日付なし(2)
「今日は何日だ?」
徳井は尋ねる。
「8月8日」
愛理は投げやりにそう応えた。
「ありがとう。時刻は」
「12時半です」
「正確に」
「12時32分35秒!」
「ありがとう」
何度も時間を尋ねる徳井に、愛理はジト目で見る。
「徳井さん、おかしいですよ。最近、時間ばかり気にして。時間バカになったんですか?」
「時間バカ? 何それ」
「時間ばかり気にして、それ以外のことは考えないバカのことです!」
「ああ、それだな。今のオレ」
「徳井さん!」
「冗談だよ。マジに怒るなよ」
徳井はそういって天を見上げる。
「ホントに時間バカかもな。オレ」
徳井にとって時間とは自分をその時間に合わせるスケジュール管理に過ぎず、別段、大切なものとは思わなかった。
しかし、徳井はタイムループ現象、存在時間消滅現象と経験し、段々と時間というモノが自分という存在をつなぎとめていると考え始めた。
――今の時刻を見ることで、あ、オレ、人間やれている、ちゃんとできている、と小さく喜ぶ自分がいる。遅刻していない。時間守れている。偉いぞ、自分と思うことがある。
そう考えると時間を守る=人間できてると言う図式が完成する。ネットから時間が消えた中、徳井は時間を守ることで自分の存在を守っていた。
学校の屋上で徳井はそんなことを考えていると、彼の隣に誰かが寄り添ってきた。
「何見てるの」
「世界」
「スゴい」
「ふざけてる?」
「じゃあ、ホントは何見てたの?」
「街の間をすりぬける人間の動きを目で追っていた」
「スゴいヒマつぶし」
「何もすることがないからな、こういうことして気をまぎらわしてる」
徳井は隣に来た女子生徒に対して淡々と答える。
カノジョが誰かはわかるが、脳裏ではそのコの名前を思い出したくない。
「こんにちはー、虹華さん!」
徳井は胸ポケットのスマホから虹華に挨拶した愛理に対して、大きなため息をついた。
――蝶野虹華。存在者。ネットで書き込みが許された唯一の人間。
最もネットと関連ないカノジョがどうして存在者になれたのか? 考えれば考えるほど、カノジョとネットには因果関係は存在しないと判断できる。
しかし、カノジョは存在者。ネットを自由に使いこなせる。なぜ? なぜ?
そういう疑問に遭遇したとき、一番いい方法がある。知らない振りをすることだ。元からそうだったと思えば、胃に穴があくことはないのだ。
だが、現実は厳しく、蝶野虹華はやってきた。話しかけてきた。一般常識では理解できないモノがここに来たのだ。
「愛理ー、げんき?」
「げんきー」
「ワタシもー」
「へえ」
徳井は愛想笑いするように言った。
「なんか、笑ってますけど」
「鬱ってたヤツがげんきって言葉にするのはちょっとな」
「なんか腹立つ」
「でも、げんきそうで良かった」
「わたしも徳井さんと同じです。何かいいことありました? 虹華さん?」
「いいことというか、ワタシだけトクベツなものに出会えたから」
「トクベツって、まさか恋ですか!?」
「愛理、オマエAIなのにそっち方面イケるの?」
「いいいですか、徳井さん。AI、ナメちゃダメですよ」
「ほぅ。じゃあ、恋というの何は?」
「恋というのは彼氏スペック自慢です!!」
「……オレはオマエの思考スペックを丸裸にしてみたいよ」
徳井は恋について勘違いしている愛理に、正しい恋について教える必要があると思った。
「えっと、話していいよね?」
「勿論」
「じゃあ、はなす」
虹華は自分のスマホを徳井と愛理の前に出した。
虹華のスマホには虹華と愛理が仲良く写っている画像があった。
「なに、これ」
「この前、撮った愛理ちゃんとワタシの写真」
「ああ、アリバイ写真か」
「アリバイ?」
「あ、気にしないで、蝶野さん。こっちのことだから」
「うん。――で、こっちがその次の日のクラスメイトとの写真」
「あ、ポニテ、かわいい」
「愛理ちゃん、わかってるねー。――で、次の写真は駅前で救急車が来てたから、そのとき、撮った写真」
「ちょっと待て」
「何? 今良いとこなんだからジャマしない」
「トクベツなモノなんてないだろう? なんで蝶野さんの写真を見せられる必要があ――」
徳井が自分の思ったことを言い切る前に、愛理がそれを遮る。
「――徳井さん、今のスマホは個人情報レベルだと保存できないようになっていますよ」
