1話 帰省、義妹の想い
「おい起きろクソ溜め」
春。
僕はこの季節が好きだ。
出逢いと別れの交差する切ない人々の想い。
世界には希望が溢れていると言わんばかりに咲き誇る桜。
そして、春眠暁を覚えず。
この言葉の通り、睡眠には最高の時期だ。
夏も夏で好きではあるが、春という季節は、早朝強い日差しや、さながらサウナの様に寝苦しくて起きてしまう事はない。朗らかな陽気に包まれて、いつまででも眠れてしまう。
十代の頃は常軌を逸している程に眠れた。それはさながらナマケモノの様な有様で、別段疲れていなくとも隙があれば寝ていた。
人生の三分の一は睡眠時間だと言うが、僕は多分半分くらい寝ている。自尊心の低いこの僕が睡眠魔王を自称出来る程に、レム睡眠が入り込む余地なく寝た。
しかし二十代になってからは何故だか違う。九時間以上は寝ていられず、何故か目を覚ましてしまう。そんな現状を打破してくれるのが春だ。
「いつまで寝てんだよゴミ屑」
僕は今、どんな事が起きても目覚める事はないだろう。それが僕に対する心無い言葉のラッシュであってもだ。
「起きてるのよね? アンタみたいなのがいつまでも惰眠貪るなよ。いい気になるな」
嘲りの言葉も、春の前では小鳥の囀りに等しい。
しかし――そんな小鳥の囀りも一時間聞け続ければ嘲りに変わる。
「……うるさいんだけど」
一時間の沈黙を破り、布団に包まったまま僕は返事をした。
「早く……しろッ!」
布団を引き剥がしにかかる凶暴な小鳥に対し、僕は自己防衛の為に頭まで布団を被り、がっしりと掴んだ。しかし小鳥は思いの外力が強く、僕は布団と一緒に床に転がり落ちた。
「床、冷たい」
「アンタに布団は勿体無いわよ。起きろ」
目を開けると、一時間に渡って枕元で僕を罵倒し続けた僕の義妹――三日月琴裏《みかづきことり》が仁王立ちで立っているのが見えた。
「朝一パンツ、あざす」
「死ねよ」
恥じらう事もなく、僕に尚もパンツを見せつけながら彼女は罵倒を続けた。ゴキブリを見る様なその視線と絶景をしばし堪能する事にする。
「何なんだよ。子供は学校に行けよ」
「春休み。アンタこそ仕事はどうしたのよ」
「有給」
中学三年から現在に至るまでの約五年間、僕は警備会社EOSで特殊任務課のエージェントとして仕事をしてきた訳だが、その五年間で一度も有給を使った事がなかった。故に、つかわれていなかった休みを使って『三日月本家』に帰省している最中だ。
本来、それは休養の為のものであって、殆ど面識のない義妹に罵られる為に帰ってきているのではないはずなのだけど。
「帰ってこなくていいのに」
「ここは僕の家だ。いつ帰るのかは僕が決める」
そう言いつつ、立ち上がった。
汚物を見る様な視線を軽くいなし、彼女を見た。
栗色の長い髪が印象的な女の子だ。その髪を邪魔だと言わんばかりに乱雑に後ろで一つに結び、長い前髪を百均で六十本入りで売っている様な洒落っ気のない黒いヘアピンで留めている。しかしこの髪の艶、カラーリング。頻繁に美容院に通っている事が伺える。肌もきちんとケアされていて、中学生女子にしてはかなり垢抜けている。
「今更帰ってきて何のつもり?この家の何処にもアンタの居場所はないわよ」
「爺さんに言ってこいよ」
「……何でアンタが『三日月』に居るのか分かんない。アンタなんか他人」
と、この様に養子の分際で高校に上がる前に家を飛び出した僕に対して『本家』の人間からの風当たりは非常に強い。
彼女が幼い頃に家を出た僕は、彼女にとってはただの他人だろう。そんな他人が自分の生まれ育った家、しかも隣の部屋で惰眠を貪っているのだから不快に思ってしまっても仕方ない。
「悪いけど、僕は君に何を言われても動じないぞ」
そう言って布団を携え、ベッドに戻ろうと歩き出した。
「頭にくるんだよね。『三日月』から逃げた臆病者」
「そんなに僕の事が嫌いなら殺せば良いんじゃないか?」
寝転び再び目を閉じると、首元に冷たい何かが触れるのが分かった。
「――アンタ、私が殺せないとでも思ってるの?」
「うるさいな……僕は寝る」
恐らく刃物を当てがっているんだろう。
彼女は【天花五家】『三日月』として人を殺す訓練を受けている。本当に僕を殺す事も出来るはずだ。
「……怖くないの?」
「寝るって言ってんだろ。聞こえなかったのか?用事が無いなら消えろ」
「くっ……用事ならある」
「あ?」
目を開けると、トレンチナイフを仕舞う彼女が目に入った。物騒なもん持ち歩いてるんじゃねぇよ。怖いわ。
「車出して」
僕はアッシーの為に一時間に渡り恫喝された挙句、殺されかけたのか。
「僕の鞄にキーが入ってる。使っていいぞ」
「私はまだ中学生よ。免許なんて持ってないわよ」
「僕の財布に三台廃車にした経歴を持つにも関わらず、今年で金色に輝く予定の魔法のカードが入ってるからそれを持っていけ」
「……何で生きてんのアンタ」
僕が《不死の呪い持ち》であることをこいつは知らないんだな。『三日月本家』の中では共通認識だと思っていたが……爺さんは事を公にしていないらしい。
ここ五年間、戦闘序列を決める『血闘祭』以外はまともに帰省した事が無かったので知らなかった。
