幕間編5話 細雨に濡れる魔術師



最後の兵団ラストレギオン三番隊「テラーサーカス」の母艦マッドクラウン。その艦橋のメインスクリーンには、黒煙を上げ続ける市街各地の様子を映し出されていた。


友軍が残敵の掃討を進める様子をスクリーンで監視しながら魔術師は考える。


バルク・マウルの防衛に成功か。………防衛ではありませんね。


街とライゼンハイマー師団を犠牲にナザロフ師団を討ち破った、というべきなのでしょう。


モニターの隅にこの世界では珍しくない悲劇を見つけ、魔術師は思わず目を背けた。


それは倒壊したビルの瓦礫に半身が埋まった母親の死体にすがりつく幼子の姿。


「アルハンブラ様、どうされました?」


赤と黒のツートンカラーの装甲コートを纏った三番隊テラーサーカスの隊員が魔術師に問いかける。


魔術師は黙したまま、手にしたステッキで母親を前に泣き叫ぶ幼い少女の姿を指し示した。


「………後で誰かを向かわせます。」


「後ではなく、今すぐにです。」


「ハッ!」


「三番隊で手すきの者は市街に赴き、民間人の救助にあたりなさい。」


「しかし団長の許可もなく勝手な真似をすれば……」


「命令です。急ぎなさい!」


反駁を許さない魔術師の言葉を受け、赤と黒の軍団は動き出した。





マッドクラウンのメインスクリーン上に映えるは秀麗な顔の眉根を寄せた団長の姿、か。


このお方は気鬱げな様子でさえ、実に絵になる。


「アルハンブラ、三番隊には使えそうな部隊の選別を命じたはずだが?」


やはり団長の不興を買ったか。買われてしまった以上、買い戻すしかないな。


私は魔術師マジシャン、話芸も芸のうちだ。


「だいたいの目星はつきましたもので。後は団長のお仕事かと思いましてね。」


「アルハンブラ、虚言など弄するな。……部隊の選別は私がやろう。テラーサーカスは民間人の救助にあたるがいい。」


このお方に話芸は通じぬ、か。やはり私などより一枚も二枚も役者が上、だがそれでいい。


だからこそ、このお方が創るという新世紀に賭けようと誓ったのだから。




「ママー!ママー!!うわぁぁぁん!!」


母親の体に覆い被さった瓦礫をサイコキネシスで浮かせ、遺体を抱き上げる。


そして幼子の前に母の体を横たえさせ、煤けた顔をハンカチで拭いてやった。


「……おじさん、だれ?」


「……魔術師だ。」


「まじゅつし? まじゅつしだったら……まほうがつかえるよね!まほうでママをいきかえらせて!おねがい!!」


そんな魔法が使えるのなら、いくらでも使うのだが……


「………すまない。それはおじさんの使えない魔法なんだ。」


「えう………ぐすっ………ひっく………」


少女の頬を伝う涙をハンカチで拭い、手のひらから花束を取り出して少女に渡す。


大粒の涙をこぼしながら、少女は花束を母親の胸に置いた。


私がマントを翻すと母親の遺体が花に覆われる。


「………きれいなお花………」


せめてもの慰めになればいいのだが………いや、私にこの母子を慰める権利などない。


ビルを倒壊させるスイッチを押したのはこの私だ。当事者の私がこんな事をするのは死者への侮辱ですらある。


だが全ては新世紀を創世し、永遠の平和を実現する為だ……


控えさせていた隊員を呼び寄せ、指示を与える。


「後は任せる。この子の身寄りを探してあげなさい。もしいなければ、兵団が設立した孤児院へ送る手配をするように。」


「お任せを。」


シルクハットに水滴が落ちてきた。まるで死者を悼むかのように、しめやかに降り注ぐ細雨さいう


……あの日も……こんな雨が降っていましたね……





魔術師マジシャン、それが孤児の少年の渾名だった。少年に本名などない。


ストリートで生み捨てられ、老い先が心配になった老爺ろうやが気まぐれで拾い、育てられたに過ぎぬ。


少年を自分の奉公人としか思っていなかった老爺は、少年を「下僕サーバント」と呼んでいた。


やがて成長した下僕の少年は老爺の元を逃げ出し、スラム街の魔術師となった。


天性の器用さで、魔術のように窃盗を繰り返した為に孤児の仲間達が彼をそう呼んだのだ。


スラム街の魔術師に転機が訪れたのは、旅のサーカス団に盗みに入った夜だった。


自分の腕に自信を持っていた魔術師は、彼が根城にしていた巨大都市に興行にやってきた「ガルシアパーラ・サーカス」に狙いをつけたのだ。


スラム街の魔術師は、世界最高のサーカス団と呼ばれるガルシアパーラ・サーカスに挑戦してやろうと悪戯心を起こしたのである。


ガルシアパーラ・サーカスは魔術師の渾名を持つ少年にとって挑戦しがいのある獲物だった。なぜなら電子ロックの類が何一つなく、代わりにクラシカルな錠前で守られていたからだ。


