16話 幾望の降る夜

「動かないで。動いたら撃つ。冗談じゃないから」

「何でこんな……」と、僕が一歩進むと、空に向かって彼女は本当に発砲した。

「動くなと言った」


 僕は銃弾を一発喰らった所で何の問題もない。だから恐怖はない。だけど、胸が痛い。

 彼女が何をしているのか全く解らない。まさか、連続自殺誘導犯は彼女だった、という事だろうか。――あり得なくない。でも信じたくない。いや、絶対に信じない。

「だったら説明をしろよ」


「お父さんと、お母さんと、お兄ちゃんの仇――『』」


 僕はそのたった一言で全てを理解した。

 そういう事だったのか。彼女の家族は――壺の中に居たんだ。


 いつかこういう日が来ると思っていた。僕が殺してきた人の遺族に復讐として殺される、そんな日を。それが今日だった。そして、それが彼女だった。


「そうか。何だかおかしいとは思ってたんだ」

「何が?」

 尚も拳銃の銃口は僕に向いている。

「まず、僕の苗字が変わったと直ぐに気付いた事。あれは推理なんかじゃない。ただの知識だ。そして、僕が『宮前』だと答えた時の動揺。それから十一年前と聞いてピンと来た、と言って調べごとをしたな。そして、事件の事と僕の正体をズバリ当てた。あれはいくら何でも早過ぎだ。僕と別れてものの二十分程度で僕と『事件』の関連性を見出すなんて出来る訳がない。……最初から疑惑があったんだ。じゃないと推理の飛躍何て物じゃ済まない」

「結構頭良いんだね、『宮前』」

 そう言いながら彼女はクマの付いた目で僕を睨み付ける。

 ああ、そのクマはきっと……不眠症なんだろう。夜、一人が怖くて震えていたんだ。他ならぬ僕自身が彼女を苦しめていたんだ。


「しかし解せない。僕は殺した人の苗字も名前も、全て覚えている。蜂須賀はちすがなんて変わった苗字の人は居ない」

 あの学校で殺した人達も、それから仕事で殺した人達も全て覚えている。顔も、出来る限り確認した。――いや、待て。そういう事か。


「蜂須賀は母方の苗字。あたしの本名は――幾望桜きぼうさくら


 僕は最初から騙されていたという事か。凛音なんて珍しい名前だもんな。最初から疑われていたんだ。『幾望』。確かにあの学校の中にあった苗字だ。

「幾望智、幾望加奈子、幾望太一。確かに僕が殺した人達だ。となると、アクナシアの幾望桜は……」

「あたし、本人だよ」

「まさかここまで綺麗に騙されていたなんてな、驚いたよ。流石美少女探偵だ」

 全く気付かなかった。

 まさか会いたくないと思った人がその時点で既に目の前に居たとはな。


「『』、あたしはずっとキミを探してた。こうして殺す為にね。EOSに入ったのも探偵をしてるのも全てはそこから始まったの。私はみんなみんな失って、のうのうと生きている『宮前凛音』が許せなかった。逆恨みかも知れない。そんな事はとっくに気付いてる。でも……他にないんだよ。この感情をぶつける対象が」

「そうだろうね」

「あの事件、何て呼ばれてるか知ってる? 『トランプ殺人』だよ。そう呼ばれてネットでは今でも面白おかしく馬鹿にされているんだよ。あの事件はあたしの中ではまだ続いてる」

「……それは酷いな」

「あたしはキミを殺す」

「サクラちゃん――いや、幾望桜さん。ありがとう」

 本当に、ありがとう。

「ッは?」

「ずっと待ってたよ。こうして罰を与えてくれる人を、ずっと待ってたんだ。それも、相手がよりにもよって初めて好きになった人だなんて……最高だ!」

「キミ、狂ってるよ」

「そうだね、僕もそう思うよ。多分、『あの日』に全部おかしくなったんじゃない? 僕は死にたい、君は殺したい。完全な利害一致だ。そして僕は――やっと救われる」


 《僕は救われてはいけない》。

 それでも、それが罰によるものであれば話は別だ。

『罰を与えられた結果、救われてしまう』というジレンマを僕は抱えている。だからこそ、こんなにも僕は歪んでいる。


「それがキミの救いなの?」

「そうだよ。罰こそが僕の救いなんだ。そう言えばサクラちゃんは、僕を救うって言ってくれたよね。約束通りだね。……ごめん、なんて言葉で許して貰うつもりは無いよ、引き金を引いてくれ。僕を終わらせてくれ」

 ありがとう。そしてごめんなさい。心に刻んで一歩踏み出した。

「ほ、本当に撃つよ!」

「――ありがとう、僕を殺してくれ」


「僕は死にたかった」

「僕は罰が欲しかった」

「僕は生まれなければ良かった……そうだよね、人を救い続ければ帳尻が合うなんて虫が良過ぎるよね」

 ごめんね、サクラちゃん。


 銃口はもう、僕の脳天に触れていた。

「君なら僕を殺せるかも知れない。もし死ぬ事が出来なくても、僕は海中に沈んで生涯を過ごすよ。引いて? 幾望さん。いずれにせよ、ここが僕の終点だ」

 深呼吸をしてから、ゆっくりと目を閉じた。この距離ならどんなヘタクソでも当たる。そして、僕は死ぬ。ああ、なんて最高で最低なシナリオなんだろう。


「あーあ……普通に幸せになりたかったなぁ」


 そうだったのか。僕は普通に幸せになりたかったのか。馬鹿馬鹿しい。この後に及んで何を言っているんだろう。月を掴もうと手を伸ばす様に滑稽で儚い夢だ。叶う事のない、夢だ。僕は最期まで、どうしようもなく愚かだ。

