懊悩編49話 社会部記者、権藤杉男
頭をスッキリさせる為に濃い珈琲を入れる。
糖分も必要だ。チョコレートがあったな。
チョコレートを齧りながら珈琲を飲み、考えに考える。夢の中の兵士の事を。
私の知っている波平の嗜好に驚くほど似た天掛カナタ………
惑星テラとやらは実在しているのか?………バカな!安物のSF小説じゃあるまいし!
………いや、ないとは言い切れんだろう。あの夢は不思議すぎる。
夢を見ながらにして夢だと認識できる点がまずおかしい。それに視点も変だ。
夢なら何度も見たが、全て私視点なのだ。なのにあの夢での私は亡霊じみた傍観者だ。
話が繋がっているという点も不可解だ、連続ドラマのように続きのある夢なんてあるのか?
決定的におかしいのは、夢にしてはあり得ないほど臨場感があって、世界観というか………背景が統一されているという事だ。
夢でそんな事がありえるか? 夢とはもっとあやふやなものだ。
死期が迫り、追い詰められた男の精神が異常をきたし白昼夢でも見せている、これが合理的な答えだろうが………
私はそうは思いたくない。私は精神的に追い詰められてなどいないのだから。
死は確かに恐ろしい。だが今の私には死より恐ろしい事がある。………亡者のまま滅びる事だ。
………よし!私は惑星テラは実在し、天掛カナタの魂は波平だと考える事にする。
白昼夢に踊らされる哀れな男のバカな考えかもしれん、だが誰に迷惑をかけるでもない。
一生に一度ぐらいバカをやったっていいじゃないか。ただでさえ私は短い命なのだ。
賢ぶって生きたところで碌な事にはならん。その成れの果てが今の私ではないか。
儚い希望で構わん、波平が生きているなら安物のSFじみた話だろうが、喜んで信じてやる。
「おはよう、相変わらず朝が早いのね。資料のまとめ?」
「いや、別の考え事だ。風美代、ちょっと聞いてくれないか? 君は私がおかしくなったと思うだろうが………」
迷いはしたが、不思議な夢と天掛カナタの話を風美代にしておく事にした。
信じてもらえるとは思っていない。正直に言えば私自身が半信半疑な気持ちを捨て切れていないのだ。
風美代は私の荒唐無稽な話を真剣に聞いてくれた。そしてこう言ったのだ。
「あり得るんじゃない? なにより波平が生きているなら、これ以上はない朗報よ。」
「信じてくれるのか? 話している私自身が半信半疑だというのに。」
「ええ、貴方が正気を失っているようには見えないもの。もちろん貴方と同じで半信半疑な気持ちではあるわよ。でも少なくとも貴方が不思議な夢を見続けている、そこまでは事実でしょ?」
「ああ、そこまでは間違いない。」
「天掛カナタさんの嗜好は驚くほど波平に似ている、そして波平は突然意識不明になった。その惑星テラとかに精神だけ移動しちゃったのかもしれないわね。」
私もそう考えたが………よく信じてくれたな。
「私もそう考えた。我ながら非科学的もいいところだが………」
「この世には科学で説明のつかない事があるから………私はもう経験してる。」
「どんな経験なんだ?」
「まだ小さかったアイリがね、夜中に突然起きてきて泣きだしたの。「パパが死んじゃった!」って泣き叫んだ。………翌日、従軍記者として中東にいたヘンリーが軍を狙った爆弾テロの巻き添えで死んだと伝えられたわ。」
………確かに不思議な話だが、風美代がウソを言う理由がない。本当にあった話なのだろう。
「愛娘への最後の呼びかけが届いたのかもな。………きっとそうだ。」
「………そうね。貴方ますます死ねないわね。やることが一杯あるわよ?」
そうだな、復讐もせねばならんし、不思議な夢の事も調べてみたい。簡単にはくたばれんぞ。
権藤杉男との待ち合わせは敢えて郊外のビジネスホテルにした。
都内の有名ホテルでは誰の目につくか分からないし、著名人の利用しそうなホテルには顧客情報で小遣い稼ぎをする輩もいるかもしれん。
風美代もついて行くと言ったが、汚い話を聞かせたくないと説得して家に残らせた。
私はビジネスホテルの一室で権藤を待った、そして約束の時刻ピッタリに権藤はやってきた。
煤けたコートに不精ヒゲ、寝グセだらけの頭………曲がりなりにも全国紙の記者とは思えん風貌だ。
ズカズカと部屋に入ってくると、断りもなくベットに腰掛ける。
噂通りの無頼っぷりだな。反骨精神が見かけだけなんて事じゃなければいいが。
「産流新聞の権藤記者かね? 風美代から話を聞いたと思うが…………」
「ああ、聞きましたとも。リーク資料にも興味津々ですが、財務省のエースと呼ばれ、ライバルを蹴落としてきた天掛審議官が突然退職する羽目になった経緯も是非取材したいですな。将来は事務次官の椅子が確実と言われていたのに、なんでです?」
