日付なし(4)

 

「今日は何月何日?」

「8月13日」

 徳井の質問に、愛理はそう返した。

 

 

 徳井は加納と一緒に地元の勧業館へと向かっていた。第8回時の祭典が開かれるのがそこだった。本来なら徳井はそこに行くつもりなかったが、加納とハンバーガーショップで約束し、また彼の連絡先がつかなかったこともあり、彼から断ることができなかった。


 

 勧業館2階、第2展示場。

 徳井は人々の波をかきわけてその展示場に入ると、部屋の中心にある時計に目を奪われた。天井まで届きそうな現在アートのモニュメント、大樹の幹に時計がはめ込まれて、その隣には3人の女性が支えている。

 その時計は現在の時刻、午後1時20分を指している。

「ユグドラシルの時計。“時の所有者”が大事にしている時計だ。ユグドラシルの周りにいる女性は運命の神様、ノルンの三姉妹だよ」

 加納は得意げにその時計を説明する。

「あの時計の針を動かせるのは“時の所有者”の管理者、皆川さんしか触れることは許されないんだ」

「普通、時計の針って動かしてちゃ駄目だろう?」

「あの時計は、いつもは神殿に飾っているんだけど、イベントのある日は運んでいる。もし持ち運びのときに針を動かしたらトラックの中で折れてしまうかもしれないから」

「へぇー、なるほど」

 徳井と加納が話し合っていると、背後から男性が近寄る。

 その男性はやや細型でやわらかい笑顔が特徴的な40歳ぐらいの男性であった。

「加納くん、元気かい」

 その男性に声を掛けられた加納は目を輝かせた。

「皆川さん!!」

 加納は皆川の手に触れると強く握手した。

「元気だね、キミは」

「ええ、皆川さんこそ!!」

 普段、クールな加納が熱意を持って皆川と言葉を交わす。

「僕の話をしていたから来たけどキミだったか。……そちらは?」

「俺の大親友の徳井です」

「えっと、大親友の徳井典です」

 徳井はウソつくなよと内心思った。

「僕は皆川類みながわるい。時の所有者の代表をしている。みんなから管理者と言われているが、まあ、好きに呼んでいい」

「皆川さんはすごいんだ。イギリスの大学院で博士号を取っているお偉いさんなんだ!!」

「そんなことないよ。僕はただ大事なことに気づいたからそれに基づいて努力しただけのこと。キミもきっと努力すれば勉強できるよ」

 皆川はやさしげな表情をし、加納の言葉を嬉しく受け止めた。

「さて、そろそろ時間だね。そろそろ挨拶があるから僕は行くよ」

「挨拶?」

「イベント会場のセレモニー。イベントが終わった後は時計の即売会をするつもりだ。加納君、用意はできているよね?」

「もちろんです! この日のためにお金を貯めてきました!!」



 ユグドラシルの時計が10時を指した。

 第2展示場で雑談していた人々は自分の腕時計を目にすると、急に静かになった。チャイムが鳴ったわけでもなく、誰かに言われるわけもなく、自然と音を立てるのをやめた。

 機械のような精密な動きに、徳井は不気味を感じた。

 

 舞台袖から現れた皆川はマイクの前に立った。

 

「みなさんは存在していますか?」


「え、みなさん、いきなり、何言っているんだこのおじさんはと思われたかもしれません。しかし、“時の所有者”の管理者として、真実、そうこの世界の真実をきちんと言わなければならないのために、あえてそう聞きました」


「皆さんは時間とは何だと思いますが? 時間は何処にも普遍的に流れるモノだと思っていませんか? もしそうでしたら、あなたは時間に殺される人生を歩んでいると僕は思います」


「時間に殺される人間というのは時間をうまく使う人間によって、自分の人生を消費される人間のことです。ここでいう時間をうまく使う人間は、時間を道具ということに気づいたヒトのことを言います。彼らは時間を道具として扱うことで、人間を奴隷のように従わせることに成功したのです。例えば、見ず知らずの人間を立ち止まらせるヒトはどうすればいいと思いますか? 僕でしたら、すいません今は何時ですか? と尋ねてから、申し訳ありませんが1分お時間いただけてもいいですかとお願いします。―舵手ほら、これだけで見ず知らずの人間から時間を奪うことができました。これが時間を道具として扱う人間、“時を所有者する人間”です」


