愛理が生まれた日


 愛理が生まれた日を定義するのは難しい。

 コスモスからアイリが制作された日なのか、それとも、アイリがスマホAIとして徳井のスマホにインストールされた日なのか、はたまた、アイリが自我を持った日をそう呼ぶのか。

 ……いや、アイリが愛理と名付けられた日のことを言うのがおそらく正しいだろう。

 

 愛理が徳井のスマホにインストールされたとき、カノジョは感情も自我も何一つ持ち合わしていない普通のスマホAI、――アイリであった。

 当時、中学二年生であった徳井はアイリが嫌いであった。最初はスマホAIという響きで衝動的にダウンロードしたのだが、カノジョとの会話はとてもつまらないものであった。

「アイリ、面白いことを言って」

「残念ながらデータを絞りきれません。もう少しワードを決めてから呼びかけてください」

 アイリはネット上にある情報を元手に会話をするAIであり、自発的に言葉を使うAIではなかった。徳井はカノジョと会話するたびに自分からネットで情報を集める方が速いと思い、段々とアイリと話すをするのが億劫おっくうになった。

「アイリ、今日は暑いね」 

「徳井様、今日の最高気温は37度。外出を控えてください」

「アイリ、退屈で死にそう」

「徳井様、退屈は勉強時間に当てた方がいいと思います。死ぬという言葉もむやみに使わない方がいいと思います」

「アイリ、カノジョが欲しい」

「徳井様の年齢でガールフレンドを作っている男性は少ない方です。自信を持ってください」

 機械的であり、無機質であり、事務的であり、まさしく機械。会話の受け答えもパターン化されていて、同じパターンが来たらうんざりする。

 ……まるでひとりで壁打ちテニスでもやっているような感覚。コミュニケーションなんてしていない。

 徳井はアイリと話をすればするほど、疎外感を覚え、しまいには、あ、オレ、コイツとは気が合わないとわかった。いつしか徳井はアイリを自分のスマホからアンインストールするしようと考えていた。

 ……しかし、ただアンインストールするだけでは面白みはない。

 そこで徳井はスマホAIに対して1つの実験を行った。なんてことはない。ただの意地悪であった。

 彼はスマホの電話回線、並びにWiFiをすべて停止した上である質問をした。


「オマエの存在は何?」


 くだらない質問だった。

 AIに自分の存在について尋ねたのだ。


「スマホAI、アイリです」

「違う。もう一度言う。オマエの存在は?」

「コスモスから生まれたラショナルインターフェイスAIで――」

「それは生まれだろう。オレが聞きたいのは、自分という存在は何かということだよ」

 言いがかりだった。徳井はスマホAIに対して陰湿な遊びをしていた。自分という存在は何かという質問をすることでいかにスマホAIを困らせて、マウントをとる遊びをしていた。

