14話 セツナ

「双子の……妹……」


 凛音が養子だと言うことは三日月家では有名な話だ。ある日突然、何処からともなく総本家の御前様が直々に連れてきた子供。


 出身──不明。

 家族構成──不明。


 謎だらけのその子供を、御前様と、後に【鬼神】と呼ばれる事になる『三日月鞘歌』が付きっ切りで世話をしていたというのは『三日月』であれば知らない者は居ない。しかし何故、彼がここにいるのか、一体何者なのか。それを知る者は限られる。

 当然、琴裏も凛音に双子の妹が居る事を知らなかった。いや、正確には居た事を知らなかった。


「そ! てかよく見れば、あんた──琴裏ちゃんじゃね? めちゃ大きくなってんね!」

「──っ! 何で私のこと知ってるのよ」

「どうでも良くない? なんでお兄ちゃんが負けたのかちょろーっと分かったかも! 馬鹿スギ! ウケる! てか気が変わったー! お兄ちゃんじゃなくて悪いけど、『三日月凛音』がどんだけブットんでんのか教えてあげる! かかってきなよ」


 挑発するように初めて戦闘の構えを取る、自称凛音の妹──セツナ。


 それを目にした琴裏は圧倒的な威圧感を前に足がすくんだ。

 心音が自覚出来るほどに大きくなっている。まるで呼吸の方法を忘れてしまったかの様に、息が上手く吸えない。吐き出せない。

 こんなバケモノを相手に、勝てる訳がないと本能が訴えかけている。

 ここで殺されるという『自分の運命』がそこにあるように思えた。そう表現する他にない。


 これが──【天花五家・三日月】序列第七位。


 今すぐに逃げ出したい。降参したい。

 それを何とか押し殺し、身体の回復に全意識を集中させた。骨折していた身体中の骨や傷口がゆっくりと治癒し始めた。


「へぇ……そんな事も出来るんだー! 凄いね!」


 治癒といっても底が知れている。これは『厭魅』とは全くの無関係な初歩的な陰陽術式だ。陰陽師であれば、誰もが使える。

 全身の骨折の再生という化け物じみた事を全員が出来るかどうかは別の問題だが、彼女はそれすら行える。

 全身の回復に三分の時間を要した。

 その間、セツナは何もせずに琴裏を待っていた。


「ふぁーあ」

 あくびをするセツナ。

 そして、身体がある程度回復した琴裏に視線を合わせた。

 瞬きをした刹那、セツナはその場から姿を消していた。

 次の瞬間、真正面からデコピンを受ける琴裏。


「はい、今一回、琴裏ちゃんは死にました」


 セツナの行った行為は、縮地術ではない。これは特殊な歩行術とは無関係だ。ただ移動速度が速い、それだけの事だった。


「お兄ちゃんは何もかもが中途半端。やろうと思えば出来る事も、出来ないと思ってる。今のだって、お兄ちゃんは出来るはず。でも何も出来ないって思い込んでる」


 琴裏はセツナの手を弾き、彼女から距離を取ろうと重心を後ろにかけた。普通の人間であれば、絶対に気づく事が出来ないはずの微細な縮地の足の抜き。

 それすらも看破され、頭を掴まれ地面に叩きつけられる琴裏。

 インファイトでは勝ち目がないと判断し距離を取ろうとした琴裏だったが、その隙さえもセツナは与えてくれない。

 強制的にうつ伏せに倒れさせられ、体重を乗せられた琴裏はその場で動けないでいる。


「はい、二回目」

「くっ……」

「てかさーお兄ちゃんって馬鹿だよねー! こんなに恵まれてるのにウジウジ悩んで『他人を救いたい救いたい』の一点張り。どれが不幸だ、あれが幸福だとか、そんなのばっかり考えてる。いっちばんウケんのは、救いたい対象に『自分』が居ないって事。本当に──かわいそうな人」

「他人を、救いたい……?」

「そうだよ? 『この人』は【自分】ってものがないの! 全部他人の為! あの人は今こう思ってるだろうから、こう言わなきゃいけない。その人はこうしたいだろうから、そうしてあげなきゃいけない。『人を──救わなくちゃいけない』義務、責務、贖罪……まぁなんでもいいけど! そんな事しか頭にない。それが『三日月凛音』」

