2話 非日常の始まり
車を走らせ、妹様のお目当てのショッピングモールに到着した。車内ではずっと僕に何か文句を言っていたが、全て黙殺した。
「僕は二階の本屋に居るから、終わったら声かけて」
僕がそういうと、返事をする事なく彼女は歩いていってしまった。
「これが反抗期ってやつなのかね……」
彼女が買い物をしている間、適当に漫画立ち読みをしたり、桜が愛読しているという哲学者を購入してみたり、可憐が毎号買っているという女性ファッション誌を読んだりして時間を潰した。
本屋の横のアイスクリーム屋でアイスを買い、本屋が見える位置のベンチに座って食べたりして二時間ほど待っていると、彼女が戻ってきた。どうやら買い物は無事に出来たらしい。手にはピンク色の紙袋が握られている。
何を買ったのかと聞いても、絶対に教えてくれないだろうし、加えて怒られるということは分かっていたのであえて何も聞かなかった。
「アイス食べる?」
僕がそういうと、彼女はショーケースの前まで歩いて行き、黙って指をさしたのでそれを買ってあげた。
何だかんだ美味しそうにレモンシャーベットを舐める彼女を見て、僕はほんの少しだけ今日は来て良かったと思えた。
「ん」
そう言って彼女が僕に手を差し出してきた。その上には五百円硬貨が乗っている。
「これ位別に良いよ」
「貸しを作るの嫌なの。それにあんた貧乏そうだし」
「自慢じゃないが僕は社畜だ。金には困ってない」
本当に自慢じゃないので泣けてくる。
先日の任務での成功報酬もたんまり貰ってしまったし、僕は物欲がない。故に金だけは持っている。
「あっそ。三日月への恩を忘れて独身貴族様やってる訳だ」
「一応爺さんに仕送りはしてるよ……倍額が振り込まれてくるけど」
就職して直ぐに三万入金したら翌月に六万振り込まれていた。ムキになって五万入金したら翌月は十万。今では十万入金して二十万振り込まれるという謎のスパイラルが起きている。何か買ってやろうと差額は貯めているが、そんな事しないで結婚資金にしろとか言われそうな予感がしている。
「ふーん……アンタ、何買ったの?」
至極どうでも良さそうにアイスを片手に、僕に質問してきた。
「本だよ」
「ふーん」
興味無いなら聞くんじゃねぇよ、とは思ったが大人の心でその突っ込みを我慢した。
「少し行きたい場所があるんだけどいい?」
桜の着ているゴシックロリータ専門店に行ってみたいと常々思っていた。出掛けたついでた。丁度いい。
「別にいいけど」
運転手の僕が何故か許可を貰うという謎過ぎる一連はさておき、ショップ名を聞く為に桜に電話をした。数コール待つと、返答があった。
『もしもし、どしたの?まだ帰省してるんだよね?』
「うん、明日には帰るよ。聞きたいことがあってさ」
『……もしかしてまた何か事件に巻き込まれたの?』
心底心配そうな声が受話器から聞こえてきた。何て優しい子なんだ。
「いや、全然。ほら、桜の着てる服、支店がウチの近くにもあるって言ってただろ?あれ何てショップだっけ」
『あーhazepayね。何?行くの?遂に凛もゴスロリの魅力を理解したの!?』
「いや魅力は理解してたよ。桜が着てて可愛いと思ってたし」
『…………そういうのは面と向かって言ってよね』
長い沈黙の後にそんな事を言う彼女は本当に可愛いと思う。
「照れてんの?」
『バカ! 凛のバカ!』
何とも可愛い生き物よのぉ。
「ごめんごめん。今度色々教えてくれよ。近い内遊びに行こう。そんだけ」
「絶対だからね!じゃ!」
少し名残惜しいが、そうして通話を終了した。
「何か嬉しそうじゃん。そんな顔もするんだ」
琴裏が僕を例の如く睨みつけていた。外見のレベルだけなら可憐や桜とも良い勝負をしそうなものだが、いかんせん表情の差が酷い。
いや、これは僕が嫌いなだけか。
「そう?」
「別にアンタの事なんてどうでもいいけど」
「……そう」
再び車に乗り込み、ナビを目的地にセットして走り出した。その間、車内は無言だ。琴裏は購入したものを大事に抱き締めて後部座席に座っている。絶対に助手席には座りたくないらしい。徹底して嫌われている。
車内で同じ空気を吸うのも嫌、という意思表示だろうか。勝手に後部座席の窓を開けていた。
目的地はどうやら路地裏にあるアングラショップらしいので、有料駐車場に車を駐車しエンジンをかけたまま車を降りた。
すると琴裏も車を降りていた。てっきり車で待っていると言うと思っていたので驚いた。
「来るのか?」
「…………」
また無視された。
仕方なしにエンジンを切り、鍵を締めて歩き出すと、嫌そうに僕の二メートルほど後ろをついてきた。
嫌なら来なくていいのに、と思ったがそれもあえて言わずに黙っていた。目的地は人通りの全くない陰鬱な路地裏にひっそりと佇んでいた。このアングラ感、たまらん。
「…………」
入店しようと一歩踏み出した所で、とても小さなものだったが、周囲のビルに反響して悲鳴が聞こえた様な気がした。
僕はその方角に向かって駆け出した。
「ちょっとアンタ、どうしたの!」
振り向くと琴裏が僕について来ていた。
「店の中にいろ!悲鳴が聞こえた!」
「えっ?」
彼女の言葉を無視して先程の声を追いかける。
