6話 運命の輪

「これが警備会社EOS……大きい……」

「無駄にな」

 都心の一等地でこの規模のビルはあまりない。

 場所は中央区日本橋、隅田川の側。

 オフィスビル街とは微妙に呼べない謎の場所に本社ビルはそびえ立っている。しかも自社ビルだと言うのだから本当に無駄としか思えない。


 警備の門が見えてきた。

 建物は高い塀に囲われており、その上には電気柵が張り巡らせてある。少しでも触れれば指が飛ぶレベルの電流が流れている。しかも出入り口は一箇所しか存在しないという徹底っぷり。

 更にそこには二十四時間常時警備員が張り付いてる。まさにアリ一匹入る隙がない監獄のような会社だ。一件物騒なだけに思えるが、こうする事で命を狙われている人間を保護して匿う、という事も出来る訳だ。

 徐行しながら門へ近付いて行くと、三人の警備員が即座に駆けつけてきた。


「そこの不審な車両、止まれ!」

 男の一人がそう叫びながら拳銃を僕達に向けていた。相変わらず物騒な会社だ。何処が普通の民間企業だよ。

 車を止め、ドアがないので身を乗り出して僕は言う。


「お疲れ様です」

「誰だ!!」

 あれ? いつもなら素通り出来るのに。この車のせいか?

「僕ですよ、林田さん。エージェントE5、三日月凛音です」

「…………」

 暫し沈黙する男達。


「E5……! し、失礼致しました! どうぞお通り下さい」

 拳銃を構えていた一番若いであろう男が即座にそれをしまい、僕に敬礼をして寄越した。


「敬礼は結構ですよ。僕の方が年下です」

 そう言うと僕が林田さんと呼んだオッサン警備員が近づいて来ながら言う。


「あーそういう堅苦しいの彼は嫌いだからいらないよー。三日月くん、お疲れ様。てかどうしたのさ? その車……軽自動車最速とも称されると言っていた君の愛車ラパンSSターボじゃないか!」

「最速の称号は返上しました。軽自動車でカーチェイスはしてはいけないようです……」

「よく生きてたね、三日月くん」


 そんな話をしていると重厚な音を立てながら正面の門が開いた。

「ありがとうございます、ちょっと怒られてきます」

 そう言って僕は車を発進させた。

 そして敷地内の駐車場に車を駐車し、琴裏が降りたのを確認してから、癖で鍵を閉めようとキーのロックボタンを押す。すると左の扉だけロックがかかる音がした。なんとも虚しい光景だった。


「ねえ、これからどうするのよ」

「とりあえず僕は今日の礼と謝罪を込めて上司に会いに行く。先程の一連の騒動の隠蔽もお願いするつもりだ。付いてくるか? 社会見学だ」

「いいの?」

「いいんじゃないか? 知らんけど。待ってるのも暇だろ、それに春先とはいえこの時間帯は冷える。風邪引くぞ」

 既に夕暮れ。

 今日は買い物とカーチェイスをしていたら一日が終わってしまったよ。


「なら行く」


 琴裏を連れてロビーにある受付へ行き、入館証を受け取りそれを彼女に渡した。

 時計を確認してみると時刻は17時。この時間ならまだEOS社員は働いている。


 M1は最上階の特務課に居るはずだ。

 上層階行きのエレベーターのボタンを押し、しばしそれを待っていると背後から声が聞こえてきた。


「え、あれって……E5じゃない?」

「絶対そうだって!」

「え、すご……私、一桁持ち初めて生で見たかも……」


 初めて見た一桁持ちが僕で残念だったな。可哀想に。

「何、もしかしてアンタ有名人なの……?」

 琴裏が僕に向かって話しかけてきた。

「知らん」


 エレベーターに乗り、特務課のフロアに到着した。

 オフィスの扉の前に前にはセキュリティ対策の為、網膜認証、声紋認証装置が設置されている。

 それに僕は近付き、瞳を装置に翳しながら言う。

「E5、三日月凛音」

 ピーという音と共に扉のロックが自動で外れる音がした。

「すご、映画じゃん……」

「仮にも一流警備会社だからな。それにここは別にそんなに驚く場所でもないぞ。これから入る場所は『セキュリティレベルA』のこの会社の社員でもごく一部の人間しか入れないエリアだ」


