14話 其の天を担う者
可憐が真面目に授業に出席するものだから、僕も仕方なしに難し過ぎて全く理解出来ない授業を受けた。この間、サクラは目を開けたままペンを動かしながら寝るという技能を僕に見せつけた。
午後の授業はあっという間に終わり、帰りのHRで赤谷あかりの死について教師が触れ、静寂になった。公では神崎梨乃に続けて二人目だ。このクラスには居ないが、神崎を虐めていた連中は気が気ではないだろう。自業自得という奴だ。
可憐やサクラに接触してくる生徒は全てチェックしたが、怪しい行動はない。それは予想通りではあった。何せ、敵は僕個人をまず潰したいのだから。
三人で下らない話をしながら下校しようと校門前のロータリーを歩いていると、やはり黒服の男が近付いてきた。
「どなたですか」
臨戦態勢に即座に入る可憐。
やはりパーソナルスペースは健在のようだ。僕や元同級生に対して警戒を解いていた、というだけの事だった訳だ。
「初めまして。華菱可憐様。私、警備会社EOSエージェントE15、永島永徳と申します。お目にかかれて光栄にございます」
あーそういえばそんな名前だったな。何か長生きしそう。
「そうですか、叔母様から話は聞いています。私は貴方に用事はありませんので配置に戻って下さって構いませんよ」
可憐さん怖い。僕と話している時とはまるで別人だ。
しかし無理もない。彼女は令嬢として今まで多くの人間から敵視され、危険に晒されてきたのだから。その悪意の苛烈さを、僕は前回、彼女を護衛した時に垣間見た。
「失礼ですが可憐様――」
「名前で呼ぶ事を許可した覚えはありませんが?」
E15の言葉を遮って可憐が言った。
「し、失礼致しました。私、E19、幾望桜の護衛も兼任しておりまして。宜しければ華菱様のご帰宅も護衛させて頂けないかと」
「私を護衛して下さるのは凛音さんのみで充分です。サクラさんの護衛任務はして下さって構いません」
可憐に初めて会った時の事を思い出す。僕に対してもこんな感じだったな。
しかしE15、サクラ護衛任務に託けて華菱家に恩を売ろうとしているのが透けて見えるぞ。そういうのは可憐が一番嫌う人種だ。そのアプローチは失敗だ。
「しかしそのE5では華菱様をお守りするには少々力不足かと」
あーあ、馬鹿だなこいつ。
「凛音さんが、何ですって?」
サクラと僕は最早傍観モードだ。というか既にサクラは少し距離を取り始めている。
「ですから、彼は格闘、銃器の扱いでもエージェントと呼ぶには頼りないと――」
僕は噴火直前の可憐の肩に手を置いた。
「凛音さん……」
「落ち着け可憐。君が僕を知っていてくれればそれだけで良い。違うか?」
「そう、ですね。お見苦しい所を。すみません」
「嬉しかったよ。ありがとう」
「E5、テメェ……」
今度はE15が噴火直前だった。何がしたいんだよ本当に。
「今、あなたはこの任務から外されそうになっていたんですよ? 感謝される事はあっても恨まれる筋合いはないはずですが」
「言うようになったじゃねぇかガキ」
小物臭が半端じゃない。大人ってのはもっと大きな心を持つべきだ。
「まあまあ、あんまり遅くなってもアレだからさ、取り敢えず帰ろ?」
サクラが仲裁に入ってくれた。
この子はいつでもこうやって他のエージェント同士の仲裁やパイプ役を引き受けてくれる。それ故に、EOS内では信頼も人気もかなりのものだ。格闘技術はそれこそ普通レベルだが、実績と人望(と容姿)でE19にまで登りつめたのだ。噂ではファンクラブなんかもあるらしい。
「幾望が言うなら、仕方ねぇな」
と。この様にサクラの言うことは『
「私の家は学園から徒歩二分ですので、送迎を断っておりまして、車ではないのですが……皆さん宜しいですか? なるべく普段の生活を崩したくないもので……」
