戦役編28話 ノブレス・オブ・リージュ



「親父は姫に俺の秘密を話したのですか……」


「うん。だからボクの前では女性らしくしてていいんだよ?」


「俺はこれが素の姿です。特に繕っている訳ではない。」


「そっか。だったらいいんだけど。同盟だってヒットマンの異名を持つギンを警戒してるはずなのに、潜入工作を止められない……その理由がわかったような気がする。ギンは仕事の時は男装をやめてたんだよね?」


「メリハリの効いてない体と男のような顔も時には役に立つ、という事です。」


ギンの場合、容姿体型よりも、男臭い言動行動が天然のカモフラージュになってるよね。


「ギンの事はアシェス、クエスター、クリフォード、それと薔薇十字の参謀であるトーマ少佐には話します。状況が緊迫すれば寝室やお風呂でも警護してもらう必要があるから。ギンが女性だと知らないと面倒な事になるでしょ?」


「構いませんが、俺はバイセクシャルですよ? 女もイケる口ですが……」


しれっととんでもないカミングアウトをされちゃったよ!ど、どうしよう?


「………あ、あの、ギン。ボ、ボクはね………」


「冗談です。」


もう!ボクをからかったんだね!


「ギン!そういう冗談はやめてよ~。ビックリしちゃったでしょ!」


憤慨するボクの姿が可笑しかったのか、ギンは喉を鳴らして笑った。


「姫には驚かされてばかりだったので、一本取り返したくなっただけです。俺はノーマルですから安心してください。」


ノーマルかなぁ? 男装の麗人で性格も男っぽいんですけど。ま、いいか。細かい事は気にしない。


「ギン、戦役が終わったらスラムの事を教えてくれる?」


「構いませんが、どうしてです?」


「知りもしない事に対策は打てないから。ボクもアシェス達もみな貴族です。スラムの現実を知りません。」


「そうですね。しかし聞いて気分の良い話ではありませんが、よろしいので?」


「目を背け、耳を塞ぎたくなる現実から逃げる者が、世界を変えようなんておこがましいと思いませんか?」


「仰せの通り。最下層に生きる人々の現実はおいおい知って頂くとして、ひとつだけ姫にお願いがあります。」


「なに? 言ってみて。」


「俺達は自分達の住まう場所をスラムと呼んではいません。ストリートと呼んでいます。」


ストリート、か。そうだよね。誰だって自分達の故郷をスラムだなんて呼びたくない。


ましてや恵まれた立場の人間にスラムだなんて言われたら、怒りを覚えるのが当然だ。


「ストリートだね。うん、ボクもそう呼ぶから。」


「ありがとうございます。ストリートの仁義ルールを守る連中に救いの手を差し伸べてやってください。」


「ストリートの仁義?」


「ストリートには2種類の人間がいます。仁義を守る者と、そうでない者。前者は生きる為にやむなく不法移民になっただけで、真っ当に生きるすべがある者です。後者はテロリストにアナーキスト、ジャンキーといった連中で、救う価値はない。腐った林檎と普通の林檎が混在しているのが問題なんです。為政者としての建前上、全ての人を救うと言わねばならないかもしれませんが、そんな綺麗事はなんの役にも立ちません。」


「差別はいけないが区別は必要で、その取捨選択が政治の本質。まつりごとの正の面が違う価値観との共存ならば、負の面は取捨選択の判断です。」


真に平等な社会を目指すなら、社会に対する負担は一律一定でなくてはならない。


だがそれは平等であっても正しくはない。社会で成功する才能や幸運に恵まれた者は、そうでない者より多くの負担を引き受けるべきだ。政治は平等よりも公正であるべきで、富める者に適切な負担をになってもらうといったような「区別」は政治のするべき事だよね。


「……姫はよくお分かりのようだ。万人を救うなんて甘ったるい能書きで世界は変えられない。」


「ボクの考えじゃないんだ。カナタに教えてもらった事の受け売りだよ。カナタが言うには、万人を救う事は不可能だし、社会に強者と弱者が存在するのもどうしようもない。だけど強者として生まれた者、強者になり得た者が好き放題に振る舞うから世界が歪む。世界を変える第一歩は「高貴さに義務を強制する」事から始まるんだって。」


カナタの考えはノブレス・オブ・リージュに似てるけど、接続詞が違う。ノブレスオブリージュは、「高貴さ義務を強制する」だ。カナタは強者に自覚と責任を持たせるべきだって言いたいのだろう。


ボクもそう思う。ノブレス・オブ・リージュを権力者が守っていれば、こんな世界になってない。


間尺に合わない事は合わさせるべきだよね? 場合によっては力ずくででも、ね。


「受け売りだろうが投げ売りだろうが問題ありません。どんな人間でも、他の誰かの言葉や行動を血肉として自分を形成していくものです。俺が銀ザメと呼ばれた親父の背中を見て育ったように……」


「ギンとの出会いもボクを育てる血肉にするね!いろいろ教えてくれるんでしょ?」


箱庭育ちのボクに足らざる面を、ストリート育ちのギンはたくさん持ってるはずなんだから。


「俺でよければ。しかし姫と剣狼はいったいどういう関係なんです?」


「それはおいおい、ね。」


もったいぶってはみたけど、ボクとカナタの関係って実際どうなんだろ?





