第三話 ~Love―Every―Destiny~2/3

「つよくんぅぅ……どうなってるのこれぇぇ……」

「分からない……ぼくにも、こんな……」

 エブリ子の切実な問いに、しかしつよくんは回答を持たなかった。

 CPUが4歩先の抜け道を狙い【4すすめたい】を使用する。使い捨てではあるが6分の5の確率で目当ての数字が出る切り札を用いたCPUは、しかし目当ての数字を出すことなく抜け道を通り過ぎていく。

 もうこんな事が、かれこれ10度はあっただろうか。


 【火力発電所へGO】というマップは、ちょうど8の字の如きループの真ん中から始まる。

 上下の円のどちらにも1マスの抜け道があり、そこを踏めばループを脱してゴールへ続くルートに入れ、それを通り過ぎた場合は再びスタート地点に戻りループする。

 抜け道に入れた場合でもゴールを踏めなかった場合は多くの歩数を使った末に8の字のなかに戻り、再び抜け道を踏む行程に戻される。

 なので終わるときは一瞬で終わる一方、いつまでも誰もゴールを踏めずぐだぐだになることもある。それがこのマップの特徴だ。

 だけど、この状況はいくらなんでも異常だった。


 別のCPUが【いちご】を回す。文字通り1と5が半々の確率で出る強力なルーレットだが、やはり抜け道は見つけ出せない。

 そう。ゴール以前の話、誰も抜け道を踏めないのだ。

 【きほん】を使用した場合でも確率的には2ターンに1人程度は抜け道を踏める。確率を絞った特殊ルーレットを振り出せば1ターンに1人抜けて当然と言っていい。

 なのにターン数が二桁を数えてなお、誰もあがりに進む権利すら得られない。

 それは確率論だけでは済まされない大いなる力に阻まれているような、そんな徒労の時間だった。


「リボンが見つからないんだ……僕が君に渡した……今はもう君が付けていないリボンが……」

 うわごとのように意味の分からない言葉を呟きルーレットを止める兄のエブリパ仮面。やはり抜け道に止まることはなく、スタート地点へと戻ってくる。

「えーいっ!」

 かけ声と共にエブリ子が【あしぶみ】を使う。1~3が均等に出るルーレットの針は抜け道に続く2を僅かに通り過ぎて3を指し示す。

 ふにゃーと落胆の声を上げる少女のそばでつよくんは思考を巡らす。

「……やはりこれは、兄のエブリパーティ仮面の神力によるもの……」

 尋常でない確率の偏り、周囲を包む昏く重たいオーラ。それらの元凶がサ○ラ大戦焼酎を呷る顔の見えない男であることは想像に難くない。

 だがそれならば、なぜこの男自身までその無間地獄に囚われているのか?

「君のあの張り付いた笑顔が……君の側が僕の場所じゃなくなった事を教えてくれたあの瞬間が、今もこうして眼の前にあるんだ……」

 兄のエブリパ仮面は試合が始まってからも、ここに居ない人物に対する言葉を繰り返し語り続けていた。

 誰に対しても届かない終わりなき問い。それはまるでこの試合と同じように……。


「……そうか」

「つよくん?」

「ぼくたちは今、兄のエブリパーティ仮面の負の感情に閉じ込められているんだ」

 兄のエブリパ仮面が持つ妹に対する行き場のない想い。その常人には想像も付かない深く重たい感情から生まれた闇の神力が【火力発電所へGO】というマップの構造と呼応し、全てのプレイヤーをこの輪のなかに閉じ込めているのだ。