可憐が一同に問い掛けた。彼女本人がそう言うのであれば別段問題は無い。誰も異論を挟むことはなかった。
僕個人としても車での移動は避けたいと思っていたので良かった。走行中に狙撃なんてされてみろ、車ごと爆散するか下車する時に襲撃されて終わりだ。徒歩であれば僕という肉盾が役に立つ。
校門を出た直ぐ横にスーツを着た屈強な男が五人立っていた。
「華菱家のボディーガードの皆さんです……必要ないと言ったはずなのですが」
男達は無言で立っていた。サングラスを掛けている為、表情を窺い知る事は出来ない。
学生服の三人、そして黒服の男六人という異様な大所帯で徒歩二分の通学路を歩いていく。
校門から出て僅か一分。人通りの疎らな道の中、それは立っていた。
長い黒髪、赤い瞳、白いワンピース。
「サクラ、可憐を連れて逃げろ」
「了解」
サクラは既に可憐の手を引き、学園へ戻ろうと走り出していた。ボディーガード達は即座に可憐の楯になりながら後退し始めてる。
「な、何ですかサクラさん!」
「敵だよ」
走り去る二人を大典太死織が視線で追い掛ける。行かせねぇよ。
「よう、大典太死織」
僕は意識を此方に向けさせる様に声を掛けた。
「三日月凛音さん、今はあなたに興味はない、なの」「……狙いは華菱可憐」
狙いは僕ではない……? 脅迫状通りって訳かよ。
「それも上からの命令か?」
「そう、なの」「……退けよ」
僕には彼女を確実に足止めする手段がある。あの『名乗り合い』だ。
名乗り合ったら最期。どちからが死ぬまで終わらず、標的以外を自ら攻撃対象にしてはいけない。決闘のルールはまだ生きている。
「僕はまだ生きているぞ、大典太死織。――続きをしよう。殺し合いの、続きを」
その場で立ったまま微動だにしない死織。必ず乗ってくるはずだ。
「凛!」
視線だけで声のする方向を見ると、サクラと可憐が十メートル程離れた場所に立っていた。ボディーガード達も同様に戻って来たようだ。
「何故戻ってきた!!」
「ある場所から先に進めないの! 結界みたいのが張られてる! 走っていたらここに戻ってきたの!」
周囲の人間も、何時の間にか居ない。嵌められた。
「まあいいや、なの」「……三日月から殺すか」
共犯者が計画を立てていた訳か。迂闊すぎる。
「俺を退け者にすんなよE5」
僕の横に立っていたE15が僕と死織の間に割って入った。
「E15、死にますよ。やめて下さい」
「テメェが一度負けた相手だろ? 仕方ねぇからテメェも俺が護ってやる。だから安心しろ」
おい、と言う間もなく彼は死織の左に回り込もうと距離を取りながら走り出した。
そしてグロック17――拳銃を取り出し彼女に向かって構え、一発、発砲した。
刹那、E15は右肩から腰に向かって切り裂かれ、身体が二つに割れていた。
「な、に……」
絶命の声が聞こえた。
『名乗り合い』のルールは名乗った瞬間から相手を殺すまでは終わらず、他に危害を加える事は出来ない。しかし――相手が先に危害を加えたのなら別だ。ルール適用外、つまり殺す事が出来る。
本来、『名乗り合い』の最中に横槍を入れる事は絶対にしてはいけない行為だ。
「いやあああああああああああああああッ!!」
可憐の悲鳴がその場に響き渡った。
ボディーガード達が可憐の楯に成りながら銃口を死織に向けた。
「銃を下げろッ!!」
僕は咄嗟に叫ぶ。
ボディーガード達は僕の言う事を聞かず、今にも発砲しようとしている。
「銃を……下げてください……」
可憐が掠れた声で言った。すると、渋々彼らは銃を下げた。
良くやった。命の危機に瀕して、恐怖心を隅に追いやり最良の行為を瞬時に選別し、選択出来る彼女はやはり人として格が違う。
「……凛、勝てるんだよね? あいつに」
可憐を抱きしめながらサクラが僕に言った。
