戦役編37話 親子揃ってあくどい頭脳
澱んだ海を渡る船上の舳先に立った私の目に龍の島が映る。ひと月ががりの旅を経て、ようやくイズルハ列島へ上陸出来るのだ。
一般船に密航する事も覚悟していたというのに、金の力はやはり偉大だな。
しかし白昼堂々と密航船が航行しているとはな。不法移民が溢れるこの世界では、日本のように厳格な審査など望むべくもない、という事か。
さて、景色を眺めるのはここまでにして、船長から
船長のキャビンに移動した私は、紫煙で黄ばんだ壁紙を背景にパイプを燻らす船長から、偽造許可証を受け取る。
「ほらよ、頼まれてたモンだ。」
「確かに。」
私は丸めた紙幣の束を船長に渡した。
「しかしアンタ、同盟軍の剣狼にそっくりだな。」
船長はツバをつけた指で紙幣を数えながら、剣狼の現し身のような私の顔に言及する。
「よく言われるが、そんなに似ているか?」
「同盟の機関紙の写真でしか見た事はないがね。瓜二つなんじゃねえか?」
「だろうな、双子の兄なんだから。」
「マジかよ!」
「言っておくが、剣狼に双子の兄がいるという事は軍事機密だ。おまえに話したのは訳がある。心して聞けよ? 対応を間違えたら………死ぬぞ?」
「おいおい、穏やかじゃねえな。冗談が言いてえなら他所へ行って言え。」
狼眼の使い方はマスターした。最小威力の狼眼なら死にはすまい。私は船長の口を押さえてから狼眼を発動させる。
「~~~!!!」
「剣狼は睨んだだけで人を殺す目を持つ男だと聞いてはいるだろう? それは事実だ。理解したなら
痛みで額に脂汗を浮かべた船長が、何度も何度も瞬きしてみせたので狼眼をオフにし、口を押さえた手を外してやる。
「お、俺をいったいどうする気なんだ?」
「どうもしない。協力して欲しいだけだ。俺は軍の特命捜査官でね。任務の為に照京へ潜入する必要がある。それで偽造許可証が必要なのさ。」
「軍の捜査官ならそんなモノ……」
「そんなものは軍が用意してくれる、か? そうはいかないんだ。俺は軍の内部を調べる捜査官なんでね。軍から支給された偽造許可証なんか使ってみろ、どうなると思う?」
「な、なるほど。」
「調べるのは照京軍の内部事情だ。それ以上は知らない方がお互いの為、わかるな?」
船長はコクコクと頷く。
「でだ、密航船の船長なんかやってるおまえなら、照京にもニンベン師の知り合いがいるんじゃないか?」
裏社会では偽造屋の事はニンベン師と呼ぶらしいからな。これで話にリアリティが出ればいいんだが。
「も、もちろんいるさ。」
「ソイツを紹介してくれ。無論、仲介料は払うし、密航ビジネスにも目を瞑る。」
「わ、わかった。」
船長は羽根ペンで住所と名前、それと符牒を殴り書きして私に手渡す。
私は仲介料として丸めた紙幣を指先で弾いた。
「こ、こんなに? いいのか?」
「口止め料も入ってる。もし、俺の事を口外したら命はない。」
「わかってるよ。俺も裏社会の人間だ。」
「本当にわかってるか? おまえの命だけじゃ足りないんだぞ。女房と二人の娘は可愛いだろう?」
「な、なんで知ってるんだ!」
「俺は軍の捜査官だぞ。手を組む予定の小悪党の事ぐらいは調べているに決まってるだろう。口外すれば家族ごと死ぬ。わかったな?」
「絶対に口外しないから、家族には手を出さないでくれ!頼む!」
馬鹿め。密航者の中に鍵師がいたんだよ。そいつに金を掴ませて、事前にこの部屋を調べておいただけだ。犯罪者が家族写真なぞデスクに入れてるからこうなる。
「他に有益な情報はないか? 例えば金さえ積めば保証人ナシで、誰にでも部屋を貸す大屋とかだ。」
「知ってる知ってる。まとめて教えるよ!」
「スマートなビジネスは素敵だな、船長。」
脅しスカしを交えて、必要な情報を入手した。これで照京へのルートも、向こうでの滞在先も確保完了だ。
ひと仕事終えた悪党を乗せた密航船は、無事に港湾都市である神難へ入港し、私は久しぶりの揺れない大地を踏みしめた。
日本で言えばここは大阪、ここまでくれば、照京までは目と鼻の先だ。
偽造とはいえ一時滞在許可証もあるし、神難の街を散策でもするか。
偽造を見破られても問題ない。この世界の警官には賄賂が通じるからだ。
病んだ社会と嘆くべきなのだろうが、犯罪者に近い、いや掛け値なしの犯罪者である私には好都合だ。
犯罪者は犯罪者らしく、フードを被って目立たぬようにしないとな。カナタは同盟軍の有名兵士、軍の関係者に見咎められでもしたら、厄介な事になる。
……香ばしいソースの匂い。大阪とおなじでタコ焼きが名物のようだ。
空腹だった私は屋台でタコ焼きを買って、口いっぱいに頬張る。
熱いが旨い。密航船ではまともな食い物など出してくれなかったからな。
三舟のタコ焼きを瞬く間に平らげた私は、教えてもらった密航斡旋業者のアジトへ向かう為にタクシーを呼び止めた。
腹ごしらえも済んだ事だし、船長を脅して入手した
なんの問題もなく、あっさり照京に着いた私は安アパートに居を構え、パイプベッドに寝転がって煙草を吹かす。
結婚を機に煙草をやめたのに、また喫煙家に戻ったと知ったら風美代は怒るだろうな。
煙草をもみ消し、買ってきたコーヒーメーカーで自分好みの珈琲を淹れて考えを巡らす。
一番の難題は後回しにして、他の事を考えるか。
まずこの体の事だ。カナタと同じく狼眼を秘めてはいたが、色が違うのは何故だ?