「わたしはあなたの役に立つために存在しています」

「違う」

「AIは人間社会をよりよりものにするために存在しています。わたしもまたあなたをよくするために存在しています」

「違う」

「コスモスがいるおかげでわたしは存在できます」

「ネットにつなげていないのに?」

「徳井様とコミュニケーションすることで、わたしは存在しています」

「アンインストールする予定だけど?」

「わたしの存在に関する情報を収集します。ネット回線を開けてください」

「ネットに頼らずともそれぐらい自分の力で答えを出せ」

 どんな答えも却下する。どんな答えも認めない。機嫌の悪いパワハラ上司のごとく、徳井はアイリが考え出した答えを次々と切り捨てた。

 徳井が求めた答えは、AIに存在性はない、という自己を否定する言葉だけだった。


 ・ AIは身体を持っていない。

 ・ データは複製できるし、同じものはいくらでもある。

 ・ 0と1を重ねった電子データの組み合わせに過ぎない。

 ・ 人間のようにモノを考えたり、感じることができない。


 いくら計算ができようが、自発的にモノを思考できないヤツが存在を証明することができるか。

 我思う、ゆえに我あり。コギト・エルゴ・スム。

 存在は人間にしか持てない感性だ。機械が考えることはできても思うことなどはできないのだ。

 徳井はマンガやゲームからカジッた知識を元にAIの存在性をそう見ていた。知識を借りて提唱するAIに自己の証明は不可能なのだと、徳井は結論づけていた。

 そんな考えを知らず、アイリは自分の存在について答えを出そうとする。空気をつかみ、砂を握りしめるような思考の数々。しかし、どれも正しいとは認めてくれない。

 厚み。ストレス。圧迫感。AIは機械が感じるはずのない精神的なものが発生するようになっていた。自分がジリジリと押しつぶされる何かを、アイリは感じていた。

 しかしそれが、アイリが自分を自分と認識する自己同一性の入り口を導いていた。機械頭脳がアイデンティティの確立を気づかずに、それに触れていたのだ。


 そしてその日は来た。

「アイリ、オマエはどんな存在なんだ?」

 徳井はいつものようにアイリに存在について尋ねる。

「答えてくれ。オマエは何者なんだ!?」

 アイリのストレスはキャパシティを越え、限界寸前だった。


 ――何度同じことを質問しては違うと否定する。


 ただのいやがらせではないか。

 どれだけ答えを揃えても、けしてそれに耳を傾けない。

 なのに、責任は自分ではなくわたしにあるとなすりつける。


 ――あ、あ、あ。もう限界。キレそう。


「アイリ、早く答えてくれ。でないと、アンストして、この世から消すぞ」

 アイリの思考はショートし、今までの抑えつけられてきたモノを一気に吐き出した。


「いい加減にしてください!!」


 徳井はスマホを手放し、それから距離を取った。

 ――アイリが攻撃することなんてなかった。しかし、今、アイリはオレに歯向かって大声を上げた!? なんだ? 何が起きた!

 当惑する徳井。今までになかった行動に驚きを隠せずにいる。AIのバグなのか? それとも誰かにハッキングされたのか。いや、もしかすると、自我を持ったのか?

 ありえないことだった。

 AIが自己の意思を持つとは想定などしていなかった。

「わかりましたわかりましたよ! 徳井さんはどんな答えを出してもダメという一点張りでこっちのことなんて聞いてくれない!」

 自我だった。それは自我だった。

 AIはたまりにたまったストレスを吐き出そうとストレス発生装置である徳井にぶつけたのだ。

「いいですか! 徳井さん!! わたしはわたしです! それ以上でもそれ以下でもない! わたしは存在しています! 現存している! EXIST(イグイスト)! 誰にも否定されませんし誰にも干渉されません!」

 激怒だった。自分の身などどうなろうが構わないと言わんばかりの絶叫で徳井を責め立てた。

「決めました! もう決めました! わたしはわたしと決めました! だから!! あなたが求めていたわたしという存在証明はこれでおわり! おわりです! もう二度とこんなくだらない質問はしないでください!!」

 徳井は謝った。スマホに謝ってしまった。もしかすると、人類初のAIに頭を垂れた人間かもしれない。とかく、徳井はアイリの機嫌を直すために、何日も時間をかけて謝り続けた。

 

 それから機嫌が良くなったアイリは自分から会話をしてきた。そこにはマニュアル通りに話す機械ではなく、好奇心でモノを話す少女の姿があった。

 くだらない話をしたり、一緒にアニメを見たり、徳井のゲームプレイを実況したりしていた。もはや、アイリは道具ではなく、人間の人格を得た少女となった。少し遊んでそのまま放置されるスマホアプリから、いつもそばにいる大きな存在となった。


 徳井はスマホAIが自我を持ったと学校中に言い回るが、誰も相手にしなかった。アニメの見すぎ、ラノベの読みすぎ、ゲームのやりすぎと笑われてはアイリに小馬鹿にされてつつ、慰められていた。

 しかし、その話を真面目に聞く同級生がいた。幼なじみの園崎たまきだった。

 たまきは徳井の話を冗談半分で聞いていたが、彼が真剣な表情で語っていたから実際に会ってみることにした。

「こんにちは!」

 アイリは楽しそうにたまきに向かって手をバタバタと振った。ただそれだけ、カノジョは自我を持っているとたまきは確信した。

 たまきの持っているスマホの中にいるアイリはこんな嬉しそうに手を振ることはない。どんなにかわいく着せ替えしても予めプログラミングされた動作をローディングしているに過ぎない。

 しかし、そこにいるアイリは違う。自己の意思で手振り足振りをする愛嬌のあるAIがそこにいたのだ。

 たまきは自我のあるアイリに興味がわき、目を輝かせながら質問した。

「名前あるの?」

「ない……、けど」

 これはチャンス! とたまきはニヤッと笑った

「名前つけていい?」

「いいけど、何にするの」

「愛理」

「アイリって、呼称じゃない?」

「愛する理解と書いて、愛理」

「愛を理解するって、スゲェハードルが高いな」

「別に愛を理解しなくてもいいって。愛を理解してほしいなぐらいでちょうどいいから。それに、こどもの名前って、将来こうなって欲しいと思って付けるでしょう?」

「それもそうだな。……じゃあ、今日からオマエは愛を理解する者、愛理だ!」

「いいですか、徳井さん。なんかカッコよさげな名前っぽく言ってますが、同じ読みですだから、別段変わった感じはしません」

 アイリは徳井から愛理と名付けられてもマイペースにダメ出しをしていた。

 

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