「世の中の全部を救えるなんて思い上がる程、僕は愚かじゃない。僕に出来るのは精々自分の大切な人達を護る事だけだ――だから勝つ」
我ながら無茶苦茶な事を言ったものだ。
刀に付いた血液を白いワンピースで拭きながら、今度こそ死織は僕を見た。
「そこで死んでる奴。凄い正義感が強くてさ、眩しかった。格好良かった。何度も因縁つけられてさ、訓練でボコボコにされた。悔しかったな……彼には結局、僕は一回も勝てなかった。きっと彼にも大切な人が居たはずだ。これから沢山幸せを与えて、そして貰う筈だった。正義の味方を目指していると言う彼に、僕は憧れた」
毒虫には成れないそれを、真っ直ぐに目指していた彼は確かに一人の人間だった。
「何が言いたい、なの?」
「……訳わかんねぇ」
そう言って、死織は永島を邪魔だと言わんばかりに刀の一振りで吹き飛ばした。
僕は感情を全て殺し、心を鬼にした。そして、『敵』を見据えた。
「――【天花五家・三日月】序列七位 三日月凛音」
彼のいるであろう、天に届く様に高く高く名乗った。
生まれて初めて自分から『他が為』に名乗りを上げた。
これは護る為、そして仇討ちの為の誓いだ。
「……意味わかんねぇ」「――【天花五家・大典太】序列三位 大典太死織、なの」
分からないだろうな。僕もほんの少し前まで、分からなかったから。
彼女が名乗った瞬間、僕は天を仰ぎ、仕込んでいたものを喉奥から引き抜いた。爺さんから貰った日本刀だ。家を出る前に呑み込んでいたのだ。飯を食えなかった理由はこれだ。
僕は長い間――実に五年の間、この刀を抜く事が出来なかった。
理由は二つ。この刀の名前。
そして、爺さんがこの刀を抜く時に、ある言葉を唱えるという条件を付随させたから。
でも、今なら抜ける。――大切な人を護る、死んでいった人達を救う。その為になら、絶対に。
手が小刻みに震え、カタカタと刀が音を立てた。
どうして震えるのだろう。抜くくらいなら死んだ方がマシだと思っていたこの刃への畏怖か? それとも武者震いか? 目の前にいる圧倒的な強敵に対する恐怖か?
いや、違う――大切な人達を失う事が怖いんだ。
『信じている』。
信じてくれ。
「サクラ、可憐! 僕を――信じろ!」
もう瞳は死織にしか向いていない。それでも叫ぶ。
「うん!」
「はい!」
戦慄く腕。それを全ての感情ごと殺し直した。
爺さん、姉さん、僕は行くよ。数多の罪を背負って、それでも進むよ。進み始めるよ。それがどんな過酷な道でも構わない。
僕はもう、自分から逃げない。
僕は刀を構え、唱え出す。
「――浄土へ至る道は泡沫に非ず、故に我は其の天を担う者也。抜刀――【
抜いた瞬間に、刀から流れ込む情報量に眩暈を起こした。刀の能力、使い方、刀師の想い。それが全て無理矢理に頭に捻じ込まれ、尚且つ理解させられた。そしてその全てが納得出来た。
――『己が罪で全を救え』。刀はそう語っていた。
それを知ってから改めて刀を見ると、互目交じりの丁子刃が夕日に照らされて鋭く輝いた。その反射光でさえ、直視出来ない程に神々しい。いや、禍々しいとさえ言える。
爺さん、何てものを僕に託したんだ。
「正義・天國、なの」「……ああ、抜きやがった」
地獄へ堕ちるべき蠱毒な毒虫が、天國という添え銘の刀を抜く。
それは絶対に許される事ではないと僕は思っている。そんな僕の心中を爺さんは知っていた。知り過ぎていた。故にこの刀を託されてから今日この日、この時まで、爺さんは嫌がらせでこの刀を僕に託したのだと思っていた。
――でも違った。
いつか抜く日を――僕が地ではなく、天を仰ぐその日を望んでいたんだ。今、その善意は、彼女たちを護る指標と成る。担い手である僕がしてみせる。
僕はちゃんと価値も愛も与えられていた。それを知った。僕は誰からも大切にされないガラクタなんかじゃなかった。
今なら分かる。