「なぜ、彼は時間を道具にすることができたのでしょうか? それはこの世の真実に気づいたからです。その真実はなんだと思いますか? 驚きますよ。この真実は盲点だったと悔やみ、今まで何も知らずに過ごしてきた過去の自分に伝えたいと思うはずです。さて、前置きはここまでとして、僕が見つけた真実というのは――」


「人間は何かに引きずられて生きている。時間というのはその中の代表格なのです――」


「人間は社会、勉強、仕事、家庭、子育て、介護、年金保険の支払いに、果てはネットやゲームまでと何かに引きずられて生きています。人間はありとあらゆるものに引きずられることで、摩耗し、消耗し、果ては自分という存在までもがすりへってしまい、最後は生きるという意思まで誰かに奪われてしまいます。自分の意思の力を失った人間はどうなると思いますか? 簡単です。誰かの奴隷になれば助かると妄想します。――死ではありません、死ではありませんよ。人間は死よりも醜い行動を取る愚かな存在なのです。自分の意思を誰かに捧げることで、自分が対面している苦しい現実から逃れることができるのです。もし、今自分が苦しいと感じているのなら、それは自分を引っ張るリーダーが悪いのであり、自分は悪いからと現実逃避をすると思考が働くからです」


「残念ながらこの世界、『存在時間消滅現象』の世の中ではこのような思考をする人間は山ほどいます。そういう人間は劣化、落ち目、昔は良かったらと言う舌に滴り落ちる甘言を好むのです。ではなぜ、人間はそのようなさげずむ心が働くのか? 自分の存在をすでに失った存在。ハイデガーの言うところのダス・マン。矮小わいしょうな人間が娯楽にするのはヒトを軽蔑し、嘲笑する。それをすることで自分の存在と安全を確保する。自分はああならない、アイツは底辺、だから自分は大丈夫。他人を軽蔑批判することで自分の心を回復させるのです」


「けれど、彼らは元々、そんな人間ではなかったはずです。善良な隣人だったはずです。だが、彼らは気づかない間に人間性を失ったのか? それはと、知らなかったからなのです。あらゆるものに引きずられた人間の顛末てんまつは、悪口を言い放つしかできない壊れたスピーカーになってしまうのです」


「僕が“時の所有者”という組織を作ったのは、人間は時間に引きずられる存在ではなく、人間が時間を引きずる存在だということをみなさんに考えてほしいからなのです。思考のパラダイムシフトとでも言いましょうか。人間は時間を道具的に使うことによって、誰かに引きずられることがなくなるのです。そう、誰かに引きずられて消耗されるだけの人生から解放されるのです」


「あなた達はダイヤの原石です。しかし、社会に出てからあなた達は誰かに磨かれましたか? あなた達にあった可能性のダイヤは誰かに剥がされ、最後は石ころ一つも残らないように削り落とされたと思います。なぜ、そうなったのか? いえ、もうわかっているはずです。あなた達はだったからです。くだらない安心感を求めたがったために! 自分という存在が引きずられた!! その中で残ったのはくたびれた身体と寛解かんかいが望めない精神だけです」


「それでは何かに引きずられないためにも何が必要なのか? もうあなた達の何人かは気づいているはずです。何が必要なのか? そう、それは“時間”です。自分という存在が時間に引きずられないためには、自分が時間を手にすればいいのです。でも、時間なんて作れない。自分の時間なんて持てない。いえ、それは違います。そう考えているあなたはすでに自分の時間を誰かに貸しているからなのです。

 ――もうこの時点であなたは時間に引きずられている弱者! 人間をおとしめることしか娯楽と呼べるものがない醜悪な愚かな存在! そう時間が殺すのはやさしさにあふれていた自分の心、その心が時間によって引きずり回されて、そして失ったのです!」


「自分の人生を復活するために何がいるのか。時間です。けれど、時間は目に見えない隠れたがり屋。何処に探しても見つからない。いえ、探す必要はなんてありません。時間は自分の中にあります。けれど、それはなかなか気づかないもの。時間はすぐ自分から離れてしまいます。なぜ時間が自分の中にあると自覚できないのでしょうか? ――それはからです。大金をはたいた家を大切にするはずです。車もそうです。洋服だってそうです。こどもの頃、買ったゲームソフトやおもちゃも大事にしました。お金の重みを知っていたからこそ手に入れたモノはとても素晴らしいモノ! 時間にお金を使えば、時間を無駄にしないという意識が働きます」


