激闘編20話 噛み合わぬ歯車
「戦術的転進!一旦、グラドサルへ帰投する!」
ゲラルト・エプシュタインは全軍に転進を命じた。屈辱的だが、このままでは賊軍が後衛部隊にまで殺到してくる。
エプシュタインの分析では敗因、いや、転進の原因はハッキリしている。
言葉には出来ない怒りが、機構軍中将の脳裏を横切った。
機構軍中将であるこの私が戦術的転進を余儀なくされるとは!それもこれも、グリースバッハの低脳が、ただの一部隊も出さなかったせいだ。都市防衛部隊の半分でいいから出兵させておれば、違う戦術が取れたものを!
グラドサルを手薄にすれば、別方面から侵攻中のシノノメ師団の来襲を防ぎ切れんだと? 一度も戦場に立った事がない腑抜けが、知った気に戦略を語りおって!
グリースバッハを罵り倒したいところだが、そんな醜態は晒したくない。第一、負け惜しみのように聞こえてしまうではないか。
エプシュタインの言い分にも一理はあった。グラドサル防衛部隊の数は1万を優に超える。
最低限の守備部隊を残してラマナー高原に出撃していれば、26000対13000、兵力比にして倍の差で以て、野戦に臨めていた。
もちろん、野戦に手こずれば、別方面から来襲するシノノメ師団にグラドサルを落とされてしまい、帰る場所がなくなった上に挟撃されるという危険もあるが、短期決戦で雌雄を決すれば良いだけの話。
普通に考えれば、籠城戦より野戦の決着の方が早いに決まっているのである。
だが、グリースバッハの言い分にも一理があった。
アスラ部隊に照京軍総帥親衛隊まで加わったヒンクリー混成師団は倍の戦力差を以てしても、そう易々と撃破出来る相手ではない。グラドサルに戦力を集中して持ちこたえ、シュガーポットからの援軍を待って、街の中と外からシノノメ、ヒンクリー両師団を挟撃すべき、という総督の意見はあながち間違いではない。例え主たる動機が、同盟最強のシノノメ師団と、精強で知られるヒンクリー師団を同時に相手取り、見事に撃退したという実績欲しさであったにしても、だ。
両師団に合流されるのはデメリットだが、温存した戦力とシュガーポットから来援する戦力で挟撃をかけられるというのはメリットでもある。
そして現実に起こった現象は、それぞれが思うように軍を動かす、であった。
エプシュタインにはそれでも勝算があった。16000の兵で10000の兵にあたるのだ。戦力差は1,5倍、歴戦の指揮官である自分の技量と、高原に先着出来るメリットを活かした迎撃網を駆使すれば、十分に勝ち得る戦であると考えたのだ。
ラマナー高原に先着し、万全の迎撃態勢を整えるつもりが、計算違いが起こった。ゴーストタウンに先行させた部隊が無能で、ろくに時間稼ぎも出来ずに惨敗したのだ。それでも最低限の迎撃態勢は整えたが、そこにさらなる誤算が生じた。オプケクル大佐率いる3000の敵軍がラマナー高原に急行しているとの報がもたらされたのである。
3000名もの軍団が、突如現れた理由はエプシュタインには分からなかった。
オプケクル軍団が突如出没した理由は簡単である。ラマナー高原の周辺に、分散して潜伏していただけ。
エプシュタインより数段上の戦略家である軍神アスラの娘は、ラマナー高原で大規模会戦が行われる事を読んでいた。いや、そうなるように仕向けていた。
オプケクル大佐は部隊を細かく分けて分散出撃し、
時の到来を知ったオプケクル大佐は分散潜伏させていた部隊に召集をかけ、
そんな事は知る由もなかったエプシュタインだが、対処はせざるを得ない。
しかし対艦用の堀を掘削するような時間はなく、陣形を変えて対処するのが精一杯だった。
敵将の焦燥を鼻で笑った猛将は、急ごしらえの防御布陣を歯牙にもかけず突破し、エプシュタインは一敗地にまみれた。
そして、あえて逃がされているとも知らず、懸命の転進を行っている。
「中将、グラドサルが見えます!撤退は成功です!」
副官の弾んだ声に、エプシュタインは不機嫌に応じた。
「撤退ではなく転進だ。言葉は正確に使え、ヘッシャー大佐。」
「ハッ!以後、気をつけます!」
「後詰めの部隊の状況は?」
「……後衛部隊の半分、いえ、3分の2が撃滅された模様です。後衛部隊のすぐ後ろに、まだヒンクリー師団の艦影があり、依然、追撃中と思われます!」
ギリリと奥歯を噛み締めたエプシュタインは、次の命令を下す。
「ヒンクリー師団ではなく賊師団と呼ばんか!グラドサルと通信を繋げ、至急だ!」
「ハッ!ただちに!」
ほどなくスクリーンに映ったグリースバッハ総督は、少し顎をあげ、下目遣いにエプシュタインを眺めやった。
「ワシの言った通りだっただろう、エプシュタイン?」
「エプシュタイン中将、だ。総督、すぐに門を開いてもらおう。次戦に備えねばならん。」
「よかろう。ワシの寛容さに感謝してもらいたいものだな、エプシュタイン
反射的に怒鳴り返しそうになったエプシュタインだったが、かろうじて自制した。罵り合うより先に、師団を街に収容せねばならない。
真っ先に逃げていた、エプシュタインの表現なら、栄えある前衛だった師団本隊を収容し、中衛部隊の収容を開始した頃に戦局は動いた。
