戦役編33話 届かぬ忠告



「モーズリー兵站部長、やはり物資は予定通りに届けるべきだと思います。」


ああ、僕もそうしたいよ。だけどマッキンタイア少将から圧力がかかってるんだ。


「物資はどの前線でも不足してるんだ。その優先順位の判断が僕達の仕事。前線からの補給要請全部に応じられないのは大尉もわかっているだろう。」


「承知しております。しかしながら薔薇十字の補給要請には応じておくべきです。……部長のお立場もお察しいたしますが……」


「ザップ、僕の立場を察するとはどういう意味だ?」


「失礼。とんだ邪推をしたようです。小官は気の回し過ぎが欠点でして……」


僕の副官であるゾアン・ヴァン・ザップ大尉は、よく気が回る有能な男だが、少し気が回りすぎるきらいがある。ここは窘めておく必要があるな。


「余計な気を回さず、僕の指示通りに動いてくれ。」


「ハッ、それでは失礼いたします。」


勤勉な副官は部屋から退出していった。方針さえ与えておけば実務は全てザップがやってくれる。


彼が名門の出であれば、もっと出世していただろうに、惜しい事だ。


一廻り以上年上の部下は使い辛いと同僚達が言っていたが、そんな事はない。


要は器量を見せておけばいいんだ。叩き上げの部下を掌握出来ないのは、上に立つ器量がないという事さ。


「兵站部長、奥様から通信が入っております。お繋ぎしてよろしいですか?」


執務机の上に現れた秘書のホログラムが報告してきた。


「ああ、秘匿回線で繋いでくれ。」


秘書の姿が妻の姿に変わった。少し心配そうな顔だ。


「あなた、侯爵からの要請はうまくいきましたか?」


「ああ、うまくいってる。抜かりはないさ。」


「本当ですね? 侯爵の面子を傷付けたガルムの小娘には思い知らせねばなりません。あなたも婿養子とはいえモーズリー家の人間、十分おわかりのはずですが……」


「わかっている。それよりジョゼフィンは元気にしてるかい?」


「ええ。今、乳母に命じてミルクを飲ませているところ。女の子なのが残念だわ。家督を継ぐのはやはり男子の方が……」


「男の子でも女の子でもいいじゃないか。僕達の子に変わりはないんだから。家督を継ぐのは女の子でも問題ない。女伯爵はいくらでも例がある。それに………弟だって出来るかもしれないだろ?」


ここで上手く表情を作る。家柄には今ひとつ恵まれなかった僕だが、その分、容姿と頭脳に恵まれたからね。


女を籠絡するなんて僕にとっては難しい仕事じゃない。君との関係もいずれは逆転させてみせる。


「もう。無事で帰っていらしてね。」


フフッ、赤くなったね。名門貴族といっても女なんてみんな同じだ。愛娘だけはこうならないように教育しないと。


「僕は汗臭い前線勤務じゃない。必ず無事で帰るさ。」


もう少しダメ押ししておくか。僕や兄さんの地位を保全する安全装置としても、君は大事だからね。


ジョゼフィンの次ぐらいには、だけど。





………やはり聞く耳を持たないか。モーズリー中佐はそう悪い人間ではない。器量もなくはない。


ただ、利口ではないだけだ。少し出来る人間は凄く出来ると勘違いしがちで、中佐もその例にもれない。


スティンローゼ姫は元帥の中でも最高の実力者と言われるゴッドハルト元帥の娘。そして機構軍の最強部隊である最後の兵団と共闘関係にある。


そして同盟軍第10師団を全く寄せ付けずに完勝してみせた薔薇十字ローゼンクロイツの実力も軽視すべきではない。若干16歳のスティンローゼ姫が全てを指揮した訳はないだろう。だがスティンローゼ姫は優れた将兵達の邪魔をしない将である事は間違いない。控え目に言っても将来有望、恩を着せる価値はあっても、敵対するのは得策ではないのだ。


モーズリー中佐は薔薇十字からの補給要請の内訳が、高価で高度で大量という点を奇貨として、軍閥争いの口実にする気のようだが、そんな口実は必ず嘘だったと露見する。それに薔薇十字からの要求は不当でもなんでもない。