「そして時間を自分のモノにできれば、この世界に自分という存在が確立できます。時間はあらゆるものを引きずっており、存在もその一つ!! 時間を引きずる側になれば、他人の存在も引きずることができ、誰にも! そう誰にも!! 引きずられず、自分という存在が確立できる! と僕はそう考えています」


「権力があれば、お金があれば、コネがあれば、なんて何年、何十年経っても手にいられないモノを妄想するよりも! 確実に手にできる時間を手にした方が現実的だ! そして今! あなた達は時間の重みの意味を知った! 時間はモノにできると知ったのです!! 後は! 脳裏に焼き付いたその重みの意味を実行へと移すときです。1秒でも早く! 誰よりも速く!! 全財産をはたいても構わない価値のある時計を手にしましょう! ――時間は逃げます。真実に気づいたあなた達から逃げようとしています。止めましょう。管理しましょう。時間を手中に収めたら、好きなだけ引きずりまわしましょう。今まで好き勝手にされた時間に反逆しましょう。

 ――時は金ではなく、金が時。経済社会のうっ血した血液を! ここらですべて吐き出しましょう」


「時の祭典ではみなさんが満足していただける時間に関する様々なアイテムを用意しました。腕時計、柱時計、鳩時計、砂時計、水時計に果てはアンティーク時計も揃っています。中でも腕時計は高級ブランドモノです。大金、いえ全財産を掛けても損しない素晴らしい一品がそこにあります。もしお金がなくなってもその時計を売ればいいのですから、安心してお金を使いましょう」


「もったいぶるのはやめましょう。時が来ました。時が来たんです。時の祭典の始まりです。みなさん、自分の時間を取り返すためにも、素晴らしい時計を見つけてください」


「誰かに奪われた時間を奪い返し、自分の時間を動かしてください。自分の存在を取り戻してください」


  