 風の音が良く聞こえる。いい風だ。死ぬには最高の日だ。


「……撃てる訳、ないよ」

 目を開けると、彼女は銃を下ろして泣いていた。

「どうして?」

 僕は彼女の涙を指で拭き取りながら、視線の高さを彼女に合わせて優しくそう言った。

「ずっと探してたキミが、憎んでたキミが、こんなに不幸だなんて、考えもしなかった。あたしは、あたしが一番不幸だと思ってた。キミに会って、あたしは自分が恥ずかしくなった。――こんなに歪んでしまって……一番辛かったのは凛、キミだったんだね」

 彼女は、何を言っているんだ。

「言ったよね、キミは異常なんだよ。その姿、腕の短刀。そして、『自分は人間じゃないから何度死んでも構わない』っていう行動原理」

「だって、それは……」

 本当の事だろう?

「凛、キミは――『人』だよ」

「違う。僕は毒虫だ」

「あたしの、世界で一番大切な『人』だよ」

「でも、僕は贖い続けなけらばいけない。人を愛す権利だって、愛される権利だって持ってない。『あの日』の分までババを引き続けるんだ」

「もういいんだよ、凛」

「もういいって、何がだよ。何も良くない。僕を殺してくれ。その引き金を引いてくれ」

「もう、泣いてもいいんだよ? あたしが許す。『あの日』全てを失ったこのあたしが、許す。他の誰がどんな異論を挟んできても、全部あたしが楯になる。全部論破してあげる。あたしが永遠に『

「で、でも、だって、僕は君の家族を――」

「ねえ、凛。今あたしは泣いているけど、どう感じる?」

「嫌だ。泣かないで欲しい……辛いよ」

 胸が張り裂けそうなほどに痛い。腕に短刀を捩込むよりも、痛い。苦しい。

 そして何よりも――辛い。

「同じなんだよ。あたしもキミに傷付いて欲しくない。簡単でしょ?」

「……僕が傷つくと、君が傷つくって事か?」


 そういう事、なのか?

 僕が死ぬ度に彼女が泣いたり怒ったりしていたのは、そういう理由なのか?


「そうだよ、それだけの事なんだよ」

「そう、だったのか」

「凛、大好きだよ……だから二度と自分を殺そうとなんてしないで……」

 彼女が僕の頭を包み込む様に抱いた。



「でも……駄目だ。僕は救われてはいけない。許されてはいけない。幸福になってはいけない。不幸に浸ってはいけない。嬉しくなってはいけない。怒ってはいけない。哀しんではいけない。楽しんではいけない。痛がってはいけない。泣いてはいけない。人を許し続けなければならない。人を救い続けなければならない。僕は――人じゃないんだ」



「凛、キミは不幸だね」

「違う」

「そんな風に自分を歪めていたんだね……ごめんね、気付いてあげられなくて」

「僕は不幸なんかじゃない」

「ちゃんと不幸になろう? そしたら、ちゃんと幸せになれるから。あたしがキミのことを愛してあげるから。世界のみんながキミを嫌っても、あたしだけは味方でいる。もう独りきりになんて絶対にしない」

「でもっ……」

「――


 その言葉が酷く胸に染みた。

 何故だか家族を失った日を想起した。この広い世界で僕は独りきり。それが何よりも悲しかった。あの日、僕が心の底から願った事。それは救われる事でもなく、許される事でもなく、ましてや罰を受ける事なんかじゃなかった。

 ――誰かに見つけて欲しい。だだそれだけだった。


「僕は、『人』なのか?」

「『人』だよ!」

「僕は人を好きになっても良いのか?」

「良いんだよ!」

「僕は人を愛しても良いのか?」

「良いんだよ!」


 遂に空が泣き出した。

 初めはそう思った。僕は夜空を見上げて、彼女を見て、また夜空を見上げてを繰り返した。月の光が雲間から射し込んで、僕達を照らしてやっと気が付いた。その雫が雨ではなく、自分の涙だという事に。


 泣いているのは空ではなく、僕だった。


 『あの日』から一度も泣いた事なんて無かった。僕は涙を流す資格も無い、そう思って耐えてきた。奥歯が砕ける程に噛み締めて、耐えてきた。時には空を見上げて。時には目を潰して。時には眼球を掻きむしって……それなのに。今だけは何故だか耐えられない。

 十年分の涙が溢れ出た。


「……大好きだ。世界で一番大好きだ」

 僕は彼女を目一杯抱き締めた。愛しさだって、ずっと僕の中にはあったんだ。

「あたしもだよ、凛」


 きっと僕の顔は涙でみっともないに違いない。でも、見られてもいいと思った。僕を見つけてくれた彼女に何も隠したくない。そう、思った。

 そして僕の涙は、泥水なんかではなかった。彼女と同じ綺麗な雫だった。

 僕は孤独でも蠱毒でもなかった。大仰に人外などと自称していただけの傲慢なだけの、ただの人だった。こんなにも簡単に一人の人間に見つけてもらえた程度で救われてしまう程度の、ただの人だったんだと思い知った。


 罰だけが僕の救いだと、そう思い込んでいた。人を救うことだけが僕の生きる理由だと、そう思い込んでいた。

 そう。ただ思い込んでいただけだった。


「泣虫な僕を見つけてくれてありがとう……

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