7話 立待月

 部長室から退室し、琴裏を見ると俯いていた。心なしか表情も暗い。

 何があったのか分からないが、話しかけない訳にもいかない。


「おい、大丈夫か? 体調悪いなら遠慮なんてしないで言えよ。今日は疲れただろうし──」

「うるさい!!」


 僕の言葉を遮って怒号を飛ばす琴裏。

 確かにお節介が過ぎたかもしれんが、そんなに怒らなくてもいいだろ。

 我に帰った様に、顔を上げる琴裏。

「……私に優しくしないで、お願い。帰る」

 早足で歩き出す彼女を追う。


「帰ると言っても車はオシャカだぞ。帰りはタクシーか電車だ。一人で帰れるのか?」

 そう言うと、琴裏は自分のスマホを取り出し電話を掛け始めた。

「もしもし、兄様? 迎えをお願いできませんでしょうか……はい、そうです。申し訳ございません。よろしくお願いします。……失礼します」


 本物の兄貴が居たのか。知らなかった。お兄ちゃんヅラしてたのが恥ずかしくなってきた。

 しかし余りに他人行儀すぎやしないか?


「迎え、頼んだから。ここから出る方法教えて」


 先程までの萎縮した態度は何処へやら。ぶっきら棒な口調で僕に質問を投げかけてきた。いや、もう投げかけるとかいうレベルじゃない。思い切り言葉でブン殴る位の勢いだ。

 一体全体何が気に入らないんだか。


「こっちだ。付いてこい」


 帰り際に七海の存在を確認したが、もう既に姿はなかった。

 定時ダッシュしやがったな、あいつ。余った時間をあそこで潰してただけだった様だ。


 社内を琴裏を連れながら進んでいく。毎度思う事だが迷路の様な造りになっている。

 分かりやすく例えるのであれば東京駅。アレに近い。実のところ恥ずかしながら未だに僕も時々迷う。

 内心ヒヤヒヤしながらも何とか迷う事なく駐車場まで戻ってくる事ができた。


 琴裏が車に置いてあった今日買ったピンクの紙袋を取り出し、胸に抱く。その兄様とやらの誕生日プレゼントかなんかだろうな。

 実質廃車になった車を放置し、門に向かって歩き出すと、真っ黒な服を着た少女が歩いてくるのが見えた。


 僕の希望、幾望桜だった。

 漆黒のゴシックロリータドレスを身に纏い、斜めに小さなポシェットをかけている。

「桜」

 彼女の名前を呼ぶ。

 すると僕に向かって小走りで近づいてきた。

「凛!」

「どうした。何かあったのか?」

「何かあったから来たんでしょ。凛、あれから全然連絡してこないし。隠密行動中の可能性を考えて電話もしなかったの」

 つまり僕を心配して来てくれた訳だ。涙が出そうだよ。


「悪い、M1に会っててな。死んでないから安心してよ。でも今回は結構ド派手なレースだったぜ、な、琴裏」

「…………」

 僕が話し掛けても返事をしてくれない。


「何か訳有りって感じだね。こんだけ心配させたんだから夜ごはんは凛の奢りね。話はその時にでも聞くよ」

「はい、分かりました。すみませんでした」


「……そうね」

 後ろに立っている琴裏が小さな声で何かを呟いた。次の瞬間、僕の鼓膜は破れんばかりに振動した。


「あーあー!! 幸せそうでいいわね! そうやってずっと幸せに生きていけばいいのよ!!」


「……?」

 怒り心頭の琴裏を意にも介していない桜がそこに居た。可愛らしく首を傾げている。

 こういう時に余計な事を言わない桜は本当に凄いと思う。

 悟り能力の様な力を発揮した桜が、会社に用事があると一言だけ告げて去っていった。いや、単に面倒臭くなって逃げただけか。


 門の外に出て暫し待っていると、一人の男が僕達に歩み寄って来た。

 長い黒髪を後ろで一つに結んだ美青年だった。身長が高く歩く姿はファッションモデルの様だ。

 この男を僕は知っている。


「こんばんは、凛音くん。妹が迷惑をかけてしまった様で申し訳ない」


 柔和な笑みで僕に話しかけきた。

 居場所のない『三日月家』で爺さんや姉さん以外にほぼ唯一僕に普通に接してくる人物。


【天花五家】『三日月』

 戦闘序列第五位 立待月命(たちまちづき めい)。


『立待月家』は本家『三日月家』の分家だ。その分家から排出された戦いの天才、それが彼だ。

 直接立ち会った事はないが、僕が序列七位である時点で格上であることは明白だ。勝てる見込みが全くない。


 しかし、妹が『三日月』姓なのに、兄は『立待月』姓とは……なんだかややこしいな。腹違いとかそんな感じのアレか。これは深入りしない方が良いな。


「別に迷惑はしてないが、口が悪いのだけは何とかならんのか」

 そう言うと、琴裏が僕の膝を軽く爪先で小突いた。

 次の瞬間、命の右手が琴裏の頭を掴もうと目の前に迫って来ていた。


「お前──今何をしようとした」


 ギリギリのところで命の手を掴む僕。


「何って、教育さ。凛音くんに迷惑をかけたんだ。土下座くらいさせるのが筋だろう? 序列持ち、しかも七位のキミに対する態度じゃない」

「序列なんて関係ない。仮にあったとしても頭を掴んで土下座させるなんて、兄貴のさせる事じゃない」


 そうだ、こいつは『完全序列主義者』だった。


 戦闘序列だけで他人の全てを評価する、そういう人間だった事を忘れていた。

 毎年一度の帰省の際──『血闘祭』の時のことだが、熱心に僕に序列とは何かを語っていたのを思い出した。


「じゃあ兄とは何をする為にいるんだい? 教えてくれよ、天涯孤独の『三日月凛音』くん」


「決まってる──護る為だ」


 僕は、雪那を護る為に兄をしていた。約束を守ることは出来なかったが、それは間違いなんかじゃなかったと、今でも断言できる。


「へぇ、面白い事を言うねー凛音くん。そんな事、俺は思いつきもしなかったよ。まあ、俺も大人気なかったかな。申し訳ない」

 そう言いつつ踵を返す命。


「帰るよ、琴裏」

「は、はい……兄様」


 小走りで彼に付いていく琴裏の横顔を見る。

 それは酷く弱々しく見えた。喜怒哀楽の全てを失くしてしまった様な、そんな顔だ。

 この表情、何処かで見たことが……。


「今年の『血戦祭』。楽しみにしているよ、凛音くん」


 ──ああ、そうだ。

 かつての、僕だ。桜や可憐に救われる前の、僕の表情だ。


「──いいぜ、乗ってやるよ、命。序列五位は僕が貰う」

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