end roll 天への道は善意で舗装されていた
「御苦労!本当に良くやってくれた!」
『大典太終火』との一件があってから一週間後、正式に僕はアクナシア潜入任務を終え、また部長に呼び出されEOS本社ビルに出頭していた。
結局、大典太終火が蠱術で傀儡にした人間を使って全ての人間を殺していた事は真実だった。『大典太家』の多くが傀儡にされており、正気を失っていたとの事だが、【天花五家】としての地位は著しく低下するとの事だった。
一方、【五大財閥】『比古神財閥』は、関係性を全面否定しているそうだ。
僕個人は、桜の推理の通り大典太終火を放っておいた点から、協力関係あるいはそれに近い関係にあったのではないかと考えている。
それから、僕を時計塔で狙撃したのは、学園側で雇っていたエージェントだった事が判明した。確かに優秀な狙撃手を直ぐに用意できた事だけは謎だった。終火が死んだ事によって、彼は正気に戻り学園へ戻って来たが、残念ながら解雇になってしまったそうだ。
学園側は事件解決を切っ掛けに、学内で起きていた虐めと自殺の関係性を公表し謝罪をした。これから聖アクナシア学園は衰退の一歩を辿るのではないかと言われているが、桜と可憐は卒業を固く決心しているそうだ。
「今任務は凛音ちゃんの過去の清算も出来たようだね。幾望くんからもう本名を明かしても良いと言われたんだ」
部長は全てを知っていて、尚且つ僕を騙していたグルだった訳だ。
「ええ。彼女とツーマンセルに成りました」
「そうらしいねぇ。これ以上無いほど理想的なペアなんじゃない?」
「そうですか?」
「表層、つまり身体をキミが護り、深層、つまり心を彼女が護る。お互いの欠けた部分を補い合い成り立つ掛け替えのない存在だと俺は思うよ」
桜がビルから出て言っていた事はこういう事だったのか。本当に彼女には敵わない。
「てかさ、凛音ちゃん本当に羨ましいよ〜女子高生と組めるなんてさぁ〜俺なんてお金出してやっと……」
また始まった。
「部長、どうせ最後はブルセラショップに駆け込んだ、がオチでしょう? 聞き飽きましたって。部長が何度も言うものだから僕も行きましたけど……あれ最高ですね」
「……ふふっ」
「どうしたんです?」
部長が本当に嬉しそうに笑うのを初めて見たかもしれない。
「いや、なーんも。そういえば凛音ちゃん、手袋する様になったんだ」
僕の両手には薄手の黒い手袋が嵌められている。なるべく他人に直接触れない様にしようと考えた結果だ。
「ええ、まあ」
「何だか執事みたいだね。ああ、そうだ。初期クライアントの雲母坂ルミのご両親は君に感謝していたよ。実は彼女のお父さん、警察のお偉いさんでねぇ、自殺だと断定する刑事とかに不信を持ってたんだってさ。まさか――警察が犯人の傀儡だったなんてねぇ」
そう、警察官の中に大典太終火の傀儡が大量にいたのだ。僕が感じていたチグハグ感は、それだった。今件は根底から間違っていたのだ。
「娘が死んでいるのに任務が始まったのはそういう理由があったんですね」
「そういう事。まさか『桜田門』が公に【天花五家】に依頼する訳にもいかないしねぇ。だからこその『君しかいない』だったのさ。それに凛音ちゃん警察嫌いでしょ? だから言わなかったのさ」
別に嫌いではない。相容れないだけだ。
「……僕は彼女も救えたかもしれない。そう思うのは傲慢でしょうか?」
僕が救えなかった罪無き女の子。
「やっぱり凛音ちゃんは変わったね。今までだったらそんな事絶対に言わなかった」
「そうでしょうか?」
「以前の君はロボットのようだったからね。他人が死んだと聞いても『そうですか』としか言わなかった君とは似ても似つかないよ」
そんな風に見えていたのか。
確かに潜入時には取り立てて何も思わなかった様に思う。
「それは薄情ですね……今になって思えば、ですが」
「凛音ちゃんはこれからどうするの?」
「どうする、とは?」
「君は人を救うことを義務だと思っていたんだよね? 今はそうではない。自分の大切な人を護りたいという『信念』を得た」
信念……そうか、僕に欠けていたのは、欠陥として存在していたのは、『信念』だったんだ。
