開幕編8話 新しい名前
この部屋とももう少しでお別れかと思うと、少しだけ感傷的になる。
実質2ヶ月も暮らしてはいないのだが、密度の濃い時間だった。
元の世界のワンルームマンションで暮らした2年間よりも、この部屋の2ヶ月足らずの時間のほうが、天秤にかければ重いのではなかろうか。
いつまでも感傷に浸ってもいられない、オレをこの世界に送り込んだのが神だとしたら、神様ってヤツは随分と勤勉で底意地が悪い。
次から次へと無茶振りしやがって、これからいくところがこの世の地獄とかじゃねえだろうな。
もしそうだったら、いくら温厚なオレでもしまいにゃキレるぞ。
………この世の地獄とかありそうで怖いんだよなぁ。
荷造りはあっという間に終わる………なんてな、その必要すらない。私物が全くないんだもんな。
代わりにお勉強の時間だ。偽造の、いや偽造じゃないな。
正規の手段で捏造された身分の暗記の時間だ。
え~と、オレは皇歴2100年生まれの20歳、両親とは死別ね。両親の死因は、と。
渡されたデータを必死に暗記する。瞳にカメラ機能がついているから、いざとなればカンペが使えるかと思ったがダメだった。
瞳に映るから他人が見ればチョンバレですがな。
何よりクローン人間だとバレてはいけないんだ、この偽りの経歴は完璧に覚えて、ボロを出さないようにしないとな。
こういうのを日常的にやってる秘密工作員って大変だね。
オレの新しいボス、御堂イスカ大佐は美人で怖くて強い人だった。
13号を一撃で両断しちゃうんだもんな。傍にいたのに両断する瞬間はよく見えなかった、速すぎたのだ。斬撃の速度が。
推定、あの人はハンドレットだ。オリジナルの動きもあんな速さだった。
最初はスロー再生して見てたもんな、オリジナルの戦闘記録。
大佐がハンドレットだとして、彼女以外にまだアスラ部隊にはもう一人のハンドレットがいる訳か。
怖いねえ。味方でも怖いもんは怖い。
そんで大佐の強みはハンドレットって事や美人ってだけじゃないんだよな。
御堂っていう時点で同盟軍の創設者ミドウアスラの血縁者だろうとは思ったが、血縁も血縁、実の娘だった。しかも一人娘。
アスラ元帥はすでに故人だけど、元帥がいなくても創設者の娘ってのは圧倒的強みだろう。
元帥の友人や部下は同盟軍の要職についてるだろうし、血統もコネも最強なんじゃねえかな。
そういや博士が言ってたな。
下手な将官より発言力があって、大抵のワガママは通ってしまう、か。………納得。
そしてもう一人、重要な人物。………牙門アギト。
オレのオリジナル、捏造されたオレの経歴上の叔父。
大佐の元部下でアスラ部隊4番隊隊長。生前の階級は大尉で………そして
通称「氷狼」
この世界の有名な兵士には、通り名がついていることがほとんどみたいだ。
赤い彗星とか、ガンダムでもあったね、そんなの。
氷狼アギト、ね。中2っぽいけど格好いいじゃねーか。
オレなんか波平だぞ、波平!………な・み・へ・い!
名前をつけてくれた死んだ婆ちゃんには悪いけどさぁ、もうちょっとなんとかなんなかったの?
別にアニメ作品から名付けるのが悪いなんて言わねえよ?
でも波平はなくね? 婆ちゃんが大好きな作品なのは分かってる。オレも嫌いじゃないよ?
でもせめてカツオにしといてクレヨン。
イジメられまではしなかったけど、クラス替えの度、進学する度にからかいの対象にはなっちゃったぞ。
聞いてる? 天国の婆ちゃん!
天国にツッコミをいれててもラチがあかない。
重要な事はまだあるのだ。そう、極めて重要。
この世界に来てオレが初めて許された自由。そう、経歴は決められているが名前はオレが決めてもいいのだ!
波平は命名権を手にいれた、チャララチャッチャッチャチャー♪♪♪
そりゃ軍に入って12号って訳にゃいかないよね。
「本日よりアスラ部隊に配属された12号と申します!よろしくお願いします!」
ンなこと言ったらツッコミの嵐が吹き荒れるわ。風速60mぐらいでな。
思えば結婚してからも18号で通したクリリンの嫁さんスゲーな、尊敬する。
クリリンと離婚したらオレと結婚して!娘のマロンちゃんも幸せにするから!
はい、無理っすね。ベストカポーだもんな。リア充核爆発しろ。
そろそろマジメに考えよう。
シンプルに本名、天掛波平。これがオレにとって一番スムーズで違和感がないというのは分かってる。
なんたって20年間そう呼ばれてきたんだからな。
だが、オレの目標通り出世して異名持ちの兵士になれたと仮定しよう。
例えばオリジナルの異名と同じになったとして………
「氷狼」ナミヘイ
………ない、これはないわー。
悪い名前じゃないと思う、波平ってのは。天国の婆ちゃんにツッコミはいれたけどね。
こっちの人間にはあの長寿アニメの印象なんかないんだし。
でもこっちの世界って総体的に中2的なんだよ。波平という名前とは相性が悪い。
よし、名前は変えよう。名字は天掛でいい。
名前を変えてもさほど問題はないはずだ。
なぜならオレは波平ボッチの法則という因果律に縛られる、悲しき宿命を背負った男だからだ。
オレの事を波平と呼ぶのは家族ぐらいで、間違っても同級生の女子に、
「波平く~ん♡」
なんて呼ばれたことは一度だってなかった。男子も女子もみんなオレの事は名字で呼んでいた。
そりゃそうだ、よっぽど親しい間柄じゃなきゃ名前で呼んだりしないよな。
なんと恐るべき因果律よ、この呪いはボルタック商店に行って大金を積もうが解呪できまい。
………ボッチの悲哀を噛み締めるのはもういいや。さて、どんな名前にしようか。
う~ん、
それからしばらく考え続けたが、キラキラネームみたいなのばっかりでゲンナリする。
妄想力は逞しい自信があったが、妄想力と発想力とは別モノだったんだね。
…………そうだ。元の名前の一字を取ってみようか。まるきり変えてしまったら、死んだ婆ちゃんが枕元に立ちそうだし。
波か平のどっちかを使ってみよう。
平蔵、オレは火付盗賊改方でも鬼でもねーよ。
波動、オレは宇宙戦艦でも不死身の乗組員でもねえって。
やれやれ、遥か彼方の異世界に来てまでオレはなにやってんだか。
………あ!遥か彼方の異世界からきた異邦人。それがオレだ。
婆ちゃん、枕元に立たないでくれよ。
波と彼って字面はよく似てるからいいよな。いいコトにしといて。
婆ちゃんの許しが出たと信じて、これにて決定だ。
オレは今日から天掛彼方、そう名乗る事に決めた。
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