日付なし
「今日は何日だ」
徳井は尋ねる。
「今日は8月1日です」
愛理はそう言った。
インターネット上から個人に関する電子データが消滅した。写真、動画、メール、ブログ、ツイッターでのつぶやき、友達とのLINEのやりとりなどなど、個人やSNS関連の電子データはすべて削除された。コスモスが不必要な情報だと判断したからだ。
現在、インターネットは重要度が低いと判断されたら情報は保存できない『情報価値世界』となった。これはコスモスが生み出した現存化プログラムによる影響である。
コスモスが判断する情報の重要度はその情報が価値を生み出すかどうかにある。情報の重要度の要素には経済性、文化性、安全性の3つにある。
経済性はお金に関係する要素である。商業、投資、経済に関わる情報であれば、重要性があるとコスモスは判断し、ネット上に残す。
文化性は芸術、音楽、学問など人間の精神的活動に関連する要素である。人間の歴史を創り上げたモノであれば、コスモスは記録する。
安全性は気象情報、地震情報ならびに病気の流行など、人間が自分の身を守るための情報である。コスモスは人間の命に危険を及ぶと判断すれば、ネットを介していち早く人間に情報を渡す。
この3つの要素のいずれが存在する情報はコスモスが情報に価値があると判断し、ネット上に保存される。言い換えれば、それ以外の要素は情報価値がないと判断し、保存されず、ネット上から消えてしまう。例を挙げれば、百科事典サイト、企業系サイト、政府関係のサイトは残るが、個人が撮った写真や個人制作の動画はネット上から消えてしまった。
――個人が情報を残すことができない。
――自分の言葉がネット上に残せない。
――自分の存在を保存することができない。
コスモスが時間は存在しないと思考したことで、個人の情報が残せない『情報価値世界』が到来した。ヒトビトは自分の情報を保存できない事態をタイムループ現象にあやかって、『存在時間消滅現象』と呼んでいた。
自転車で学校へと向かう徳井。いつもの彼は無心にペダルをこいでいたが、最近はそのペダルに力が入らないようになっていた。
――なんでこんな世界になったんだろう……。
情報価値世界の到来はどんな人間も自分の存在価値について考えるようになった。――自分の価値があるのか? もしあるとすればどんなものなのか? と、自問自答するようになった。
徳井もそんな存在価値の自問自答に悩むようになった。今まで自由気ままに遊んでいた徳井であったが、自分は何も持っていないと気がついてしまった。
……存在が欲しい。
不意に思うそんなこと。
……自分が存在できる価値が欲しい。
存在価値なんて考えたことのなかった少年にとって、自分の存在について考えることは強いストレスであった。
――でも、みんながネット上に存在できないだから、それって普通のことやないのかな?
マイナスにモノを考えると幾らか心が安定する。
そうだ……、みんな、価値がないんだから存在できなくて当たり前なんだ。
徳井は後ろ向きに考える。そう考えれば心が安らぐ。
だが、そんな自分を騙した安らぎにある声が脳裏に響く。
――わたしは存在しています!!
機械じかけの少女の声。愛理の声が脳内でこだまする。
……機械が存在なんてことを口にしてやがる。
苦笑する。徳井は自分が情けないと苦虫を潰した顔を見せる。
――ああ、バカらしいこと考えたな。
徳井は自転車のハンドルを握りしめ、足に力を入れる。よそ見しない。まっすぐ前を見て走れ。走れ。
徳井は不意に掴まれた何かを振りほどき、自転車を加速させる。車のない大通りの中、彼は立ちこぎをしながら向かい風を大きく浴びていた。
徳井は学校近くまで自転車で走っていると、園崎たまきが視界の中に入った。
徳井はたまきのそばに寄ると、自転車からさっと降りた。
「おっす、たまき」
「あ、テンちゃん」
徳井はたまきの歩行スピードと合わして自転車を引きながら歩く。
「何かを考えながら歩いていたのか?」
「ああ、うん。ちょっとね」
たまきはそういうとチラッと腕時計を見た。
「時計買ったのか?」
「スマホから時計機能が消えたからね。不便だよね」
「へへ、オレのはあるぞ」
徳井は笑いながら自転車カゴのカバンからスマホを取り出し、愛理をスマホ画面に召喚する。
「愛理、今日は何月何日何時何分だ?」
「めんどくさいですー」
「言いなさい」
