兵団編3話 鉄拳バクスウ



ボクとユエルンさんはならんで工兵区画の出口へ歩く。


悪名高い4番隊ヘルホーンズの兵士だけど、内部区画への入場が認められているのだから、ユエルンさんは信用出来る人間のはずだ。


………オリガさんと違って、尖った雰囲気はユエルンさんからは感じられないし、大丈夫だよね?


「皇女様はこれからどちらへ?」


「ユエルンさん、ボクの事はローゼと呼んでください。響きが気に入っているのです。」


「では遠慮なくそう呼ばせて頂きます。ローゼ様はどちらへ向かわれますか?」


「ゲストハウスに滞在中のトーマ少佐をお訪ねするつもりです。」


「トーマ少佐……ああ、死神の事ですか!確か桐馬刀屍郎と名乗っておいででしたね。」


「トーマ少佐に頼まれて、ボクが名付けたんです。」


ボクはちょっぴり胸を張ってみた。


「ほほう、ローゼ様が名付け親なのですか。と、いう事は少佐とは親しいのですよね? これからお訪ねするとの事ですし。」


「はい、色々と教えて頂いています。世間知らずを是正したいので。」


「ローゼ様、私も連れていって頂けませんか?」


「構いませんが、ユエルンさんも少佐に御用がおありなのですか?」


「機構軍と同盟軍から死神と呼ばれ、恐れられている少佐に興味がありまして。それに配下のミザルさんは料理の達人という噂ですし。」


「ミザルさんは宮廷料理人にスカウトしたいぐらいの凄腕シェフです。」


「ははぁん。それで昼時を狙ってのご訪問ですか。ローゼ様はなかなかの策士ですね。」


バレちゃった。久しぶりにミザルさんのご飯が食べたいんだよね。


「えへへ。ユエルンさんも美味しいものに目がないんですか?」


「ええ。それに私も料理人なのです。我が師、武邈崇うーばくすうから習いましてね。」


バクスウ? それって「鉄拳」バクスウって呼ばれてる兵団の重鎮の……


「バクスウって、あのバクスウ老師ですか?」


「はい。私の拳法の師です。老師は拳法家として有名ですが、夏僑の世界では料理人としても有名なのですよ。」


そうだったんだ、知らなかったよ。「天才」ユエルンは「鉄拳」バクスウのお弟子さんだったんだね。


「それでは一緒に参りましょう。バクスウ老師のお弟子さんなら、トーマ少佐も歓迎してくださるでしょう。」


「だといいのですが。なにせ私は悪名高きヘルホーンズの人間ですからね。」


ユエルンさんは浮かない顔だ。監査役なら仕方ないと思うんだけど。




ゲストハウスにお邪魔すると、狙い通りにトーマ少佐は食事中だった。


例によってミザルさんが甲斐甲斐しく給仕役を務めている。


「おや、お姫さんじゃねえの。それに「変態」ユエルンも一緒か。奇妙な取り合わせだな。」


へ、ヘンタイ? 天才じゃないの?


「酷い言い様ですね。貴男がミザルさん、ですね?」


嫌悪感を隠さずミザルさんが答える。


「事実を言ったまでだろ。おめえの変態趣味は老師から聞いてる。それで破門されたってな。」


破門!? 聞いてない!聞いてないよ!


思わぬ展開にビックリしたボクは、ちょっとユエルンさんから距離を取ってしまった。


「少し性的嗜好が特殊なだけです。別に変態ではありません。差別しないでくださいよ。」


「殺し合いを見て性的興奮を覚える野郎が変態じゃなけりゃ、何が変態だってんだよ。狂犬の殺戮を見る度に、小汚いものをおっ勃ててはぁはぁ言ってやがるんだろ?」


殺し合いを見て性的興奮を覚えるって……変態さんだよ!


「訂正しておきましょう。私が性的興奮を覚えるのは自分が手の届かないレベルの戦いを見ている時、ですよ。雑魚同士のじゃれ合いでは立つものも立ちませんね。」


穏やかな口調で、怖くて変態的な事を口にするユエルンさん。


監査役かもしれないけど、まごうことなくヘルホーンズの隊員さんだったよぉぉ~!


