第十二章 幕間編 戦火の陰で動く、それぞれの思惑

幕間編1話 過ぎたるは猶及ばざるが如し



煌月龍ファンユエルンは不幸にして天才に生まれた。


その才気は師、武邈崇ウーバクスウが二十年かけて極めた拳法を、僅か二年で習得してしまうほどである。


拳法だけでなく、戦術から料理まで、あらゆる事を器用にこなしてしまうユエルンを、バクスウはこう評した。


「惜しいかな、惜しい哉。「過ぎたるはなお及ばざるが如し」とはよう言うたものじゃな。ユエルンよ、おまえは才気溢れるが故に、一流止まりで終わる典型じゃのう。」


そう言った師は、ほどなくユエルンを破門にした。三年前の話である。


破門の理由はユエルンが狂犬マードックに入れ込み、その監査役として行動を共にし始めた事。


そして四番隊ヘルホーンズの素質ある受刑囚に拳法、武器術を指南している事であった。


心卑しき者に武を教授してはならぬ、という師バクスウの教えを破ったからには破門は当然、バクスウの高弟達は最強の弟子であったユエルンの才を惜しみながらも、師父の決断に異を唱える者はいなかった。


もっとも破門されたはずのユエルンはそんな事などどこ吹く風で、今でもバクスウの弟子面でしづらをしているのだが。





「ふむ、43人戦死したか。どうせなら後一人死んでおけば、4番隊らしい数字になったものをな。」


陸上戦艦月華の艦長室でユエルンの報告を聞いた朧月セツナは、無情な台詞を眉一つ動かさずに言い捨てた。


「切りの良い数字にする為に、私が一人殺してきましょうか? 元より死刑囚なのですしね。」


返答するユエルンにも戦死者を悼む気持ちなど皆無のようである。


「それには及ばん。どうせまた死ぬ。次の戦線でも最前線に出すつもりだからな。ムクロ、おまえの想定範囲内の数字で止まったぞ。いい読みだったな。」


「捨て駒に使った訳ですから、やむを得ん数字でしょうな。」


最後の兵団ラストレギオン第一番隊副長を務める一六九六にのまえむくろは主同様に無表情で重々しく頷く。


「ムクロさん、戦役が終わったらの補充をお願いしますよ。」


「心得た。また刑務所巡りをせねばならんな。」


「おや? もうこんな時間ですか。……戻ってマードックの晩餐を準備しないと、腹立ち紛れに捨て駒が減るかもしれませんね。では団長、私はこれにて。」


背を向けたユエルンに向かって朧月セツナは、メモリーチップを指で弾いた。


ユエルンは背中に目でもついているかのように、メモリーチップを背面キャッチする。


「なんですか、これは? メモリーチップのようですが?」


「褒美だ。狂犬の殺傷記録を塗り替えた男の戦闘映像が入っている。」


「嘘でしょう!マードックの記録を塗り替えただなんて!」


「そう思うなら捨てればいい。こっちは切りのいい数字だったぞ。殺害人数キルマーク375人、生死不明アンノウン64人、まさにの死神だ。」


「トーマ少佐の戦闘映像……か、彼はそれほどの強者だったのですか。」


メモリーチップを持つユエルンの手は震えていた。驚愕ではなく歓喜によって。


「当たり前だ。私の友なのだからな。トーマに敵う者など地上に存在しない。」


「いえ、地上最強はセツナ様です。」


「フフッ、そうだな。トーマを倒しうる者は、この私だけだ。」


主従の会話をユエルンは聞いてはいなかった。紅潮した顔で、足早に艦長室を後にする。


この天才には異常な性癖があった。彼は女性に性的興奮を感じない。彼は同性愛者でもない。


ファン・ユエルンを興奮させるのは「彼が手の届かない領域にいる強者の闘争」である。


最多殺傷記録が収められたメモリーチップは、ユエルンにとっていかな財宝よりも価値が上なのであった。





真棒ジェンバン!!!これぞ強者!まさに絶対領域に君臨する王の殺戮!マ、マードック以外にこんな至宝が存在しただなんて!真棒すばらしい!!」


全裸で戦闘映像に見入っていたユエルンのも、ヘソに届きそうな勢いで屹立きつりつしていた。


殺戮の映像を充血した目で食い入るように凝視し、口から垂れる涎を拭おうともしないで男性のシンボルを屹立させるその姿を見れば、バクスウでなくとも破門を決意したであろう。


天才と狂人は紙一重とはいうものの、ファン・ユエルンは天才で狂人なのであった。


応龍鉄指拳おうりゅうてっしけんをマスターした拳法家でありながら、ユエルンが最も好むのは原始の暴力である。


柔よく剛を制するのが武の極意、だが剛のみで柔を圧する姿に最高の興奮を覚える自己矛盾した存在、それが「天才」ファン・ユエルン。


彼は易々と武を極めてしまったが故に、武に価値を見出せない。そして苦労もなく身に付けたその技は華麗にして流麗ではあっても、骨身にも五臓六腑にも染み渡ってはいない。


武に価値を見出せないが故に情熱に欠け、苦労もなく技を身に付けてしまったが故に真の研鑽を積む事も叶わない。


ファン・ユエルンは決して一流の域を越える事はない不遇の天才だった。


師バクスウがユエルンを破門した本当の理由はそれを悟ったからである。ユエルンを破門すれば、その屈辱から情熱の炎を燃やし、超一流の拳法家へ成長するやもしれぬ、そう考えたのだ。