 このフロアのセキュリティレベルはB。ここまでは桜も入る事が出来るエリアだ。M1はその先にいる。

 フロアを進んでいくと、休憩スペースのソファーに仰向けになって寝そべりながらスマホを弄っている女の子がいた。


「あれれ? りーちゃんではないか? オフィスに来るなんて珍しいじゃない。何かあったのかい?」


 僕をりーちゃんと呼ぶ女の子。

 彼女はEOSエージェントE9、近衛七海。

 僕と同じ一桁持ちの少女だ。

 外見はいつも何故か和服。今日は血のように真っ赤な着物を着ている。しかし金色の髪と青い瞳が折角の日本人感をかき消していた。

 これで普通にハーフとか外国人であれば「和装が趣味」で済むのだが、一滴も外国の血が混ざっていないというのだからシュールだ。


「よう、サブカル女」

「いきなり嫌なヤツだよチミは。その後ろの子はどなただい?ウチのエージェント……じゃなさそうだけども」

「僕のいも──」

「三日月琴裏です」

「僕のい──」「三日月琴裏です」

 どうやら僕の妹だと紹介されるのはどうしても嫌だという意思表示だった様だ。


「『三日月』……ふーん、へぇ、なんほどねぇ」

 寝転んだままで眼球だけを動かし、琴裏を観察する七海。

「ところで君は仕事もせずに何をしてるんだ」

「仕事はもうしたよー。ふつーの人が相手だったから速攻で片付けてきただけなのだ。そう言うりーちゃんは仕事してるのかい?」

「僕は有給だ」

「嘘をつけぃ。仕事大好きなりーちゃんが休みなんて取るわけないぞー」

「好きじゃない。他にやる事がないからしていただけだ」

 義務だと思って、人を護り続けていただけだ。それが仕事になっていたというのだからこの仕事は僕にとって天職だと思う。

「かわいそー」

 そう言いながらケラケラと嗤う。

「僕はもう行くぞ。じゃあな、サブカル女」

 そう言って歩き出す。すると僕の背後に隠れるように小走りで琴裏が付いてきた。

「またね〜!」と仰向けになりながら手を振っている七海が見えなくなった所で琴裏が突然口を開く。


「な、なによあの人!」

「何って、僕の同僚」

「そうじゃなくて、何者よ! アンタには及ばない。及ばないけど……相当な人間を……うん、そうね……アンタ程ではないわ」

 一人で叫び出して勝手に自己完結してやがる。意味が分からん。

「言っとくけどアイツは僕より強いぞ、多分」

 エージェントナンバーは僕の方が上だが、一対一の戦いなら恐らく【天國】を抜刀しても負ける。最終的に生き残るのは僕だが。

「そんな事は言われなくても分かってる」

 クソほど舐められている僕だった。



「了解、その場で待機せよ」

「S27、現時点から北西方向へ500メートルほど先に移動せよ」

「こちらM17、現状を報告せよ」

「O31はその場で待機、E47が対象捜索中」



 何やらガヤガヤとヘッドセットをつけて通話をしながらPCを操作している仕事中の皆さんを横目に、フロアを進んでいく。


 そして部長室の扉の前に立つ。

 ノックをしてから普通に扉を開けた。

「失礼しまーす」

「最後のだけセキュリティ甘くない!?」


「来たか、E5。金を払え」


「第一声がそれですか」

 いつものようにスーツに眼鏡姿のM1が、実に暇そうに椅子に腰掛け僕を待っていた。

 マルチディスプレイの前に座ってはいるが、仕事はしていなかった。普通に大画面でYouTubeを見ている。


「命の次に大切なのは愛だ。愛の次に大切なのは時間だ。時間の次に大切なのは金だ。つまりはそういう事だ」

「つまり、から先が理解出来ないのは僕の頭が悪いからでしょうか」

「そうだ。貴様は命も大切にしない、愛もない、時間もない、……な?」


