第九章 兵団編 皇女は剣狼との思い出を胸に、戦い始める

兵団編1話 月曜は粗食の日



鳥籠の小鳥に自由はない。だけど生きる事に苦労はない。庇護を受け、漫然と日々を過ごす事を受け入れられるなら、幸せといえるのだろう。


ボクは鳥籠から外に出た。大空に憧れ、高く強く羽ばたきたいって思ったから。


ボクは蒼穹を目指す。まだか弱い翼を鍛え、いつの日か天高く舞う日を夢見て。


強風に煽られ、降りしきる雨が翼を濡らそうとも………ボクは諦めない。


諦めの悪さ、それだけがボクの武器なのだから。




ボクは薔薇十字の騎士団を結成した。さっそく敵が行く手に立ちはだかる。


それは現実、経済という名の敵。ボクの自慢の剣と盾もこの敵ばかりは倒し得ない。


「軍事ってこんなにお金がかかるものなんだね。どの自由都市も戦費負担に苦しむ訳だよ。」


そんな事さえ知らなかったボクは世間知らずもいいトコだ。


知らない事は恥じゃない。知ろうとしない事が恥なんだ………カナタはそう言ってたっけ。


「戦争とは生産を伴わない消費行動ですからな。資源と資産を大量消費するのですよ。」


「クリフォード、失われるのは資源と資産だけじゃないよ。命も、かけがえのない命も消えていくんだ。それが戦争。ボクが終わらせたい、ボクの敵。」


「仰せの通りですな、吾輩ともあろう者がいささか戦争ズレしておったようです。いかにも失われる最大の損失は人の命、肝に命じましょう。」


クリフォードは真剣な面持ちで頷いてから、作業を再開する。


データに目を通しながらキーボード叩く手並みは鮮やかで、たどたどしいボクの手付きとまるで違う。


武勇においては剣と盾に遠く及ばないクリフォードだけど、重要な存在という意味なら二人に引けはとらない。


組織編成、対外折衝、兵站整備、クリフォードの本領は軍務官僚なのだ。


ここ数週間でその能吏っぷりに助けられてきたボクは、クリフォードへの認識を全面的に改めた。


ちょっと頼りない叔父さん、か。ボクってバカだなぁ。それって人を見る目がないだけだよ。


軍団とは勇者強者だけで成り立つものじゃない。いかな強者も兵站なしでは戦えない。


そして兵士は理想だけでは戦わない。本人の現世的な利益、そして任務に殉じた時の家族の生活の保証、これらが満たされて初めて力の限り戦ってくれるのだ。


ボクはアスラ部隊の司令官、「女帝」イスカの資料を集められるだけ集めた。


完全適合者で、同盟軍のエース「緋眼の」マリカより強いとさえ噂される彼女を兵として見倣うつもりはない。


ボクがどんなに研鑽を積み、死線をくぐり抜けたとしても、御堂イスカの足元にも及ばないだろう。


見倣うべきは、軍団の長としての彼女だ。


カナタ曰く、戦略眼に秀で、カリスマ性溢れる気前のいいボス、なのだそうだ。


そしてこう付け加えた。司令はたとえ武勇に秀でずとも、同じ立場を築いていただろうって。


「傑物もあそこまでいくと、勝手に人が付いてくる。苛烈な性格が故に同数の敵も作るけどな。でもなローゼ、八方美人のお人好しは好かれはすれど偉業は為し得ない。好んで敵を作る必要はないけど、敵を作るコトを恐れてたらなにも出来ないぜ?」


………ボクに期待してよって大見得を切ってから、カナタはカナタなりの哲学をボクに話してくれた。


記憶力には自信のないボクだけど、カナタの言葉は一言一句思い出せる。


魔女の森でのあらゆる経験はボクの財産だ。………でも、カナタにはボクの傍にいて欲しかった。


どこか愛嬌のある笑顔で、冗談を交えながら話してくれる、シニカルなカナタの哲学ルールを………もっと聞きたかったから。


「潤沢とまで言わずとも、もう少し資金が欲しいですな。」


クリフォードが資産管理表をプリントアウトし、ペンで書き込みを入れて見せてくれる。


「じゃあお金を集めましょう。お金はあるところにはあるものです。」


クリフォードはクスッと笑って、


「確かにそうですが、どうやって財布の紐を緩めさせます?」


「お金はあっても名誉はない資産家はいるでしょう。まず撒き餌を使います。」


「撒き餌?」


「心ある篤志家のリストを作るのです。彼らから盛大に寄付を募り、代わりに名誉を惜しむ事なく与えます。称号に勲章、報いる手段はいくらでもあるから。」


「なるほど、寄付に対しては名誉の見返りがあると周知させる呼び水ですか。ローゼ様と一緒に記念撮影とかもいいかもしれませんな。」


「そのぐらいならお安い御用、とびっきりの営業スマイルで写真に収まって差し上げます。」


冗談だと思ったから自信満々でそう返したのに、クリフォードは真顔で考え始めてしまった。


「冗談のつもりでしたが………本当にいいアイデアかもしれません。どんな時代にも権威好きの人間はいますからな。警護の問題がありそうですが………いや、まず素性、信条に問題のない人間を選ばねばならんか。姫様、心ある篤志家のリストと仰いましたが、どう作成するおつもりです?」