彼が機微に疎ければ、師を見返す為に復讐心に似た情熱を燃やしたかもしれない。


だが不肖の弟子ユエルンはに機微にも聡い男だった。


かくして伏龍は湖水の奥に潜み続け、天を目指そうという気概を持たない。





「マ~ドック~♪ 今日の晩餐は満貫全席でっすよぉ~♪」


舞い踊るような軽いステップで料理を並べてゆくユエルンに、「狂犬」マードックは胡散臭げな目を向けた。


陸上戦艦ワルプルギスの食堂にいるのは最後の兵団第四番隊「ヘルホーンズ」の幹部だけである。


弱肉強食が唯一のルールと言えるヘルホーンズでは、食堂に入っていいのは幹部と給仕兵のみなのであった。


「ご機嫌だねえ、ユエルン。なにかいい事でもあったのかい?」


狂犬の隣に座る露出度の高いボンテージルックの妖艶な女が、濃いルージュの塗られた唇で問いかけた。


答えたのはユエルンではなく、顔中に広がるあばたの目立つ鉤鼻の男だった。


「ドーラ、おおかたユエルンは最多殺傷記録を塗り替えた死神の戦闘映像でも見て興奮してやがるんだろうよ。」


「鷲鼻」ハモンドが呆れ顔でそう言い、狂犬に次ぐ巨体を持つ「凶獣」コットスがユエルンを罵倒する。


「なに喜んでんだ、変態が!!マードック様の記録が抜かれたんだぞ!テメエもヘルホーンズの幹部だろうが!」


「コットス、私は幹部ではなく監査役ですよ。貴方が戦闘馬鹿なのは知っていましたが、ただのお馬鹿さんだったとは知りませんでした。」


コットスは言葉を投げかけず、代わりに空いている椅子を投げつけた。


ユエルンは両手に皿を持ったまま、居合のような蹴りで椅子を粉砕する。


砕けた破片のいくつかが狂犬に向かって飛んだが、「イカレ女クレイジービッチ」が振るった鞭によって全て叩き落とされた。


「テメエは前々から気に入らなかったんだ。一回ぶっ殺す必要があるな。」


コットスは席から立ち上がって、指をゴキゴキ鳴らした。


「一回死んだら二回目はないでしょう。本当に馬鹿ですね。……でもないか。ザハトはマードックにのに生きてますものね。ま、食事の前に馬鹿の教育をしてあげましょう。」


皿をテーブルに置いたユエルンはチョイチョイと人差し指を振って挑発する。


両者が激突する寸前に異常な威力の念真破が放出された。


まともに食らったコットスは吹き飛ばされて壁に激突し、しっかり防御したはずのユエルンも衣服が破れ、髪が乱れる。


せっかく用意された前菜の品々も念真破のあおりで飛散し、無惨な姿で床に散らばった。


給仕兵を呼んで料理の残骸を片付けさせ、乱れ髪を手櫛で整えたユエルンが抗議する。


「酷いですよ、マードック。馬鹿はともかく、私まで巻き込むなんて。」


「テメエみてえな変態がくたばったところで世界は回る。コットス!俺は飯の邪魔をされンのが大嫌いだって事を忘れたか!」


「すいやせん、マードック様。」


一般兵なら即死する念真破を食らったコットスだが、大したダメージはない。


頑丈タフさとパワーはヘルホーンズでも狂犬に次ぐ男なのだ。


ユエルンに言わせれば狂犬マードックの劣化コピーの粗悪品、なのだが。


「ユエルン!阿呆面晒してねえで、とっとと酒と飯を持ってこい!」


「はいはい。コットス、貴方の教育は後回しにしてあげますよ。よかったですね。」


笑顔で捨て台詞を吐いてから厨房に戻るユエルンの背中にコットスは中指を立てた。


百回は繰り返されたやりとりを見届けた鷲鼻とイカレ女は肩を竦めて苦笑する。


「ハモンド、このじゃれ合いはどっちかがくたばるまで続くんだろうねえ。」


「くたばるのはコットスのがいいな。戦闘馬鹿の代わりはいるが、料理人の代わりはいない。」


「馬鹿と変態、どっちがくたばっても構わないっちゃ構わないんだけどね。」


「コットスとつるんでさんざん悪さしてきたアマがよく言うぜ。利用するだけ利用しといて、用済みになったらポイってか。イカレ女クレイジービッチじゃなくて冷血女だな。」


知能担当のドーラと暴力担当のコットスはコンビの犯罪者で、暗黒街ではその名を知らぬ者はいない。


ある男に挑んで返り討ちにさえならなければ、暗黒街最強の名を欲しいままにしていただろう。


二人を返り討ちにしたマードックが口を開き、野太い声で強者の条件を説く。


「ハモンド、俺らの中にあったけえ血が流れてる奴なんざいやしねえ。だが、だからこそ強えのよ。」


己を絶対強者と自負する狂犬が嘯く。




第四番隊ヘルホーンズに真っ当な人間は一人もいない。


人間性においても、強さにおいても、常軌を逸するからこそヘルホーンズなのである。



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