幕間編6話 サーカスの開演
ヴィクトール・ガルシアパーラの養子になったアルハンブラは、養父を師に懸命に魔術を学んだ。
そして10年の月日が流れ、コソ泥だった少年はサーカス団の看板魔術師として名声を博するまでに成長した。
本物の魔術師になったアルハンブラは、かねてから想い合っていたヴィクトールの娘、アリシアとの交際を許された。
娘との交際を認める際、ヴィクトールは笑顔で嫌味を言ったものだ。「アルハンブラ、アリシアと結婚したければ、私を魔術で消してみせるのだね。私は頑固親父だけに、そう簡単に結婚は許さないよ?」と。
アルハンブラも笑って答えた。「式場で見事に消してみせますよ。団長の姿が教会から消え、誓いの言葉を促す神父と入れ替わって現れる、という魔術は如何です?」
その言葉を聞いたヴィクトール・ガルシアパーラは満足げに頷き、手塩にかけて育てた
好事魔多し、昔からある格言である。その格言はガルシアパーラ家に不幸にして当てはまってしまった。
サーカスを見物に来た同盟軍軍人、モラン大尉がサーカスの看板娘アリシアの美貌に惚れ込んでしまったのである。
悪い事にモラン大尉は家柄には恵まれていたが、良識には恵まれなかった軍人だった。
己が欲求に忠実なモラン大尉は既に妻帯者であったにも関わらず、アリシアを二番目の妻として迎えたいとヴィクトールに持ちかけた。いや、恫喝した。
複数の妻を持つ事は違法ではない。ほとんどの都市国家では贅沢税を払えば複数の妻、複数の夫を持つ事は法で許されている。特権階級に限る、という前提をクリア出来ればの話だが。
この申し出をヴィクトールは即座に断った。当たり前だが考慮にも値しない話である。
娘が昔からアルハンブラに想いを寄せている事、娘が不幸になる未来が目に見えている事。そしてヴィクトールが権力を笠に着る輩が大嫌いである事。三つの理由が
特権階級の不興を買うことが、穀物の先物取引より危険な買い物である事を知っていたヴィクトールは、すぐさま一座を連れて街を出た。
ヴィクトールの計算違いは、モラン大尉が「良識がない」などというレベルで
彼はガルシアパーラ・サーカスにスパイ容疑をデッチ上げ、荒野を旅する一座に部隊を率いて襲いかかったのである。
ガラスを割って艦橋に侵入しようとする兵士に、アルハンブラはダーツを投げて応戦する。
ダーツは見事に眼球に命中し、光を失った兵士は悲鳴をあげながら転落していった。
「急な出立でトレーダーズギルドの護衛を雇えなかったのが裏目に出ましたね。」
アリシアを庇うように周囲を警戒するアルハンブラに、ヴィクトールは首を振った。
「同じ事だ。トレーダーズギルドも軍とは喧嘩出来んよ。」
「なんとしてでも機構軍の勢力範囲まで逃げ切らないと!もっと速度が出せないのか!」
モランへの怒りと窮地への焦りに、アルハンブラの声も自然と荒くなる。
「もう一杯一杯だ!中古の軽巡に過度な期待はしねえでくれ!」
操舵を取る団員にも余裕はない。中古の軽巡洋艦が新鋭巡洋艦2隻に挟まれて追尾されているのだ。ハナから分の悪い勝負である。
「……アルハンブラ、魔術師たる者、いかなる窮地でも焦ってはいけない。絶体絶命の時にこそ、不敵に笑うものだよ。そう教えただろう?」
「鎖で全身を縛られて水槽に放り込まれても脱出してみせます!ですが……」
「……奇跡の脱出マジックをいま考えている。落ち着くんだ。」
「団長!炎素エンジンの出力が低下!機関室に被弾したみたいです!!」
団員の報告はヴィクトールに覚悟を決めさせた。
「……よし。ヴィクトール・ガルシアパーラ、一世一代の魔術を同盟の愚か者共に披露してやるか。アルハンブラ、皆を連れて先に脱出しろ。私が巡洋艦を足止めする。」
「団長!無茶です!」 「お父様!」
「とっておきのトリックがある。任せておきなさい。」
「嫌です!私も残り…」
「アルハンブラ!おまえまで残れば、誰がアリシアを守るのだ!アリシア、アルハンブラから離れるな!」
