兵団編9話 大天秤と小天秤



報告書を読み終えたトーマ少佐がリクライニングチェアから立ち上がって、食卓の椅子に座り直す。


髑髏マスク越しでもだいぶ少佐の表情がわかるようになってきた。これは思案している顔だ。


「姫、なんとも微妙な話だったみたいだ。白でも黒でもなく、灰色の真相、とでも言うべきかな。」


「灰色、という事は兄上は無罪ではないって事ですよね?」


「アデル皇子がサビーナの兄、ヨハンを連座させる為にカロリング家に濡れ衣をきせたのは事実だ。理由もサビーナの語った通り、ヨハンの恋人に手酷く拒絶された報復だな。」


なんて酷い事を!ゆ、許せない!いくら実の兄でも許せないよ!そのせいでサビーナは!


優しかったボクの家庭教師、サビーナ・ハッキネンは!悪魔にならなきゃいけなかったんだ!!


兄上がそんな事をしなければ、ヘルガとパウラ……護衛の騎士達みんなも死なせずに済んだのに!!


「………許せない。よくもそんな酷い仕打ちを………」


灰色の真相? 真っ黒だよ!人間の卑しい部分が固まって生み出す、ドス黒いモザイク模様じゃない!


「ところがカロリング子爵は無実ではなかった。灰色ってのはそこんとこだよ。」


怒りに震えるボクの耳に、平坦な少佐の声がうつろに響く。


カロリング子爵は無罪じゃない? 


「………少佐、それってどういう意味なんですか?」


「カロリング子爵はサビーナの母親を捨てた後、性懲りもなく新しい愛人を何人も作っていた。その愛人の一人が反戦活動に関わっていた。過激な平和主義者の集団カルトの幹部だったらしい。」


「どんな反戦活動を行っていたんですか、その集団って?」


環境保護原理主義者エバーグリーンと大差ない。平和の為ならテロさえ辞さないってやつさ。健康の為なら命もいらんって輩と同じで、救えん思考回路をしていやがる。」


冤罪で処刑されてしまったけど、別件では有罪だったって事なのか………


「カロリング子爵はその愛人が過激派の幹部である事を知っていたのですか?」


「カロリング子爵は単なる色ボケ親父で、愛人の正体は知らなかっただろう。だが問題は手当として渡した金がテロ組織に渡った事、もっとマズいのは寝物語で話した情報を元に軍を狙ったテロが行われた事だ。カロリング子爵は機構軍の軍務官を務めていた上に、テロ事件では死人も出てる、知らなかったでは通るまいよ。」


「兄はその事を知っていたのですか?」


「知ってりゃ冤罪をデッチ上げる必要はない。だが皇帝陛下はご存じだったようだ。知ったのは処刑された後で、みたいだがな。」


どのみち処刑される罪人なら事の是非はどうでもよい、父の考えそうな事だ。


「別件で有罪だったから皇子はお咎めナシってか? おひいさんの親父とは思えん対応だな。」


渋い顔のミザルさんがブルーベリージャムのかかったヨーグルトをボクの前に置いてくれる。


美味しいはずなのに、いやに酸っぱく感じる。心がこのジャムみたいにブルーだからかな……


「一応、アデル皇子は皇帝からお叱りを受けたようだ。皇帝は配下に命じてカロリング家の屋敷を捜索。おそらく皇子の所業の隠蔽工作が目的だった筈だが、瓢箪から駒、カロリング子爵の愛人が反戦テロ組織の人間だと掴んだ。たぶん屋敷内に愛人が仕掛けていた盗聴器でも発見したんだろうよ。もう少し調査していれば隠し子だったサビーナの存在も掴めていただろうが、手がかりを得られた反戦テロ組織の調査に重きを置いたんだろう。」


「そうだとしても父のやりようもおかしいと思います。個人の罪を、家族に連座させる法律もです。」


ボクは憤慨したけれど、トーマ少佐の声は相変わらず平坦だった。


「姫、悪法も法なり、さ。本来、法は人間が公平に暮らす為にあるんだが、今のご時世じゃ独裁者の権力を安定させる為の道具ツールの一つに過ぎん。悪法、軍事力、御用マスコミのプロパガンダ、これが独裁者の三種の神器だ。皇帝はまだ良心的な部類でね、もっと酷いのはいくらでもいる。」


「慰めになってません!もっと酷い人がいるなんて、免罪符にはならないです!」


「じゃあどうする?」


「ボクが変えます。間尺に合わない事は合わさせる、場合によっては力ずくででも!」


これがカナタ哲学ルール、その1だよ!


