兵団編18話 死神は東の空を眺める
リングヴォルト帝国騎士団団長を務める「
娘の名はアシェス・ヴァンガード。守護神の異名を持つ
帝国一と謳われる防御剣術の守りは堅く、一人の騎士ながら難攻不落の城壁。
しかし剣術同様、その気質までもがややお堅いのが玉に瑕、である。
守護神は薔薇城の離れの塔にある死神の私室を訪ねてみたが、新任の指南役は不在だった。
取り立てて急ぐ用ではない。明日にしようか、とアシェスは考えたが思い直した。
不本意とはいえ亡霊戦団との連絡役を拝命したのだ。ローゼ様の期待に背いてはならない。
それに私が少し鞭を入れねば、自堕落なあの男は際限なくダラケるに決まっている。
クリフォードは元気溌剌、意気顕揚になれば、それはもうあの御仁ではなく、ただの別人などと言ったが、ローゼ様の指南役になった以上、少しはシャッキリしてもらわねばならん。
アシェス・ヴァンガードは嘘が嫌いな性格であったが、無意識に自分に嘘をついた。
死神トーマにシャッキリして欲しいのは
最後の兵団の居留する白夜城は城というよりは、小さな城塞都市といった方が正確であろう。
白夜城は内部区画と外部区画に別れ、外部区画には一般人が営む様々な商店があり、その中にはアシェスが眉を
そういった構造になっているので外部区画はかなり広く、それに比較すれば狭い内部区画でも相当な広さがある。
だからこそ、うち捨てられた小さな廃城を丸ごと持ってきても、問題はないのだ。
丘陵に面した小さな森と、小さな湖を挟んで薔薇城は築城された。
中古の城は気に入らないが、この立地はアシェスの好みに合っていた。素直とは言えない性格の彼女は、感謝を口にはしなかったのだが。
薔薇城の外を散歩しながら、アシェスは考える。
私室にいないなら、たぶんあそこだ。薔薇城を移設してくる前からあった小高い丘、そこにあの男はいるだろうとアシェスは当たりをつけた。その理由は夕陽が綺麗な黄昏時だったからだ。
夕陽が綺麗な黄昏時………あの男はあの丘で、東の空を眺めている。………なんともいえない佇まいで。
実はアシェスがトーマの事に関心を持ったのは、それがきっかけだった。
小高い丘の上で夕陽を背負い、東の空を眺める死神の姿を最初に見た時に、アシェスは変わった男だと思った。
なぜに沈みゆく美しい夕陽に背を向けて、正反対の東の空など眺めているのだろう、と。
何度かその姿を見かけるうちに、彼女の心に少しずつ興味が湧いてきた。
正体不明の死神だが、
ある日の黄昏時、いつものように東の空を眺めている死神に、彼女は思い切って声をかけてみた。
いったいなにを想って東の空を眺めている? そう問おうとしたアシェスだったが、振り返った死神を前に言葉を飲み込んでしまった。
なんともいえない深い憂いを帯びた、哀しみに満ちた瞳に言葉を失ってしまったからだ。
10倍の敵を前にしても臆した事のないアシェスだったが、生まれて初めて
体ではなく心が、後退ったのだ。
その黄昏時の出来事は彼女の瞼に焼き付き、明瞭に思い起こせる。死神と交わした最初の言葉を。
「………俺になにか用か?」
「………いや、大した事ではない。なにを想って東の空を眺めているのか、と思ったものでな。だが邪魔をしたようだ。」
「特になにも想ってなどいない。なんとなくだ。強いて言うなら夕陽の綺麗な黄昏時を楽しんでいる、かな?」
「夕陽は反対側の西の空だが? 卿は覇人だとの噂だが、東方にある故郷を想っていたのか?」
「俺に故郷などない。あったかもしれんが……もう捨てた。」
「故郷を捨てた? どんなに遠く離れた地にいようとも、誰の心にも故郷は息づいているものだ。故郷を捨て去る事など人間には出来ない。」
「そうかもな。だとすれば俺はもう人間ではないのだろう。フフッ、忘れていた。俺は亡霊だったな。」
「亡霊ゆえに髑髏のマスクか? だが確かに卿の功績は人外かもしれんな。なにせ今まで誰一人として生還者を許した事のない「死神」なのだから。さぞかし誇らしいだろう?」
「………孤児と未亡人を量産するのがそんなに誇らしいのか? 変わった趣味をしているな。」
褒めたつもりだった。なのに返ってきたのは、嘲笑の言葉と
この上ない侮辱を受けたのに、何故だか怒りは沸いてはこなかった。アシェス・ヴァンガードは誇り高き帝国騎士であるというのに。
その代わりにアシェスの心には刻印が押された。
