品を持ったボク達は軍病院に移動だ。
軍病院に到着したボクは、タッシェと護衛兵を車に残し、少佐とギンだけ伴って最上階の個室へ向かう。
個室の前には武烈の兵士さんが二人いて、ボク達の姿を見るとドアを開けてくれた。
「これは姫様、わざわざ師父の見舞いに来てくださったのですか。」 「どうぞお入りください。」
病室には先客がいた。リットク大尉だ。バクスウ老師のベッドの傍に椅子を出し、腰掛けている。
「入院されていると聞き、寄させて頂きました。」
「姫、席を替わろう。ワシはもう帰るのでな。」
そう言ってリットクは席を立った。なんだか不機嫌そうな顔だ。
「時間があるなら、この後、一緒に食事でもいかがですか?」
ボクの誘いに戦鬼は首を振った。
「姫のお誘いは魅力的だが、死神と同席したくない。では失礼する。」
そう言ってリットクは足早に病室から出て行ってしまった。
バタンとドアが閉まってから、バクスウ老師は苦笑いする。
「嫌われたものじゃな、死神。」
「古今東西、死神は嫌われ者だ。リットクに限った話じゃない。」
広い病室に備え付けられたソファーに、さっそく寝転がる少佐。リットクの態度をさほど気にした風もない。いろんな意味で大物だよね。
「……戦役の時から気になってたんですけど、リットクは少佐を面白く思ってないようですね。」
なにかにつけて突っかかってる印象を受けたのはボクだけじゃないはずだ。
「そりゃ面白くはないじゃろうよ。死神は武人の敵じゃからして。」
「武人の敵?」
「ワシは半世紀近く武を鍛錬し、この身を捧げてきた。じゃがそこに寝そべっておる物ぐさ太郎と戦ったならば、到底及ぶまい。達人名人より遥かに強いド素人、理不尽極まりない話じゃ。」
物ぐさ太郎……言い得て妙だ。笑っちゃいけないんだけど。
「己が研鑽を否定されている気分、という訳ですか。」
「然り。リットクのような剛毅者にとってはさぞ屈辱じゃろう。いやはや、若い、若いのう。」
壮年のリットクを若いと笑い飛ばせるのはバクスウ老師ぐらいだろうなあ。
「文句は言いながらも、少佐の指揮には従っていたようですが?」
ギンの問いかけに老師は頷いた。
「人間は気に入った人間の能力は過大評価し、嫌いな人間の能力は過小評価しがちなものじゃ。じゃが能力と好悪は別、リットクはそれが分からぬほど未熟ではない。」
「能力の有無と好悪は別、また老師に学びました。お体の具合はいかがですか?」
「肩甲骨を砕かれてしもうてな。医者はしばらく動くな、じゃとさ。」
「肩甲骨ごと健康を砕かれたか。爺さん、骨が完治するまで骨休めしときな。」
「下手な洒落じゃな、死神。おヌシは健常者なのじゃからもっと働け。なんじゃ、その趣味の悪いアロハシャツは?」
「キカのセンスに文句をつけるなよ。」
「よく見れば珍しくマトモなシャツじゃったな。」
……老師もキカちゃんは可愛いらしい。
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見舞いの品として持ってきた月餅は老師の好物だったみたいで、喜んでもらえた。
ボクが花瓶の花を差し替え、ギンは央夏茶を淹れる。もちろん少佐は寝そべったままだ。
ギンの淹れたお茶を一口啜った老師は眉間に皺を寄せながら、ボクに忠告してくれる。
「ところで姫、剣狼には重々お気をつけなされ。」
「カナ…剣狼にですか?」
「ワシとしたことが
「羽化、とは?」
「たった一つの勝利が殻を破るきっかけになる事もある。ワシもそうじゃった。」
「聞かせてください。とても興味があります。」
老師の話はとても意外で興味深かった。なんと老師は拳法家を志してはいなかったのだ。
半世紀近く前、バクスウ青年は寂れた央夏料理屋の息子で、傾いた店を立て直す為に一念発起し、真の料理を学ぶ為に当代一の料理人と謳われたソンミン老師に弟子入りした。
バクスウ青年の師であるソンミン老師は二つの才能を持っていた。当代一の名料理人で、稀代の拳法家でもあったのだ。
青年は料理修業の傍ら、老師の道場にも下働きとして顔を出すようになった。
そして健康体操を習うような気持ちで拳法の修業も始めたらしい。
「料理を習い始めたのが二十歳、道場に入門したのが二十二歳の夏じゃったか。ワシが一番入門の遅い弟子じゃったのう。筋も悪かった。人が一月で覚える技を修得するのに二月も三月もかかる有り様、年下の弟子仲間からも嘲笑される存在じゃったよ。」
鉄拳バクスウの青年期が、道場の落ちこぼれだっただなんて信じられない。
「落ち込むワシに我が師だけが"おまえには素質がある。素質がないという素質がのう"と仰ってくださった。言葉の意味が分からぬワシは何度も師に教えを乞うたが、"善き哉、善き哉"と仰るばかりで答えてはくださらぬ。そんなある日、兄弟子との手合わせにワシが指名された。もちろん、ワシはその兄弟子に一度も勝てた事はない。」
「それで勝負はどうなったんですか?」
「ワシは終始劣勢だった。兄弟子は勝とうと思えばいつでも勝てたじゃろう。じゃが余裕を超えて過信となったその隙を突き、ワシが勝った。同じ技を同じ瞬間に繰り出したのじゃが、ワシが競り勝ったのじゃ。それでようやく老師の言葉の意味がわかった。弱いが故に驕りなく、才なき故に時間をかけて体得した技は、才気を超えるのじゃと。勝負を終えたワシに老師はこう説かれた。"バクスウよ。拳法も料理も極意は一つ、時間をかけ、骨身に染み渡った一撃、一品こそが至高なり"と。」
その日、その勝利が転換点だった。積み重ねた研鑽が結実した老師はさらなる研鑽に励み、いつの間にか応龍鉄指拳の継承者になっていた、という事らしい。
「……もっともワシが修業にかまけておる間に親父の店は潰れておったんじゃがの。」
老師はしっかり話にオチまでつけてくれた。
「え? 老師が修業に出た目的って……」
「カッカッカッ、まあ不味い料理屋なんぞ誰も見向きもせんから仕方がないわえ。話を戻すがの、起死回生の一撃でワシの肩を粉砕した時の剣狼の目、あれは若かりし日のワシの目じゃった。格上を倒し、成長する若獅子、いや、若狼の姿。その身に本物の強者が持つ風格が備わってゆくのを感じたのじゃ。次に会う事あらば、奴は実力でワシと渡り合うじゃろう。……敵ではなく、弟子に欲しかったのう。」
苦い微笑を打ち消すかのように、甘い月餅を口にする老師。
老師の慧眼に狂いはないだろう。もうカナタは兵団の部隊長級の力を持っているって考えないといけない。
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