昇進編6話 雷霆シグレ
「あれが2番隊の陸上戦艦「五月雨」だ。質実剛健なシグレらしい船だろ? トッドのスケベ椅子とは大違いだ。」
「………死んだ婆ちゃんが対岸から手を振ってるのが見えました。」
「いっそのこと対岸へ送っとけば、後腐れがなかったかねえ。」
なんとか殺人ヘッドロックから逃れたオレと、逃したマリカさんは2番格納庫へと到着した。
陸上戦艦五月雨は華美な装飾は一切なく、実用性重視のデザインがなされているようだった。
搬入口の近くで指示を飛ばす指揮官らしき女性がいる。
あの背が高く髪を後ろで結った指揮官がシグレさんだろう。
凄味はまったくないとマリカさんは言ったが、指揮を飛ばすその姿には十分な貫禄がある。
「シグレ、戻ったか。」
マリカさんがそう言うと、指揮官のとなりにいたやや小柄でボブカットの女性が歩み寄ってきた。
マリカさんも小柄な女性に歩みよっていく。
え? あの背の高い指揮官がシグレさんじゃないの?
ボブカットの女性とマリカさんは軽くハグした後で、面食らっているオレの方へとやってくる。
「君が天掛カナタ伍長だね?」
ボブカットの女性に声をかけられる。
さっきまで髪に隠れて見えなかったがこの人、右目の下に三日月形の大きな刀傷があるな。
「カナタ、挨拶しな。」
マリカさんに促されて我に返る。
「天掛カナタ軍曹です。え~と、壬生大尉でしょうか?」
「ああ、私が
「連絡を入れた後、昇進してたんだ。イスカもたまにゃいい事をするもんだ。」
シグレさんは、なるほど、と頷いてから搬入口の方に向かって指示を飛ばす。
「
髪を結った背の高い女性がこちらに向かって頷くとシグレさんは、
「じゃあ行こうか。」
そう言って歩きだした。
「思うにアマガケ軍曹はアブミを隊長だと思っていたな?」
「カナタと呼んで下さい。皆、そう呼んでくれます。」
「では私のことはシグレでいい。皆、そう呼ぶ。さっきの話に戻すが勘違いしていたろう?」
「恥ずかしながら仰る通りです。」
マリカさんがタバコを咥えて火をつけながら、
「あきれたねえ、人を見る目がない。」
「今までマリカだけだ、アブミが私の上官だと勘違いしなかったのは。彼女は
「そうでしたか。大変失礼しました。ご容赦を。」
「構わないさ。アブミの方が指揮官らしく見えるのは事実だ。」
「でな、頼んでおいたようにカナタに剣を教えてやってくれないか?」
「マリカの頼みに否と言ったことはないだろう。私で良ければ引き受けよう。」
「助かるよ。厚かましいがもう一つ頼む。ホタルはアタイとおんなじくらいに、いやアタイ以上にシグレを尊敬し敬愛してる。それでアタイがシグレにカナタの指南を頼んだ事に嫉妬してるみたいなんだ。ホタルのフォローもしてやってくれないか? アタイが言って聞かせてみても、ムキになるばかりでな。」
「委細承知。ホタルの事ならば私にとっても他人事ではない。だがマリカ、ホタルが一番尊敬し、敬愛しているのは私でなくマリカだぞ。そこは分かってやらねばな。」
「………だと思いたいんだけどね。………どうにも自信がないのさ。」
本当に親友なんだな。マリカさんが弱音を吐くのを初めて聞いた。
………しかしマリカさんはさっきの件を知ってるのか。
ラセンさんも黙っときゃいいものを。………いや、副長という立場上それは出来ないか。
「ではカナタ、さっそく修練場にいこうか。善は急げだ。」
「でも、たった今帰投されたばかりでしょう。お疲れなのでは。」
「問題ない。私は無傷だったのでな。ではマリカ、カナタを借りるぞ。」
「ああ、頼んだ。加減はしなくていい。」
………うぃ、また胃液味のカレーっすね。
トレーニングルームにて訓練用の刀を持ち、シグレさんと対峙する。
不思議な人だ、マリカさんは対峙しただけで肌を刺すような威圧感を感じるのに、シグレさんからはなにも感じない。
いや、未熟であろうと強者であろうと、気配や威圧感は大なり小なりあるもんだけど、この人は「無」だ。
まるでそこに誰もいないが如く佇んでいる。
マリカさんの言ったとおり、凄味はまったくない、ゼロだ。
対峙したままシグレさんは口を開く。
「なるほど、カナタは私と戦型が似ているようだな。相手に打たせ観察し、対策する。後の先、という訳か。では私から動いてみようか。」
シグレさんは摺り足でジワジワと間合いを詰めてくる。
もうじき一足一刀の間合いに入る。
一足一刀の間合いとは一歩踏み出せば刀の届く範囲、すなわち自分の射程距離だ。
………きたっ!!