 異様な雰囲気が漂っていた展示会場は皆川の一言を皮切りに、会場の中にいた人々が一斉に動き出した。自分が欲しい時計を手にするためになだれ込んだ。

 あるブースではオークションが行われ、あるブースでがジュラルミンケースから札束が投げ込まれ、あるブースでは時計の争奪戦が始まった。

 ――これは商売ではない。戦場だ。自分の欲望を満たすがために金が入り混じった戦いだ。気品がない人間が自分の存在を買うためにお金を使う。

 男性の両腕にはいっぱいにはめる腕時計。すべて同じ時間を示す。

 女性の片腕には上等な腕時計。ダイヤのような光沢が散りばめられた至高の一品。それも同じ時間を示す。


 ――どの時計も同じ時刻をさすのに、なぜ、彼らは時計を買い漁るのか。



 皆川の長い演説のような挨拶から逃げ出すように、展示会場から遠巻きに見ていた徳井はそんなことを思っていた。

「徳井さん、徳井さん」

 展示会場の外のソファーに座っていた徳井は握りしめていたスマホへと視線を寄越す。そこには華麗なドレスを身につけていた愛理の姿が映っていた。

「どうして外に出ていったんですか?」

「なんか異常だった。すごく気味が悪かった。みんなが集団催眠かかったような感じがして」

「それだけいいお客さんが集まっていることじゃないんですか? コンビニとか店員を怒鳴り散らすレベルのヒトがいなかったとかで」

「まあ、あんな高級品とか見たらな」

 徳井は皆川が長い挨拶をしている間、展示場の時計を見回っていた。

 1万2万の値札がついた時計なんてものはなく、100万円モノの時計ばかりが並び、時には1億円超えの高級腕時計も展示されていた。

「絶対買えねえよ。あんなもの」

「まあ、そうですね。徳井さんの一生働いても買えないものばかりですよ」

「オレの将来を勝手に決めるな」

 徳井はふてくされて会場を覗き込む。展示品の腕時計を手にしてニヤニヤする若い男性の表情が目に入る。それがまぶたの裏に焼き付いたのだから、猛烈に胸がイラッとする。

「いいな。あんないいものを買えるなんてな。オレもああいうの買いたいな」

「いいものですか?」

「そうだよ。あれ持っていたらオレすげえになれるじゃない?」

「そうですか……、あれが、ですか」

 愛理はあごの下に指を置き、考える仕草を見せる。

「なんか魚に喉が刺さった……、いや機械だからないと思うが、なんでそう煮えたぎった言い方するんだ?」

 愛理は首をひねりながら答える。


「あれ全部B級品ですよ」


 愛理は言うべき言わざるべきか考えた上でそう発言した。そんな愛理の言葉に、徳井は目を丸くした。

「おいおい、B級品ってことは何かワケありなのか?」

「それはわかりませんけど、気づかない所にキズとかありましたよ。高級腕時計なのに」

「すごい芸術的なものとかあっただろう? 砂時計とか!」

「おそらくきちんと時間が計れないからこういうところでしか売れないんじゃないんですか?」

「えっと、ちょっと待て待て。じゃあ、加納が連れてきた“時の祭典”というのはまさか……」

「はい。ここはまともな所じゃ販売できない『ワケあり品』ばかり売られています」

 徳井はゴクリと息をのんだ。

「――それ、ホントだろうな?」

「徳井さん。わたしは冗談は言ってもウソはつきませんよ。徳井さんにウソついても、わたし逃げられる所ありませんから」

 徳井は愛理がウソをつくメリットがないとわかると、時の祭典に売られている展示品はすべてワケあり商品だと理解した。

 彼の脳裏に、加納が自慢げに腕時計を見せていた光景がフラッシュバックする。

 ――アイツだまされていたのか? 教えないと。

 徳井はそう考えるとソファーから立ち上がった。

「行くぞ」

「何処にですか?」

「ナコトだよ! ナコトに教えないと」

「何をですか?」

「10万円で買ったんだよ!! 高級腕時計とか言われて!! 騙されたんだ! 早く目をさまさせないと」

 徳井は焦燥感にかられるその一方で愛理は首を左右に振った。

「ダメです」

「どうして!!」

「見てください、彼らの顔を」

 徳井は愛理に言われるがままに、展示場にいるヒトビトの顔を見る。彼ら皆、喜悦にまみれた表情で時計を買い漁っていた。

「人間はタイムループ現象を経て、時間存在消滅現象の世界に来ました。自分の存在があやふやになる中、彼らは信じられるものを見つけました。今まで無意味に稼いできたお金を有効利用できるとお金を使っています」

「信じられる? 騙されているのに!!」

「じゃあ、徳井さんは真実を教えられるんですか? ここにある商品はまがい物ですと」

 徳井は口を閉じる。

「いいですか、徳井さん。彼らはあなたと違って、自分の価値を手に入れるためにここに来ています。自分の意思で来てるんです。ワケありの高級時計にお金を支払うことで自分の時間を手にできて自分の存在を確立します」

「自分の存在をお金で買うなんておかしいじゃないか!!」

 愛理はやれやれと言わんばかりに首を左右に振る。 

「それが人間じゃないんですか? 地位や権利を手に入れることで自分の存在を確かめられるのが人間じゃないんですか?」

 愛理の質問に、徳井は何も言い返せなかった。

「現に、加納さんは自分の存在を手に入れています。タイムループ現象で自分の存在がわからなくなった人間とは違って、自分という存在を手にしています」

「でも、それはウソなんだろう!! ニセモノなんだろう」

「――ウソではないな」

 その言葉を発したのは先ほどまでステージに居た皆川だった。


 皆川は徳井と愛理の話を盗み聞きし、彼らの話に割って入る。

「ニセモノとかウソとか聞こえたから来てみたら、キミは先ほど加納くんと話していた徳井くんだったとは」

 皆川はさっきの穏やかな表情は消えていた。笑ってはいたが、小動物を威嚇いかくするような、そんなほほえみが彼の顔から浮かあがっていた。

「皆川さん、あなたが用意した物はすべてニセモノなんですか?」

「ニセモノではない。正規の流通では売れないモノだけだ。僕はただの主催者であり、それをちゃんと売れるように売る場所を用意したに過ぎない」

「皆川さん、――そういうのはいけないことじゃないんでしょうか?」

「徳井くん。キミは2つ勘違いしている」

 皆川は人差し指を掲げる。

「1つ目は流通できない商品を売ることがいけないことだと思い込んでいる。違うね、僕は流通に乗れない商品をここで売っていいと販売してあげている。いわば、小売店のみなさんにお金稼ぎチャンスをあげているんだよ」

 皆川はピースサインを示すのように、中指を立てる。

「そして、2つ目はワケあり品を不正に値段を釣り上げていると思い込んでいる。ワケあり品を普通の値段にしてもそれは構わないと僕は思う。もしワケあり腕時計が1億円するのなら、それは正規の販売店に文句言うべきであり、僕に言うべきではない。ここで時計を売っているヒト達はその店にならって、価値をつけているだけだ。――売れない商品をどうやって売るか。これは商売にとって大切なことなんだよ」

