12話 凛音 対 琴裏(序)

 ずっと見ていた夢があった。

 自分の過去を振り返り、その道程を見渡す夢。闇の中、目を凝らしてみると、そこには無限の屍が横たわっている。女、男、子供、全てが地に伏している。それを僕は目に焼き付ける。決して目を逸らさない。逸らしてはいけない。そう心の奥底から想う。そんな時に思い知る。僕の人生は屍の上に築き上げられた最上級の幸運の上に存在するのだと。

 終わってしまった命。終わらせてしまった命。

 それを眺めならがらただ立ち尽くす。

 動けない。どうすれば良いかのか分からない。

 だから僕は、『誰かを救わないといけない』という呪いを胸に杭で打ち付けた。そして目を覚ます。それを繰り返して来た。

 しかし、桜と可憐と出逢い、そして真実を知ってからの僕は夢の中で歩き出していた。前へ前へ。様々な結末を迎えた命達へ敬意を胸にただ前へ。僕が前だと思って進んでいるこの道が天へ続いていると信じて。

 呪いではなく、『誰かを救いたい』という強い想いを抱きながら。

 数珠丸から答えを聞いた僕が初めに感じた感情は、その夢の中で前へ進み始めた僕の中にあるそんな強い想いだった。


 そして同時に宿ったのは、それよりも強い強い『殺意』。こんなにも他人を殺したいと思った事はきっと今までにない。全身の血液が沸騰しそうだ。熱い衝動が脊髄を伝って頭の中を掻き回す。それはどうにも治る予兆がない。


「──あのー、大丈夫ッスか? 凛音さん」

 トリップしていた思考から引き戻され、数珠丸を見ると心配そうに僕を上目遣いで覗き込んでいた。

「問題ない」

「問題ないって……もう二時間も立ったままッスよ。呼びかけても全然反応しませんし……」

 そんなに経っていたのか。琴裏の初戦を見逃してしまった。

「少し考え事をしていた。叫、君は他人を心の底から殺したいと思った事はあるか?」

「アタシは無いッスねー。仕事と割り切ってます。この家に生まれた宿命だと思って諦めてますね」

「僕も今まで他人を殺したいと思った事はない。全て他人を救う為の手段でしかなかった。殺すことで、危険を排除する。それだけの為に機械的に行ってきた。感情的になる事なんて無かった」

「今はそうではないんスか?」


 ──『只今より15分後から二回戦を行います。 三日月凛音、三日月琴裏。両名は決闘場へ集まって下さい。定刻通りに立会いを行わない場合は棄権とみなします。繰り返します──』


 会場のアナウンス。

 無事琴裏は一回戦を突破した様だ。是非とも見てあげたかったが、仕方ない。

「ああ、今はそうではない。付いて来い、一度部屋に戻って着替えて直ぐに立会いに向かう」

「了解ッス! え、でもこれってトーナメン戦っスよね?もう二回戦目って早すぎません?」

「一回戦目は乱戦を想定した戦いだ。一つの場所で同時に複数の立会いが開始する。その中で自分の対戦相手を倒す事で二回戦目への切符を手に入れられる。だから大抵直ぐに終わる。一人一人やってたら何日かかるか分からんだろうが」

「なるほどッス。二回戦目からが本番って事ッスね」

「そういう事だ。二回戦目以降は『名乗り合い』を想定した一対一の立会いになる。手加減はしない。全て最短で片付ける」

「……これが『大典太』の序列一位を殺した人……興味深いッス」


 数珠丸を連れ部屋へ戻り、冷水シャワーで頭を冷やしてからスーツに着替え手袋をはめ直ぐに決闘場へ向かう。

「姉さん、こいつを預かっててくれ。悪いやつじゃない」

 そう言って数珠丸を姉さんに押し付けた。

「おい、それは構わないが……凛音、お前いつもと雰囲気が……」

「行ってくる」

 姉さんの言葉を黙殺して歩き出した。


 ♦︎


「いやはや! 気不味いッスねー!」

 そう言いながら数珠丸叫は薄ら笑いを浮かべ三日月鞘歌に話しかけた。

「気不味いと言える時点で、それほど事態は深刻ではないだろう。お前が何者なのかは凛音に免じて聞かないでおいてやる。それよりも先程の凛音だ。まさかお前が何かしたのか」

