兵団編13話 心に汗を流し、手に血を滲ませる



「ローゼ様、少しお顔を拝見してよろしいでしょうか?」


司令室からゲストハウスに戻る道すがら、アシェスが控え目に聞いてきたのでギクリとする。


「あ!ひょっとしてお昼に食べたお好み焼きの青海苔が顔に付いてた? もうアシェス!そういう事は早く言ってよぉ!」


研究所から帰る前に、ミザルさんが焼いてくれたお好み焼きが美味しくって2枚も食べちゃったんだよ。


青海苔を付けたまま会談してたとか洒落になら……あれ? ボク、昼食後に歯を磨いて顔も洗ったはず……


「………いえ。先ほどの会見の時、私の知っているローゼ様とは別人のようなお顔でしたので……少し心配になっただけです。」


よかった、青海苔が顔に付いてたんじゃなかったんだ。


別人のような顔をしてた、か。だよね、ボク自身がまるで別人になってたような気分だったんだから、アシェスにもそう見えてたはずだ。


「……そう。ボクは別人みたいな顔になってたんだ。」


「はい。でも安心しました。今のお顔は私の知るローゼ様のお顔です。」


「青海苔がついてたかもって慌ててる顔がいつものボクなの?」


「ふふっ、いつもの可愛らしいローゼ様はそんな感じです。」


失礼しちゃうなぁ。ボクだって立派な淑女レディなのに!


「交渉がうまくいった事を二人に伝えて、戦術訓練の準備をしましょう。騎士としてローゼ様の下知のもと、戦える日を楽しみにしておりました。」


少し寂しげな顔のアシェス。姉のようなこの騎士の気持ちはわかってる。


「………楽しみにしていた割には……楽しそうな顔をしてないんだね?」


「その時が来てみないと自分の心さえわからないものなのですね。私は……ローゼ様を戦火に晒したくなかったようです。」


「ありがとう。でもこれがボクの選んだボクの道だから。アシェス、皇女としてでなく、戦乱の今を生きる一人の人間としてお願いがあるの。最後までボクに力を貸してね?」


「はい。私も薔薇十字の騎士達も、ローゼ様の征かれる道にどこまでもお供致します。ローゼ様に仕える騎士として……いえ、共に戦う仲間としての誇りを胸に、我らは苦難の行軍を完遂するでしょう。」


目的地は遥かに遠く、その道筋は艱難辛苦、茨の道。だけどボクは一人じゃない。だから……戦えるんだ。




ボクはアシェスを連れてゲストハウスのリビングに戻った。


目に入ってきたのはリビングのテーブルを挟んで真剣に討議するクエスターとクリフォード、ソファーに寝そべってぽてちんを食べながら缶ビールを飲んでるトーマ少佐、と。


ボクが肘で小突いて機先を制したので、アシェスは喉まで出かかった台詞を飲み込んだ。


「戻りました。少佐、アシェスとクエスターの指揮権は無事に委譲してもらえました。」


「ご苦労様。黄金、真銀、赤銅の騎士団で300、それ以外の薔薇十字の騎士達が1100、それに亡霊戦団を合わせれば1500、と。後500人ばかり欲しいところだ。姫、ベニオにスペックの企業傭兵をおねだりしてみてくれ。」


完全適合者の少佐に準適合者の剣と盾、数だけじゃなくて質も立派だよ。


「はい、おねだりは得意です。少佐、同盟軍を迎え撃つにあたって、どういう戦略をとるべきでしょうか?」


ホントは戦略はボクが考えなきゃいけないんだけど、まだ力不足なのはわかってる。


「指揮権は委譲されたみたいだが、フリーハンドで動いていいって条件なのかい?」


「いえ、あくまでロウゲツ大佐の指揮の元に、分隊としての運用権を譲り受けただけです。」


「そんなとこだろうね。だが上出来だ。セツナ相手にそこまでやれりゃあ大将としての責務は果たしたさ。さて、セツナの思惑を考えにゃならんねえ。」


上出来と評価してもらってボクは安堵した。なんとか少佐を失望させずに済んだみたいだ。


「トーマ殿、吾輩が思うに同盟最強のアスラ部隊の撃滅をセツナ殿は考えるのでは?」


クリフォードの問いに少佐は被りを振った。


「逆だ。兵団とアスラ部隊で潰し合う事態を避けようとするだろうな。」


少佐はぽてちんの空袋を丸めてゴミ箱に投げたが見事に外れ、ミザルさんが拾ってゴミ箱に捨て直す。


「トーマ、君の考えを聞かせてくれないか?」


クエスターに促され、寝そべっていた少佐はソファーに座り直し、腕組みした。


「前にザハトとバルバネスをまとめて別働隊として使うとか言ってたが………アシェスとクエスターがいないとなれば話が変わってくるな。………おそらくパワーボールみたいにアタックチームとディフェンスチームに分けて運用しようとするだろう。アタックチームが逆進撃をかけて重要拠点の攻略をしつつ、ディフェンスチームが劣勢の友軍の救援にあたる、ってとこだろうね。」