軍隊を牧場だと考えれば明白だ。駄馬と名馬を同列に扱う牧場などないのだから。


既に物資を送ってしまったとでも言って、誤魔化せばいいのだ。マッキンタイア侯爵からの覚えは悪くなるだろうが、即、離縁されて放り出される事はなかろう。


この嫌がらせの代償は後々、高くつくように思う。………やはり手を打っておくべきだな。


要求された物資を集積所に揃えておき、いつでも送り出せる手配を済ませておこう。


見え見えの演技とはいえ、私をファーストネームで呼び、仕事の邪魔はしない上官なのだ。


最高の上官とまでは言えないが、彼以下はいくらでもいる。最低限の義理立てはしておくべき……いや、これは私自身の為の保険だな。


ゴッドハルト元帥が圧力をかけてきて予定変更、滞りなく物資を届けねばならない、などという状況の変化はあり得る。その時に対応出来なければ、私と部下の責任にされかねない。





「なるほど、薔薇十字が泣き付いてくるまで補給物資を送らないつもりなのか。確かに近頃のガルム閥の専横は目に余る。少し灸を据えておくべきだろう。」


モニターに映った兄は少し愉快そうだ。


「だけど兄さん、それで前線が瓦解すれば元も子もない。灸を据えるのも程々にしておくべきだと思う。」


「弟よ。私がロンダル貴族会の幹事になれたのも、おまえが兵站部長になれたのも、全てマッキンタイア少将のお引き立てあっての事。何事も少将のご意向に沿うべきだ。頼むぞ、私は貴族会の幹事などで終わりたくない。さらに上の地位を狙いたいのだ。」


僕も一地方の兵站部長などで終わりたくはない。狙うは兵站部本部長の椅子だ。


「……そうだね。僕達兄弟は才幹に相応しい地位と名誉を得なくては。」


「そういう事だ。落ちぶれ貴族の悲哀はもう十分味わった。飛躍の時が来たのだよ。」


「わかってる。それじゃあ兄さん、体に気をつけて。」


「おまえこそな。我ら兄弟に栄光を。」


通信の切れたモニターを前に少し考えを巡らす。密かに薔薇十字に連絡を取り、詫びを入れさせてはどうだろう? 小娘に頭を下げさせるのが理想だが、それが無理なら勇名を馳せる剣聖か守護神でいい。そうすればマッキンタイア少将の面目も立つし、補給物資も送れる。小生意気な小娘も軍の力学を学習し、前線に薔薇十字は到着する。………悪くない。


確か薔薇十字の対外窓口はクリフォード少佐が務めていたな。………明日にでも連絡を取ってみるか?


……?……うなじに風が当たるのを感じる。……窓は閉めていたはずだ。


「……気を利かせて肉親との会話が終わるまで待ってやった。有難く思え。」


黒装束の男は氷のように冷たい眼差しでそう言った。


「だ、誰だ!」


卓上の非常用ベルを押そうとする手は凄い力で押さえつけられた。間髪入れずに口も塞がれ、声も出せない。


「……刃向かう相手が悪かったな。鼠が獅子の尾を齧ればこうなる。当然の帰結だ。」


こ、こいつは最後の兵団が差し向けた刺客!? 補給物資を止めたぐらいで僕を始末しようというのか!


(ま、待ってくれ!補給物資は予定通りに送る!送るから命だけは助けてくれ!娘が生まれたばかりなんだ!)


フリー回線のテレパス通信で交渉を試みる。頼む、誰でもいいから聞いていてくれ!


(控えの間の警護兵はもう死んでいる。誰も聞いてはいない。では………さようなら、だ。)


胸から熱いモノがせり上がってくる。それは………僕の血だった。


「ガハッ!!」


「声を立てるなよ。耳障りだろう?」


喉笛を切り裂かれた!こ、声が出せない……そ、そんな!この僕が……こ、こんな……ところ……で………


「まだ生きてるか……なんてな。わざと死なないように加減しただけだ。無様な死に際は堪能した。……もう死ね。」


……ああ………ジョゼ………フィ…………





数日後、集積所に物資を揃え終えた日に状況が変わった。保険が役に立つ時がきたのだ。


……人間は自分で思っている程利口ではない、か。


私もその例外ではないのだ、当たり前の話だが今後の戒めとしよう。


嫌がらせの代償は高くつく? 甘っちょろい。軍人といっても修羅場を知らない事務屋の発想だった。


モーズリー中佐は死んだ。いや、殺されたのだ。………おそらく味方の手によって。


「君がモーズリー中佐の後任のゾアン大尉か。」


モーズリー中佐も二枚目だったが、この方は絶世の美男というべきだな。才気の方もモーズリー中佐とは桁違いのようだ。その才気のうちには、威厳と畏怖も含まれる。


「後任ではなく代行です、ロウゲツ大佐。」


反駁しているのではなく事実を告げているだけなのだが、緊張で声が上擦りそうだ。


モーズリー中佐も、よくこんな恐ろしい男の要求を撥ねつける気になったものだ。


私の度胸は中佐の半分もあるまい。だがそれでいい。兎は臆病だからこそ、生き残れる。


「そうか。それで薔薇十字への補給は間に合いそうか? 前任があんな事になって混乱しているだろうが……」


「間に合わせます。物資そのものは手配済みですので。同時にモーズリー中佐を暗殺した刺客の追跡も行っております。物資の輸送には手抜かりがないよう私自身が指揮を執り、同行する予定です。」


