13話 凛音 対 琴裏(中)


「厭魅か。クソ忌々しいな」

 蠱毒と厭魅は切っても切れない関係にある。そも、蠱毒とは厭魅の一種だ。厭魅とは即ち、呪いの総称。

 恐らく、琴裏は厭魅の一部の能力を自身に付与した。それが何なのかは分からないだが、どう見ても憔悴している。呪いに身体を侵食されているのだろう。


「……もう言葉は要らないわ。ハァ……ハァ……」

「ああ」

 会話をする事すらも辛いのだろう。

 能力の考察なんて必要ない。苦しんでいる琴裏を一秒でも早く解放する。


 バンッ!!


 大きな破裂音と振動が決闘場に響き渡った。

 鼓膜が──。

 刹那、琴裏は僕との間の約二十メートルもの距離を詰めていた。辛うじて見えたその刹那の時に、僕の腹部目掛けて拳を振り下ろそうとしている彼女が見えた。


 加速した運動エネルギーを乗せた渾身の一撃。


 使うしかないのか……?

 いや──駄目だ。桜と可憐と、【蠱術】はもう使わないと約束した。その『約束』だけは、絶対に破れない。

 僕は、人として生きていく覚悟をしたんだ。


 一瞬何が起きたのか分からなかった。破裂音と共に莫大な衝撃が僕を襲う。体内で爆発でも起きたのではないかと思う程の威力の純粋な暴力。

 腹部に目を走らせてみると、抉り取られた様に大きな穴が空いていた。そこから大量の血液が漏れ出している。

 そして、どちらが上なのか下なのか分からないまま崩れ落ちた。いつもの僕であれば瞬時に回帰する致命傷もそのままだ。

 彼女を救うと言っておいて、格好いいお兄ちゃんを見せると言っておいて、このザマか……?


 意識が、遠退いていく。もう何も考えられない。しこうする、のうりょくすら、もう……。


 ぼくは、まけた、のか……?


 ♦︎


「厭魅は本来、陰陽術ではない。呪禁師の行う呪詛の一種だ。何故あの様ないけ好かない力を使うのかは分からないが……現在、あの少女は限定的ではあるが坊やに近しい能力を得ている」

 煙草を吹かしながら、瑠璃子は言う。

「瑠璃ちゃん、これはマズイのではないか?」

「マズイ、とは?」

「ここから先は彼女達の衝突になる。『蠱毒厭魅博覧会』だ。死人が出る可能性が高いぞ」

「そうだな、少なくとも坊やはここで退場だ」


 鞘歌と瑠璃子の会話を聞きながら立会いを観戦していた叫は、退屈していた。

 『厭魅の法』とやらを使ったあの少女は確かに見所がある。格闘センスには文句の付け所がない。初歩の初歩の技でも、あれ程までに練度を上げるのには相当の努力と時間がかかる。しかもあの年齢であれば、伸び代は十分過ぎる程にある。

 一方、凛音には失望していた。

 防御に徹する事もせず、未だに決定打どころか一撃も少女に当てられなかった。

 そして今の一撃を避けられたとも思えない。確実に死亡しただろう。衝突なんて、これから起きる訳がない。ただ蹂躙されただけだった。


「こんなもんでしたか……ガッカリッスよ、三日月凛音さん」

 そう呟いた声に瑠璃子が反応する。

「坊やの連れてきた、そこの女」

「アタシッスか?」

「きみ以外に誰が居る。もしもの話だ、自動車と自転車、レースをするとしたらどちらが勝つと思う?」

 質問の意図が分からない叫だったが、それに答える。

「そんなもの始める前から決まってるッスよ。勿論、自動車ッス。何メートルの距離を走るのかにも寄るでしょうが、ヒトとクルマ、馬力が違います」


「その通りだ。きみは今この立会いの結末を口にした。──鞘歌、準備を。出てくるぞ」


 ♦︎


 最初の一撃。

 これを躱されたら、自分にはもう勝機は無かったかもしれないと琴裏は悟っていた。

【厭魅・刻ノ身】の能力。

 それは二点ある。一点目は、一時的に身体能力を爆発的に上昇させるという利点。先程の音速を超えた超加速移動もその結果だった。

 そして二点目は、自身の行動全てに対し即死の呪いを付与するというものだ。

 稀代の天才、と幼い頃から呼ばれてきた彼女は同年代では無敵だった。天才なんて陳腐な言葉で自分の日々の努力の結晶を片付けて欲しくはないと、常日頃思っている琴裏だが、周囲の人間が言うように彼女は紛れもなく天才だった。

