ひとり語り2

 夜が明けても、やはりあっしは電柱の下にいました。

 もちろんユミちゃんもおりません。

 それでも、むくりと起き上がって、いつユミちゃんが迎えに来ても良いようにとお座りの姿勢をとりました。


 あっしはね、ユミちゃんがいれば何もいらないって思ってたんですけど、それは、色んなものが満たされてるからそう思えるんだって気付きましたね。


 あっしはその時初めて知ったんですよ、空腹っていうのを。


 だってほら、ペットショップにいた時もしっかり食べさせてもらいましたしね。ユミちゃんに飼われてからも、そうそう腹を空かせることなんてないわけです。


 ユミちゃんは家でお仕事をしていたんでね、いつだって一緒だったんです。


 最後に食べたのは、散歩前のジャーキー。

 それから何も食べてないんです。


 最初はユミちゃんのためにって吠えるのを我慢してたんですけど、気付けば、あっしにはそんなことをする力もなくなっていました。

 気を張って気を張って気を張って、それがぷつりと切れたんでしょう。


 あっしはお座りを止めて、その場にうずくまりました。

 腹が冷えると余計に弱ってしまいそうで。

 腹を温かくしていれば、何とかしのげる気がしたんです。


「クゥン……」


 ついそんな声が漏れました。

 しまった! と思いましたが、こんな小さな声なので、誰にも届いていないようでした。


 誰にも……。

 きっと……ユミちゃんにも。



 もしかして、とその時あっしは思いました。

 もしかして、あっしは捨てられたんじゃないかって。


 だって、「こいつ可愛くねぇな」って、ヒロヤさんが言ったんです。ユミちゃんが大好きなヒロヤさんが。


 あっしだってね、自分が『恰好良い』や『可愛い』の括りに属してないことくらい自覚してます。ユミちゃんだっていつもあっしのことを『ぶちゃカワ』って言うんです。『ぶさいく可愛い』だったり、『ぶさいく可愛い』というような意味らしいです。ユミちゃんがどっちの意味で使っていた言葉なのかは結局わかりませんでしたが。


 いつだったか、ユミちゃんとテレビを見ていた時でした。

 四角い画面の中で、色んな種類の犬達がじゃれあっていました。

 

 散歩でいつもすれ違うコーギーや、トイプードル、動物病院でちらりと見かけるレトリーバーなどの大型犬。それらが画面に映る度、ユミちゃんは「可愛ぃ~いっ!」と可愛らしい声を上げるのです。

 

 別に、悔しくなんかありませんって。

 だって、所詮は四角い画面の中の犬です。あっしのように触れたり、撫でてもらったり出来ないんですから。だから、あっしの方が断然有利なんです。


 でも、もしかして、やっぱりユミちゃんもコーギーみたいにふわふわの犬が良かったんですかねぇ。トイプードルのこと、ぬいぐるみみたいっていつも言ってましたもんねぇ。

 それとも、男らしくて恰好良い大型犬の方が良かったんですかねぇ。

 でも、ウチは狭いから、大型犬は無理だわって言ってたじゃないですか。それとも、大型犬と暮らすためにお引っ越し……とか。

 

 うずくまってそんなことを考えました。

 どんどん悲しくなってきて、もう一度「クゥン……」と鳴きました。さっきより細い声でした。きっと誰にも届いてはおりませんでしょう。相変わらず、腹は空きっぱなしで、力も入りません。


 自分はこのまま死ぬのかもしれない。

 瞼を閉じれば浮かんでくるのはユミちゃんの笑顔です。


 ああ、なぁんだ。

 こうすればまた会えるじゃないか。

 あっしの大好きなユミちゃんに。


 もしこのまま死ぬんだとしても、ユミちゃんの顔を見ながらだったら、良いかもしれない。

 本当はもう一度撫でてほしかったし、一緒にご飯も食べたかった。名前も呼んでもらいたかったし、散歩ももっとしたかった。だけど。

 

 さようなら、本物のユミちゃん。

 あっしは、思い出のユミちゃんと一緒にお空へ行くことにします。


 瞼のユミちゃんも何だかぼやけて参りました。

 あぁいよいよか、そう思っておりました。


 その時、声が聞こえたんです。


「ちょっと、けいさん! 見て、ワンちゃん!」

「ほんとだ。でも、何でまたこんなところに……? 飼い主はどこに行ったんだ?」

「おかしいわよねぇ、近くにお店もないし」


 何だ? と瞼を持ち上げてみますと、ユミちゃんとそう変わらないくらいの女の人と男の人でした。2人はあっしの前にしゃがみ込み、心配そうな顔をして優しく背中を撫でてくれました。ユミちゃんに勝るとも劣らない優しい撫で方です。身も心も弱りきっていたあっしは、情けなくもスンスンと鼻を鳴らしました。


「景さん、もしかしてこの子、捨てられちゃったのかしら」

「かもしれないな。とりあえず、ここに繋いだままは可哀想だ。一旦ウチに連れて帰ろう」

「でも、もしかしたら、気が変わって戻って来るかも」

「それもそうだな。……よし俺が後でウチの店の電話番号をここに貼っておくよ。それなら良いだろ」

「そうね。それなら」


 どうやら話はまとまったようで、女性の方があっしを抱きかかえ、その場所からそう遠くないところにある店屋へと連れて行ってくれたのです。



 それがあっしの終の棲家となる『山海やまみ釣具店』でした。


 あっしを拾って下さった男の人は、その店主である景章けいしょうさん。抱きかかえて水と食べ物を下さったのはその奥方様の華織かおりさん。まだお子さんはおらず、しばらくの間、あっしはお2人の子として大層可愛がられたものです。時折、ユミちゃんのことを思い出したりもしましたが、それであっしが鼻を鳴らすと、華織さんが飛んで来てあっしのことを優しく優しく撫でてくれるもんですから、つい、何でもない時にも何度か甘えてしまったりしました。いや、お恥ずかしい。


 やがて、華織さんは身籠りました。

 最初に可愛らしい女の赤ちゃんを、そして、その2年後に、元気な男の赤ちゃんを産みました。


 こうして、山海家は5人家族となったのでございます。


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