 このままでは永遠に、この戦いは終わらない。

「よく分かんないけど、どうすればいいの?」

「彼が抱える負の感情の連鎖を一瞬でも断ち切ることが出来れば、あるいは……」

 つよくんがちらりと兄のエブリパ仮面を見る。

「あの日、君は11位だったね……1位が2つあるような最高の数字を見て……僕はどこか誇らしい気持ちだったんだ……」

 彼の心は完全に自分自身のなかに閉じ籠もっている。おそらくどんな言葉を掛けたところで、彼が反応することはないだろう。

 これでは、打つ手が――。


「ねえおじさん!」

 エブリ子が兄のエブリパ仮面に話しかけるが、男は少女の声には反応しない。

「いくら『L○ve Destiny』を歌っても、心が満たされないんだ……ただ乾き、かつえ、透明になるだけで……」

 独り言を繰り返す兄のエブリパ仮面の反応も気にせず、エブリ子は言葉を続ける。 

「わたしもね、好きなこがいるんだよ。おときちくんって言うの!」

 エブリパーティの画面だけが光源のエントランスに、少女の明るい声が響き渡る。


「おときちくんはオットセイさんで、ぜんぜんほかの動物の言葉とか聞いてなくて、野球もあんまり上手くなくて、でも一番を決める戦いに参加するからきっと野球が好きなんだよね! でもそういうこと自分からはぜんぜん言わないから、なにを考えてるのか分かんないってみんなから思われちゃってるの」


(えりちゃん……)

 エブリ子のつたなくも熱を帯びた言葉を邪魔しないよう、つよくんが心のなかで少女の名を呼ぶ。


「まきゅーもね、ほかのみんなは自分の趣味やのーりょくを使ったものなのに、おときちくんのは他のスポーツのボールをぽいぽいって投げてそのなかに野球のボールを紛れ込ませるっていうぜんぜん関係ないものなんだけど、でもそれってすっごく器用で、ほんとはなんでも出来ちゃうのにやる気がないからやってないだけなんだなって分かるの!」


 彼女は頑張っている。好きの最果てに築かれた牢獄に籠もる兄のエブリパ仮面の心に届かせようと、自分の好きを一生懸命言葉にする。


「不満があると鼻の上でバットをくるくるってまわして審判さんに「うそつき」って言うの。そのそっけなくて、ルールもあんまり分かってなくて、でもおかしいと思ったことは言いたいっていう感じがね、すっごくすっごくかわいいの!」


 けれどいくら好きを語ろうと、彼には――。

(……あれ?)

