昇進編9話 心の奥底に潜んでいたモノ
オレはいつもの日課を終え、トレーニングルームで座禅を組んでいた。
シグレさんがここにくるまでは瞑想の時間なのだ。
座禅を組み始めて10日以上経つが無の境地、鏡水の心にはほど遠い。
むしろ遠ざかっているようにも思う。
これじゃ瞑想じゃなくて迷走だよ。
ただ一つ分かった揺るぎない事、それはオレが雑念だらけの人間だって事だ。
今日も色々な雑念が湧いてくる。
ホタルの事、ナツメの事、リリスの事。なんだ、女の子のコトばっかりじゃねえか。
まさに雑念だな。
後ろに坊主が折檻棒を持って立っていたら、肩の皮が剥けるまで打ちすえられること受け合いだ。
ホタルはなんであそこまでオレを嫌うのか。
分からない。
ナツメになにかしてやれるコトってないのかよ。
それも分からないな。
リリスはなあ、何というか、何とも言いようがねえというか。
同志アクセルとタチアナさんにいきなり毒舌かましやがって、そんであの後も散々だった。
なんで挨拶回りが命懸けの冒険になるんだよ。無茶しすぎなんだよ。
端っから無茶苦茶なヤツだったけどさ。
思い起こせば………
オレのファーストちゅ~を奪った小悪魔娘で。
そしてオレの同類で理解者で。
毒舌でお下品でワガママな天才で。
オレに好意があることを臆せず口にする存在だ、と。
オレに好意を寄せてくれるなんて特別天然記念物みたいな存在が、あろうことか10歳の少女である。
これはなにかの冗談ですかね。
リリスは649号室の向かい側の666号室が空き部屋だったので、そこで暮らす事になった。
いや、強引に駄々をこねてワガママを通した。
666って獣の数字だよな、狙ってるとしか思えねえ。ケモノというよりケダモノかもしれんが。
寂しくなったらいつでも訪ねてきていいのよ、とか抜かしがった。
どんだけマセてんだよ。実はオレとおんなじ地球からの異邦人で、頭の中身は成人女性だけど子供に転生した、なんてオチじゃねえだろうな。
それならしっくりくる話だけどね。
そう言えばリリスが言った「絶対家になんか帰んないわ。」という台詞が刺のようにオレの心に引っ掛かっているんだよな。
なにが引っ掛かるってんだ。
それも分からない、分からない事だらけでイライラしてくる。
おっと心に静寂を保たないと迷走、じゃねえ、瞑想の意味がないな。
実はこうやって雑念にまみれる時間に意味などないのかもしれない………ほら、またそうやって余計なコトを考える。……ホント我ながら愉快な性格してやがんぜ!
な~んて、反語なんか使ってみたぜ。
………反語、………いや反語じゃない。反対の意味なら?
絶対家になんか帰らないわ、の意味が逆ならば。
…………家に帰りたい。………それだ!そうだよ。
リリスの話じゃない。引っ掛かっていたのはオレ自身の話なんだ。
兵士として明日をも知れぬ身と平和な日本の大学生。比べるまでもない。選ぶなら後者だ。
いや、今なら選ぶのは前者か。ここには1番隊のみんながいるんだから。
でもオレはあの研究所に2カ月近くもいたんだ。
友も仲間もなく完全なボッチで、名前じゃなく12号って呼ばれて、10号に負けて殺されかけて、なんとか危機を乗り切っても、常に殺処分の恐怖がつきまとうあの研究所にだ。
普通、生き残りとか脱走とか考える前にまず思うだろ。
…………家に帰りたいって。
そんな事、今まで考えもしなかった。これはどういうことなんだ。
明らかに不自然だ。なにかがおかしいんだ。
考える、いつものようにネチネチと。理由を探す、何故なんだと。
………思いも浮かんだのは高校受験に失敗し、父に見放されたあの日のコト。
………あの能面のような顔だ。
………分かったよ。分かった。
オレの心の奥底に潜んでいたモノの正体が。
考えないようにして心に蓋をしたモノの正体が。
それは父への、いや親父への憎しみだった。
私大へ通わせ、何不自由なく生活できる金を出してくれる親父に文句はないだと?
嘘つきやがれ!欲しかったのはそんなもんじゃねえよ!
死んだ婆ちゃんや失踪した爺ちゃんみたいにオレを愛して欲しかった!
欲しかったのはそれだけなんだよ!それだけだったんだ!