カナタの狼眼は金色、だが私はこの体のオリジナルであるアギトと同じ白銀色だ。
………わからんな。まあいい。カナタが金メダル、私は銀メダルだとでも思う事にしよう。
もっと予想外だったのは希少能力だ。カナタはサイコキネシスとアニマルエンパシーを持っている。
カナタに出来るなら私にも出来るはずだと、何度も試したのにサイコキネシスもエンパシーも発動出来ないのは何故だ?
代わりに私にはカナタにはない炎のパイロキネシスがあった。これはどういう事なのだ?
カナタの
カナタは知らない事だが、それは風美代から受け継いだ能力のはずだ。成長が著しいのはカナタ自身の素質。あんなに学習能力が高いというのに、どうして高校受験だけは駄目だったのかが分から………学習能力だと!?
ま、まさか………カナタの真の能力は
思い起こせば……カナタは順を追って能力を会得していっていると言えないか? 風美代から念真力成長を学び、リリス嬢からサイコキネシスとアニマルエンパシーを学習した、そう考えれば辻褄が合う……
いや、それならば上官の緋眼からパイロキネシスを学んでもいいはず………無制限に何でも学習出来る訳ではない、という事か? カナタに知らせるにしても、確証を得てからだな。でなければ迷わせるだけになる。
今の段階で答えを出す必要はないか。カナタはこの上なく上手くやっている。変な雑音は却って邪魔だ。
もう一つの難題を考えよう。風美代とアイリをどうやって呼び寄せるか。呼び寄せるにしても、治療法を伝えるにしても勾玉のようなモノの補助がいる。
八熾家の勾玉は親父の肉体と共に焼失した可能性が高い。残る神器である叢雲家の神剣と、御鏡家の聖鏡も同じような力を秘めていると見ていいはずだ。滅亡した叢雲家の神剣は望み薄、確実に存在しているのは御鏡家の聖鏡か。
非常手段として御鏡家の聖鏡の所在は調べておいたほうがいいな。
さて、一番の難題はミコト姫にどうやって会うかだ。逆に言えばこれさえ解決出来れば、他の問題は全て片付く。
ミコト姫に会って協力を取り付けさえすれば、龍石を使って日本と交信出来るし、用意したクローン体に魂を呼び寄せる事も可能。私の存在を隠して、カナタに助言も助力も出来る。だがハードルも高い。
懸かっているのは家族の命、なにがあっても失敗は許されない。
確実にミコト姫に会える方法が、なにかないものだろうか?
熱い珈琲を啜りながら、あれこれ考える私の顔が窓ガラスに映っている。
いかんいかん、カーテンを閉めねば。この顔を誰かに見られるのは好ましく……
そうだ!この顔だ!カナタは必ずミコト姫に会いに照京へやってくる。
当然の事だが、照京を訪れたカナタはミコト姫の在所を訪ねるはずだ。そしてミコト姫は喜んでカナタを迎える、と。
あの女の子達もカナタにくっついて照京に来るだろう。そうすればどうなる?
ミコト姫に挨拶を済ませたカナタ達は、照京見物に出掛けるに違いない。
そこでカナタになりすました私が、大事な事を言い忘れたとでも言って、ミコト姫に会いたいと言えば………イケる!この手でいこう!
戦役が終わるまでにミコト姫の在所を見張れる仕掛けを施し、アスラ部隊の偽軍服なども用意しておこう。
照京での準備を終えたら陰からカナタに加勢………不可能か。同盟軍の機関紙によると、カナタが戦っていた場所は
元の世界で言えばミャンマーとバングラデシュの間あたりだ。空路の使えない私には遠すぎるし、カナタはもう次の戦地へ移動しているはず。どこへ移動しているかは軍事機密で、私に知る術はない。
大丈夫だ、カナタは戦役を生き残る。カナタは私などよりよほど強い。同盟軍の期待の新鋭にして異名兵士、「剣狼」なのだぞ。
万が一にでもカナタが戦死したら………風美代とアイリを救う算段を済ませてからカナタの仇を討ち、私は自決する。
私に後追い自殺などされてもカナタは迷惑だろうが、私が自分を許せないだろうからな。
勝手に後を追わせてもらうさ。
………カナタ。英雄になんかならなくていい。頼むから、頼むから無事でいてくれ。
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