 そういえば。さっきからずっとエブリ子はひとりでしゃべり続け、それ以外の言葉は聞こえない。

 振り向くと、エブリ子の方をじっと見つめる兄のエブリパ仮面の姿があった。

「……愛しているのですね。君も。誰かを」

 兄のエブリパ仮面がはっきりと『エブリ子に向かって』言葉を紡ぐ。

「うん!」

 エブリ子が満面の笑みを向けて頷いた。

 その瞬間、CPUが抜け道を踏んだ。


「これはっ……!?」

 無間地獄に開いた光明を目の当たりにし、思わずつよくんが驚きの言葉をこぼす。

 エブリ子の語った愛に兄のエブリパ仮面は興味を示した。その影響はすぐさまエブリパーティにも現れたのだ。

「僕にも愛する人が居ました……白雪というとても美しく、そして優しい……僕の、妹です……」

 兄のエブリパーティ仮面がこれまでと同じような内容の言葉を語る。中身が同じでもその意味はまったく異なる、白雪ではなくエブリ子に向けた言葉を。

「料理が上手で、感情豊かで、その愛らしい唇から受け止めきれないほどの愛を語る、僕の誇り……そして白雪にとっても、僕は彼女の誇りでした……」

 更にCPUが抜け道を踏む。

 もはやあの泥中を泳ぐような息苦しい時間は存在しない。

「昔、僕は彼女にリボンを送りました。それを彼女は本当に喜んで、どんな時でも髪に結んで、肌身離さず大事にしてくれました……」

 兄のエブリパ仮面が抜け道を踏む。

「なのに僕は……心のどこかに、そうやって慕ってくれる彼女のことを恥ずかしがる気持ちがあったんです……」

 エブリ子も抜け道を踏む。

 これで全てのプレイヤーがゴールに進む権利を獲得した。


「どちらから距離を置いたのか、もう僕には思い出せません……ただ、気付いた時には僕のそばは白雪の居場所ではなく、白雪のそばも僕の居場所では無くなっていた……」

 兄のエブリパ仮面の前髪に隠れた頬を伝い、一粒の涙がこぼれ落ちた。

「これは罰なんです……最後の真実に背いた罰……それはあの日『にいさま』だった僕達全てに課せられた宿業なんです……」

 兄のエブリパ仮面がサ○ラ大戦焼酎を大きく呷り、その中身を飲み干す。 

「だから君も気付く時が来る……おときちくんを愛する自分が恥ずかしくなる瞬間が……そして、自分のそばがおときちくんの居場所でなくなる日が……その時になって君は真の愛を知り、そして全てが手遅れになった事に気付くんです……」

「ふぇ?」

 嗚咽を漏らし己の物語を語り終える兄のエブリパ仮面。

 かつてあった愛。今ここにある愛。もう二度と届かない愛の顛末は、しかし小学四年生の心にはまったく響かなかった。

「そんな日こないよ?」

 さらりとこぼれた全否定の言葉に、兄のエブリパ仮面の嗚咽が止まった。

「どういう……意味ですか……?」

 理解できないものを見たように喉から漏れた疑問の言葉。少女はそれに正面から回答する。

「だって、おときちくんはわたしのこと知らないもん!」


「知らない……愛されていない……!?」

 少女にとっては当たり前の答え。けれどその言葉は己の価値観だけを支えにして存在する男の心を激しく抉った。

「馬鹿な……君は、君は愛されていないのに愛しているのか!? おときちくんを愛する自分を、おときちくん自身は一切知らなくて、それでも愛せるというのか……!?」

「そーいうものじゃないの?」

「違う! そんなものは真実の愛ではない! 愛することは、愛されることと共にあって初めて価値を持つ! だから、僕達は決して救われない……!」

「そんなことないよ! だってわたし、おときちくんのこと大好きだもん!」

「ならば君に出来るのか! その程度の愛で、『白雪いいところしりとり』を!」

「!? えりちゃん、だめだ!」

 二人の言葉の応酬に口を噤んでいたつよくんが、その単語に反応して叫んだ。

 白雪いいところしりとり。それは白雪のいいところをしりとりにして繋げていく狂気の遊戯。幾人もの人間を昏睡状態におとしめた兄のエブリパ仮面の神力の根幹たる儀式だ。

 その誘いに乗ってはいけない。そうつよくんが言おうとした時には既に、エブリ子は自らの回答をその唇に乗せていた。 

「できないよ! わたし、しらゆきちゃんのことなんにも知らないもん! でも――」

 少女は否定し、その勢いのままに肯定の言葉を叫ぶ。

「おときちくんのことならなんでも知ってる!」

 兄のエブリパ仮面の前髪越しの狂気の視線を少女は毅然と受け止め、同時に全てのプレイヤーがゴールを6マスの射程に収めた。

 そして、最後の戦いが始まった。


「りこう……!」

「おとぼけ!」


 エブリ子のルーレットはゴールに届かない。


「うつくしさ……!」

「げいじょーず!」


 兄のエブリパ仮面のルーレットもまた数が足りない。

 

「さらさらへあ……!」

「すばしっこい!」


 エブリ子のルーレットはゴールに届かない。


「あにおもい……!」

「いつもねむそう!」


 兄のエブリパ仮面が【ちからっこ】で足止めされる。


「いつくしみ……!」

「うつのがへた!」


 エブリ子が【あがり】一歩手前に足を止める。

 

「……み――」


 兄のエブリパ仮面は動けない。


「たまにすごい!」


エブリ子の【あしぶみ】が回る。

その針の先は――。

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