9話 救いを求める手
声の主は、『三日月本家』に籍を置く三日月瑠璃子だった。
至極退屈そうに着流し姿で紙煙草を吸っている。
未だに僕はこの人が何者なのか理解出来ないでいる。突然現れては意味のわからない助言のようなものを遺して去っていく、謎めいた人物だ。
僕が帰省した際以外で唯一、外で遭遇する人物でもある。
たた一つ知っている事は、この人が《咒い》に異常に詳しい、いわゆる『専門家』だということだけだ。
「こんばんは、瑠璃子さん」
「瑠璃ちゃん、と呼べと何度も言っているだろう」
どう考えてもちゃん付けをする歳でもないだろ。明らかに二十代後半の立派な成人女性だ。
何を考えているのか本当に分からない。
彼女の言葉を無視して僕は話を続ける事にする。
「瑠璃子さん、そんな所で何をしているんですか」
「何って、見て分からないか。月を見ながら一服していただけだよ。坊やもどうだ? 乙だぞ」
『三日月』を辞める事をやめた僕は爺さんに話をしにいく予定もなくなった。
部屋に戻ってもやる事も無いし、少しの間この変人に付き合ってやるか。
そう考え軽く跳躍して門の上に立った。
「中々付き合いがいいな。そういう所、私は好きだぞ。しかし二メートルの高さを助走なしで跳ぶとは驚いた。やるな」
「そりゃどーも」
一本吸うか? と彼女が言うので一本頂き、口に咥えた。ラッキーストライクかよ。匂いキツイんだよなー。
彼女が指をパチンと鳴らすと火がついた。
ふーっと紫煙をくぐらせながら彼女は言う。
「最近はどうだ?」
「まあまあですね」
「【蠱術】は使ってはいないだろうな? あれだけ言って聞かせたんだ。まさか使ってはいまい?」
そう、この女は僕が【蠱毒】である事を知っている。【蠱術】についても何度か相談したことがある。その際、「絶対に使うな」と言われたのだ。
「いやーどっすかね。もう使わないと決めましたが」
「ほう、では私の助言を破って使っていたのだな」
「……まあ」
「あれは危険な行為だ。何度もそう言ったはずだ」
「確かに使った後は相当に疲弊します。でもそれだけです。もしタイムリミットを過ぎてもその場で数時間仮死状態になるだけですよ」
「全く……坊やは何も理解していない様だ」
そう言いながらくわえ煙草で空を見上げる瑠璃子さん。
「坊やは、あれを《自分に毒を打ち連続自殺する行為》だと言っていたが、全くの見当違いだ」
「…………」
「【蠱毒】は禁呪中の禁呪。それは理解しているか? 坊やの再生能力も本来であれば絶対にこの世界では有り得ない事だ。世界のルールを無視した現象だ」
「それは、理解しています」
「致命傷を受けた人間は死亡する。生命を閉ざす。それは世界が決めている。それはあの三日月鞘歌でさえも例外ではない」
鞘歌姉さんが致命傷なんて受ける事は絶対にないとは思うが、黙って聞いていよう。
「坊やはそんな世界のルールを無理矢理に捻じ曲げている。世界は寛大だからな。それには目を瞑ってくれているんだろう。しかし──【蠱術】は違う」
空を見ていた彼女が僕を見た。
「あれは自身の存在を『刹那に縛り付ける行為』だ。【蠱毒】という特例存在を、自分の意思で活用し、使用している」
「それが意味がわからないんですよ。意味がわからないから使ってたんですよ」
はあ、と嘆息してから彼女は話し出す。
「例え話をするぞ。そうだな、坊やがあのクソジジイからお年玉を貰ったとしよう。その封筒の中には一万円が入っていたとする」
クソジジイって。失礼にも程があるぞ。
仮にもここは『三日月』の総本家の敷地内だ。僕以外の誰かに聞かれたら大ごとだぞ。
「はい、それで?」
「坊やは今、何歳だ?」
「20歳ですね」