「運転出来ないとか言うのなら三井さん辺りにお願いしろよ」
三井さん。本家の使用人だ。
「みなさんは『血闘祭』の準備で忙しいのよ、アンタと違ってね」
正論すぎて耳が痛い。
血闘祭。年に一度、三日月家で行われる戦闘序列を決める為の大会だ。毎年、本家も分家も集まってワイワイやるお祭りの様なものだ。しかし序列を決めるという重要な大会の為、皆この時期は鍛錬や準備で忙しいのだ。
「……仕方ないな」
鞘歌姉さんに頼めば二つ返事で了承してくれるだろう。しかし恩人に運転手をさせて僕が惰眠を貪っている訳にはいくまい。
のそのそと起き上がり、時計を見ると針は八時半をさしてきた。
「よーし、天気も良いし河口湖でも行くか」
「なんでアンタと観光しなきゃいけないの?買い物よ」
「何買うの?パンツ?」
「死ねよ」
今日は一日ゴロゴロしているつもりだったが仕方ない。
「待ってろ。着替える」
僕がそう言うと返事もくれずに琴裏は部屋を出て行った。
一応妹とはいえ、会ったことは殆どない。僕からしても他人同然だ。いや、血縁も恩も無いし赤の他人と言ってしまっていいのかも知れない。しかし形式上、戸籍上では兄……というか叔父?な訳だし最低限の面倒は見るべきだろう。
顔を軽く洗い歯を磨き服をパパッとスーツに着替え(レディース以外の服を持っていないので)、手袋をはめた。そして中庭を見ながら廊下を歩いていると、多くの使用人とすれ違った。彼らは僕を見ると笑顔で挨拶はしてくれるが、それは腫れ物に触るようなものだった。
「僕の居場所はない、か」
本当にそうなのかも知れない。そろそろ潮時なんだろう。
僕はもう成人しているし、自立もしている。『三日月家』にいなければいけない理由はもうない。今回の『血闘祭』は辞退しよう。そして今夜辺り、爺さんに話をして『三日月』をやめよう。
そんな事を考えながら歩いていると、不機嫌そうな表情で琴裏が僕を待っていた。
乱雑に結ばれていた髪は解かれていてきっちりとセットされ、長い前髪は小さなハートがあしらってある可愛らしいヘアピンで留められている。服もお出掛け用の物に着替えたようだ。うーん、可愛いな。
「遅い」
「琴裏ちゃんさ――」
「名前で呼ぶな」
睨みながら僕の言葉の先を切り飛ばした。
じゃあ何て呼べば良いんだよ。苗字は同じだし。
「僕の事そんなに嫌い?」
「大嫌い」
うん、ここまではっきり言ってくれるのは逆に気持ちが良い。腫れ物の様に扱われるよりは数段マシだ。この際、僕の何がいけないのか聞いておこう。
「どの辺が?」
「三日月を逃げ出した腰抜け。三日月の実の子じゃないのに偉そうにしてる所。あと外見。あと性格。あと存在」
全部じゃねぇか。存在が嫌いって、もうどうしようもないだろ。改善しようと思って聞いた僕が馬鹿だった。
「そうなんだ」
「あとそういう風に淡白な所。みんなそう思ってるよ。てかその髪の色何?格好良いと思ってるの?ダサいよ。おじいさんみたい」
「そうなんだ」
みんなそう思ってる、か。多感な時期の少女の言葉とはいえ、結構胸に来るものがある。そんな大嫌いな奴と出掛けるのはさぞ苦痛だろうに。そんな苦痛を堪えてまで何を買いに行きたいんだか。
「『血闘祭』、今年から私も出るから。アンタのその余裕、グチャグチャにしてやる」
「……あのさ、僕の序列知ってる?」
「知らない。けどどうせ雑魚でしょ」
僕の下には五十人位猛者が居るからその人達に失礼だぞ。
戦闘序列は【天花五家】において重要な意味を持つ。その人間の価値を決めると言ってしまっても過言ではない。序列によって与えられる仕事も変わるし、本家での扱いも異なってくる。そして『名乗り合い』の際に用いる様に、身内だけでなく敵に対しても序列が高ければ高いほど相手を牽制できる。
まあ、本来は『名乗り合い』なんて一生しないで終える人がいる位に珍しい事なんだが。
「そっか、頑張ってね。僕は今年は出ないから」
「ハァ?何でよ」
「僕は『三日月』をやめるよ。そうだな……明日の朝にでもここから消えるから安心してよ」
「何で急に……」
「別に。何となく」
「また……逃げ出すんだ」
彼女の視線が一層険しいものになった。
「逃げ出すとは少し違うかな。君も言ってる様に僕がいると本家に迷惑がかかる。僕は敵が多いからね」
「そ。じゃあ早くやめてよ。アンタの顔、見なくて済むと思うと清々する」
僕どんだけ嫌われてんだよ。身内にこれだけ嫌われてるという事実に対して当事者である僕がドン引きですよ。邪悪過ぎんだろ。
……まあ、全て自己責任だからしょうがない。
「分かったよ。……姉さんには怒られそうだけど」
「鞘歌様がアンタなんか見てる訳ないでしょ」
「……どうなんだろう」
本当の所、姉さんは僕の事をどう思っているのだろうか。怒ってくれるのだろうか。そんな疑心が僕の不安を掻き立てる。
この時の僕は、自身の置かれた状況がどれだけ過酷な物であるのか、理解出来ないでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます