ひとり語り1

 どうも、お初にお目にかかります。

 あっしの名前は『拳骨げんこつ』。

 居候させていただいております山海やまみ家の方々からは、『ゲンさん』なんて呼んでいただいております。


 あっしが山海家に拾われたのは、うだるような夏も終わり、秋の風を感じられるようになった9月のことでした。


 人間の皆さんね、よくおっしゃるんですよ、ほら「犬って人間の言葉わかってる気がする」って。あれね、本当ですよ。そりゃ、難しい言葉はわかりませんし、複雑な感情? 乙女心? そういうのはさすがに難しいですけどね。

 でも、『可愛い/可愛くない』『良く出来た/うまく出来なかった』『良い子/悪い子』くらいはね、産まれたばかりの子犬にだってわかるんでさ。


 あっしもね、ご多分に漏れずってやつで。ちゃあんとわかっておりましたとも。


 あっしの最初のご主人様は若い女の子でございました。ユミちゃんって名前でね、髪の長い、それはきれいな方でしたとも。いえ、人間の顔の良し悪しなんてわかりませんけどね、あっしのことを可愛いってくれたんですから、それはもう天使のようなお方でした。


 ある日のことでございます。

 ユミちゃんはあっしに男の人を紹介してくれました。ヒロヤさん、という名前の髪の黄色い方でした。

 ヒロ、ユミ、なぁんて呼び合っていて、とても仲が良くってねぇ、あっしも何だか嬉しくなったものです。


 ただねぇ、ヒロヤさんが言うわけです。


「こいつ可愛くねぇな」って。


 いやいや、ユミちゃんは「可愛いよ」って言ってくれましたよ。自分で言うのも何ですけど、その時はあっしもまだまだ若くて可愛かったですからねぇ。


 でもね、ある日、ユミちゃんがあっしに泣きながら頭を下げたんです。


「ごめんね、テツ。本当に、ごめん」


 泣かないで。泣かないでユミちゃん。


 あっしはまだ若くて、ユミちゃんを慰める方法をいくつも知らなかったんです。ただただユミちゃんの回りをぐるぐると回って、ワンワン吠えてました。やがて、あっしがワンワンワンワンうるさいもんだからお隣さんが「静かにしろ」なんて言いに来たりして。

 いえ、普段はそんなに吠えたりしないんですよ。だけど、あっしは人間の言葉がしゃべれないけど、あの頃はたくさん吠えて練習すれば、いつかしゃべれるようになるんじゃないかなんて思ってたんです。いや、お恥ずかしい。若い、うんと若い頃の話ですから。


 それでですね、急に散歩に行くことになったんです。


 おかしいなぁ、と思いましたよ。だって散歩は朝に行ったんです。毎日、散歩は朝に行くんです。でもね、あっしは散歩が大好きですから、2回も行けるなんてもう嬉しくて嬉しくて。飛び上がって喜びましたとも。


 でもね、やっぱりおかしいんです。

 ユミちゃん、あっしの首輪を外したんですよ。あれれ、いつもこの首輪にリードをくっ付けて行くのに。気に入ってるのに、その首輪、って。でもまぁ、また帰ったら付ければ良いか、なんてのん気に考えたりして。

 それで、その時は何だか真っ白い紐をあっしの首にぐるっと巻き付けるだけだったんです。それをぎゅって結んで、その端をユミちゃんが掴んで。


 あっしは揚々と歩きました。

 いつもと違う首輪だってリードだってかまやしないんです。ぐいぐいと引っ張ってユミちゃんを困らせたりなんかしません。あっしはユミちゃんと並んで歩くのが大好きなんです。たまにちらりとユミちゃんを見上げると、ユミちゃんはあっしに向かってにこっと笑ってくれるんです。それがもう嬉しくってねぇ。


 散歩はいつもと違う道でした。

 そのことにちょっとそわそわしながらも、けれど、そんなことをおくびにも出さず――とあっしは思ってましたけど――ユミちゃんとの散歩を楽しんでおりました。


 そして――、その時がやって来ました。


「テツ、本当にごめん。ここで待ってて」


 一体何で謝ってるんだろうって、思いました。

 ユミちゃんはとても悲しそうな顔をしてあっしのことを見つめるんでさぁ。

 

 そんな顔、しないで。

 あっしは、ちゃあんとここで待ってますから。

 ユミちゃんのこと、ちゃあんと待ってますから。


 いつだったか、散歩の途中で大きなお店に寄ったことがあったんです。

 その時もこうやって柱にリードを繋いだんです。


「テツ、お利口にして待っててね」


 ってユミちゃんが言うもんですから、あっしはね、ちゃあんとお利口に待ってましたとも。ワンワン吠えたりなんかしたら、ユミちゃんに恥をかかせてしまうでしょ。それだけはなるまいと、つい寂しくって声を上げてしまいそうになるのをぐっと堪えたものです。


「テツ、お待たせ!」


 するとユミちゃんは息を切らせて、真っ赤な顔で走って戻ってきてくれました。

 手には白いビニール袋。

 中に入っているのは、あっしのおやつでした。

 

「テツのおやつ忘れちゃってさ。ごめんごめん」


 そんなの、いらないんですよ。

 いや、そりゃくれるっていうなら有難くいただきますけどね。でも、あっしはそんな小さなジャーキーよりも、ユミちゃんが一緒にいてくれる方がずっとずっと嬉しいんです。だからあっしは、ユミちゃんがあっしのところに戻ってきてくれたのがもう嬉しくって嬉しくって、尻尾がちぎれて飛んで行ってしまうんじゃないかってくらいにぶんぶんと振ったものです。


 大丈夫、ユミちゃん。

 あっし、いくらでも待ちますとも。

 ワンワン吠えたりなんかしません。

 ユミちゃんが戻ってくるまで、ちゃあんと待ってます。

 おやつなんかいりませんから。ちゃあんと戻ってきてくれるなら、それで。


 あっしは、ユミちゃんがいれば。一緒にいられるなら。



 

 けれどね、ユミちゃんは来なかったんです。

 あっしは、ずっと待ってたんです。

 日が落ちて、あっという間に暗くなって。

 同じ真っ暗でも部屋の中なら平気なのに、どうして外の暗さはこんなに寂しくておっかないんだろうって、寒くもないのに震えながら。

 いつもなら、ユミちゃんの部屋で、ユミちゃんと一緒にご飯を食べて、お気に入りのタオルに包まって寝るんですけど。

 何も無いんです。

 ユミちゃんも、ご飯も、タオルも。


 あっしは冷たい地面に丸くなって、ユミちゃんを待ちながら眠りにつきました。

 もしかしたらこれは全部夢かもしれない。


 そんなことを願いながら。



 

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