「ならばもうお年玉を貰う歳でもなかろう。ジジイは坊やに形式的に渡しただけだ。その一万の入った封筒は、本当は小さな子供にあげる為のものだった。本来坊やに渡す予定だったのは、五千円札の入った封筒だった。しかし間違えて一万円を坊やに渡してしまった」
話が長いんだよなーこの人。
喋り出したら止まらないから途中から大体聞き流している。だから【蠱術】も使っていたんだよな。
「ジジイが間違えて渡した事を知らない坊やは、それを普通に使うだろう。これは【蠱毒】になった状態だ」
「途中から分からないんですが」
「あーつまりだな、知らずのうちに得たものを使用する。それは何ら問題ない、という事だ」
「……なるほど」
そういう事か。話の筋道が見えてきた。
「しかし、五千円を貰うと知っていた坊やが、ボケたジジイが間違えて入れた一万円をラッキーだと考えて黙って、故意にそれを使うのは駄目だろう? 」
「その通りです」
「これが【蠱術】だ。坊やが、偶然得た《不死の呪い》を使うのであれば問題はない。しかし、それを知った上で能力として昇華し、使用する。それが駄目な事なんだ」
「…………」
僕が沈黙していると、彼女は門から飛び降り、屋敷へ歩き始めた。
「坊や、それから一つ教えてやろう。出血大サービスだ」
「何でしょう」
「坊やは、【蠱術】の使用限界の後、仮死状態になると言っていたが、それは間違いだ。『刹那に縛り付ける行為』、この言葉の意味をよく考えみることだ」
そう言い残して、彼女は屋敷の中へ消えていった。
「『自身を刹那に縛り付ける』……連続自殺する行為ではない……全く意味が分からん」
瑠璃子さんのいう事は全く意味が分からない。
それでも、使用してはいけないという事は理解できた。元より、もう使用はしないと決めている。
しかし仮に。
僕の大切な人が危機に陥った時、僕はきっと──。
気付くと煙草は根元まで火が近づいてきていた。それを掌で消し、僕も屋敷へと歩き出した。
「ただいまー」
そう言いながら屋敷へ入ると、偶然にも琴裏が歩いていた。
首にタオルをかけている。格好はTシャツ一枚にショートパンツのみ。
濡れている髪を見るに、丁度風呂上がりなのだろう。
「フンッ」
僕を無視して歩いて行ってしまった。
今日一日一緒に大冒険をした仲なのにも関わらず、全く心を開いてくれていない様だ。
無視はされたが、与えられた部屋が隣なので付いていかない訳にもいかない。
前を歩く琴裏を追う形になってしまった。
風呂上がりの彼女の姿を見るのは何だか申し訳ない気がして、縁側から中庭を眺めながら歩いていると、彼女が僕に向かって振り向いた。
「なんで付いてくるのよ!」
案の定怒られた。理不尽すぎるだろ。
しかも僕を残して帰りやがって。一言、一緒に帰るかと声をかけてくれても良かっただろ。別に桜とご飯を食べてきたから構わないけど。
「僕の部屋、こっちだし」
「最低!!」
そろそろ泣いてもいいかな? いいよね? 少しは打ち解けられたと思っていたのに。
「最低でもなんでもいいよ。どけ、僕は疲れたから寝る」
瑠璃子さんの話が長過ぎて疲れた。
風呂に入る気力もない。
僕が彼女の横を通り過ぎようと歩き出すと、すれ違いざまに琴裏が言う。
「……アンタは……兄様に絶対勝てないわよ。あの人は、次元が違う。アンタ、本当に殺されて──」
もしかしたら、泣いているのかもしれない。声が震えていた。
「琴裏」
その憂いを帯びた言葉を遮り、僕は彼女に満面の笑みを浮かべ言う。
「僕が君を救ってやる。全部お兄ちゃんに任せておけ」
──『血闘祭』まで、あと二日。
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