「外注に出します。」


「外注? 一体どこに……」


「その話は後で。そろそろお昼にしましょう。」


「では厨房に連絡して……」


「いえ、今日は月曜、「粗食の日」です。」


ボクは用意しておいた軍用レーションを机に並べる。


「粗食の日? 軍用レーションを召し上がるのですか? 姫様のお口に合うとは思えませんが………」


「これから月曜は会食やパーティーの予定がない限り、こういう食事を取ります。前線で戦ってくれる兵士さんの気持ちを少しでも理解する為に。」


「ご立派です。吾輩もお付き合いさせて頂きますぞ。富貴な身分であえて粗食など偽善、と言う者もおりましょうがな。」


「善行とは貫徹された偽善である。ボクはそう思ってるから。」


「良き哲学ですな。姫様は本当に立派になられた。」


クリフォードは感心してくれたけど、ボクの言葉じゃないんだ。これもカナタ語録なの。


「あらゆる善行の出発点は偽善からなんだ。最初の一歩は善かれと思って始めた個人的主義、行動に過ぎない。善行に昇華するか偽善で終わるかは貫徹するか否かにしかないのさ。」だそうだ。


善行とは貫徹された偽善である、か。カナタの考え方の根底に流れる一貫した方針は「自分が絶対に正しいだなんて思うな」なのだろう。


「人は自分が絶対的正義と確信した時に、巨悪さえ越える蛮行を行う。歴史上の悲劇のほとんどは己を正義と確信した善意の改革者の手によって引き起こされたんだ。」と、カナタは言った。


ボクは世界を変えると決心した。それには権力が必要だ。だけど権力とは劇薬のようなもの、使い方次第で妙薬にも猛毒にもなる。


だから考える事を怠ってはいけない。常に自問自答し、前に進もう。


そうすれば道を誤っても途中で気付く。いけないのは間違いを恐れて行動しない事だ。


「常に最善の道を選ぶのは人間には不可能なんだ。でも誤った道を修正するコトなら可能なのさ。目的地に到達する道筋は一つじゃないし、人によっても違う。」………だったよね、カナタ。





昼食を済ませ、クリフォードに助けられながら執務を行う。


タッシェがいないのはさみしいな。スペック社にいるドウメキ博士の研究所でバイオメタル化してもらっているから仕方ないんだけど。


早くバイオメタル化が終わらないかなぁ。可愛いタッシェにすぐにでも会いたいよ。


卓上電話が鳴り、クリフォードが電話を受ける。


「うむ、うむ、そうか。姫様に伝えよう。お喜びになるだろう。」


電話の内容は吉報みたいだ。どんな知らせなんだろう?


受話器を置いたクリフォードが笑顔で、


「姫様、出撃していたトーマ少佐が白夜城に帰還されたそうです。」


トーマ少佐が帰ってきた!


「明日にでも白夜城に赴きましょう。クリフォード……」


「吾輩もお供致しますぞ、姫様。それとタッシェのバイオメタル化も完了したようです。」


「やったぁ♪ トーマ少佐にお会いした後でスペック社に迎えにいきます!」


「なにも姫様がスペック社までお出向きにならずとも……」


「無理を言ったのはこちらです。ドウメキ博士にお会いしてお礼を言うのが筋でしょう。」


「承知しました。明日の予定は空けさせます。たまには気分転換もよいでしょう。」


うん、やる事はいっぱいあるけど、たまにはいいよね。


それにトーマ少佐とはいくつか話しておきたい事がある。少佐の返事次第でボク達の今後の方針も変わる。


だからトーマ少佐との会見は早く行わなければならない。


色よい返事をもらえるといいんだけど、少佐の思惑はボクには読めない。


トーマ少佐が何を目的にしているのかが………全然見えないんだ。


本名や経歴どころか、目的も不明かぁ。少佐って一体何者なんだろう。


ボクに好意的なのだけはわかってるんだけど。




ボクは預言者じゃないけど………予感がする。明日はきっとボクにとって重要な日だって。



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