立派な父親だと世間が褒めそやす親父は、小さい頃からオレの自慢だったんだ。
だから認めて欲しくて、親父の言うとおりに中学まで頑張ってきた。
でも無理だったんだ。無理だったんだよオレには。どう頑張っても………無理だったんだ。
オレを壊れた玩具みたいに見捨てた親父が許せない。憎い。
そして親父の期待に応えられなかったオレ自身が憎い。
オレを生んだ母さんは2年後に家を出て行った。
顔すら覚えていない母さんをオレは恨んでいたが、その気持ちもあの日から分かってたんだ。
あの日、親父が見せた能面みたいな顔、あの本性を知ればとても一緒になんか暮らせない。
オレはあの日から世界のなにもかもがどうでもよくなってたんだ。
だからオレは元の世界に何の未練もなかったんだ。
オレは元の世界に、日本になんか帰りたくなかったんだ。
命の危険はあっても、この世界で超人的な肉体を手にいれた。
オレはゲームみたいにスリルを、生き残る為に知恵と力を尽くす生活を「楽しんで」いたんだ。
死が間近にあるこの狂った世界で、忘れていた生きてる実感に酔っていたんだ。
頬を一筋の涙が伝っていくのが分かる。
こっちの世界に来てからオレは泣いてばっかりだ。
でも認めよう。もう認めよう。
おれは元の世界では生きてなんかいなかった。
緩やかに死んでいただけだった。
ボッチだったのは当然だ。死人が友達や仲間をつくるかよ。
バカで弱くて自分に言い訳するのが得意だから、それに気が付かなかっただけ。
オレはこの狂った世界で初めて自分に向き合えたんだ。
ここからオレを始めよう。
弱くて汚くて小さい自分を認めて、それでも常にオレらしい日々を刻んでいこう。
それが日常っていうものだ。常にオレらしき日々。
だってそれがオレなんだ、そこから始めるしかないじゃんかよ。
瞑想は終わりだ。オレはこの狂った世界で…………必ず生き抜いてやる。
目を開けるとシグレさんがオレの前で座禅を組み瞑想していた。
オレの息をのむ気配を察知したのか、静かに目を開ける。
「今日は実りある時間を過ごせたようだね。」
オレは慌てて頬を伝う涙を拭う。
「カナタの今流した涙は決して恥ずかしいモノではない。自分に向き合えた証だ。」
「………自分の卑しさが分かっただけです。」
「卑しい、か。それはいけないコトか? 卑しくない人間などいない。」
「シグレさんが卑しい人間とは思えません。」
「それは買い被りというものだ。私だって卑しい人間だよ。私の話を聞いてくれるかい? そうすれば私の卑しさが分かる。」
「はい、聞かせて下さい。」
「マリカは私の親友だ。ある戦場で出逢い、意気投合した。素晴らしい友に出会えたと運命に感謝した。その時には私も自分に嘘をついていたようだ。実は私の本音は違っていたのだな。マリカと交友を深めていくうちに嘘のメッキが剥がれていった。」
「嘘のメッキが剥がれた、ですか。どんな本音だったんです?」
「私の本音は卑しいモノだったよ。私の本音は、なぜ、私じゃないんだ、だ。マリカには天賦の素質がある。そして私は素質とは無縁の非才の身。マリカの才能が羨ましくて妬ましかった。次元流の家元の娘でありながら私は凡庸そのもの。同じような立場のマリカは才能の塊だ。不公平じゃないか、私だって才気に恵まれたかった。」
そう言ってシグレさんは胴着の諸肌を脱いだ。サラシを巻いた上半身の素肌が露わになる。
オレらしくもなく胸には目がいかなかった。その体に刻まれた無数の傷痕の方が強烈だったからだ。
シグレさんは苦笑いしながら話を続ける。
「こんなに苦労し努力を続けている私よりも、マリカは遥か高みにいる。素質の有無はこんなにも残酷なのかと絶望したよ。そんな卑しい私にマリカは信頼の眼差しを向けてくれる。その眼差しに耐えられなくなってね。自分の気持ちをマリカに話した。いや、八つ当たりしたというべきかな。」
「マリカさんはなんて?」
「私にそういう思いがある事には気付いていた、と。私は嫉妬の目線で友を眺めていたようだよ。卑しさも極まれりだな。剣を捨てれば楽になるだろ、だが出来まいと言われた。その通りだ。私には剣しかない。そしてマリカは麻雀に例えてこう言った。カナタは麻雀を知っているか?」
「ルールは一応。」
ゲーセンの脱衣麻雀で覚えたとはさすがに言えない。
「それがどんなクズ配牌だったとしても、そこから手を作るしかないんだ。人生に九種九牌はない。だけどクズ牌でも極めれば国士無双を上がる事だってある。才能がないからなにも成せないなんて誰が決めた? 上がり放棄したいならすればいい、それも人生だ。でもアタイはシグレが国士無双になれると信じている。親友だから、と。」
麻雀に例える辺りがマリカさんらしい。マリカさん好きだもんな、麻雀。
「その言葉が私を変えてくれた。私は自分の卑しさを認めて、それも私なのだと気付けた。卑しさも抱えて生きていこう、そんな私を友と呼んでくれるマリカの友情に応えたい、と。配牌が悪かった。それがどうした、私の価値はそんなものでは決まらない、決められてたまるか。だから与えられたモノで勝負する。嘆かない腐らない諦めないのが私がなりたい私の姿だ。いつか自分が国士無双になれると、今は信じている。」
嘆かず、腐らず、諦めないで歩んだ道が今のシグレさんを支えている。
オレにはシグレさんの気持ちがよく分かる。
オレに学業の素質はなかった。でも、それだけでオレの価値を決められてたまるもんかよ!
オレにシグレさんみたいな嘆かない腐らない諦めないなんて立派な道を歩むのは無理だ。
嘆くし腐るし諦めもするかもしれない。
でもオレはオレだけの道を歩く。どんな結末が待っていようとだ。
※麻雀のルールを知らない方の為に
クズ配牌 最初に配られた牌が手役の完成にほど遠い状態である事。
九種九牌 手役に使いづらい牌が集まって条件を満たした場合、牌の配り直しを要求出来る権利。
上がり放棄 その局で手役の完成を諦め、勝負を降りる事。
国士無双 麻雀における役の最高峰である役満の一つ。一九字牌という手役に絡め難い牌を各1枚揃えると完成する。九種九牌の再配牌の権利を行使せずにあえて国士無双を狙う雀士もいる。国に双び立つもの無き士、の意。
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