「はいっ!アルハンブラは私の
「……団長、必ず脱出マジックを成功させて下さい!信じています!」
若き二人が団員達を連れて艦橋から退避していく姿を見届けたヴィクトールは、
愛する家族の未来の為、大魔術師は最初で最後のタネのない魔術に挑む。
黒煙を上げながら走る軽巡洋艦から曲芸用のバイクで脱出したアルハンブラ達は、全速力で峡谷へ向かって逃走する。
追走する軽巡洋艦2隻を相手に、サーカスの母艦「ピエレッタ」は母の愛を見せた。
老いた体で体当たりを繰り返し、アルハンブラ達の逃走を助け続けたのだ。
スカートを引き裂いてバイクのタンデムシートに跨がったアリシアは、魔術師の背中にしがみつきながら叫んだ。
「アルハンブラ、お父様はどうやって脱出するつもりなのかしら!」
「分からない!だが団長は大魔術師、きっと奇想天外のトリックがあるんだ!」
アルハンブラの願望に似た叫びを銃声が遮った。後ろを顧み、バイクのアクセルを目一杯吹かす。
「クソッ!追っ手もバイクを出してきたようだ!アリシア、しっかり捕まって!」
「絶対に離さない。私達はどこまでも一緒よ!」
アルハンブラはロープマジックを披露するかのように、自分と最愛の女性の体を固く結びつけた。
背後から放たれる銃弾を躱しながら加速するバイクは、峡谷の入り口である巨大な岩のアーチを潜り抜ける。
岩のアーチ、それがヴィクトールのマジックの仕掛けだった。
スクリーンパネルを操作し、ヴィクトールは機関室へ呼びかける。
「いよいよだ。爺さん、付き合わせて済まないね。」
「団長、長え付き合いじゃないですか。今さら水臭い事言いなさんな。ヴィクトール・ガルシアパーラの最後の舞台にお付き合いさせてもらって光栄ってもんでさぁ。」
スクリーンに映った老道化師は、一張羅のステージ衣装を纏い、赤い丸鼻をこすって胸を張った。
「……ありがとう。これが私の最後のマジックショウだ。行くぞ!」
「あいでがんす!」
大魔術師の前座を長く務めた老道化師は見事に呼吸を合わせ、炎素エンジンを起爆させる。
アーチの根元に特攻を仕掛けたマッドクラウンは大爆発を起こし、渓谷への入り口を老体を埋葬する岩雪崩で塞いだ。
………大魔術師の最後の舞台はこうして幕を閉じたのである。
大魔術師の捨て身のトリックで追っ手を振り切ったサーカスの残党は、渓谷の奥で集合した。
最後にやってきたアルハンブラが生き残りの数を数えて嘆息する。
100に余る団員達のうち、生き残ったのは僅か30名足らずだったのだ。
降り出した細雨なのか、それとも涙なのか、頬を濡らした魔術師は誰にともなく問いかける。
「これで……全部か。もう……誰も来ないのか?」
「……たぶんな。これからどうする、アルハンブラ?」
アルハンブラの力のない言葉に答える団員の声も蚊の鳴くような声だった。
「とりあえずアリシアを安全なところに……アリシア!!」
アルハンブラは気付いてしまった。最愛のアリシアが息をしていない事に………
「そ、そんな馬鹿な!!」
慌ててロープを解いてアリシアの体を抱き抱える魔術師。サーカスの看板娘の背中には、赤いシミが広がっていた。
「……嘘だろう………頼む。誰か嘘だと言ってくれ………」
助けを求めて団員達を見回す魔術師に、誰も目を合わせる事が出来なかった。
皆が皆、沈痛な顔で俯き、言葉を発する者はいない。
「う、嘘だ!!こんなのは嘘だ!!………アリシア……アリシア~~~!!!」
涙という涙を流し尽くしてしまった魔術師と、全てを奪われた団員達は復讐を誓った。
観客の笑顔の為に生きる事をやめて、憎き同盟軍を、この理不尽な世界を死へと追いやる恐怖のショウを開演する事を決めたのだ。
ヴィクトールとアリシア、多くの団員達の命を贄として「
………善人短命、美人薄命、これも昔からある格言である。
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