「……そこまでにしとけ。俺は飯の最中、それに淑女の前だ。」


低い声でトーマ少佐がそう言うと、場の空気がピシッと張り詰めた。


「いやはや、これは私とした事が。」


ユエルンさんは胸の前で左の掌に右拳を当てて肘を張り、軽く頭を下げてくれた。


これって央夏式のお辞儀だったよね。ボクも軽くお辞儀しとこっと。


こういう時は鷹揚に手でも上げるのが王族なのかもしれないけど、ボクには似合わないし。


「それで? なんの用だ、ユエルン?」


食事の邪魔をされたせいか、トーマ少佐は機嫌が悪い。ユエルンさんを連れてきたのはマズかったのかも。


「死神トーマのご尊顔を拝するつもりでしたが………仮面の軍人でしたか。」


「面を取ったらホラー映画の世界なんでな。どこでもこれで通してる。」


「……そうですか。実はミザルさんに覇国の料理を教わろうと思いまして、お訪ねした次第です。」


「やだね。変態に教える料理はねえ。」


ミザルさんは取り付く島もなく即答する。


「まあそう言わず。代わりに央夏の料理をお教えしますよ。これでも腕はなかなかのものでして。」


「おめえにこれを超える皿が作れるとは思えねえな。」


ミザルさんは豚唐の皿を持ち上げて見せた。


「……そ、それは。我が師の作った……」


「誰が我が師じゃ。とうの昔に破門したじゃろう。」


厨房から小柄で辮髪べんぱつの老人が皿を持って現れる。


昇龍と武の文字の刺繍が入った央夏服、この方が「鉄拳」バクスウ老師!


今日は高名なお爺さんによく会う日みたいだ。


ボクは慌ててお辞儀した。老師は皿をミザルさんに渡し、央夏式のお辞儀を返してくれる。


「リングヴォルト帝国皇女のスティンローゼ様ですな。儂はウーバクスウ。兵団の軒を借りる老拳法家にございます。」


「ご謙遜を。「鉄拳」バクスウのご高名は耳にしております。」


「長く戦っておれば誰しも名ぐらいは知られるもの。ユエルン、さっさとなんか。ここはおまえがいていい場所ではない。」


「参りましたね。私は拳法も料理もいまだ師の域には届かぬ非才の身。老師から央夏料理を習っているなら、私が教えられる事はなさそうです。それではローゼ様、老師、再見ツァイツェン。」


残念そうな顔でユエルンさんはゲストハウスを去って行った。


「スティンローゼ様、ユエルンめが迷惑をかけましたな。」


「別に迷惑など。それと私の事はローゼとお呼びください。」


ボクはかしこまって答えたのだけど、目は皿に盛られたフカヒレの姿煮に釘付けだったみたいだ。


「畏まりました。ではローゼ様、お詫びに料理を振る舞ってしんぜよう。どうぞお座りください。」


ミザルさんが椅子を引いてくれたので、遠慮なく座る。


フ、フカヒレが美味しそう。


「まずはアワビのスープを召し上がって頂きます。しばしお待ちを。」


そう言ってバクスウ老師は厨房へ戻っていった。


「トーマ少佐、お久しぶりです。作戦が無事に終わったようでなによりです。」


「無事に、は終わってねえんだな、これが。」


「何かあったのですか?」


「少々アクシデントがあった。ま、話は食後のジャスミンティーを飲みながらにしよう。豚唐はどうだい? コイツは最高にイケるんだぜ?」


ありがたくご相伴に預かろっと。わ!この豚唐、本当に美味しい!香ばしくて柔らか~い♪


「老師の料理は大したもんだよ。お姫さん、この料理は旨いだけじゃなくて薬膳にもなってる。無理言って来てもらって良かったぜ。」


「ミザルさんはバクスウ老師と親しいのですか?」


「央夏料理の師ってところだ。じゃ、俺も厨房に戻らあ。老師の手伝いをしねえとよ。」


そう言ってミザルさんも厨房へ入っていった。


アワビのスープから始まった料理はどれも絶品で、特にメインの鶏料理は白眉の逸品だった。


土でくるんで蒸し焼きにしてある鶏で、木槌で殻を割ってから食べる。


バクスウ老師自らが殻を割ってくださって、身を取り分けてもらって口にした時の感動ったら………言葉に出来ないほど美味しい!