「………さっそく資料に目を通してもらおうか。」
資料をまとめたファイルを手渡すと権藤はギラついた目で資料を読みあさる。
まるで餌を投げられた池の鯉だな。
「…………これが事実だとしたらエライ事ですがね。しかしながら我が国では疑わしきは罰せず、が原則ですからな。裏付けする証拠はおありで?」
「証拠がなければ疑惑にすぎん。あるに決まっているだろう。だが先に報酬の話をしておこうか。」
権藤はニヤニヤ笑いながら、
「どんな汚職や不正かは把握したんです。俺は自分で裏取が出来ないヒヨッコじゃない。その点を踏まえて交渉といきましょうや。」
「そうか、では頑張って裏取してくれたまえ。」
私はファイルを権藤から引ったくり、立ち上がって部屋を出ようとしたが、野太い声で呼び止められる。
「待った待った。見返りを出さないなんて言ってないでしょう。自分の立場を有利にしたいってのは交渉術の基本でしょうが。」
「有利不利で言うなら私が有利だ。いくら君が敏腕だろうが明日の朝刊の締め切りまでに裏取は無理だろう? 私が第二候補の記者に証拠ごと渡せばそれで仕舞いだ。裏取ナシで勝負させてくれるほど産流新聞のデスクはキモが座ってないよ。三流だけに、な?」
「ハハハッ、どこにいっても三流扱いされるんですよ。まったく、産業流通新聞なんて名付けるからこうなる。創業家は想像力の欠片もありませんな。しかし……裏取は今終わりましたがね?」
権藤は胸ポケットからICレコーダーを取り出し、鼻をこすった。
「勝ち誇るのは少し早い。よく
権藤はベットにそっくり返って大笑いした。
「ハハハハハハッ。なるほどなるほど!フェイクも混ぜてあるって事ですな。………さて、腹の探り合いはもういいでしょう。アンタの事だ、フェイクを混ぜただけじゃなく、まだネタを隠し持ってるんでしょ? しかもとびきりデカいネタをね?」
やっぱり試されていたか。そのぐらいでなければ共犯としては心許ないからな。
「手札を晒してからレイズする馬鹿と思われていなくて幸いだった。」
私は椅子に座り直し、交渉に入る。
権藤がタラコみたいな唇から切り出す台詞は真剣さを帯びていた。
「実際、どのぐらいの金がいるんです? 全国紙では最小部数のウチは裕福な財政じゃないんでね、出せる額には限度がある。」
「金などいらん。私は死病に冒されていてな。余命は一年もあるまいよ。これが退職の理由だ、納得したかね?」
権藤は似合いもしない神妙な顔になる。
「………そいつぁ………お気の毒な話だ。最後に世直ししておこうって腹ですか。」
「ああ、私怨混じりでだがね。まず条件だが、スクープを上げるのは私の死後にして欲しい。残り少ない余生は静かに暮らしたくてね。」
「実にごもっともな話ですな。了解です、他には?」
「産流新聞の社長はストラディバリウスを持っていたはずだ。それを売って欲しいのだ。」
「なんでストラディバリウスを欲しがるのかは分かります。………やってみましょう。」
「出来るか?」
「絶対出来るとは言いかねますがね。けどねえ、これだけのスクープをモノに出来るってのに弾けもしねえ名器のが大事だって言うなら、そいつはもうブン屋じゃねえでしょう。そうなったら俺は退職してフリーの記者としてスクープを上げます。それは約束出来る。」
守れない約束はしない、それが約束を守る男のルールだ。
そして社を辞めてでもスクープはモノにする、権藤は本物のブン屋だな。
パートナーはこの男で決定だ。
「わかった、それでいい。最後の条件なんだが、個人的にある男の足跡を追いたいのだ。能力のある若手の記者を一人貸して欲しい。」
「お安い御用ですな。若手じゃありませんが、俺なんかどうです?」
「………君は社会部のベテラン記者だろう? 一線級の記者にそんな暇はあるまい。」
権藤はガリガリと頭を掻きながら苦笑する。
「………企業絡みの取材で少々やり過ぎましてね。しばらく大人しくしておけとお達しが出てるんですよ。半年ばかり休暇を取るって言っても通るんですな、これが。」
「それは助かる。………では共犯契約成立だな、権藤君。」
「権藤で結構ですよ、デカいヤマに挑む共犯に敬称はいらんでしょう。」
「では私も天掛でいい。戒名をもらうまでの短い付き合いだが、よろしく頼む。」
「ええ、一日でも長い付き合いになるといいですな。」
私と権藤は固く握手を交わした。
アクは強いが能力のある記者の協力は得られた。滑り出しは上々だ。
後は時間との勝負だ。………為すべき事を為し終えるまで………私の命の炎よ、消えないでくれ。
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