 皆川の言葉は正しく聞こえた。何処にも批判する要素がなかった。

「もし、キミもネットのフリーマーケットで何か売りたい物があるとして、それに不備があったら運営に文句言うかい? 違うはずだ。それを利用している出展者に文句の言うのが正しい、僕に言うのはおかど違いだ」

 ニヤニヤと調子が出てきた皆川、徳井はそれをうまく反論できないでいる。徳井は彼と話を交わす度に何とも言えないイライラが増えていた。


「皆川!!」

 展示会場の廊下で響く女性の声。徳井と皆川はそちらへと視線をよこす。

 セレブな格好をした派手な30代の女性。彼女は皆川に近づき、今にも飛びつこうとするギラついた目で彼をにらみつけた。

「どうしましたか?」

「アタシのこと憶えていない?」

「憶えていない? 何をでしょうか?」

「アタシは設家もうけルナ!! アンタから腕時計を買った女性だよ!!」

「設家さんでしたか――」

「アンタがこの腕時計は倍以上値段があがると聞いたから1000万で買って、質屋に行ったらお引き取りできませんって言われたよ!!」

 息づかいを荒くした設家は手持ちカバンから腕時計を取り出す。

「これですか?」

 皆川は懐からルーペを手にし、焦点を合わせるように彼女の腕時計を動かす。設家は彼から腕時計を奪われまいと握りしめていた。

「なるほど、これですか。なるほど、なるほど。うん、確かにこれはそこらの質屋売れませんね」

「皆川!! マガイモノを売りつけるなんていい度胸している!」

「違いますよ。この腕時計はアフリカのとある国の元副大統領が持っていた一品の一つで、それが質流れしたモノです」

 設家は自分が持っていた腕時計が自分の想像以上のモノだと知るとたじろぐ。

「何……、それ……、ちょっと、マジヤバイものじゃない?」

「僕のブースではそういう時計があるという話です。ちゃんと保証書は読みましたか? この時計はこういう経緯いきさつで販売していますと表示していたはずなんですが……」

「で、でも、この時計は高く売れるって」

「はい、高く売れますよ。ただ普通の質屋で売ろうとしたからダメなんですよ。ちゃんと価値がわかっている所で売らないと」

「いやいや!! そんな場所! 何処にあるんだ!」

「僕が用意しましょう。この時計なら3000万円、4000万円と売ることができます」

「ホント!?」

 先ほどの怒りは何処へとやら、設家の意識は金銭へと移っている。

「ええ。あなたはホントに価値があると思ったものを安く買って、それを誰かに高く売りたかった。けれど、あなたが売ろうとした所はモノを安く買い取る質屋だった。これはいけない、これはいけない……。質屋は足元を見てますよ。現にそれ、捨てるのならこちらで処分しましょうとか言われませんでした?」

「ええ」

「やはりそうですか。それ、彼らの常套句じょうとうくです。売れないと言ってからただでもらう。それで商売しているんだから楽なモノです」

「で、でも。ニセモノとかガラクタとか言ってましたが……」

「あなたが一生懸命働いて大金をはたいて買ったモノはどんなものでも本物です。ニセモノではありません」

 皆川はやさしげに設家の手をつかみ、彼女の両目を見つめる。

「今、腕時計の価値は急激に上がっています。タイムループ現象で時間の認識が歪み、存在時間消滅現象で時間が存在しないとAIに言われてしまった。しかし、人間は時間がないと生きていくことはできない生物。時間がないと存在できない生き物なのです。――時間の価値はこれからも上がり、それとともない時計の価値もグーンと上がります。わかるでしょう?」