「守護神アシェスを擁するボク達はディフェンスチームに回されそうですね。」


「その線が濃厚だ。バクスウの爺さんはともかく他の連中はディフェンスには向いてないからな。アルハンブラあたりを陽動に使って、セツナは得点稼ぎに動く。姫、薔薇十字は潰走する友軍の援護を支援する状況を想定し、訓練しておいてくれ。それ以上の戦略は、状況に合わせて立てればいい。」


「同盟の侵攻状況を見てから考える、か。大雑把すぎるぞ、トーマ。」


アシェスの苦言に少佐は質問で答えた。


「アシェス、コンピューターに出来なくて、人間に出来る事を知ってるか?」


「逆ならいくらでも思いつくが……」


「正解は曖昧ファジーな対応だ。コンピューターは生真面目だからな、その場合わせのいい加減な対応が出来ない。だが人間には出来る。」


「フン、卿は特にそういう芸当が得意そうだな?」


「そんなに褒めるな。姫、俺を使事がどういう事なのかは……分かってるな?」


「………わかってます。覚悟の上です。」


少佐の言葉の意味がわからない騎士三人はキョトンとした顔をしている。


今はボクだけがわかっていればいい。………その時がくれば嫌でもわかる事だ。


ロウゲツ大佐を相手に心に汗をかいた後は、アシェスを相手に手に血を滲ませよう。


心身共に鍛え上げなければ強くはなれないから。





刃を潰した訓練用の剣が鋭くボクの身に迫る。


かろうじて受けるが、重い一撃でよろめかされた。


「ローゼ様!まともに受けてはいけません!今のは受けさせるのが狙いの攻撃です!」


「はいっ!」


「ローゼ様の軽さに相手は必ずつけ込んできます!連撃は確実に受け、重い一撃は躱すか受け流す!」


「は、はいっ!」


アシェスはレクチャーしながら、今度は速さ重視の連撃を繰り出してくる。加減してくれてるから目はなんとかついていく。


問題は手がついていかな……負けるかぁ!無理矢理でもついていくから!


「足元がお留守です!」


向こう脛を蹴られて無様に転倒する。あっちこっちに意識を振るのも常套手段だよね。


「アシェス、少し厳しすぎないか? ローゼ様はまだ初心者、あまり高度な技術を……」


「十分加減している!だがクエスター、敵は初心者だからといって手加減などしてくれん!」


アシェスの言う通り、戦場はあらゆる意味で平等なんだ。誰であろうと生きるか死ぬか、それしかない。


「ローゼ様、まずは徹底的に防御の技術を磨いて頂きます。」


「防御だけ? 攻撃はしなくていいの? 攻撃は最大の防御って言うし、攻撃してこないと悟られればかさにかかって攻撃されない?」


「それは思い上がりです。今のローゼ様の技術では攻撃しようがしまいが、相手は嵩にかかって攻撃してきますから。であるならば防御のみに集中するのが最善。ローゼ様の勝利とは相手を倒す事ではなく、事。生きて誰かが救援に駆けつけるまで耐え凌いで下さい。」


「生きて耐え凌ぐ、か。そうだね。ボクが完全に孤立したなら、なにをやっても無駄。救援前提なら不格好でもなんでも生き残るのが肝要。教えて、守護神と謳われるアシェスの防御剣術を!」


「私の5分の1ほどの技術を身につければ、そうそう倒される事はありません。ですが……容易くはありませんよ?」


「覚悟の上だよ!さあこい!」


厳しい稽古でボクの息は上がり、全身は汗塗れ、そして手のひらはマメだらけになった。


そのマメが破れて血が滲んだ時に、アシェスに稽古の切り上げを告げられ、地面にへたり込む。


「……はぁ……はぁ………ねえ、アシェス。一つ聞いていい?」


「なんでしょう?」


息も絶え絶えで座り込んだボクの傍に、息一つ切らしていないアシェスが歩み寄って来て、血の滲んだ手を消毒してから包帯を巻いてくれる。


「ボクの技量ってアシェスに比べたら何分の1くらいなの?」


「……そうですね。100分の1、と言ったところでしょうか?」




………気が遠くなってきた。5分の1にこぎ着けるまで……どのぐらいかかるんだろ?




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