きっと――天への道は善意で舗装されている。
「この刀を知っているのか」
「知ってる、なの」「……当たり前。細川正義の傑作、妖刀【天國】。悪が天を担い、悪を殺す矛盾と正義の刀。大罪人以外は抜刀した瞬間に昇天する。知らない方がおかしい」
「そんなに有名なのかよ、これ」
ただでくれたから抜刀するまで鈍刀かと思ってた。
僕が瞬きすると、また彼女の右手には【辭貫一】が握られていた。もう言葉は要らないって事か。
「今度はこちらから行かせてもらう」
【蠱術】を使えば初撃は恐らく躱せる。だが、そんな慢心は全て捨てる。
「いつでもどうぞ、なの」
殺し合いは一瞬で決まる。そして今、決まった。ただ無謀にカンカンと刀を何度もぶつけ合うのは茶番に過ぎない。
「先手を譲ったな。君の負けだ――【
そう唱えながら刀を僕が振るうと、僕と彼女の周囲に万に及ぶほどの紅い針の雨が降り注いだ。その針を彼女はなんの事もなく刀で全て弾いていく。一方、僕の立っている場所だけは傘の下の様に針が勝手に避けていった。
卑怯に戦い、卑劣に勝つ。
僕はそれが今まで出来なかった。僕は自分を卑怯者だと蔑む癖に、こと闘いにおいてはそれを避けてきた。正々堂々と戦い、負けてきた。
それは人外である僕が人間に対して本気を出すという事に引け目を感じていたからだったんだろう。だがそれは僕が僕に押し付けた自分だけの都合だった。ただのエゴであり、逃避であり、弱さだった。
それを今――辞める。
針の雨が降り終わると、それらは全て寝ころぶ事なく、地面に突き刺さっていた。
「その針には即効毒が塗ってあるとでも言えばいいのか、兎に角――触れた瞬間に即死する」
【天國】なんて名前の刀だが、とんでもない。この刀は、自分の犯した罪の数だけ簡易的な十六小地獄の能力が使えるという妖刀だ。悪人が悪人を殺す為に打たれた刀であり、故に地獄に堕ちる必要の無い善人を殺す事は出来ない。
「これで縮地術は使えないな。どうする?」
「でも、それじゃあなたも動けない、なの」
――掛かったな、僕のハッタリに。
「君は実に阿保だな」
そう言いながら、僕はその無限の針の上を躊躇する事なく疾走した。足の裏を何度も針が貫通し、回帰する。それを無限に繰り返す。よろけながらも、走る事はだけは止めない。
「嘘!? 狂ってる、なの」「……【辭・延魔行】」
針金が刀身から無数に伸び、その全てが僕目掛けて飛んで来た。
飛んでくる方向が視認出来ること、そして拘束力がないと分かっている以上、避ける必要もない。
全身を串刺しにされながら、彼女に向かってただ走る。
一部の針金が右脚に纏わり付き、僕は体制を崩しかけた。瞬時に【天國】で自分の脚を切断し、拘束から逃れた。次に左腕に針金が巻き付いたので、即座にそれを切断した。そして回帰した脚で再び走り出す。
今度は、頭部に針金が大量に突き刺さったので、引き抜くという選択肢を即座に排除し、自身で首を斬り飛ばした。
回帰した頭部で彼女を見ると、僕を足止めする事を諦めた様に、全ての針金は刀に収まっていた。
「同じ手が通用すると思うなよ」
「白い鬼、なの」「……落ち着け。殺せないのなら――【辭・延魔封】」
彼女がそう唱えると、刀身が一瞬だけ、歪んだ。
何か、来る。
本能が警報を鳴らしている。
恐らく、あれを喰らえば僕は負ける。
行動不能になれば、僕は大切な人達を失う事になる。可憐も、サクラも、死ぬ。そして僕は彼女達が居ない世界を生きていく事になる。後悔を繰り返し、彼女達の言葉を、笑顔を、無限回思い出す。そんな日々を永遠に過ごす事になる。雪那を失ったあの日々の様に。
いや――負け勘定なんてしては駄目だ。
悩みをかなぐり捨てろ、迷うな、逃げるな、背を向けるな、立ち向かえ。諦める事をここでやめろ、今この瞬間にやめろ。出し惜しみなんてするな!