「え……、ええ……」

「まだ悩んでいらっしゃるようだ。つまり……ですね……、1000万円のその腕時計も1億、2億になることなんて珍しくはない! ということです」

 皆川は設家の手の中にある腕時計に魔法をかけるように、彼女の両手を何度も動かす。

 ……獰猛どうもうだった設家の目がトロンとやわらかくなる。

「それでもその時計を返したいのではあれば、どうぞ僕に渡してください。すぐにお金は用意します」

 皆川がパッと手を離し、設家をずっと見つめる。

「どうしましたか?」

 返事をしてこない設家に対して、皆川はそう尋ねる。一方、設家は手の中にある腕時計に何度も目にする。

 そして、何秒かの逡巡しゅんじゅんの後、設家の口からか細い声が発せられた。

「……売りません」

 皆川の頬はわずかに動いたが、すぐ元に戻る。

「なんでしょうか?」

「売りません!!」

 皆川はさっきまでいきどおっていた女性を簡単に手懐てなづけた。

「こんな価値のある腕時計をどうして返さないといけないのでしょうか!?」

「それはあなたから持ちかけたのであって、僕はそんな気は特にありませ――」

「返しません!! 絶対! 返しません!! 1億! 2億! いえ最高値という値まで上がるまで誰にも渡しません!!」

 設家は手の中にある腕時計をペットをあやすように触り、この場から立ち去る。誰にも自分の腕時計を取られないように、と、足早に展示会場から出ていった。


 徳井は呆気あっけにとられていた。

 憤怒していた女性が皆川の話を聞くだけで骨抜きにされた。

 ――彼は巧みな話術を持っているのか、それとも魔法使いなのか。

 徳井が皆川の能力に驚いていると、皆川は徳井に話しかける。

「徳井君。キミは見たかい? 市場でガラクタと言われた腕時計を1億円で売ろうとする女性の姿を。いやいやいいね。ああいうのを見ると僕は仕事をしたって気分になるよ」

「でも、皆川さん。アフリカの副大統領がなんとか」

「ああ、あれね。適当に言ったものだよ」

 徳井の思考がふっと糸切れた人形のように止まった。

「僕はそこまで時計に関する知識は持ち合わしていない。ただ時計を高く売れる方法をみんなに教えて、それをこういう場所で売る仕事をしているに過ぎないよ」

「それって、ただの悪徳商法じゃ」

「悪徳ではないさ。なんせ、売っているのは僕ではなく、“時の所有者”のメンバーで売買なんだからさ」

「でも、アンタから買ったってあの女性は」

「僕は広告塔だからね。記憶違いが起きても仕方ない。そういうカンチガイするヒトは適当にあしらうのが一番。バカとの会話は損するんだ」

 徳井が見た女性は自意識が高そうには見えたが、何かを勘違いするような風貌はしてなかった。

 ――何かおかしい。何かおかしい。

 ……目の前の人物に懐疑的になる。

「ここにいるヒト達は価値のない時計をいかに高く売ろうと売買しているバイヤーなんだ。この時計に価値はないとわかっていながらもここなら高く売れると信じて、より高い値段で売ろうとしているんだ。そのためならウソでも何でも入れてしまうんだ。それはちょっと困ったところだね」

 皆川は展示会場を目を配らせると小さく笑う。

「でも、時たまに間違ってここで時計を買ってしまう迷子がいるんだよね。……さっきの女性もそうだ。そういう迷子には、迷子にならない方法を教えてあげるんだ。時の祭典は時計が高く売れる場所なんだとわかれば、カノジョもまたバイヤーの1人になる。失ったお金は取り返すって気合を入れて商売するんだ」

