激闘編15話 誇りある弱者



「バート、私に音楽の才能があると思うかい?」


廃虚での生活を始めてから1週間ほど経ち、バートを信頼出来る男だと見定めた私はある決心をした。とっかかりは音楽の話からでよかろう。


「唐突になんです? コウメイがクラシック好きなのは、もう分かりましたが……」


この世界にも優れた音楽家はいて、初めて聞くクラシックは私を楽しませてくれる。


教会育ちのバートもクラシックには理解があって、私達の音楽の趣味は合っていた。


私はデスクトップコンピューターで、事前に入力しておいた地球の音楽を数曲、バートに聴かせてみた。


日本でもボーカロイドなるモノが流行っていたが、この世界では高度なボーカロイドソフトが市販されている。実に便利なモノだな。


「………素晴らしい音楽の数々だ。クラシックだけではなく、ポップにロック、それに演歌まで。この曲はコウメイが作曲したのですか?」


「まさか。持ってきたんだよ。からね。……そうだな。まず、同盟の人でなし共が目論んだクローン兵士培養計画のデータを見てくれ。それから気の触れた男の戯れ言をしばらく聞いてくれないか?」


昨夜、私はバートに全ての事情を話す決断を下した。賭けにはなるが、他の方法がない。……それに私は、この教会育ちの復讐者リベンジャーを気に入ってしまった。能力、趣味、モノの考え方、全てに気が合うのだ。


人から信用されない男、それが私の欠点だ。だが欠点は克服する。愛好するクラシックよりも、はるかに愛する家族の為に。




クローン兵士培養計画のデータを閲覧し、話を聞き終えたバートは、困惑した顔になった。判断をしかねているようだ。


沈黙し、少し考えを巡らせているようなので、私はバートが口を開くのを待った。


沈黙を破ったバートは、困惑した顔で困惑した声を絞り出す。


「にわかには信じられない話、としか言い様がありませんが……」


「だろうな。私にもなにかのジョークだとしか思えない。」


「話を要約すれば、コウメイは天掛光平という地球から来た異邦人で、その体は氷狼アギトのクローン体。同じくクローン体に宿った息子の波平さんを追ってこの世界に来た。その目的は、地球に残してきた妻子を救い、カナタと名を変え生きる息子さんを陰ながら手助けする、そういう事ですね?」


「いかにもそうだ。」


「培養計画のデータと、聴かせてもらった音楽の事がなければ一笑に付すところなのですが、少し調べさせてもらっていいですか?」


「調べてくれ。さっき聴かせた曲は、この世界には存在しない。」


しばらくタブレットで調べ事をしたバートだったが、細葉巻に火を点け、手を止めた。


「コウメイの言う通り、先ほどの曲はこの星には存在しない。ですが、コウメイに音楽の才能があるという可能性はありますね。培養計画のデータだって作り物かもしれません。生体工学の専門家ではない私を誤魔化す事は難しくない。」


その通りだが、バートも分かっている。そこまで手の込んだ仕掛けで騙す理由がないという事ぐらいは。


「クラシックからポップにロック、演歌まで作詞作曲出来るとは、私は天才だったらしいな。」


「コウメイならやれそうな感じがしなくはないのが怖いですよ。音楽の次はクイズの時間です。コウメイは財務官僚だったそうですが、地球で起こった最大のインフレーションはどんな事案でしたか?」


「私の知る限り、アフリカのジンバブエで起こったハイパーインフレが最大の喜劇だったな。経済のけの字も分かってない連中が開演した最大の喜劇で、事の始まりは政府の意のままに準備銀行が貨幣を乱造した事から始まった。当然、インフレが起きて、収拾の為にデノミで通貨を切り捨て、デノミの影響でまたインフレ、と。インフレスパイラルが起きれば、後はお定まりのコースだ。さほど間を置かず、ハイパーインフレに発展してしまって制御不能。」


「おおかた独裁国家で起きた喜劇だったのでしょうね。」


「そうさ。いくら搾取されてきたからといっても、土地と資本を毟ってバラまけば解決という訳にもいかんよ。資本の運用法を知らぬ者が資本を握っても、どうにも出来ん。資本家は国外に逃亡するし、リスクを恐れて資本の流入も止まる。」


「なるほど、実に興味深い。先を聞かせて下さい。」


私はジンバブエドル暴落の詳しい経緯をバートに話した。


「………最終的には100兆ジンバブエドル紙幣なるものまで登場した。面白いだろう?」


珈琲一杯飲むのにアタッシュケース一杯の紙幣が必要になる。笑い話のようだが実際に起きた事件だ。


「ギャグでやっているとしか思えない話です。事実は小説より奇なり、と言いますが、ジンバブエ国民以外はさぞ笑ったでしょうね。」


「大いに笑ったね。ティッシュペーパーよりも価値のない紙幣の登場など滅多にない事だからな。事実かどうかは定かではないが、壁紙として部屋に貼った人間もいたんだとか。まあ、ジンバブエドルはじきに貨幣として通用しなくなって、国民は外貨で暮らしていたのだがね。で、100兆ジンバブエドルなんだが、金運の御守りとして人気があるらしい。実は私も持っていた。」