愛理は申し訳なさそうに徳井をのぞき見る。
「わ、わかっていたさ、それぐらい!」
徳井は耳を真っ赤にして張り詰めた声を口にし、気恥ずかしさを表に出してしまった。
「徳井さんー、あれですよ。存在者」
「存在者?」
「1週間前のたまきが話してたでしょ。それとも、もう忘れた?」
「存在者……」
徳井は今まで遠ざけていた単語を思い出す。
「――あ、これ、マジだ」
自分の持ち主の記憶力を心配する愛理であった。
「蝶野さん、存在者になったことがトクベツなのか?」
「うん」
虹華は空に向けて、スマホを掲げた。
「存在者。ネット上でただ1人だけどんなことでも書き込める存在。写真は撮り放題だし、動画も撮影したい放題! みんなは読み専の中、ワタシは自分がやりたいことを自由にやれる」
「ふーん」
「……って、あ、あれ? リアクション薄い?」
「オレネットしてないし。それにオレのスマホは写真とか動画とかも撮れるし」
「はい! そうです! 徳井さん専用の愛理カメラマンが、徳井さんのマヌケ顔をこのスマホカメラにおさめようと、シャッターチャンスを狙っています!!」
「愛理。オレは自分のプライベート保守のためにカメラレンズにビニールテープ貼るぞ」
徳井と愛理がいつもの言い合いする中、虹華はじっと徳井の方を見る。
「ちょっといいかな?」
「なんだよ?」
「ネットにつながらなくても平気なの?」
「いきなりなに?」
「ネットは自分の存在を確認できる場所。みんなに見てもらえる場所、みんなに注目される場所、ワタシでいられる場所」
「そうか? 知らないヤツから悪口とか言われるじゃない?」
「そういうヒトもいるけど、みんなワタシのことを見てくれる」
「蝶野さんって、そういうキャラ?」
「キャラ?」
「なんていうの? 自分の存在を求める位置づけに用意された感じのキャラっていうのかな?」
「あ、よく深夜アニメとかでいるああいうの?」
「そうそう。ああいうの見ると、なんていうかキツイというかああこういうの出してきました感が強いんだよな。主人公の踏み台にもならないし、場の盛り下げる感じする。ストーリーを盛り上げたいのか、深みを入れたいのかわからないけど、オマエ、一体何のためにいるの? って言いたい」
「そうだね。ワタシもそう思う」
虹華は顔を下にした。徳井からの視線が隠れた。
「……けど、今のワタシはそれだよ。自分の存在を求めたいとてもイタいコだよ」
それから虹華は徳井と目を合わせることなく、思ったことを喋り始めた。
「ワタシ、読者モデルだったんだけど、この前、仕事クビになったんだ。ワタシの事務所の担当者が仕事なしで会いたいって言ったのが原因なの。何するのかわからなかったから、それを無視してたら、いきなり仕事がなくなった。他のところで仕事しようとしても、ワタシは性格が悪い、扱いにくいとか言われて、業界から干された。悔しかった。本気で仕事してたし、大学のお金になると思って、必死になっていた。雑誌の表紙飾れるというところで仕事はドタキャン、アイツがすべて台無しにした。なんで、こんな意地悪するのって! 担当者に直談判したらね、こんなこと言われたの」
「――俺はオマエの太陽なの! 太陽に逆らうっことはこの世で存在できないっとことなんだ! 俺はな、存在価値を与えられる立場の人間なの!!」
「よくわかった。よーくわかった。ワタシ達は誰かに存在を与えられなかったら何もできない人間だってわかった。最悪ってことより、無力感がすごかった。ああ、人間って、簡単に存在って消えるんだなって、理解できた」
「人間、今まで持っていた存在を失うと、身体の中心にある空っぽが広がるの。その空っぽがワタシを食い尽くそうと、大きく広がって広がって、すべて食べたら、キューっと縮まって、パッと消える。――それが存在が消滅した瞬間、ワタシが世界から消えたという感覚、痛みも悲しみもなくて、あ、消えたんだって言う感じかな。遠目から自分が無になるのがわかる感じ。あれを感じたらもう人間オシマイ」
「でも、ワタシは存在できた。神様はワタシは間違ったことしてないってわかってくれていた。ワタシにネットに存在できる力、存在者にしてくれた」