 怒気を込めて鞘歌がそれに応じる。

「してないッスよ。いや、したんスかね? よく分かりません。他人を殺したいと思った事はあるか、とは聞かれたッスけど、いつもあんな感じじゃないんスか?」

「まさか。あいつは温厚だ。あんな風な殺気を飛ばす様な人間ではない」


「殺気を放つ事なく何の躊躇もなく敵を殺害する。それが坊やだよ」


 鞘歌の横に座ってた三日月瑠璃子が会話に割って入った。

「確かに、言われてみればそうかも知れないッス。アタシは凛音さんと敵対しかけた事がありましたが、まるで機械の様に……」

 数珠丸叫は三日月凛音の事を機械の様だと感じていた。

 人の形をした機械が他人を守っている、その点に興味を惹かれ危険を犯してまで『三日月家』まで来たのだ。


「凛音の行動原理は『誰かを救いたい』という強い想いだ。殺気なんてモノとは縁遠い」

 鞘歌の見解に同意するように頷く瑠璃子。

「鞘歌、坊やは今、非常に危険だ。『アレ』が出てくるかも知れない。直ぐに止めに入れる様に用意しておいた方がいい」

「分かった」

 そう言いつつ、鞘歌は実況席に着いた。


 二人のやり取りを聞いていた叫には何が起きているのか理解出来ないでいた。ただ、一つ分かっている事は、自分の発言がキッカケで今の凛音が居るという事だけだった。

 依頼主の名前を伝えた後、凛音が二時間のその場で硬直していたからだ。

 初めは目を開けたまま眠っているのかと思ったが、どうやら違った。瞳の瞳孔は開ききり、発汗、激しい動悸、そして浅い呼吸──つまり過呼吸を繰り返していた。

 何か取り返しのつかない事をしてしまったのかと叫が考えていると、瑠璃子が煙草に火を付けながら言う。


「さあ、坊や──そんな精神状態で天才少女を前にどう戦う?」


 ♦︎


 多くの歓声の中、決闘場の中心まで歩を進めていく。向かいからは琴裏が歩いてきていた。

 そして僕の正面に彼女が立った。


「来たわよ。やっとアンタをブチのめせる」

「…………」

「何か言いなさいよ」

 彼女の言葉を黙殺する。

 一刻よりも早く、アイツの元へ僕は行く。悪いが一撃で終わらせてもらう。


『──それではAブロック、二回戦 三日月凛音 対 三日月琴裏の試合を開始する! 互いに礼!』


 姉さんの声に応じ、頭を下げた。


『──始め!!!!』


 合図と同時に即座に琴裏に肉薄し、脇腹に掌底を叩き込むが、既に彼女はその場に居なかった。背後に気配を感じた刹那、鈍痛と共に僕の身体は宙を舞っていた。

 そして真上から振りかぶられた右足が見えた。瞬時に回避不能と悟り顔面にその蹴りを受け、受け身を取ることも出来ずに全身を地面に叩きつけられる僕。

 即座に転がる様にして立ち上がり、彼女の位置を探すが、どこにも見当たらない。


「こんなものなの?」


 耳元でそんな言葉が聞こえたと同時に右脇腹にまたも鈍痛が走り、そのまま真横に吹き飛んだ。

「今ので肋骨を数本折ったわ。もう立ち上がれないはずよ。直ぐに降参して──」

 それを聞きながら無言で立ち上がる。

 姉さんと瑠璃子さんが解説をしているが、それさえも耳に入らない。こんな場所で油を売っている場合じゃないんだ。一撃入れればそれで終わる。

「そう、まだ立つのね。今のはね、三日月流縮地『花月』とただの蹴りよ。アンタが逃げ出している間、私はずっと鍛錬をしてきた。私は努力した」

「……」

