299回目の9月29日


 299回目の9月29日


 午前7時45分。

 天気は青空が見えない曇り空、いつで雨が降ってもおかしくない。

 いつもは自転車登校する徳井も、今日は自転車で学校行くのをするのをやめ、地下鉄の電車に乗って行くことにした。


 徳井は最寄りの駅のプラットホームで電車を待つ。

 サラリーマン姿のおじさんやOLが列を作り、徳井と同じように電車を待つ。

 徳井は地下鉄の待ち時間という時間が嫌いである。電車を待つ以外何もできないというもどかしさで気分は萎える。

 早く来い、早く来いと、定刻通りに来る電車に向かって、徳井は無駄な祈りを捧げていた。

「あ、テンちゃん」

 たまきは徳井を見つけると、そそくさと彼の元に寄る。

「おはよう、たまき」

「おはよう」

「今日、学校行くんだ」

「うん、今日も水泳部してるから」

「速くなったか?」

「記録縮まったよ」

「それっていいことじゃない」

「そうでもないよ。ペース崩れたらすぐ落ちちゃうから」

「だから雨の日でも自習の日でも学校に行くわけか」

「それしか学校に行く理由ないからね」


 徳井とたまきがたわいない話をしていると、徳井のカバンから「たまき! たまき!」と呼びかける愛理の声が聞こえてくる。徳井はやれやれとカバンからスマホを取り出すと、そのスマホ画面にはレインコートを身につけた愛理の姿があった。

「愛理ちゃん、かわいいー」

「でしょー! とくちゅーだよ、とくちゅー! わたしだけの一点物だよ!」

「へー、そうなんだー」

「それでたまきにお願いあるんだけど」

「なになに」

「写真撮って!」

「しゃしん?」

「うん。自分でスクショ撮るのってすごくダサいから」

「……オレ、オマエのスマホ心が時折わからなくなる」

「わからないかな? 自撮りって自分が撮りたい場所と一緒に撮るから楽しいでしょう? でもスクショって、スマホ画面しか映らないから写真を撮ってる気がしないの」

「そういうモノなのか?」

「そういうものなんです! 徳井さん」

「スマホ心は実に難しい……」

 徳井は腕組みし、愛理がホントに合理的行動を取るAIなのかと悩む。

「テンちゃん、いい? 愛理ちゃんの写真撮って」

「いいよ」

「でも、愛理ちゃんの写真撮っても、その……」

 徳井はたまきの先に続く言葉を理解する。

「本人が撮りたいと言っているんならいいんじゃないの?」

「まあ、そこまで言うなら」

 たまきはカバンからスマホを手に、カメラを取る姿勢をとる。

「徳井さんも一緒に」

「オレも? 恥ずかしいよ!」

「3Dモデル美少女キャラと最高の笑顔で写真取れるんですよ。これはマニア必見の眉ツバものです!」

「それを言うのなら垂涎すいぜん! 眉ツバじゃ騙されているぞ」

「ああもう! 徳井さん! 撮りますよ撮りますよ」

 愛理はたまきに向かって力強くピースする。徳井もゆっくりとピースサインを見せる。

「ハイ、チーズ」

 パシャッと言う音が聞こえ、たまきは一人と一台のスマホの写真を撮影するのであった。



 午前8時10分。

 地下鉄の電車の乗り換えで徳井とたまきは急いで駅内を移動する。

 二人が目的のプラットホームに着くと、そこは人混みの山。二人はあっと思いながら、電子掲示板へと視線を送る。


【……人身事故がありましたので、電車は遅れます】


 それを見た二人は力なくうなだれる。

「またか」

 徳井は頭を抱えながら言う。

「わたしはもう慣れてるけどね」

「慣れるなよ」

 徳井は小さく笑う。

「そうだね」

 たまきは淡々と返した。

「ここから学校までバスあるからそれに乗ろうよ」

 たまきは徳井にそう呼びかけると、エスカレーターへと進む。

「事故があったとき、いつもそうしているのか?」

「お金かかるけどそうしている。そういう時代だし」

「そういう時代ね」

 ずいぶんと嫌な時代になったもんだと、徳井は電子掲示板をにらみつけながら、エスカレーターへと向かった。



 午前8時30分。

 徳井とたまきは学校へと辿りついた。


 午前8時40分。

 前口先生が教室へとやってきた。黒板に【自習】と書き、文庫本を読み出すと、タイミングを見計らったかのように、外から雨音が聞こえる。

「雨降ってきたね、テンちゃん」

 たまきは前口先生に聞こえないように言う。

 しかし、徳井はたまきに返事しない。

「どうしたの? テンちゃん?」

 徳井は何を思ったのか、その場から立ち上がる。

「トイレにでも行く?」

「いや、ちょっと行く所ができた」

 徳井はカバンから折りたたみ傘を取り出し、教室から出ていく。前口先生は文庫本から徳井の方へと視線を向けたが、彼が教室から出るのを確認すると、元のページへと視線を戻した。