「存在者になったおかげで事務所から電話が来た。ネットがワタシを助けてくれた! 今度、表紙を飾らしてくださいって! 出版社からお願いが来たの! それも1つじゃなくて数件の出版社から来たの。ワタシは仕事を受ける代わりに、ワタシの前の担当者をクビにしてもらった上にセクハラされたって言ってやった。あのときの担当者のカオ、最高だったな。……自分が太陽と言ったくせに、ワタシが太陽になったんだから最高だった。ああ、ネットで存在できるだけでこんなにも人生が変わるなんて思いもしなかった」
「人間、誰よりも存在できなきゃ価値がない。誰からも見てもらえる存在になれたらそれだけで価値が生まれる。それが力になって、お金になって、自分になれる。ワタシが思っていたよりも存在というのはすごい武器! 普通の人間を殺せるすごいものだよ」
虹華は好き勝手話し終えると気持ちよく笑った。
「これもすべて、あなたがワタシに存在をくれたからよ」
虹華は何を思ったのか、無防備な徳井の身体をギュッと抱きしめた。
始めは強く、両肩両腕から力をこめて、胸と腹を相手の上半身にぶつけ、そのまま接する。自分の肢体で相手を取り込むように強力なハグを行う。
「ち、蝶野さん?」
女のコと話したことがあるが、こういう激しいアプローチは初めてな徳井。これからどうすればいいのかわからず、困惑する。
「もっとワタシに存在をくれる? イヤになるぐらいに」
耳元でねだる女の声に、徳井は喉をごくりと鳴らす。
「何、言っているの?」
「自覚ないの? あなたはとてもスゴい力を持っている。“存在を与える力”を――」
「意味がわからない」
「そっか、気づいていないんだ」
虹華は全身から力を抜けて、徳井から離れていく。
「いい? あなたは誰かに存在を与える力がある。でも、それを誰かに使わないで」
「ど、どうして?」
「ワタシが存在者だから。独占したいから」
虹華はいたずらする少女の笑顔で応えた。
「まあ、存在を与える方法を知らないんだから大丈夫かな」
「存在を与える方法ってなんだよ!?」
「ヒミツ!」
虹華は小走りで屋上の階段へと向かう。
「あ、そうだ」
虹華は振り返った。
「スマホ部ガンバってね。ワタシもガンバるから」
虹華は小さく手を振って、屋上から去っていた。
残された徳井は屋上の手すりに身を預け、ふっと物思いに沈んだ。
「すごかったですね、虹華さん。わたし、カノジョのおっぱい感じましたよ!」
「ああ」
「ちょっと! そこは愛理、オレと変われとか、オレスマホなりたいとか言う場面じゃないんですか!」
「オレはそこまでガツガツしてねえよ」
「じゃあ、パクパクですか? ラブラブですか?」
「そういうことじゃない」
徳井は思っていたことを口にする。
「……なんていうか、オレ、今、どんな存在なんだろうなと考えてしまってな」
「徳井さんは徳井さんですよ」
「それは答えじゃない。そういうこと言うのは答えるのがめんどくさいからだ。カッコよくも何もない」
「でも、徳井さんは徳井さんです。わたしのマスター。わたしの所持者。昔は感じ悪かったですけど、今はこのヒトと居て楽しいと思えるそんな存在ですよ」
「愛理」
「いいですか、徳井さん。虹華さんも言ってましたが、あなたは“存在を与える力”を持っています。わたしもそうでした。自我と言いますが、“わたしはわたしなんだ”という“自分を認識する機能”を持ちました。今まではわたしの思考が演算とか処理ぐらいしかなかったのに、その思考が内側へと入り込んだと言いますか、あ、わたしって存在しているんだとわかるようになりました。――まったく新しい機能でした。わたしが見つかりました。それがあなたからもらった“存在”というカタチです」
「……愛理」
「なんですか? 徳井さん」
「――それけっこう恥ずかしくねぇ?」
「まさかのツッコミ!? わたしけっこう言葉絞り出して言ったんですよ!!」
「オマエに、シリアス、似合わない」
「最悪です!! AIに対するデリカシーがありません!!」
愛理は徳井の視線を避けるように振り向いた。
「ハハハ。――でも、まいったな」
徳井は屋上の出入口を横目に見る。
「スマホ部、もうやってないのに、スマホ部ガンバれって言われた」
徳井は屋上から消えた後ろ姿を思い浮かべるように、屋上の出入口を見つめていた。
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