ヒンクリーは後衛部隊に師団を割いて対応させ、残りの部隊を一気に街へと突進させてきたのである。
「曲射砲を撃て!すぐにだ!」
肉迫してくる艦隊に慌てたグリースバッハは、防衛部隊に命令を飛ばす。
「待たんか!味方にも当たる!」
「トロ臭い貴様の部隊になど構っておれるか!構わん、撃て撃てぇー!」
友軍誤射が生じるのは必定とはいえ、命令は命令である。防衛部隊は曲射砲の砲撃を開始した。
初めての攻撃命令に興奮し、もとより潤沢ではないグリースバッハの余裕をさらに削る報告がもたらされる。
「総督!12時方向より新たな敵軍を察知!」
「なんじゃとぉ!どこの部隊じゃ!」
「陸上戦艦白蓮の船影を確認!アスラ部隊零番隊が部隊を率いている模様!その数は1000、2000、まだ増えています!」
オペレーターの報告に、グリースバッハ総督の顔がこわばる。本格的な、いや、本格的ではない戦争さえ未経験の新米総督は、いきなり難しい局面に立たされてしまった。我が身が招いた局面でもあったのだが。
「12時方向の曲射砲の準備!防衛部隊も配置にかかれ!急げ、急がんか!」
明らかに取り乱し始めたグリースバッハを、新米総督よりは場数を踏んだエプシュタインは落ち着かせようと試みる。
「総督、落ち着け!都市のレーダー索敵にかかっただけなら、来援まで数時間はかかる!オペレーター、予想到着時刻の割り出しを急げ!」
「はっ、はい!よ、予想到着時刻は……」
グラドサルが敵襲を受けたのはこれが初めてである。当然、オペレーターも敵の襲来は初経験。コントロールパネルを操作する手付きはたどたどしい。その手付きを見ていたグリースバッハの余裕は完全に消し飛んだ。
余裕がなくなればキレて爆発するしかない。二人の間にはもともと爆弾があった。誘爆する時が来ただけである。
「貴様がワシの部下に命令するな!この街はワシの街、命令していいのは総督であるこのワシだけじゃ!」
「落ち着け、総督!今は冷静な対処が必要な時だという事すら分からんのか!」
信頼関係ゼロの間柄で、取り乱した人間に落ち着けと繰り返しても無駄である。却って火に油を注ぐ結果になりかねない。不幸にもエプシュタインは、グリースバッハを錯乱させる手助けをしてしまった。
「黙れ!そもそも貴様がワシの忠告を無視して勝手に出撃した結果が、この有り様なのだろうが!!」
「そんな事を言ってる場合か!!敵が目前に迫っておるのだぞ!」
エプシュタインの言葉は、錯乱したグリースバッハをさらに混乱させた。
「そ、そうじゃ!6時方向からの敵はどうなっておる!」
「我が軍から鹵獲したと思われる艦隊を先頭に猛進中!!どんどん迫ってきています!防壁までの距離2000を切りました!!」
新米総督のグリースバッハはまだしも、実戦経験を積んでいるエプシュタインなら、冷静に考えれば、無人のダミー艦隊だと気付けたかもしれなかった。そう、冷静でさえいれば……
だが新米総督は、エプシュタインに冷静に考える暇を与えない。グリースバッハとエプシュタインは、とことん噛み合わない歯車であった。
「門を閉じろ!今すぐにだ!!」
「は、はいっ!」
「待てっ!!まだ収容中の私の部隊がいる!」
「知った事か!閉じろ!門を閉じんか!命令に従わぬなら、貴様は銃殺する!」
ホルスターから抜いた拳銃の銃口をオペレーターの後頭部に突き付けながら、グリースバッハは喚いた。
「閉門せよ!即時、閉門!!」
命懸けのオペレーターの叫びに応え、グラドサル市街の大門は、ゆっくりと閉じてゆく。
だが、ヒンクリー師団に追われるエプシュタイン師団艦船は、閉じようとする大門にわれ先にと殺到した。
そして大門付近で立ち往生を起こし、大混乱が生じる。もちろん戦艦で渋滞を起こした大門は閉じる事が出来ない。
「なんたる体たらくじゃ!エプシュタイン、役立たず共を門からどかせんか!はようせい!」
たとえこの場は乗り切れても、この馬鹿が指揮を執るのではグラドサルは陥落する。こんな低脳と心中などしてたまるか。なんとか自分だけでも、この場を逃れなくてはいけない。
思考を防戦から逃亡、彼の表現では転進へとシフトさせたエプシュタインは、師団に命令を下した。
「総員、シュガーポット方面に転進せよ!市街に入った部隊もグラドサルから脱出!」
「なんじゃとぉ!そんな事は総督であるこのワシが許さん!」
「この街は陥落する!急げ!」
「エプシュタイン中将、脱出するにも渋滞を起こした門以外は閉じています!」
ヘッシャー大佐の言葉にエプシュタインは怒鳴り返した。
「詰め所を占領してでも、扉を砲撃で吹き飛ばしてでも構わん!退路を確保せよ!」
「貴様ぁ!!裏切るつもりか!いくら中将といえど、利敵行為は銃殺刑じゃぞ!」
喚くグリースバッハと逃げるエプシュタイン。自己中心的な性格が酷似しているが故に、噛み合わぬ歯車二人。
のちに機構軍軍史編纂部が頭を抱える案件となった「グラドサルの悲劇」は、こうして始まったのである。
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