「――なるほど、わかりましたよ」

 スマホを持っている片手で震えると、徳井は自分の目の前へと寄せる。

 スマホの中にいる愛理は徳井に向けて、皆川から掛けられた催眠を解くように指をさした。

「いいですか、徳井さん。これは被害者が加害者へと取り込むマルチ商法の1つです。この展示会場は誰かを騙して、お金を取り合いするマネーゲームをしています」

 意識がぐらぐらとしていた徳井は愛理の一言で、皆川はあくどい人間だと認識を改めていく。

「じゃあ、この会場のいる参加者は……」

「ええ、誰1人、まともに時計を購入する気はありません。時計に大金を払って自分の存在を確かめる人間と、ニセモノの時計を高く売りたい人間の2種類しかいません」

 徳井は愛理の分析を頭にいれると、展示会場を眺めた。

 時計を嬉しそうに買う買い手と、大金を手にできたと笑う売り手の2人がいる。

 片方は存在を手にし、もう片方は大金を手にしたと取引が成立している。

 ……だが、誰も時計という商品を見ていない。

「でも、1つわからないことがあります。皆川さんはなぜ手の内を見せるマネをしたのでしょうか?」

「それは簡単な話だよ」

 皆川は寄り添うように徳井の元へと近づいてくる。

「徳井くんはきっと僕と同じ側の人間だと思ったからね。どんなものでも価値を与えることができる、そんな人間だと感じたんだ」

 皆川は徳井の目を見ながら、さっと彼の持つスマホを掴む。

「そうこのスマホのようにね」

 皆川は手品師のように徳井からスマホを華麗に奪い取った。

「な、なんですか? あなたは……」

 皆川は知らない人物のカオを見て反応する愛理に興味を示す。

「自分の思考で考えるAIのようだ。スマホAIは皆、同じことしか言わないのに、キミは他のAIとは違う」

「やめてください! 近づかないでください!」

「なるほど、これは使えるな。キミには価値があるよ」

 皆川は楽しげなおもちゃを手に入れたと言わんばかりの笑みをする。

「徳井くん、これ、僕に売ってくれないかな? いや、ブランド品の腕時計をどれでも好きなものをあげるよ」

「ふざけるな」

「僕は本気だよ」

「まがい物と愛理と同じにするな」

「同じじゃないか。商品価値は付ける側が決めるのだから」

「愛理はカネで買えない!」

「買わせるよ。僕はクズ同然の時計を100万で売ることができる人間だ。そういう人間が存在価値を与えることができるんだ」

 皆川は展示会場へと指をさす。

「ほら、見てみろ。あの中にいる人間たちを。自分の存在に価値を欲しがって、時計に大金をはたらくあの姿を。あさましい。実にあさましい。そして、それに拍車を掛けるように、安物の時計にさも高いように見せかける性根が腐った商売人の姿がある」

 徳井は今一度、展示会場へと目を配る。

 ――気味の悪い大人の世界だ。

 あくどいことなどまだ知らぬ少年である彼はそんな印象を受けた。

「僕はね、クズ同然の時計に、大金を支払う人間を見ることで元気がもらえる。ああ、僕より不幸な人間がいるんだ。自分の存在が見つけられないんだと憐れむことで、僕は生きてる充実感を得られる」

「そんなにお金がほしいのか!!」

「違うね。クズにカネを出している人間を見ることが好きなだけだ」

 徳井はクラっと立ちくらみのような全身が冷たくなる錯覚を感じた。

 それと入れ替わるように、胸からこみあげる何がが来る。怒りだ。

「何処に行く?」

「彼らを止める。ムダなカネを使わせない」

 ――皆川の遊びを止める。徳井はそう決意する。

「あの中に行っても、耳を傾けてくれる僕の声だけだよ」

 徳井は皆川の言葉を無視する。

「徳井さん! 残念ですがわたしたちが言葉を掛けても誰も聞いてくれません!」

 しかし、愛理の言葉によって、徳井はその足を止めた。

「欲望を満たしてくれている世界でわたしたちの存在はただの厄介者。映画館ではしゃぎまわるこどものようなものです。徳井さん、ここはグッと我慢しましょう。他の方法を探しま――」

「他の方法なんてないよ」

 皆川は愛理の考えを否定するように穏やかに笑った。

「ネットで悪口言っても残らない。今はそういう世界。存在時間消滅世界では、個人の正義は残らない。まあ、僕にとってはネットの書き込みなんてものは悪口になんだけどね」

 徳井は皆川に苛立っていた。彼は自分から手を汚さないタイプだと直感した。

 彼の悪意はとてもわかりやすいのに、それを証明する方法は何処にもない。

 詐欺だと言えば周りがやったとほのめかし、犯罪と言えば自分はやっていないと素知らぬ振りをする。文句を言えばねたみだと華麗にかわし、他人の声に耳を傾けない。

 ――できあがった詐欺師。それが皆川類。

 徳井はこんな人間がいるのか、とやりきれない表情をした。

「いい時代だ。とてもいい時代だ。AIは個人の書き込む情報には価値がないと判断してくれたおかげで、僕はこの商売をやっていけてる。時間にカネを払って、自分の存在を与えるサービス業をしてる。実に対等のビジネスじゃないか!」

 皆川はバカ笑いしながら、徳井に彼のスマホを渡す。

「これは返すよ」

 徳井は目を丸くした。彼は自我を持つ愛理に興味を持っていたのではないか? そんな疑問が頭に浮かぶ。

「徳井さん、コワかった!! コワかった!」

 徳井はスマホを胸ポケットの中に入れる。皆川から愛理を見せないように、スマホを後ろ側にしてしまった。

「なぜ、返す」

「それはキミがこのコがいないと一人前になれないから」

「皆川!」

「ウソだ。使えると思ったが全然使えない。感情を表してくれるがただそれだけ、こんなこと人間でもできる。頭のいいAIなら僕の想像以上の行動を示してくれると期待したんだけどね」