電子ロック全盛のこの時代に、機械仕掛けの錠前のみだなんてと鼻で笑った少年だったが、彼のピッキング技術を持ってしても容易には解錠出来ない難敵ばかりでイライラが募る。


だが、イラつきはやがて感動に変わった。機械仕掛けの錠前で、ここまでの事が出来るのかと、尊敬の念すら芽生えた。


最後の錠前にチャレンジしている時に背後に人の気配を感じ、少年は振り返った。


静かに立っていたのはシルクハットに片眼鏡モノクルをかけた魔術師然とした男だった。


男は少年に先を促した。


「続けたまえ。」


「バカか。見つかっちまったのに錠前破りを続けるマヌケがいるかよ!」


「5分あげよう。もし5分以内にその錠前を開ければ、金庫の中身を持って帰ればいい。断るなら……」


のそり、と男の背後からライオンが現れる。


牙を剥き、低い唸り声を上げるライオンを見て、少年は覚悟を決めた。


「わかったよ!約束だかんな!」


5分もあれば出来る。少年には自信があった。だが、どうしても開かない。


あらゆる手業を駆使してみたが、少年は錠前を開ける事が出来なかった。


「5分経ったようだね。」


「……俺の負けだ。官憲に突き出すなり、ライオンの餌にするなり好きにしやがれ。だけど最後に教えてくれよ。この錠前の破り方を!」


「教えてあげよう。この錠前は、……こうやって開けるのさ。」


シルクハットの男は親指を錠前の真ん中にあてる。するとカチリという音と共に錠前が開いた。


「指紋認証式電子ロック!き、汚えぞ!」


チッチッチッと細くしなやかな指先を男は振った。


「今までの錠前が全て機械仕掛けだったから、この錠前もそうに違いない。そう思わせれば魔術師マジシャンの勝ちなんだよ、少年。ミスディレクションと言ってね、マジックの初歩だ。」


「な、なるほど!」


「少年、1から5までの数字を思い浮かべてごらん?」


「1から5だな。よし。思い浮かべたぜ!」


「君の思い浮かべた数字はなんだった?」


「3だよ。なんだ、ズバリ言い当てるのかと思ったぜ。」


「3なのは分かっていた。少年、君の右ポケットに紙片が入っている。開けてみたまえ。」


少年は右ポケットをまさぐる。シルクハットの男が言った通り、紙片が入っていた。


紙片を開くとメッセージが書かれていた。文面は……「君はやはり3を選んだ」だった。


「ウソだろ!!」


「驚くには値しない。君が2を選んでいれば左ポケットに、と言っただけだよ。」


少年は慌てて左ポケットをまさぐった。紙片のメッセージは「君はやはり2を選んだ」である。


「なんでえ……感心して損した。1から5まで全部用意してただけじゃんか!」


「だが君は引っ掛かった。面白いだろう? これが魔術マジックだよ。少年、魔術師になってみないか?」


「お、俺が……魔術師に?」


「ああ、私の作った機械仕掛けの錠前を全部外してみせた君には、魔術師の素質がある。」


「アンタが教えてくれるのか?」


シルクハットの男は頷き、少年に質問する。


「私はガルシアパーラ・サーカス団の団長リングマスター、ヴィクトール・ガルシアパーラ。少年、君の名はなんという?」


「……以前の渾名は下僕サーバント。今は魔術師マジシャン。」


「ハハハッ、これは傑作だ。コソ泥の魔術師だったか。少年、渾名ではなく本名を教えてくれるかい?」


「……本名なんて……ねえよ。誰も……誰も名付けちゃくれなかったから……」


「……そうか。では私が名付けよう。今日から君はアルハンブラ・ガルシアパーラだ。」


「……アルハンブラ・ガルシアパーラ……」


「私の祖父で偉大なる大魔術師の名だよ。気に入ったかい?」


少年は涙ぐみながら頷いた。




この夜、スラム街の名も無き魔術師は、魔術師アルハンブラとなった。




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