「もう言いましたー」
愛理はいやいやとぶつくさ答えると、たまきはスマホ画面を覗き込む。
「9月28日だよ、テンちゃん」
たまきは自信を持って、そう応える。
「たまきー、今日は8月1日だよ。冗談言うんだったら、もう少し笑えるのにしてー」
「う、うん。冗談冗談、冗談だよ」
たまきは歩くスピードを落として、顔を伏せた。
「……徳井さん、徳井さん。たまきってこんな冗談言う?」
「言わないキャラだと思う」
「じゃあ、マジで間違えました?」
「かもな」
徳井は愛理と耳打ちするように話す。
「二人して何話しているの?」
徳井は視線を外すように、横を見る。
「えっと、別に」
「変なの」
たまきは徳井と同じ速度歩みだし、そのまま学校まで向かう。
不意な沈黙が気まずさを生み出していた。
「……ねえ、テンちゃん」
なんとも言えない空気をたまきから破った。
「なんだ?」
「ネット、元に戻るかな?」
「戻るんじゃない? タイムループ現象と同じように」
「どうやって?」
「それは……」
「思いつかないんだ」
「はは、まあね」
「じゃあ、やっぱり、受け入れないといけないんだ『情報価値世界』を」
「いやな名称だな。なんだか俺らも品定めされている感じがして」
「うん、そうだね」
「でもまあ、個人レベルでネットで書き込みもできないし、スマホで写真を撮ることもできないんだから別にいいよな。人間の存在価値を決めているわけじゃないし」
「え?」
「何、キョトンとしているんだ? たまき」
「テンちゃん知らないの?」
「何が?」
「個人レベルでネットで書き込みとか動画アップできるヒトがいるよ」
徳井は破顔した。
「――いるの!?」
今まであまり表情を変えなかった少年が著しく顔を変化させた。
「うん」
「マジ? それって企業レベルの話じゃないの?」
「企業だって私的な書き込みはできないって言われているでしょう? 商品とか広告とかそういう情報しかネットに載せられないって」
「うん、まあ。でも、個人レベルでネットで情報を発信できるなんて、何かのチートじゃないの?」
「チートじゃないと思う」
「え? どうして?」
「だってそのコ、うちの学校の女子生徒だから」
「女子高生がクラッキングできたの!?」
またも徳井は破顔した。
「違うって。見た感じ普通だから」
「普通じゃないじゃん」
「うーん、そうだね。“存在者”って言われているから普通じゃないかも」
「“存在者”?」
日常用語では聞き慣れない単語に、徳井の心がうずいた。
「ネット上で個人レベルの書き込みや画像、動画を投稿できるヒトのこと。多分、この地球上で1人しかいないって話だよ」
徳井はそれを耳にするとため息をつき、肩を落とした。
「なんだろう。そのスゴいかスゴくないか言われたら、微妙にスゴいってレベルの人間だな」
「でも、今ネットを自由に使えるのって、そのヒトだけだよ。もしかしたら、未来永劫カノジョだけかも」
「そう考えたらスゴいと思うけど……、ちょっとな」
徳井はしっくり来ないなと首を傾げた。
「だからみんな存在者になりたいって。ネットで話ししたいし、画像とかアップしたいって」
「今までできていたことが急にできないってキツイから、そう思うのが普通だよな。で、どうやって、存在者になったの? ……チート?」
「チートからはなれて」
「えぇっと、はい」
たまきに怒られた徳井は気まずそうに口を閉じた。
「カノジョが言うには“存在”になったのは運命とかだって」
「運命?」
急にスピリチュアルワードが出てきた。
――デジタルにオカルトが混ざって、悪魔合体を経て、実に
と、徳井は感じてきた。
「うん、運命。運命に勝ったから存在者になれたって」
「えーと、意味わからん」
「だってそう言ってるんだから仕方がない」
「ふーん。なるほど、変人だから存在者になれたわけか」
「テンちゃん、陰口叩かない」
「ごめんごめん。でも、運命に勝つってどんなことしたんだろう?」
「本人に聞いてみたら?」
「いやいや! オレ、けっこう人見知りだからできないできない」
「大丈夫! 愛理ちゃんの知り合いだから」
「愛理の知り合い? だれ?」
愛理は口を押さえて楽しげに笑う。
「蝶野虹華さん。カノジョが唯一ネットで書き込みが許されている“存在者”だよ」
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