「あの日だってそうだったわ。アンタは何も言わずにこの家を出て行った。どうして? どうしてなの?」

「……」

「話してくれないのね。勝手に偉そうに御託並べてお兄ちゃんヅラして本気で腹が立つわ。やる気がないのなら出させてあげる」


 そう言いながら、琴裏が僕に向かって三本ナイフを投擲してきた。腹部、両脚狙い。分かりやすい揺動だ。大方それを防いでガードが手薄になった所で正面に縮地してくる筈だ。

 三本のナイフ全てを避けずに受けながら彼女の姿を視認すると、姿を消していた。正面に拳でも置いておくか。

 悪いな、これが僕の戦い方だ。僕は相手の攻撃を避けられないのではなく、基本的に避けない。全ての攻撃を避けず、どんなダメージを負っても立ち上がる。それを繰り返す事で相手に動揺を植え付け、心理的に上位を取り心を折る。これで終いだ。

 しかし彼女から追撃は無かった。それどころか僕から距離を取っていた。

 そして何かを唱え出した。


「──元柱固具、八隅八気、五陽五神、陽動二衝厳神、害気を攘払し、四柱神を鎮護し、五神開衢、悪鬼を逐い、奇動霊光四隅に衝徹し、元柱固具、安鎮を得んことを、慎みて五陽霊神に願い奉る」


 それは陰陽師の呪経か何かではなかったか。大昔の陰陽師が毎日唱えていたという御守り代わりのただの言葉でしかない。

 一体何を──。

 そうか式神でも出そうって魂胆か。


「一ノ刻、一ノ身! 琴ノ裏、其ノ憑代とならん。いざいざ願い奉らん──『厭魅・刻ノ身』っ!!」


 彼女が唱え終わる。

 周囲の空気が彼女を中心に一変した。


「陰陽師っていうのは、人のカタチを模した物に命を宿したり、神霊を堕すものよ。それはとても強力な使い魔として使えるわ。けれど、私は違う。厭魅の法を自身に堕すの」

 つまり、相手に与えるための呪いを自身に付与させたという事だ。

「そんな事をしたら、お前の身体が──」

「……ハァ……やっと口を開いてくれたわね。ハァ……」

 苦悶の表情が見て取れる。

 やめろ、なんでそこまでして僕との戦いに拘るんだ。


「──私のこと、救ってくれるんじゃなかったの?」


「あ……」

 そうだ、次に進む事ばかりを考えて目の前の琴裏を見失っていた。


 僕の戦う理由はなんだった?

 僕は何故、彼女を見てあげなかった?

 彼女を救う為じゃなかったのか?

 舐めていたのは彼女ではなく、僕だった。


「やっと私のこと見てくれたわね」

「そうか……悪かったな。僕は君も自分も見失っていたようだ」

 そう言って僕は三日月琴裏を見た。

「うん、それでこそ『三日月凛音』よ。本気で戦いなさいよ、じゃないとアンタ──死ぬわよ。もうその傷では動けもしないでしょうけど」

「生意気な妹だぜ」

 そう言って刺さったナイフを引き抜いた。すると即座に傷口が塞がった。


「嘘……! アンタ、高再生能力者だった訳ね。ならあの路地裏の傷にも説明がつくわ」

「さてな。その考察が当たるかどうかはこれからのお楽しみだ」

「そう、本当に楽しみね。私に勝てたら、アンタを嫌ってた理由も全部教えてあげるわ」

「そうか。やっぱり理由があったんだな」

「当たり前でしょ」


「──行くぜ、琴裏。今からお前を救いにいく、最高に格好いいお兄ちゃんを見せてやる」

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