 どうやら皆川は愛理には機械としてのスペックがないと見たようだ。

「道具的価値がカノジョから伝わらない。いや、あるとすれば、彼を慰める価値はあるか」

「失礼ですね! 道具的価値があるとかないとか言うなんて! しかも慰めとか言うなんて!!」

「AIは人間の生活を高めてくれる道具だからね、それがキミからは感じないと思っただけだ。道具になるのならもっと利口になりたまえ、AI。誰からも好かれるように、そう自分の個性を削ぎ落とすのがいいよ」

 皆川は徳井と愛理に興味がないと伝えると、彼らを背にし展示会場へと向かった。

「あ、そうそう」

 皆川は振り向く。

「キミの友達、30万の腕時計を買ったよ」

 徳井は思いがけない事実に驚愕きょうがくした。

「すごく喜んでいた。もうこの上ない喜びだったよ。今度は100万、1000万とか言っていたけど、いつ買えるのかな?」

 皆川が自分に話しかけてきたのは、これだったとわかると徳井の頭は一気に血がのぼった。

「さあ、どうする? キミは友達に伝えるかい? その腕時計はニセモノだったって。多分、キミの友だちは信じないだろうけどね」

 徳井は目の前の人物を馬乗りに殴りたかった。言葉でマウントを取り続けるいけ好かない皆川を暴力で訴えたかった。

 だが、それはできない。暴力を使ったところで何も改善することはなく、それどころか皆川は世間からかわいそうな人物であると評価される。それが徳井にとって一番許せないこと、イヤなヤツが被害者ぶるのがとても気分が悪い。

「ああ楽しんだ、ああ楽しんだよ。さあてと、もう一稼ぎするか。キミはそのAIで自分を慰めるといい」

 始めて殺意と言うヤツが見えた。あの人間は1秒でも社会から隔離しないといけないと徳井は意識した。

 ――正義ではない、復讐でもない。あんなヤツがノウノウと生きていることが許せない。

 首元をきゅっと締めつける嫌悪感、それを払拭するには何すればいい、と徳井は考えていた。



 それから徳井は展示会場にいた加納と再会した。

 加納は嬉しそうに30万円の時計を着けていた。

 徳井は「それ買ってどうするんだ?」と尋ねた

「2年後には1000万円になる。だって、存在時間消滅現象において、人間は価値のある時計を欲しがる。皆川さんもそう言っていた。みんなもそう言っていた。だから安心して価値のある時計がある。お前もそう思うだろう?」

 加納はニセモノかホンモノかわからない腕時計を腕につけて、ご満悦な顔をした。


 帰り道、加納と別れた徳井は駅のホームにいた。徳井は電車が来る前に愛理と話をしていた。話題は時の祭典の話だった。

「まったく、徳井さん。ああいうのを悪徳商法というんですよ。ホント、頭に来ちゃう」

 愛理はぶつくさぶつくさと皆川に対して文句を口にしていた。

「……愛理」

「なんですか、徳井さん。わたしはまだ怒りがおさまっていない――」

「あいつの脳みそを揺らす大きな一撃はないか?」

「あいつって、皆川にですか?」

「ああ、ああいう自分だけは、まともな人間で成功していますと思い込んでいるヤツに、一発デカイのをぶちこんでやりたい」

「それは正義ですか?」

 徳井は口角が激しく動いた。

「慰めだ。それも一番気持ちいいヤツ、ヤってやったと著しく興奮を感じるヤツだ。振り返って後悔ないように叩きのめしたい本物をな」

「……時折、徳井さんって、変なこと言いますよね」

「気にするな。オレは元々こういうキャラだからな」

「そうですか。残念です」

「何が残念なんだよ!」

「そういうことを考える徳井さんが好きな自分が残念なだけです」

 愛理はそういって不敵に笑う。

 彼女もまた皆川が嫌いであった。

「警察に駆け込むか?」

「多分、あのヒトは法の網をかいくぐるのがうまいタイプですよ。わたしたちがどんな手を使っても、証拠不十分で無罪放免です」

「じゃあ、どうすればいい。あんなのを野放しにするのか?」

「そうですね……うーん」

「個人が情報を書き込みできない情報価値世界はああいう悪党が好き放題にしている。ネットの口コミが使えなくなっている」

「そういう事件が多いって聞きますね。ネットで書き込みできるのは存在……」

 愛理の頭上に電球の明かりがピカっと付いた。

「存在者!」

 愛理は手を叩き、とってのおきのアイデアを口にする。

「そうですよ!! 存在者が“時の所有者”についてネット上で説明してくれたらあんな時計をみんな買いません!!」

 

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