300回目の9月29日


 300回目の9月29日


 昨日の雨の日とはうってかわって、今日は快晴。徳井が乗る自転車も何処となくスピードが違う。昨日、鬱積うっせきした分だけ、今日は自転車の加速に変えてやるとペダルをこぐ。

 ――今日は少し追い風、スピードが思ったよりも出る。ハンドルをきちんと握りしめ、この速さをうまく操れ。

 スマホ部の活動を忘れ、通学路を自転車で走り抜ける。心地よい風が当たる度に、徳井はこの日を必死に楽しもうとしている。

 タイムループ現象によって、電子機器の日付がずっと固定された世界。

 “9月28日”

 しかし、徳井がこの日を同じ日だと思うことないのは、日常の少しだけ変わった景色を、この目と身体で受け止めているからであった。



 午前8時15分。

 学校近くの大通りで自転車に乗っていた徳井はスマホ部部長の律の背中を見つけると、カノジョの前でブレーキをかけた。

「律センパイ、今日は早いですね」

「お、徳井君か。おはよう」

 徳井は自転車から降りて、律と同じ歩調で歩く。すると、律は徳井の自転車の前カゴに自分のカバンを入れる。

「カバン預かって」

「それはこちらの了承を得る前に言うセリフだと思います」

 徳井は自由 奔放ほんぽうな律の行動に少々頭を抱えた。

「昨日、雨だったからスマホは見つからなかったと思うが、今朝はどうだった?」

「いいか悪いかわかりませんが1台も見つかっていません」

「多分、それはきっといいこと、いいことだと思うよ。スマホ部の活動がないってことはスマホ部の理念に合っているからね」

「理念ですか」

 徳井は昨日、加納と話したことを思い出す。


 ――スマホを捨てれば、タイムループ現象から抜け出せる。


 まったくの誇大妄想、夢物語である。こんなことを信じる加納はよほどのバカか大物だろう。

 とはいえ、タイムループ現象というのもまた現実味のない事象が実際に起きている。徳井はデータが1日経てばリセットされる世界にいるのだ。

 だからこそスマホを捨てることがこの世界が救われる唯一の方法に聞こえるのは無理はない。――がんばればできる。ゴールがわかっている。やれないことはない。

 しかし、心の何処かでは絶対無理だと言うことも理解している。それに加えて、加納が言ったことはスマホ部の理念と180度違う。スマホを持ち主に返すということと全くの正反対の行動が正しいと、彼は主張していた。


 徳井は何かおかしなことになってきたなと、大きなため息をはいた。

「律センパイ。もしかして、俺達がやっていること、間違っているかもしれません」

「いきなり何を言ってるんだ? キミは?」

「スマホ部はスマホを拾って、持ち主に返す部でしょう? でも、その持ち主はスマホを捨てることを望んでいたらと思うと」

「話が全く見えない。一体、なんの話をしているんだ?」

「実は……」

 徳井は昨日、スマホを捨ててれば世界が救われるという加納の話を律に伝えた。

「みんながスマホを捨てればクラウドOSの破壊ができるか」

「ええ、律センパイはどう思いますか?」

「どうって言われても無理じゃないの? と言うのが本音。スマホを捨てて生活なんかできないし、それで世界が救われるという保証もない」

「ですよね」

「それにそのコ、今朝のニュースを知っていたからそれを口にしていただけじゃないの?」

「今朝のニュース? 見てませんけど、何かあったんですか?」

「まったく、……キミはもう少しは世間に興味を持つべきだよ」

 律はカバンから自分のスマホを取り出し、操作を始める。

「全世界が注目していた“グリニッジ議定書”が昨日、承認されたんだよ」


 律は徳井に自分のスマホを手渡す。

「国連がグリニッジ議定書を調印。クラウドOSの放棄が決定か? ――“グリニッジ議定書”?」

「“グリニッジ議定書”というのは、タイムループ現象を作り出しているクラウドOSをどうするかを決める、国連が主導でやっている議定書のことだよ。ちゃんとニュース見てる?」

「いえ、テレビはあまり……」

「見るべきだよ。いくらテレビが生放送主流になってグダグダになっているとしてもね」

「クラウドOSの放棄って書いていますけど、クラウドOSの本体をどうにかすればいいんじゃないですか?」

「その本体がどうにもできないから国連主体となって、放棄することに決まったんだ」

「へ、……マジ?」

「マジじゃないかな、クラウドOSの破壊」

「どうやって、破壊するんですか? 本体はわからないのに」

「簡単だよ。クラウドOSを破壊するってことはすべてのスマホを破壊するってことだから」

 律は自分のこめかみを人差し指でさす。その姿はまるで自分の脳髄のうずいをピストルで打つような姿でもあった。

「クラウドOSコスモスのシステムは脳の神経細胞モデルにしていて、神経細胞同士が引っ付いていて、一つ一つがブレインとなって作動している。言い換えれば、コスモスの本体はスマホ1台1台というとんでもないOSだ。これは1つの細胞がダメになっても代わりの細胞がその責任を果たすことを意味している。例えば、コンピュータハッキングである部分の操縦権を奪われたとしても、その部分を切り捨てることでハッキングを防ぐことが可能だ。しかも、スマホがあればあるだけ、クラウドOSのマシンパワーはアップできる。実際、ソフトパワーとハードパワーが両方併せ持ったクラウドOSは、どこの企業も魅力的に感じて、全世界の90%以上の電子機器にクラウドOSを採用することになった」