「ふむ、大尉が自ら陣頭指揮を執るとはいい心掛けだ。しかし安全なはずの後方で任務に従事していたモーズリー中佐を暗殺するとは、同盟軍もなかなかやるものだな。私も追跡に手を貸そうか?」


「いえ、それには及びません。」


「確かに今更追っ手をかけたところで、刺客はもう逃げおおせているだろう。をする必要はないな。」


やはり刺客を放ったのは………考えるのはよそう。とにかく薔薇十字への補給物資を滞りなく届ける事が先決だ。


しくじれば私もモーズリー中佐のようになりかねない。




自ら陣頭指揮を執り、モンパッサン陸軍基地への輸送任務を遂行する。


無事に補給物資をモンパッサン陸軍基地に届けた私は一安心した。


これでモーズリー中佐の二の舞は避けられるだろう。


物資の入ったコンテナは倉庫に納入した事だし、薔薇十字軍の到着まで時間もある。


基地の官舎を借りて、しばらく仮眠を取ろう。





「ゾアン大尉、物資の確認を終えた死神……いえ、トーマ少佐がご挨拶に来られました。」


秘書官からの電話で目を覚ます。機構軍の誰もが知っているが、会った者はいない「皆殺しの死神」が挨拶に来ただと?


機構軍の宣伝戦略の一環で、実在しない人物だという噂もあった死神だが、実在は確認された。


薔薇十字軍に招聘された死神は、狂犬の持っていた最多殺傷の世界記録を塗り替えたのだ。


「物資の確認を終えたという事は、私が仮眠を取ってすぐに到着されたのだな!なぜ私に報告しない!」


相手は一度の戦闘で375人もの兵士をほふった怪物だぞ!挨拶にも行かず、機嫌を損ねたらどうする!


「トーマ少佐が仮眠中なら起こさずともよい、と仰ったもので……」


そんな言葉を鵜呑みにしてどうする!軍の力学ぐらいわきまえておけ!


「すぐに応接室にお通ししろ。くれぐれも失礼のないようにな!」


どアタマからなんたる失態だ。人間の印象の8割はファーストコンタクトで決まるのだぞ。後から挽回するのがどれだけ大変か、分かっているのか!




寝グセの付いた髪だけ整え、私は応接室に駆け込んだ。幸い到着していたのは先行していた亡霊戦団だけで、薔薇十字の本隊はまだのようだ。助かった、皇女を待たせて仮眠などしていたら、ガルム派閥まで敵に回してしまう。


「お待たせいたしました、トーマ少佐。」


ソファーに座っていたマスクの軍人が立ち上がって握手を求めてきたので、その手を握る。


「補給物資は確かに受領した。アクシデントがありながら、欠損も遅滞もなかったのは大したものだな。」


「それが小官の仕事ですので。」


素顔が畏怖の対象だった大佐の次は、髑髏マスクの恐怖の軍人か。平均以下だと自覚している私の肝は決壊寸前だぞ。


……しかし意外に小柄だ。小男の私よりは大きいが、平均的な上背だろう。堂々たる威丈夫を想像していたのは、皆殺しの死神と呼ばれるイメージの為せる業だったようだ。


「結構結構。確かゾアン・ヴァン・ザップ大尉だったな。名前からしてトゥナム人か?」


「ハッ、小官はトゥナム人でありますが、それがどうかしましたか?」


「物資輸送の労をねぎらう為に宴席を用意させた。姫の到着を待ちながら一杯飲ろう。」


「ハッ!細やかなお気遣い、恐縮です。」


「しゃちほこばった物言いはしなくていい。ザップ大尉、オレは堅苦しいのは苦手でな。」


素顔だったロウゲツ大佐より、髑髏マスクの死神の方がフレンドリーなのは、なにかの冗談だろうか?


とにかく助かった。出迎えに出なかった事を、少佐は気にしていないようだ。




後は宴席でうまく協調関係を築かねばな。この男は薔薇十字のキーパーソンだ。媚びを売るつもりはないが、敵に回していい事はなにもない。


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