薄暗く狭い道を走っていると、赤い雫が点々と道標になっていた。それを追って路地の角を折れると、そこに一人の男が立っていた。
「っ……!!」
僕より後に追いついた琴裏が悲鳴を押し殺した。
──男の周辺に肉塊と血液が飛び散っていた。
鉄臭い血液の臭いが立ち込めている。これは血糊などのダミーではない。
本当に今ここで誰かが殺された、それは一目瞭然だった。そしてその犯人がその男であるということも。
男が僕達に気付いて、振り向いた。
「俺じゃないよ?」
そう言って男は嗤った。
手には血液で濡れた刃物が握られている。
「琴裏、逃げろ」
「人、死んで……嘘、だよね……?」
声が震えている。僕の身体に身を寄せて来て、その身体の震えが尋常なものではない事も理解できた。
人を殺せるとか言う癖に、死体を見た事はないのかよ。
「お前じゃないというのなら、誰がやったんだろうな」
「さあ? 俺が来た時にはもう、こうだったさ。でもこうして見ると……女の子ってのは切り刻んでも美しいなぁ」
恍惚とした表情で刀についた血液を長い舌で舐めとる男に狂気を感じ取った。猟奇殺人、これはそんな生易しいものではない。
そして、この肉塊は一見して性別がわからない。
「何故この死体が女の子だと分かったんだ」
「俺が殺したからさ。そんな事もわからないのかい?」
さっきと言ってる事が違うじゃねぇか。
「……琴裏、行け。ここは僕が何とかする」
動機も何もかも理解出来ないが、こいつの狙いは女子である事は何となく分かった。琴裏を逃すのが優先だ。
肘で軽く小突き、逃げる様に促すと彼女はそれに驚いて尻をついてしまった。
さっきまでの威勢は何処へ飛んでいってしまったんだ。
「……やるしかないか」
【天國】は勿論持ってきていない。【蠱術】はもう使えない。となればこの身一つでこの状況を打破するしかない。
……ここで琴裏を抱えて逃げるという選択肢もあるが、後の脅威になる事は明白だ。先日僕は、大典太死織を相手に全力で戦わずして敗北した事を後に悔いた。ニノ鉄は踏まない。
「何をやるんだい?」
この場で最善の手を尽くすに決まってる。
「──【天花五家・三日月】序列七位 三日月凛音」
『名乗り合い』で攻撃対象を僕に絞らせる。
「何だい?それは。きみは女の子……じゃないよね?男かな?まあいいや。そこに座ってる女の子。きみ、遊ばない?」
『名乗り合い』を知らない、つまり【天花五家】や『殺し屋』の類ではないという事だ。これは不味い。
「僕の可愛い妹にその汚い視線を向けるな」
仕方ない。琴裏を護りながら戦うしかない。僕は見ての通り手ぶら、相手は刃物を持っている。あの刃物は──ハンティングナイフか。部が悪い。
「誰が汚いってーーーーーッ!!」
そう叫びながら男が僕に向かって走ってきた。
緊急事態だ。許せ桜ッ!
身体を道具にさせてくれ!
上から振り下ろされたナイフを右腕でガードした。しかし、その腕は容易く斬り落とされ、右眼までごっそり斬り裂かれた。
なんつー切れ味だ。
「キャアアアアアァァァッ!!」
琴裏の悲鳴が聞こえる。
忘れていた。右腕に仕込んでおいた短刀は大典太終火があの世に持って行ってくれたんだった。癖でガード出来ると思ってしまった。
即座に思考を切り替え、その場に倒れこんだ。
「いや……いや……」
琴裏が後ずさっているのが分かる。
「さーて、俺と一緒に──」
ゆっくりと立ち上がり、僕に背を向けている男の髪を掴み、思い切り地面に叩きつけた。
斬り裂かれた僕の腕と目は既に回帰している。
「アァッ!!」
男が悲鳴をあげた。
「僕の妹を泣かせたな。妹泣かせ罪つまり──死刑執行だ」
何度もコンクリートに男の頭を思い切り打ち付けた。
額が裂け夥しい量の血液が噴き出していた。痙攣する男からハンティングナイフを拝借し、首を斬り飛ばそうとした所で琴裏に止められた。
「もういいから! やめて! この人死んじゃう!」
彼女が僕の腕を掴んで離さない。
「死んじゃうんじゃない。──殺すんだよ」
「何で!?」
「僕の妹を殺そうとした。殺すって事は、殺される覚悟も持ってないといけない。彼は殺される覚悟があった。つまり、僕は彼を殺す権利がある」
「落ち着いて! ね?」
何を言ってるんだ。僕はこれ以上ない程に落ち着いている。現状把握は勿論、周囲に人が居ないか、《咒い》の痕跡がないか。監視カメラはないか。その程度は全て把握している。
「僕は大切な人を護る為ならなんだってする。例えこいつが神でも、悪魔でも、閻魔でも殺す」
「た、大切って……待って。私の事、大切じゃないでしょ! だから……」
「──大切だ。人が集まってくる可能性がある。後にしろ」
そう言って男の首を撥ねた。
「……うそ……」
「身体に触れるぞ、琴裏」
彼女を抱き抱え、即座に走り出した。そして人目に付かないよう慎重に駐車場まで戻り、助手席に琴裏を投げ込み、車を発進させた。そして一息ついて僕は話し出す。
「世界一治安が良い国ってのは、嘘だな。スラム街かよ」
あの辺りには行かないよう桜と可憐には厳重に言っておかないといけない。
といつかもう、心配だから彼女達が卒業するまでアクナシアの警備員にでもなろうかなと思う僕だった。
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