「はい。そうです」
「ならばこれからは人を護る事をやめるのかい? って事を聞きたいんだよ。もう今までみたいに死に物狂い――いや、本当に死にながら見知らぬ他人を護る理由もないだろう」
「そうですね……『護るだけ』というのはもうやめます」
「ほう? つまり?」
「他人を――救い続けます」
「いいね……! 凛音ちゃん、言葉に言い表わせない程に俺は嬉しいよ。君の上司で本当に良かった。それで、今回の任務はどうだった? 楽しかった?」
それは最早言葉にするまでもない事だ。
「――ええ。楽しかったです」
そう言って、僕は笑った。
「それは良かった。今度こそ休暇を与えよう。次はどうしよう……君、学校の校門で何かしたの? 何かそれを見てた生徒が居てさ。君に依頼が来てるんだよねぇ」
最後の言葉を聞かなかった事にして退出し、歩いていると眼鏡にスーツ姿の女性と遭遇した。
「ご無沙汰しております」
「E5、いや――凛音。回りくどい話は嫌いだ。貴様、本部に来る気はないか?」
「……有難うございます。でも、僕は誰かの大切な人をこの手で護りたいです」
雲母坂ルミや、それに神崎梨乃の様な女の子をこれ以上増やしたくない。
そして大典太終火の様な孤独な人間を救いたい。
「フッ……そうか。凛音、私は貴様をエージェントとしてではなく、一人の人間として気に入っている。どんな些細な事でも構わん。いつでもコールしてこい」
「ありがとうございます」
M1はヒールを鳴らして、その場から去っていった。
僕は先程口にした決意を胸に、また歩き出した。
次はきっと――いや、必ず。『救われる側』ではなく、『救う側』に成ってみせる。
他人を救う事は難しい。可憐の様に、ただ護っただけではいけないんだ。
『心』を護る。それが、救うという事なんだろう。
こんな僕だからこそ、救える人間がきっも居るはずだ。誰にも打ち明けられずに胸に出来た傷を爛れさせて、尚も笑い続けている様な……そんな孤独な人間が。
強引でも良い。お節介でも良い。僕はそんな『心』に、気付きたい。
見つけ出して護りたい。探し出して護りたい。僕を見つけてくれた桜や、救おうとしてくれた可憐の様に。
そして人を許し続けたい。人を救い続けたい。僕が得たこの『信念』で。
――僕はそんな、『人間』になりたい。
☆
「狂ってる事を自覚してる狂人、ねぇ……もの凄いもんが生まれちゃったなぁ」
凛音が退出し、一人になった古谷は彼にまだまだ言いたい事があった。しかし言いそびれてしまい、苦笑していた。
「これは命懸けで他人を救い続けてきた一人の青年が、たった一度救われたというだけの有り触れた事だ。何も特別な事なんかじゃない。当然、奇跡なんかじゃない。凛音ちゃん、君は救われるべき権利をとうに持っていたんだよ」
仕方なしに彼は、そう独り言を呟くのだった。
「――しかし、凛音ちゃんはただ救われたというだけで、生まれ変わった訳じゃない。その『本質』は揺らぐ事はない。君は人として、人外である自身を許容しただけ過ぎない。つまり君は、《自身が狂人である》という客観的な真実までは拭えなていないんだ。敵を殺す事を前提としているなんて、それだけで君は十分すぎる程に異常だ」
人を殺す覚悟。
それを簡単にこなし、かつ敵を殺す事を大前提にしている凛音。
それを周囲の人間は、彼の境遇が特殊――【天花五家】だからという理由で納得している。しかし古谷だけは違った。その異常性に古谷は以前から目をつけていた。
人を殺した罪悪感に苛まれる凛音が、人を殺せるのはおかしい、と。
「それは些細なきっかけで、露呈し、破綻するよ。例えば幾望桜が死んでしまったら? 華菱可変が殺されてしまったら? 今度こそ凛音ちゃんは本当に壊れるだろうね。他ならぬ『希望』こそが『絶望』を生むのだから。俺はそんな日が、いつか近い内訪れるような気がしてならないよ」
タバコの火を消し、一息ついた後、口元を隠し彼は続ける。
「『地獄への道は善意で舗装されている』だっけ? その通りさ。俺の善意は地獄へ続いてるよ、凛音ちゃん。進み出した針が正しく時を刻む何て思わない事だね。さあ、君がどう壊れてくれるのか――楽しみだ」
古谷の隠した口元に歪んだ笑みが張り付けられている事に、誰も気づかない。そして、凛音が未だ致命的な欠陥を抱えている事に気付いているのは彼だけだった。
◆
「待て、凛音。お主は鬼畜か」
「待たない」
僕はそう言い王手をかけた。
「遂にワシを超える時が来たとはな……」
「いや僕、爺さんに負けた事ほとんど無いんだけど」
僕は休暇を使い、『三日月本家』へ帰省していた。
季節は春。雪は溶け、桜が咲き誇っている。
僕は今までこの季節を迎える事が出来なかった様に思う。こうして咲き誇る桜や暖かな陽気を見たり、感じることを『あの日』からやめてきた。
僕は『あの日』から一歩も進むことが出来ていなかった訳だ。桜が僕を『壊れた柱時計』と評したのは的を得ていたと分かる。
「やめじゃ!やめ!」
そう言いながら爺さんが盤上を両手で掻き回した。
「子供かよ」
「お主、言う様になったのぉ」
「まあな」
縁側の向こう、月明かりに照らされた中庭の庭園を見ながら僕は言った。
「……『大典太』の序列一位と三位に勝利したそうじゃの」
「うん……勝ったよ」
「して、それを抜いたのか?」
と爺さんは、僕の横に置いている【天國】を視線で示した。
「ああ……【
「凛音、よくやった」
「……ありがとう」
「ずっと待っておった。お主が、その刀を抜く時をな」
爺さんは僕に向かって微笑んだ。
「僕はずっと、正義や天國なんて名の刀を僕に託したのは、地獄へ堕ちるべき僕に対する当てつけだと思ってた。でも違ったんだな。《全ての罪を投げ出す事なく背負い、それでも天を目指し、人として人を救え》という『愛』だった」
どれだけの愛だっただろう。僕はそれを見て見ぬふりをして来た様に思う。『三日月本家』を飛び出しEOSへ入社したのも、【天國】を渡されて憤慨したからだった。
「……ああ、そうじゃ。至ったか……長かった。あまりに長かった……ワシはお主を誇りに思う。それから凛音……」
爺さんが僕を真っ直ぐに見た。
「何さ?」
「――本当にすまなかった」
爺さんが僕に向かって頭を下げていた。
「頭を上げてくれ! どうしたんだよ一体! 僕なんかに頭を下げる理由なんて――」
本家の御前様が僕なんかに頭を下げるなんて、あって良い事じゃない。天変地異が起きる兆候か!? こんな場面、使用人にでも見られたら大騒ぎになるぞ!
「理由なら――ある。十一年前、ワシはあの《禁呪》を阻止出来なかった。ワシは、お主を救えなかった」
爺さんは《蠱毒》の存在を最初から知っていたんだろう。爺さんは、『僕を救えなかった』という負い目を胸に秘めていたんだ。だからここまで僕にとことん甘いんだ。
「頭を上げて下さい。僕はあなたを恨んだ事なんて一秒たりともありません。むしろ、感謝しかない。今までこうして生きてこれたのは全てあなたのお陰です。この命、尽きるその時まで元次郎様の為にお使いさせて頂きます」
僕は畳に額を擦り付ける様にして頭を下げた。
「凛音……そうか。フッ……この親不孝ものめが! 今まで散々心配かけさせおって! お主なんぞ知らぬわ! こんな老いぼれの為に生きる必要なぞない! お主はお主の為に生きろ! お主のしたい事をしろ! お主はお主の信じた道をゆけ! 愛する馬鹿息子よ!」
ゆっくりと頭を上げると爺さんは笑顔で僕を叱っていた。
瞳には涙がうっすら浮かんでいる。
ああ、もう。この人は……何て大きいんだ。大好きだ。
「僕は人として、人を救いたいです」
「ああ、お主は人じゃ。その刀もそう云っておるしの」
「……ごめん、真面目な話してる所本当にごめん。遂にボケたか、爺さん。いい? 無機物は喋らないよ」
「お主、何だか人間らしくなりすぎじゃないかの? 喋っているのではないぞ。その刀を抜く際の条件を言ってみい」
「もしかしてあの恥ずかしい台詞の事?」
「あれはあくまでワシが付随させたものじゃろがい。というか恥ずかしくないわい! ちゃーんと意味があるじゃろ!」
「意味ねぇ……まあ、分かるけど」
「なんじゃそのふわっとした感想は! ちょーかっこええじゃろ! ワシはあの言葉を考えるのに丸三日掛けたぞ」
「そんなに本気だったのかよ、何かごめん」
「まあええわい。抜刀の条件は『大罪人』であることじゃ」
そういえば大典太死織が言っていたな。大罪人以外は抜刀した瞬間に死ぬだとか何とか。いや、待て。そういうことか……『罪人』つまり……。
「【正義・天國】は『人間』にしか抜刀出来ん。妖怪や幽霊などの人成らざる者はそもそも抜けんのじゃ。つまり、お主は――」
「『人』って事かよ。爺さんには敵わないよ本当に……」
「ワシを誰じゃと思っとる?」
「僕の恩人! そして、家族! 今まで心配ばかりかけて本当にごめんなさい。ありがとうございます! 大好きだ! お爺ちゃん!!」
僕は爺さんの目を真っ直ぐに見つめてそう言った。
「凛音さんは私と結婚するのです」
「凛はあたしとツーマンセルなんだから!てか彼女だし!」
「ツーマンセルと言っても学園卒業までの残り一年は休業するのでしょう?その間、凛音さんはフリーです」
「ちっがーう!凛はあたしを選んだの!それは変わらない事でしょ!」
「まだです。戦いはここからなのです!」
僕の背後が何やら騒がしい。またいつものアレだ。
「賑やかでいいのぉ」
「賑やかっていうか、うるさい」
「お主が連れてきたあの二人がお主を救ったのであろう?」
「うん。彼女達は、僕の宝物だ」
そう言うと、爺さんは心底嬉しそうに笑った。
僕は選択を間違えなかった。――いや違うのかもしれない。
選んだ選択肢を、より良いものに自分の力で変えていく。
それが生きていくという事なのかも知れない。これが正解、これが間違い。そんな身勝手な決め付けこそが失敗を生んでいくんだ。桜の言っていた『世の中には曖昧なもので溢れている』という言葉のほんの一遍にでも触れられた様な気がする。
突如襖が開き、着流し姿の女性が現れた。
「凛音ッ!!」
「どうしたの姉さん」
現れたのは僕の姉、三日月鞘歌だった。
「お前、『大典太』の序列一位と三位を打倒したそうだな。何故、私に報告を入れないのだ?それから、何故帰省する際、連絡を入れない?【正義・天國】を抜いたのか?」
「姉さん、落ち着いてくれ」
「落ち着いていられるか!」
興奮状態の姉に驚愕を通り越して冷静になる僕。
「【天國】を抜いたよ」と、最小限の答えを返した。
「……そうか。ならば良い。凛音ッ! 今すぐ『三日月家』をやめろ!!」
「ッはぁ?」
桜と可憐が言い合いを止め、僕達を見つめていた。
「そして、私と勝負しろ。【
「ちょっと何を言ってるのか分からないんだけど」
春の陽気に当てられて頭でもおかしくしてしまったのだろうか。
「……凛、この人誰?」
「凛音さん、私というものがありながら!」
「本当に……賑やかで良いのぉ」
僕はこんなに恵まれていたんだ。やっぱり不幸ではなかった。
ああ、僕は幸せだ。
「姉さん、悪いけど……もう【蠱術】は使わないって決めたんだ。僕は『人』だから……心配かけてごめん。それから――今までありがとう」
「そうか……」
安堵した様に姉さんが胸を撫で下ろした。
「やっぱり――天への道は善意で舗装されていたよ」
「あーそのな、非常に言いにくいんだが、凛音。その言葉の使い方、間違っているぞ」
姉さんが伏し目がちに僕に言った。
「ゑ?」
「『地獄への道は善意で舗装されている』。大きなお世話という意味で使っていたのだろうが……本来の意味は、善意を持っていても最期までそれを維持し続けられる人は少なく、その人達が落とした善意が地獄には敷き詰められている、という意味だ」
「凛音さん……」
可憐が哀れみの目で僕を見た。
「凛、やっぱりポンコツ」
桜が僕を見て笑った。
「みんな! 何でもっと早く教えてくれないんだよ!! うわ、僕、うわ恥ずかしい! うっわ今本気で死にたい!! うああああああああッ!!!!」
桜舞い散る満月に向かって叫んだ。
結局、僕は夢物語の様に間違ったまま幸せになったのだつた。
一章 -And two of them became full moon- END.
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