薔薇十字軍の艦隊は、月に照らし出される荒涼とした平原を進軍して行く。


悪い知らせが入った。援護対象だった第7師団が、劣勢を挽回すべく無理な攻勢に打って出て大敗したのだ。


大スクリーンに映し出されたトーマ少佐の他人事のような報告に、ギンは苛立ちの表情を浮かべる。


「ギン、苛立ちは内に秘めるべき感情です。表に出すべきではありません。」


「はい。少佐、御無礼のほど、平にご容赦を。」


「気にしなさんな。第7師団のマッキンタイア少将には「女神の来援まで現状を維持せよ。第7師団の壊滅を避ける手はそれのみである。」と伝達しといたんだが、言い方がまずかったかもしれん。意地になって攻勢をかけるとは思わなかった。もう少し言い様を工夫すべきだったかな?」


……本当にそうだろうか? 駆け引き上手のトーマ少佐が、マッキンタイア少将が意地になりそうな事を言うだなんて。


マッキンタイア少将はロンダニウム王国の侯爵だ。ガルム人のボクに助けられるのは、ただでさえ不本意だろうに……


「では第7師団は敗走中なのですね?」


「潰走中と言ったほうがいいだろうねえ。いくら紳士のお国でも、整然と潰走するってのは無理らしいよ。死体になってもアイロンをあてたシャツにタイを巻いて、靴下を履いてそうだがな。」


ボクの隣に立っていたクリフォードが合いの手を入れる。


「折り目のついたスラックスが抜けていませんかな?」


「パンツ一丁で逃げてんじゃないかね? だが俺達には好都合だ。敵は追撃に夢中になるあまり、足のあるのとないのとで戦列が間延びしてる。」


「敵はシモン・ド・ビロン少将率いる第10師団でしたね。どの程度出来る人なんですか?」


「これといった長所もないが、これといった短所もない。よくも悪くも平均点の敵将だ。穴の多いマッキンタイアよりは上だろう。」


「平均点対落第点の戦いでは平均点に分があるでしょうな。」


クリフォード、それってなんにも救いがないよ?


「少佐、どういう戦術でいけばいいですか?」


「敵の攻勢はアシェスと爺さんに受け止めさせて、勢いが止まったらクエスターとリットクを使って張り倒すといい。出鼻さえ挫けば前哨戦は勝てる。」


「前哨戦は、ですか……」


「ビロンはすぐに兵を引かせて薔薇十字と相対するだろう。本番はそこからさ。姫の号令があれば、作戦計画をすぐに薔薇十字全軍に伝達する。」


………作戦計画が既にある、か。マッキンタイア少将の無理な攻勢を、少佐は言葉で誘発した。第7師団をオトリに前哨戦に勝利する計略を練っていたんだ。


パラス・アテナで行った作戦会議は保険、自分の思惑が外れた時に備えていたのだろう。


カナタ曰く、「一流と二流の策士の違いは、自分の策に酔うか否か」だったよね。


これが謀略………用意周到で、なんたる悪辣さ。でも「引っ掛かる方が悪い」のだ。マッキンタイア少将は、プライドを捨ててでも薔薇十字の来援を待つべきだった。


ロンダル貴族とガルム貴族の意地の張り合いなんて、兵士さんには無関係なんだから。




………ボクはもっと賢くならなければ。少佐の謀略を読めていれば、是としなかった。


それを知っていたから少佐はボクには黙っていたのだ。


少佐は心強い味方だけど、劇薬でもあったんだ。今さらそんな事に気付くボクは鈍すぎる。


以前にドウメキ博士に忠告されていたじゃない。少佐は場合によってはひどく冷酷で、死神と呼ばれているのはあながち間違いではないって!冷酷になる対象が敵にだけなんて、考えが浅すぎだよ!




薬と思って処方した劇薬で、命を落とす事だってある。いえ、もう落とした。


ボクに知謀が足りなかったせいで死んだ、第7師団の兵士さんは確実にいたはず。


トーマ少佐の策は、結果として薔薇十字の名を上げ、ついてきてくれた騎士達の犠牲も押さえられるだろう。


でもボクは味方をオトリにする戦術を是としない。トーマ少佐はマッキンタイア師団を味方と考えていないのだろうけど。


バリバリの主戦派であるマッキンタイア少将の立場を落とし、薔薇十字の名を上げる、実に合理的な戦略。


誰かの手法を是としないなら、それ以上のプランがなくてはいけない。




………対案もないのに否定するのは無責任、これもカナタの持論だったよね。



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