「!!!♪♪」


「お気に召されたようですな。」


ニッコリ笑った老師にボクはコクコク頷いて、鶏料理を目いっぱい楽しんでから、ようやく言葉を紡ぎ出す。


「老師、この料理はなんと言うのですか? ボクこんなの初めて食べました!」


あ!感動のあまり、またよそ行きモードが……


叫化鶏ジアオホワジーと言いましてな。別名で乞食鶏とも申します。」


「鍋さえ持たぬ乞食が鶏を土釜で調理したという逸話があるらしい。真偽は定かじゃないがね。」


博識のトーマ少佐が豆知識を教えてくれた。


「名こそ乞食ですが皇族の味蕾を満たす逸品と自負しておりまする。デザートはアーモンドプリンとツバメの巣、美味しいだけでなく美容にも良いのですぞ。ローゼ様はもう十分お美しいですが。」


老師ってば料理だけじゃなくてお世辞も上手なんだから。どれどれっと。甘~いプリンにツバメの巣が溶けあって………もう最高!


至福の央夏料理を堪能し、食後のジャスミンティーを飲む。


「老師、素晴らしいお料理でした。ありがとうございます。」


「なんの、拙い芸をお見せしましたな。」


「いえいえ、昨日は粗食の日でしたから、あまりの落差に胃がビックリしないといいんですけど。」


「粗食の日、とは?」


う~ん、粗食の日の説明をするのは自慢するみたいでイヤだなぁ。


「あ、はい。月曜は粗食の日と決めていますので。その、なんといいますか……」


「フム、察するにご自身への戒めの日ですかな。善きことかな。王者たるもの、そうでなくてはなりません。」


「そんな立派なものではありません。とある事情で飢える苦しみ、粗食の侘しさを知りました。食は人生の楽しみですが、昨今の情勢では万人がその楽しみを享受出来ていません。それどころか食べていく事自体が人生の目的という民が多くいます。」


「仰る通り、まさに末世と言えましょうな。嘆かわしい限りで。」


「なんとかしたいのです。いえ、なんとかすると決めたのです。ボクは忘れっぽいので、常に自分の原点に立ち返る必要があります。その為の粗食の日、です。」


バクスウ老師が眉を上げ、目を見開いたので、額の年輪のように刻まれた皺が深くなる。


「………なるほど。死神が入れ込む訳だ。天を目指すは鳳凰の雛、か。善きこと哉、善きこと哉。ローゼ様、どうかお変わりなきように。その志が成就する日を、この老いぼれも見とうございますぞ。」


「ありがとうございます。ボクは未熟で無能非才の身。ですが諦めだけは悪いのです。何度挫折しようと志は捨てません。」


真了不起たいしたものです。大事を為すには諦めぬ事こそ肝要。こけの一念岩をも通す、と覇国の諺にもございますれば。のう死神、おヌシがいくらものぐさでも、この健気な鳳雛の旅は助けてやるのじゃな。」


「………俺は歴史に何事も為すつもりはない。」


「相変わらずじゃの。おヌシにどんな事情が……いや、言うまい。歳を取るとどうも節介になっていかぬな。」


「節介好きは昔からで歳のせいじゃなかろう。爺さん、わざわざすまなかったな。」


「覇国の料理を食したい時に、三猿の長男に世話になっておるでな。その返礼じゃよ。それではローゼ様、ご機嫌よう。」


「はい、バクスウ老師。またお会いする時を楽しみにしています。」


「死神、体をいとえよ。おヌシが手傷を負うとは珍しい事もあったものじゃが。」


トーマ少佐は手をあげて応え、バクスウ老師は背中を向けて手を上げてから、ゲストハウスを退出していった。




………トーマ少佐が手傷? だから薬膳料理なのかな? なにか事情がありそうだ。



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