オレは一歩踏み出して上段から刀を振り下ろす。後の先だけじゃない。
先の先も取れるんだぜ!
取った、と確信した。だが確信しただけだった。
シグレさんは半歩いや、もっとギリギリの距離をスッと下がってオレの打ち下ろしを躱した。
そして返しの刃がオレの首に当てられている。
「うん、なかなかだ。だが一足一刀の間合いではない。それは浸透率の上がる前の間合いだろう。今のカナタの一足一刀はもっと広い。もう一度やってみよう。」
何度もやってみたが結果は同じだった。打てば躱され、待てば機先を制されてしまう。
雷霆の異名の意味も理解できた。
マリカさんみたいに凄い速さで動き続ける訳じゃない。
むしろゆったりと流麗に動く。渓流を流れる木の葉のように。
それでいて攻撃は羽毛のように紙一重で軽やかに躱す。
宙を舞う羽毛に全力で攻撃しても当たりはしない。そんな感じだ。
そして、返しの攻撃に転ずるその瞬間、シグレさんは雷光になる。
静から動に転じるその研ぎ澄まされた技の切れが雷霆の由縁だろう。
車で例えればローギアからいきなりトップギアに上がる、みたいなモノか。
………こういうタイプの強者もいるのか。世界は広いな。
「少し水をいれよう。」
「まだまだやれます!」
「いや、カナタ。精神的に君は疲弊しているのだよ。集中を欠いた状態で何度やっても身にはつかない。」
「………はい。」
悔しいがぐうの音も出ない。全くいいところナシだ。
マリカさんにボコられてる時は、体はボロボロだけど達成感があった。
今日は全て寸止めにされているので体は無傷なんだけど精神的にボロボロだ。
トレーニングルームでスポーツドリンクを飲みながらシグレさんに教えを乞う。
「オレのなにがいけないんですか?」
「考える事が出来るだけに、考えに振り回されている。集中が足りない。」
「いつも集中しよう、もっと集中しなきゃって考えてるんですけど、まだ足りないようですね。」
シグレさんは少し微笑んで、
「カナタ、集中しよう、集中しよう、常にそう考えているのは分かる。だが、それが既に雑念だと思わないか?」
………あ!た、確かに。集中する事に固執した心が既に雑念なのか!
「まばたきするまい、と考えてみてくれ。」
まばたきしない、まばたきしない。………あ、まばたきしちゃったよ。
………もう一回だ。………え、………これなんでこんなに難しいんだよ。
普段はまばたきなんかしないのに、まばたきするまいと意識すれば、どうしてもまばたきしてしまう。
「人間は意識した途端に、普段できている事が出来なくなってしまう不自由な生き物なのだよ。だから少し心を自由にしてみよう。そうすれば今まで見えなかったモノが見え、今まで感じなかったモノを感じとれるようにもなる。」
「心を自由に、ですか。」
「そう、一朝一夕には出来なくとも少しずつ歩もう。そうすれば気付く。どうやったら出来るようになるのか、ではない。既に出来るんだということにね。自分に出来る当たり前のことを当たり前にやる。言葉で言うは容易いが、実はそれが一番難しい。」
「何をすればいいんでしょう?」
「まずは一日一時間、禅を組んでみようか。最初は雑念だらけでよい。雑念を減らそうという強い意志ではなく、減らせたらいいな、ぐらいの軽い気持ちを毎日続けるのだ。我が鏡水次元流では無の境地に至る事を鏡水と呼ぶ。鏡水の心を得たならば己の力を完全に発揮できよう。」
「シグレさんは鏡水の心を持っているから強いんですね。」
「まだまだその域には到達できていない。私もカナタと同じ未熟者さ。だが戦って分かったろう。相手の攻撃を完全に見切れたならば、攻撃は単純な一撃で事足りると。それが次元流の
「シグレさんは強いです。オレは打ち込める気がしません。」
「では聞こう。私に目を見張るようなパワーやスピードがあったか?………正直に言えばいい。」
「………いえ、それは………高い能力を持っているとは思いましたが………」
でも、入隊テストの時にマリカさんから受けた圧倒的な身体能力の差とかいうものは感じなかった。
「…………私はな、アスラ部隊の隊長の中で浸透率も念真強度も一番低い隊長なのだよ。謙遜しているのではなく本当の事だ。副長の中にさえ私を超える浸透率や念真強度を持つ者もいる。」
無理矢理言葉で表現すれば超凡人、マリカさんはそう言った。
なるほど、凡人を極めて行き着いた先が壬生時雨という人なのか。
「マリカさんがシグレさんをオレの師匠に選んだ理由が分かりました。オレに一番足りてない事を教えてくれる人だからです。」
「フフッ、それは違う。カナタ、私が教えるという事はさして重要ではない。重要なのは………」
君が何を学ぶのか、と言う事だよ。シグレさんはそう言った。
マリカさん曰く、凄味がないのと凄くないは違う。
オレの剣の師は凄い人だ。オレはこの人から学ぶべき沢山の事がある。
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