「前口先生、質問いいですか?」

 徳井が教室から出るのと入れ替わるように、前口先生の元に生徒がやってきた。

「なんだ?」

 生徒は質問する。


「太陽暦の国と太陰暦の国がありましたけど、その国はどういう風に交流していたんですか?」


 前口先生は応える。


「日本が陰暦だったのは知っているか? 立春とか初夏とかもあるし、古文も月を主役にした文章が多いから、日本は陰暦の国だったということがわかると思う。でも江戸時代、江戸幕府が貞享暦じょうきょうれきを採用したことで日本は陰暦から太陽太陰暦へと変えたんだ。これは中国が元の時代、太陽太陰暦の授時暦じゅじれきを採用してから400年後の話なんだ。このことから、太陰暦でも太陽暦でも国際交流はできたということはわかるかな」

「ええ、わかりました。でも、太陽暦と太陰暦の話なんですが」

「わかっているわかっている。明治時代になってからすぐ日本は太陽暦を取り入れた。その後、中国も30年後、辛亥革命のときに太陽暦を採用したんだ。太陽太陰暦だった国が太陽暦へと切り替えたのはどうしてだと思う?」

「自分たちの文化よりも西洋との国際交流を優先にしたからですか?」

「そうだ。日本が太陽暦を取り入れたことで、西洋の文明を吸収し、国際感覚を手に入れた。もし太陽太陰暦のままなら、日本は違った未来を歩んでいたのかもしれないな」

「やっぱり、同じ暦じゃないと交流というのはうまくいかないものなんでしょうか?」

「それもあるかもしれないが、やはり太陽暦は正確に月日を刻んでいたというのもあるのだろう。それに、人間、時間が違う世界で生きるのなら多くの人間と同じ時間の下で生きていきたいというのがあるのだと先生は思うよ」



 午前8時50分。

 屋上へ続くドアを開けて、徳井は屋上に入る。

 ポタポタと降る雨、やさしげな音色を立てる。

 徳井は折り畳み傘を広げ、雨の中を行く。上履きがみずびたしにならないように、水たまりに注意して歩いていると、腰をかかんで何かを探す女子生徒が見える。

 徳井はカノジョが雨にかからないように、傘に入れる。

「何、探している?」

 女子生徒は振り向く。蝶野虹華だった。

「別に、何も」

 虹華は立ち上がると、雨がかからないように近くの屋根の下へと動く。

「スマホだろう?」

 虹華は答えない。

「図星だな」

 そういうと徳井はポケットからスマホを出し、電源ボタンを入れる。

「徳井さま。マスターは見つかりました?」

「見つかったよ」

 徳井は外部のスマホカメラで虹華を写すように調整する。

「マスターの蝶野虹華です。徳井さま、ありがとうございました」

 徳井は虹華の目の前にスマホを差し出す。

「違う」

「と言っているが」

「いえ、間違いなくマスターです。声紋も同じですし、顔の輪郭も同じです。何でしたら目の虹彩も確認しますが」

「もういい」

 虹華は力なく壁に持たれ、そのまま座り込んだ。

「なんで、拾うの」

「スマホ部だから」

「スマホ、拾って何が楽しい? ありがとうと言われたいから?」

「それもある」

「ださい」

「何とでも言え」

 徳井はつまらない口論を重ねる虹華に対して、あとで渡すべきか悩んだ。

「そうだ」

 虹華は不敵な笑顔を浮かべ、その場で立ち上がった。

「そのスマホでずぶ濡れのワタシを撮ってよ。きっと、エッチぃよ」

 虹華は小さく笑い、徳井を挑発する。できないんでしょ? やってみなさいよ、と、心の中でバカにする虹華。しかし、徳井は何の躊躇もなく、雨水で濡れた虹華の姿を撮った。

「へぇー」

 虹華は意外と言わんばかりに徳井を見る。

「満足したか」

「ゴメン、満足できないや」

 と言って、虹華は上の学生服を脱ごうとする。

「それ以上したらスマホ捨てるぞ」

 虹華は手を止める。もしかしたら、本気で脱ぐ気だったかもしれないと、徳井は内心焦っていた。

「まったく、冗談通じない」

「オマエの方が冗談をやめないタイプだと思うが」

「そう思う?」

「思う。だから、“運命スマホ”をやめなかったんだろう?」

 虹華は口を閉じた。それは徳井の考えを遠回しに認めたことでもあった。

「“運命スマホ”は赤の他人にスマホを拾われたらだという遊びだ。言い換えれば、誰にもスマホを拾われなかったらだという遊びでもある」

「ええ」

「そんなに拾われたくないのか? スマホ」

「あなただって、自分のスマホ、自分以外に拾われたくないでしょう? 道端に落としたら道路の隅に置いて、見なかった振りしたいでしょう?」

 徳井から返す言葉を待たず、虹華は更に言葉を足した。


「タイムループ現象が起こるこの世界は最悪!! スマホを落として誰も拾ってくれない最悪を願いたくなる! この世界はそんな世界であってほしいの。……みんなが最悪とわかる世界って!!」

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