「自分が、ない……」

「いぇす! 今頃、お兄ちゃんは『あの場所』に引きこもってるんだろうなー! 情けないわー」


「──そう言うアンタには何があるのよッ!」


 両手で腕立て伏せをする様に一瞬両腕に力を込め身体を浮かせ、即座に反転しセツナの右腕を両手で掴む琴裏。

 そして掴んだ手を引っ張り、立ち上がりながら身体の軸を回転させ渾身の力でハイキックをセツナの側頭部に叩き込んだ。

 普通の人間であれば、卒倒してもおかしくない威力の蹴り。下手をすれば死んでしまう人もいるかも知れない。


 だが、セツナは──嗤っていた。


「ん? 終わりなの?」

「まだよ!」


 両脚でセツナの左腕に巻きつき、腕の骨を折った。

 しかし、痛がる素振りも、動揺も、セツナはにはなかった。

 隙が全く生まれない。

 痛覚というものが、ないのかと疑う程に。


「骨が……折れてるのよ…!?」

「骨の一本や二本が何だっての? てかもう治ったしー? 」


 治った……?

 こんな短時間で、そんな事があり得るのだろうか。今迄出会ってきた人間でこれ程まで早く身体の損傷を治癒出来る存在を今まで琴裏は見た事がなかった。

 そして、特筆すべきなのは──セツナの反応だ。普通の人間ではあればこれだけのダメージを負えば多少の隙が生まれても良いものだが、セツナにはそれが全くない。

 琴裏はセツナに対して純粋に恐怖を抱いていた。


「油断はだめー! はい三回目」


 セツナの右手から繰り出されたデコピンを正面から受ける琴裏。

 そのたった一度のデコピンで決闘場の端まで琴裏は吹き飛んだ。


 格が──違いすぎる。

 観客の誰もがそう感じていた。


「私もう飽きたー。降参してくれる? 暴力クソ女に殺すなって言われてるし、私からはもう何もする事はないしー?」

「……アンタ、セツナって言ったっけ……?」

「あれ、まだ喋れるんだ! そう、セツナ」

「アンタ、本当に双子の妹? ただの二重人格なんじゃないの? 本当はこの世に居ないただの仮初めの存在なんじゃない?」

「なにそれ、細やかな反撃ってやつ? じゃあさー、今度お兄ちゃんに聞いてみれば? もう会えないかも知れないけど!」

「ど、どういう意味よ」

「『この身体』の所有権を凛音は今半ば放棄してるんだよねー! もう疲れちゃったのかな?」

「何よ、それ───」


「7628回」


 琴裏の言葉を遮り、淡々とセツナは言う。

「何の回数か分かる? 琴裏ちゃん」

「……知らないわよ」

「『三日月凛音』が今まで死んだ回数だよー」

「死んだ回数……死んだって……今生きてるじゃない……」


 セツナがゆっくりと歩を進め、琴裏の元へ向かう。そして、じっくりと琴裏の身体を観察する様に見た。


「その変な術式──『厭魅』? じゃあ知ってるんじゃない?【蠱毒】って言葉。知らないわけないよね?」


 記憶を探るまでもない。

 ──【蠱毒】。

 又を【蠱術】、【巫蠱】。

 呪術に関する文献を読んだ時、何度も記載されてた故に琴裏は知っていた。それがどれだけ危険な行為なのかも。


 どれだけ力を欲しても、絶対に手を出してはいけない『厭魅』の中でも最低最悪の呪術。大昔の中国では、それを行っただけで死刑が言い渡されたとも言い伝えられている伝説的な呪術にして、禁呪の中でも最も醜悪な大禁呪。