「………そうか。ま、やってみる事だ。まず、戦争を止める事から始めたらどうかな?」


トーマ少佐の問いにボクは胸を張って答える。


「少し歴史を学びました、戦争が終わった状況に重点を絞って。戦争が終わった理由でもっとも多いのは、対立した陣営の片方が勝利したケースです。でもこの戦争は完全に泥沼化しています。決着をみるのに数年では済まないでしょう。このまま十年以上、泥沼の戦いを続ける可能性が高いと思っています。」


「軍需産業には夢のような時代だな。他に戦争が終わったケースは?」


「泥沼の戦争に疲れ果てた国民が戦争の継続を望まなくなったケース。でもこれも望めません。厭戦気分はみんな感じてるのに、権力者達が戦争をやめない。なので第三の道をいきます。」


「聞こう、第三の道とは?」


トーマ少佐の声に少し熱を感じる。でも……ボクの覚悟の熱量はじゃないんだから!


「戦争を止める第三の道、それは対立する両陣営とは違う第三勢力が停戦を実現させたケースです。重要なのは第三勢力に争いを抑止可能な実力がある事。少なくとも争う陣営と同等以上の力がなければいけません。そうでなければ冷笑されるか黙殺されるかです。力なき者が戦争を止めた事例がないとは言いませんが、現実的ではありません。」


これがボクの考えた結論だ。愛を謳っても、理想を唱えても………戦争は止まらない。


だったら……力を背景にしてでも止めるしかない。その為にこの手を血で汚す事になろうとも、だ。


「………なにもしない輩ほど声が大きく、その手は綺麗だ。姫はそういう人種とは違うらしいな。俺も悲観主義者でね、善意や理念で戦争が止まるなどとは思わない。大天秤と小天秤の逸話は知ってるかい、姫?」


「大天秤の秤の上に小天秤が乗っている、あのお話ですね?」


「そうだ。大天秤のバランスを取る為には小天秤のバランスに構っちゃいられない。戦争を止める為の戦いで血が流れる……矛盾しているようだが、それは小天秤のバランスしか見ていないからだ。姫のやろうとしている事は小天秤のバランスを崩してでも大天秤のバランスを取ろう、という話だ。だが小天秤のバランスが崩れても命を失う者はいて、姫の為に戦う薔薇十字の騎士達はその筆頭………それは分かっているんだろうな?」


「はい。初めてお会いした時に少佐は仰いました。ボクが皇女に生まれた事は変えられない。でもボクがどう生きたかは変えられる、と。これが皇女として生まれたスティンローゼ・リングヴォルトが、自分の意志で決めた「生き方」です。」


「………血塗れた手で掴む……平和、か。………俺は余計な事を言ったようだな。」


「いえ、少佐には感謝しています。ボクは今を生きている、そう実感しているのですから。願わくばボクの生きた証として………平和な世界を未来へ贈りたい。」


その為にボクは………信念の殺人者になる。力をつけ、戦争を続ける人達に……ボクの言葉を無理矢理でも聞いてもらう。


機構軍内に停戦派を形成し、それが叶えば同盟軍にも手を伸ばすんだ。


「トーマ、ローゼ姫に空気を吹き込んだ責任は取りなさいよ? あなたが知った風な顔で知ったような事を言ったからこうなったの。一国の姫君の運命を狂わせた責任は大きいわ。」


コヨリさん、ボクの運命は別に狂ってないってば!……信念の殺人者、は普通じゃないかな?


「わかったわかった。姫、俺は姫の征く道の終点までは一緒にいけないが、途中までは同行しよう。薔薇十字のオブザーバーを引き受けちまった事だしな。それでいいか?」


「はい!よろしくお願いします、少佐!」


「興味深い話だった。トーマ君、途中下車などせずに最後まで付き合ってあげたらどうかね?」


白髪をオールバックでまとめた貴族のように上品な初老の覇人……写真で見たよ!この方がドウメキ博士だ。


「博士、俺は何事も為すべきじゃないし、その資格もない。」


トーマ少佐は酷く草臥くたびれた声で博士に返答する。そんなトーマ少佐の様子を見たコヨリさんの顔色が、曇天の空のように陰りを帯びる。


コヨリさんは……トーマ少佐の隠された事情を知ってるんだね。


「トーマ君はいささか考えすぎのきらいがあるね。おっと、ローゼ姫、私は百目鬼兼近。この研究所の所長を務めております。」


丁寧にお辞儀をされたので、ボクも立ち上がってお辞儀をする。タッシェもボクに倣って可愛くお辞儀した。


「ご高名はかねてより伺っております。生体工学の最高権威と謳われるドウメキ博士にお会い出来て光栄です。」


「トーマ君や娘のコヨリがお世話になっているようで、感謝致します。」


お世話になってるのはボクの方なんですけど。……魔女の森から助け出してもらってるし。


「さて、博士が到着した事だし、本格的に飯にしよう。赤衛門、ガンを呼んできてくれ。全員揃ったらメインディッシュに火を入れるからよ!」


ご飯の達人ミザルさんが陽気な声で場を明るくしてくれる。


「エヘヘ、楽しみです。実はお腹がペコペコなの。」 「キキッ!(なの!)」




考えなきゃいけない事だらけなんだけど、腹が減っては戦は出来ぬっていうからね♪



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