 な? じゃねぇよ。そのドヤ顔晒すのをやめろ。意味がわからんわ。

 という心を殺すのが社会人である。


「命は大切にしてます……今は。愛もあります……多分。時間は……アンタらが僕を酷使するせいで無い。つまり会社が悪い」


 いつまで経っても殺しきれない僕だった。


「それはすまんかったな。反省はしないし後悔もしないし、因みに先程の謝罪も言葉の上だけだが」

 古谷部長よりダルいよこの人……帰ってきてくれ、オッサン。


「冗談だ。そんなに露骨に嫌そうな顔をするな。金も払わなくていいぞ。クルマの爆破の隠蔽は先程終わった」

 流石に仕事が早いな。しかし金を払わなくていいとはどういう事だ。


「またやり合ったそうだな、【天花五家】と。戦闘狂はこれだから困る」

「何故それを……?」

「『数珠丸家』から弊社の口座に金が振り込まれていた。迷惑料だそうだ」

「……マジですか」

「マジだ」

 数珠丸……なんだったか。

 そうだ、数珠丸叫。なんていい奴なんだ。次に会ったら即座に《名乗り合い》するのはやめてやろう。

「それよりも、だ。貴様、部外者をここへ入れるとは中々勇気があるな」

 そう言って琴裏を見るM1。

 やっぱり連れてくるのはマズかったか。

「まさかこのエリアのセキュリティレベルを知らない訳ではないだろう? 相手が私でなければ一発懲戒免職だ」

 という事はセーフか。危ねぇ。

「すんません」

「構わん。相手が貴様で無かったらどうなったかは分からんがな。という訳で私は今からYouTubeを見──仕事をするから帰って構わんぞ。先に言っていた路地裏での殺人、今の所情報は上がってきていない。分かり次第、連絡を入れてやる」

 そう言って僕達に背を向けて本当に動画を見出すM1。


「分かりました、よろしく願いします。今日はありがとうございました」

 僕がそういうと、僕達を見ないままM1は片手を振った。

「帰りに服を着替えていけ。その辺のMothersに声をかけろ、直ぐに用意するぞ。一桁持ちの特権を今使わずいつ使う」

「了解」

 琴裏には全く興味が無いようだった。

「帰ろうよ」

 そこで初めて琴裏が言葉を発した。

 そう言ってドアノブに手を掛けようとする。咄嗟に止めようと僕が彼女の手を掴もうとした瞬間、M1が言う。


「──三日月琴裏、貴様は地獄への道を歩き始めた」


 ビクッと琴裏の身体が震えた。そのまま硬直している。

 地獄への道? 一体なんの事だ?


「引き返すのであれば今しかないぞ」

「な、なんの話よ……」

「そのドアノブに触れるな、という話だ。E5、開けてやれ」


 そう言うことかよ。驚かせるなよ。

 しかし、死にかけただけで『地獄への道』は言い過ぎだろう。

 僕は琴裏とドアの間に割って入り、扉を開けた。

 実はこのドアは、登録されていない生体が触れると超高電圧の電流が流れる仕組みになっている。網膜認証なんて、これに比べたら緩い事この上ない。故に『セキュリティレベルA』。

 それ程にこの部屋は秘匿されている情報が多い、と言うことだ。

 桜曰く、持ち出されたら、盗み見られたら、それだけで世の中が少し傾く。世論が揺らぐ。世界が、歪む。

 そういうものが存在するらしい。

 戦いを生むかも知れないし、殺し合いを生むかも知れないし、戦争さえも生むかも知れない。それは僕にも分からない。


 部屋を出る時、M1が独り言を呟いた。

 その時の僕には、その言葉の真意が全く理解できなかった。だが、知ることになる。

 運命の輪からは逃げられない。


「──凛音。三日月琴裏を、救ってやれ」

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