美しい夕焼け空のあの日、あの時、あの言葉から、アシェス・ヴァンガードの心に死神の存在が、刻印のように刻まれたのだ。
「やはりここだったか。」
軍用コートの背中に声をかけるアシェス。
彼女の心に残るあの日を再現するかのように、死神は歩み寄ってくる守護神に振り向いた。
「俺になにか用か?」
あの日と台詞まで同じだな、とアシェスは思ったが、口にはしなかった。
あの日の思い出が特別なのは自分だけで、この男は気にも止めていないのだろうと思うと、少し腹立たしい想いが芽生えてくる。
腹立たしさはの反動は、子供のような言動に反映された。
「用がなければ話しかけてはいけないのか? 一応、卿とは同僚になったはずだが?」
「一応」と「はず」を強調したアシェスだったが、無頓着が軍用コートを着ているような男は気にも止めなかった。
「ああ、そうだったな。同じ列車に乗ったんだった。」
「ローゼ様の話では卿は途中下車するつもりらしいな。なぜ最後まで付き合わない?」
「行く先が違えば途中下車するのが旅人というものだ。」
「ローゼ様が終点まで共に旅して欲しいと願っているというのに、意には沿えんと?」
アシェスの悪癖である短気さが首をもたげ始め、語気が荒くなる。
「ああ。姫の行く先は平和な世界、俺の行く先は地獄の底、かもしれんからな。」
「卿には破滅願望でもあるのか!なにを好き好んで地獄の底になど行きたがる!」
途中下車すると言うトーマの真意を確かめる、それがアシェスの用向きだったのだが、肝心の用向きは列車の網棚に置かれたらしい。まさに用件は棚上げ、であった。
「行きたい訳じゃないが、そうなるかもしれんって話さ。そうがなりたてなさんな。」
「事情を話せ!私でよければ力になろう。そうやって顔を隠しているのも、その事情が関係しているのではないのか?」
「戦傷のせいで見るに耐えん
髑髏マスクを人差し指で掻きながら、死神は守護神に答えた。
「勿体つけた呼び方はしなくていい。アシェスと呼べ、アシェスと。」
「わかった。心遣いには感謝する。ありがとう、アシェス。」
名前で呼べと言っておきながら、実際に呼ばれると照れくさかったらしい。
そういう時の彼女の口からは、照れ隠しの憎まれ口が紡ぎ出される。とことん素直ではない性分もあったものである。
「フン。秘密主義者に礼など言われてもな。本当に感謝の気持ちを表したいなら素直に事情を話せ。」
素直になれない自分の事は棚に上げて、死神に詰め寄る。アシェスは棚上げが得意らしかった。
「ミステリアスダンディーを気取ってるんだ。謎多き男が最近のトレンドらしいんでね。」
嘘丸わかりの与太話を吹きおって、とアシェスは思ったが確信には至らなかった。
彼女は流行り
女性向けファッション誌を愛読する彼女の主君の言葉を借りれば、トレンドなど追う必要もない美貌を持ち合わせた者の強み、という事になるのであろう。
「そんな趣味が流行っているとは寡聞にして存じておらぬ。そうだ、トレンドと言えば覇国で流行りの銘酒「悪代官大吟醸」とやらを偶然手に入れた。そ、その……「仮にとはいえ」同僚になったのだ。親睦を深める為に………一緒に飲まないか?」
嘘が嫌いなはずのアシェスだが、この言葉は意識的についた嘘だった。彼女が覇国産の銘酒を入手したのは偶然ではない。
小首をかしげた死神の怪訝そうな様子を見たアシェスは、なにも聞かれてもいないのに、早口で言い訳を始める。
「違う違う!違うのだ!私と卿の二人っきりで、ではなくクエスターやクリフォードも交えての親睦会だ!お、お、おかしくはないだろう!まかり間違って……ではない、「曲がりなりにも」同僚なのだから!」
「そういう事ならお言葉に甘えてご相伴に預かるか。「一応」、「仮にとはいえ」、「曲がりなりにも」、同僚の「はず」なんだしな。」
「なんだその……一応、仮にとはいえ曲がりなりにも同僚のはず、などという訳の分からない言い草は!」
自分が言った言葉が継ぎ合わされただけなのだが、気が動転したアシェスの頭からは記憶が抜け落ちている。
「ハハハッ、赤くなるのは酒を飲んでからにしたらどうだ? 夕焼け空より顔が赤いぞ?」
「あ、あかっ、赤くなどなっていない!騎士への侮辱は許さんぞ!」
それは嘘が嫌いなはずの彼女の三度目の嘘だった。
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