「ハハハッ、では次の質問です。コウメイのいた世界のギャング王はどんな人物なんです?」


「大物ギャングは数多いが、王というならやはりアル・カポネこと、アルフォンス・ガブリエル・カポネだろうな。こちらでいうアトラス共和国によく似たアメリカ合衆国という国があってだな、禁酒法という馬鹿げた法律を施行してしまった。カポネは密造酒製造の元締めになって………」


そんな感じで私はバートの質問に答えていった。





「……コウメイのいた世界の話は、また聞かせてもらいますよ。実に新鮮な驚きに満ちています。結論から言えば、コウメイの話を信じます。貴方は異世界から来た異邦人に違いない。そうでなければ、不世出の天才狂言師です。私の質問に即興で、そんな作り話が出来るのですから。」


「ありがとう、バート。私は天才でも狂言師でもない。家族を取り戻したい、ただの父親なんだ。」


「でも息子さんには会わないおつもりなのでしょう?」


「今さら会わせる顔などないよ。波平、いやカナタは私の事など忘れてくれればいいんだ。私がカナタの父親だと勝手に思い込みたいだけの話で、そう思い込めるだけのなにかをしておきたい、それだけの事さ。」


「奥さんと娘さんを救う為には、この星に魂を転移させるか、キマイラ症候群という難病の治療法を地球に伝える必要がありますね。」


「治療法については算段がついてる。抑制細胞がその答えだ。エリクサー細胞セル、通称エリクセルと呼ばれているらしいね。」


戦闘細胞コンバットセルと並ぶ生体工学の二大発明です。癌を始めとする悪性腫瘍を抑止する効果がありますが……なるほど、キマイラ症候群は癌に酷似した難病、エリクセルがあれば発症も再発も抑止可能かもしれません。」


「問題は製法が分からんという事だ。エリクセルは増殖は可能だが、製法は不明らしいからな。」


鷺宮トワと白鷺ミレイ、生体工学を一変させた天才の双璧は、もう鬼籍に入ってしまっている。戦闘細胞と抑制細胞の秘密を抱え込んだままで。


開発者がいないのでは製法の解明は不可能だろう。時が経てば可能かもしれんが、そんな時間は私の妻子にはない。


「エリクセルの現物を送るか、妻子を呼び寄せるかの二択ですね。現物を送るなら、その方法も見つけなくてはいけない。」


エリクセルの現物を送る、か。可能だとしても、とんでもないオーパーツを地球に送り付ける事になる。地球の歴史を変えてしまいかねない代物だ。


「なんにせよ、地球と連絡を取らねば始まらん。」


「それにはミコト姫を説得するか、御鏡家の持つ鏡が必要、と。両面に構えましょう。ミコト姫の説得はコウメイ、鏡の奪取は私の担当パートです。」


「協力してくれるのは有難いが、妻子の事は私の問題だ。バートにリスクを負わせるのは……」


「私の協力が必要だから事情を話したのでしょう? それにお互いの目的に協力するという約束だったはず。そうしてこそ私も巨大組織との戦いにコウメイを遠慮なく巻き込めるというものです。奥さんと娘さんにエリクセルを届けられず、こちらに呼び寄せた場合には、その安全を確保してから、ですがね。」


「ああ、私とは無関係の人間として生活してもらうべきだな。でなければ妻子まで犯罪組織に狙われてしまう。」


「ええ。コウメイが家族と暮らす為には、私の仇と仇の築いた巨大犯罪組織を叩き潰さないといけない、という事になります。となればコウメイは本気にならざるを得ない。私の意図もそこにある。命を賭けるだけの価値があります、貴方のにはね。」


「私は最初から本気だ。家族を失った無念と怒りが……今は理解出来る。私と共に戦ってくれ。」


「戦いましょう。コウメイは家族を取り戻す為に、私は失った家族の魂の安寧の為に。」


私とバートは堅い握手を交わし、心から手を組む事を誓った。




過去の私は、一人で何でも出来ると思っていた。他人が全員コマに見えていた。


人という字は支え合って人となる、か。過去の私は弱者の戯言だと笑い飛ばしたな。


支え合わなければ生きていけないのは、才なき者の負け惜しみだと。


今の私は孤高に生きる強者ではない。助けがなくては何事も為し得ない弱者だ。




だが、私は弱者である事を誇る。手を結び合う弱者は、孤高の強者よりも遥かに強く、価値があるのだから。



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