 初めて『血闘祭』に参加するに当たり、そんな彼女に告げられた言葉が、


 「もし三日月凛音という人間を相手取るのであれば、殺すつもりで挑んで、ようやく勝負になる『可能性がほんの少し生まれる』」


 というとても辛辣なものだった。その言葉が何より彼女にとっては屈辱的に思えた。

 自分が死ぬ思いで耐え抜いた鍛錬の全てを否定された様に感じたからだった。


 ──そして、同時に嬉しくも思えた。


 三日月凛音はただ『三日月』から逃げ出した弱虫なんかじゃなかった。圧倒的な強者として、自分の義兄にさえ一目置かれている。その事実に感激した。


 私の優しい大好きなお兄ちゃんは、強いんだ。

 そう思えた。


 故に、全力で戦いたかった。認めて欲しかった。


 私を──見つけて欲しかった。


 そう想った。

 だからこそ奥の奥の手である、禁呪『厭魅』を使用したのだ。


 琴裏が振り返ると、仰向けのまま腹部から大量に出血している凛音が目に入った。いくら高再生能力者とはいえ、即死してしまえば何の意味もない。

 ──お兄ちゃんを、殺してしまったかもしれない。

 その事実にやっと気付いた彼女は大声でレスキューを呼んだ。『三日月総本家』の陰陽師達が集結すれば彼は死なずに済むかも知れない。

「だ、誰か……! お兄ちゃんが!! 死んじゃう! 誰か助けて!!」

 形振りなんて構っていられない。

 その場で大きな声で助けを呼ぶ。目には涙が浮かんでいた。



「──お兄ちゃん、だって。笑えんだけど」



「え……?」

 声がした方向を琴裏がみると、先程まで倒れたまま瀕死だったはずの凛音が立っていた。

「何その顔、超面白っ! 」

 凛音がそう言いながら笑った。

 いや──凛音の顔をした何かが醜悪に顔を歪ませた。それに一早く気付いた琴裏は即座に警戒態勢に移行する。


「アンタ、一体誰よ。三日月凛音じゃないでしょ」

 悪魔憑き、だろうか。

 そう琴裏は推測を立てた。先程負った傷口も塞がっている。おそらく、死の瀬戸際に立った彼の身体に何かが入り込んだんだ。


「んー? その質問って答えなきゃいけない訳? てか久々すぎて体鈍るわー!お兄ちゃんってば、最近やる事なす事ヌルすぎ! ウザッ! 今回こんな子供に負けた訳? ギャグセン高すぎでしょ!」


 そう言いながら凛音の姿をした『何か』が首を回す。

「お兄ちゃんの身体から出て行け」

「え、何? こいつの事、お兄ちゃんとか呼んでんの? マジウケるわー」

「出て行けっ!! お兄ちゃんを返せ!」

「ウザ……何この子供。───殺すよ?」


『──ここは『三日月家』、場所は決闘場だ。折角出てこられたのに残念だったな。私が居る限り、お前に自由はない。その子を殺す事も絶対に許さない』


 即座に実況席から、三日月鞘歌の声が飛んできた。


「うげー! 暴力クソ女……マジ萎えるわー! キャスト考えろよマジー!」

 目に見えるように肩を落とす『凛音の姿をした何か』。


「殺せるなら、やってみなさいよ! 悪魔!」

 そう言って再度、『凛音の姿をした何か』へ向かって琴裏は強襲をかけた。一歩進む。それだけで全身が軋んだ。

 周囲に再び破裂音が響き渡る。


「──【蠱術・無間罪咎牢獄】」


 悪魔が唄うようにして、そう口にした。

 刹那、琴裏の拳は空を切った。

「あ、そーれ!」

 再び悪魔が唄う。

 次の瞬間、声にならない激痛が琴裏を襲った。見えているのは、地面。身体中が痛いということしか分からなかった。

 その実、彼女は全身を地面に強打し地に伏している。


「速いじゃん! さっきの音は音速を超えた時に生じる衝撃波──ソニックブームってやつ? けど全然だめー! お兄ちゃんでも避けようと思えば避けられるし、こんなの」

「うそ……」

「ホントー! え? 今のが全力? 『三日月凛音』が本気で戦ったとか、マトモに相手してもらえたとか、そんな事思ってたりする? 本気? だとしたらマジで同情するわー!」


 悪魔の言葉に、琴裏はショックを隠しきれなかった。

 自分を救いにいくと言ってくれた凛音が、本気で自分と立会ってくれていなかったというその事実。それだけで心が折れそうになる。


「さっきから……! お兄ちゃんお兄ちゃんって……! 何なのよアンタ……!」

 全身のあらゆる場所が複雑骨折している琴裏が、何とか立ち上がる。

 身体の軸がフラフラと揺れている。琴裏自身、自分が全ての限界点を既に超えているという自覚はあった。もう、先程までの超高速移動は出来ない。


「お兄ちゃんはお兄ちゃんだしー?」

「意味が……分からないわよ」

「ウケるんですけど!」

 ケラケラと悪魔が嗤う。

 そして次の瞬間、自身の手刀を喉元へ勢いよく突き立てた。そのままゆっくりと、地に仰向けに倒れこんだ。


「えっ……!」


 その光景を間近で見ていた琴裏は、何もかも理解出来ないでいた。


『三日月凛音』は、自分を見てくれていなかった。故に【厭魅・刻ノ身】を使用した。自分をようやく見てくれた凛音に対して、本気で能力を使った。それを躱せずに瀕死に陥った凛音が、突如立ち上がり、別人──悪魔の様に話し出した。

 その悪魔を三日月鞘歌は知っていた。

 それで……どうして、こうなった?


 どうして、自殺した?


 現状を整理していた琴裏の前の死体から、声がした。


「ふぅ……これで良い感じー」

 声と同時に彼──いや、『彼女』は立ち上がった。

 琴裏が目にしたのは、白髪の青年の姿ではなかった。長い黒髪姿の、三日月凛音そっくりの『女』だった。


 その女が口を開く。


「はじめましてー! 私の名前は───『宮前雪那』! 凛音の双子の妹! 早速だけど、死んでくれる?」

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