 自分の【刻ノ身】など【蠱毒】の前では存在しない無いも同然だ。生温いにも程がある。それ程までに、別格。

 そこまで考えて、先程セツナが発した言葉を琴裏は思い出した。


「アンタ、さっき【蠱術】って……。まさか──」


「──そう、『三日月凛音』は呪われている。【蠱毒】という呪いにね。この身体には、《死》という概念がないの!」

「そんな……」

「琴裏ちゃんは自分の事、可哀想とか思ってない? 思ってるよね? そんな顔してる。 うーん、お! 『眼』、生まれ持ったもの?」


 決闘場の端、動けないまま壁にもたれ掛かってる琴裏の全身を観察していたセツナが、言う。


「……そうよ。私は『見た人間の殺した人の数』が見える。アンタのお陰で分かったわ。【蠱毒】の力を得る為に、三日月凛音は大量殺人を犯した。そういう事だったのね」


 琴裏が凛音を嫌っていた理由の一つが、これだった。凛音の殺した人の数が、桁違いに多かったからだ。


「───人以下のゴミ屑ね。七千回? 死んで当然よ。少な過ぎる位じゃない」


 そう琴裏が言った瞬間、彼女の見ている世界が、歪んだ。続いて、隕石でも落ちてきたのではないかと疑う程の爆発音が決闘場に響き渡った。


「テメェ!! クソ暴力女アァァァァァァ!! 邪魔すんじゃねぇ!! このガキは、セツナが、ここで殺す!!!!」


 決闘場の一部分にクレーターが出来ていた。

 その陥没した中心で身動きの取れないセツナが絶叫を上げている。

『お前に自由はないと、私は言ったはずだが』

 実況席から鞘歌の声が聞こえてきた。


「クソガアァァァァァァ!!!! このガキは絶対に言っちゃけない事を、言いやがった!! 望んでお兄ちゃんが【蠱毒】の道を歩いていると思ってんのかよクソガキ!!」


 セツナの発する言葉の威圧に、何も答えられない。

 その光景を間近で見た琴裏は失禁してしまった。


「『三日月凛音』が! 望んで! そんな事をする訳がねぇだろうが! 私は言ったよな!? お兄ちゃんには、【自分】がないと! 全て他人のために、生きていると!! 絶対にお兄ちゃんにその言葉を言うんじゃねぇぞ!! 許さねえ!!」


 叫ぶ。

 それは魂からの慟哭。


「そんな風に自分は被害者面して! いかにも可哀想な風で! 助けて欲しそうな顔してるお前みたいな奴の為に! お兄ちゃんは死に物狂いで生きて死んでるんだよッ!! 歯を、食いしばって涙こらえて……」


 そんなセツナの言葉に、琴裏は恐怖をこらえながら答える。

 もう、とうに『厭魅』の能力は切れていた。


「わたっ、私にはそうは、見えなかった……いつも偉そうで……仏頂面で、何を考えるのか分からない人……沢山人を殺してきた人……私を置いて、この家から居なくなった、酷い人……」


 ほんの少し、セツナの怒気が薄まる。

 それを琴裏は肌で感じた。


「……それは違う。お兄ちゃんは、弱いんだ……けどそれ以上にそれを隠すのが上手い。ただそれだけ……今、私がマジギレしたせいかな……お兄ちゃん、『あの場所』から戻ってくるよ」

「あの場所……?」

「こっちの話。やっぱ私の話は、するなよ。それから──琴裏ちゃんは勘違いしてる。あんたは被害者じゃない。加害者だよ」


 その言葉に衝撃を受ける琴裏。

 そうだ、自分は被害者なんかじゃない、加害者だ。それを胸に刻みつけた。


「琴裏ちゃんは、お兄ちゃんの足枷でしかない……あ、もう無理だ。行かなきゃ……」


 そういう言うと、長い黒髪が白髪混じりの灰色を帯びていき、真っ白になった。そして、次第に元の長さへと戻っていく。


「さよならだねー、琴裏ちゃん……次に会える時はいつになるか分からないけど、私に殺される様なそんな面構えは、直しておきなよ。あと、お兄ちゃんと、ちゃんと話しなよ」


 必死に首を縦にふる琴裏。


「───お兄ちゃんをよろしく」


 ★


 気づくと、僕はまた夢の中にいた。

 無限の屍を前に僕はもう立ち止まる事はしない。前へ進む。この道を進んだ先に、天が待っていると、信じる。


 光が射していた。

 それを標に、進んでいく。

 誰か、人がいる様だ。生きているのだろうか……?


 その人影が僕に話しかけてきた。

「こっちに来んのがはえーよ、凛音。お前には、まだやんなきゃいけない事があるんじゃねぇのか? 直ぐに叩き返してやるから覚悟しろ」


 思わぬ人物に、僕は動揺を隠せなかった。


「なんで……ここに! ──終火」

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