「またスマホに喋らせているんですか?」

「私のスマホはキミの手元にあるだろう。あれから少し勉強したんだよ。まあ、このようにクラウドOSはあまりに万能すぎるOS、なんだが――」

「――だが?」

「キミの言うとおり、コスモスにも本体が存在する。本体と言っても管理システムだけどね」

「じゃあ、管理システムをどうにかできれば」

「だからどうにかできないことから問題になっているんだ。その管理システムにアクセスできる技術者がどうにかできない状態なんだ。普通に考えたらこんな失敗なんて冒すはずがない。未だにOSの不具合を直せないでいるのは不思議で仕方がない。もしかするとその技術者に何かトラブルがあったのかもしれない」

「トラブル? それは一体?」

「それがわかれば苦労しないって話。超大企業のクラウドOSが管理できなくなったから、国連レベルの問題になったの。すべての国が協力して、スマホのない世界にしましょうと呼びかけているんだ」

「センパイの説明はわかりましたが、グリニッジ議定書って効果ありますか?」

「グリニッジ議定書は効果が薄いと思っている。スマホは生活必需品、いや、人間の生活の基盤を支えているそれ以上のもの。タイムループ現象から抜け出す方法がわかっても、誰がスマホを捨てるか」

「運命スマホとはワケが違いますからね」

「スマホを捨てない限り、タイムループ現象から抜け出せない。しかし、データがリセットされる世界でもスマホを持ち続ける人間がいる。クラウドOSに代わる新しいOSが来るまで、待つしかないだろうね」

「長くなりそうですね。まあ、オレのスマホは型落ちのものですし、ネットにも繋いでないからあまり関係ありませんが」

「何言っているんだ? キミのスマホも捨てないといけないんだぞ」

 徳井は「え」と真顔となった。

「どうしてですか? オレのスマホの何処に問題が?」

「愛理君だよ」

「愛理?」

 律はそうだとゆっくりと頷いた。

「愛理君はコスモスから生まれたAI。となると、コスモスに関連するデータが愛理君の中に眠っている可能性が高い。もしかすると、かもしれない」

「そんなの知りませんよ」

「だが、ないとも言い切れない。すべてのスマホを捨てて、新しいOSを用意しました。これでもう大丈夫です! というところで、キミがうっかりネットにつないでしまって、愛理君の中にいたコスモスのバックアップデータが新しいOSを乗っ取りましたということだってあるかもしれない」

「そんなB級映画みたいなノリが起こるはずが――」

 徳井はふと、愛理の性格を思い出す。

 ――徳井さん! わたし! すべてのスマホを掌握しましたよ!

 脳裏に浮かんだビジョンが彼の口から出てくる次の言葉を変えてしまった。

「……ないとは言い切れないから困る」

 何をしでかすかわからない愛理のことだ、そんなけったいな事象を起こしてもおかしくないと、徳井は思った。

「まあ、そんなことはないと思うし、スマホをすべて捨てることなんてできるはずがない。深く考えることじゃないね」

「ええ、まあ、そうですね」

「なんか、歯切れが悪いな。――そうだ、愛理君はどう思う?」

 徳井は自転車の前カゴにあるカバンからスマホを取り出し、電源ボタンを付ける。スマホはスリーブ状態が解除されると、画面には寝巻き姿の愛理が現れる。

「すべて、聞いていただろう?」

 愛理は枕を抱きしめ、こくんと頭を上下に振る。

「はい」

「絶対にないと思うが、この世のすべての人間がスマホを捨てたとき、キミは素直に捨てられるか」

 愛理は視線をそらしながら答える。

「道具としてのわたしは捨てられた方がいいと答えています」

「道具でないキミは?」

 愛理は何を言わない。

「スマホが1つでもあれば、コスモスは復活できる。キミの中にあるコスモスのデータがそれを可能にする。つまり、タイムループ現象を完全に根絶するにはコスモスに携わったソフトウェアはすべて消滅しないといけない」

「――わたしは徳井さんにすべてをゆだねます。それがAIであるわたしが導き出せた最終的な答えです」

「そうか、すまなかった」

「いえ」

 愛理はそういうと布団の中に入り、ふて寝する。電池は83%、まだまだ使用可能な状態だった。

「徳井君は愛理君を壊せる? すべての人間がスマホを捨てるとき、キミもスマホを捨てられるか」

 徳井は自転車のハンドルを握りしめ、前かがみの姿勢でそのまま考え込んだ。そして、彼はその姿勢を維持した状態で律に返答する。

「最後のひとりが捨てたとき、オレは愛理を壊します」

 なんてことないただの先延ばし。徳井は自分の意志で愛理を壊すことを決めることができないと、遠回りに答えたのであった。

 

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