この瞬間が僕の生の全てだ……! 僕はこの日、この時の為に生まれたんだ! 彼女達を護る為に僕は【蠱毒】になった! 僕の存在理由はそれだけで構わない! 無価値だった命を今、この瞬間に価値のあるものに変えてやる! 僕の永遠で誰かを救える事を証明する!
――この命、この刹那に賭して生きて死んでみせる。
「――【
唱えた瞬間、僕が観測出来る世界の全てがスローモーションになった。全ての物の動きが水中にある様に鈍足だ。彼女の刀身はきっと弾丸より早く、僕に向かって一直線に延びている。それを僕は観測出来る。
【蠱術・無間罪咎牢獄】。
『自分を無限回殺したい』という欲求から生まれた異能力だ。
僕の身体は蠱毒という猛毒で構成されている。その毒を《任意で自身に打ち込み連続的に自殺する》という僕が使えるたった一つの【蠱術】。
これを行使すれば、相手の筋肉の動き、呼吸リズム、拳銃の向きなどが手に取る様に把握出来、弾道予測も容易だ。有り体に言えば、死に際の走馬灯の様なものだ。それを、無理矢理に引き起こす。
この状態は現実換算時間で十二秒しか維持できない。故に博打の要素が大きい。時間経過と共に視界の端から侵食するように暗闇が広がり始め、その侵食に比例する様に意識が朦朧とし始める。十二秒はその侵食に全てが覆われ視界が暗転するまでの時間だ。そのタイムリミットを過ぎれば僕は昏倒し、仮死状態になる。
死織の足の角度、手の角度、筋肉の動きを観測し、延びた刀身の到達位置を予測し、それを最小の動作で回避した。
「躱すなんて……!」
驚愕の言葉を黙殺し、尚も【蠱術】で絶命しながら全力で走る。身体中の毛細血管が破裂し弾け飛ぶ感覚。それすら殺して彼女に肉薄する。
延びきった刀が縮み始めるが、その最中に【天國】の切先を丁度それに当たる様に振り下ろした。切断する事は出来なかったが、全力で振るった為、持ち手の死織は体制を崩した。
「――【
触れた切先から炎が上がる。切先で斬りつけたものを焼き付ける十六小地獄だ。刀身で斬りつけても発動する事が出来ないので、【蠱術】で観測し上手く調節した。
火のついた刀を彼女が手放そうかと躊躇した一瞬を僕は見逃さなかった。
その瞬間に、彼女の右脇腹に回り込んだ。そして絶対に躱せないであろう位置を予測し、右斜め上に切り上げた。
一瞬遅れてそれを察知した死織は身体を仰け反らせた。それと同時に黒く塗りつぶされた僕の視界の端に炎を纏ったままの針金が五百本程見えた。
ゆっくりゆっくりと死織を覆う様に集まって来ている。僕の斬撃は、恐らくその壁に防がれる。しかし全力で振るった刀を止める事はもう出来ない。
――だがそんな事は関係ない。
「押し斬るッ!」
壁と化した針金と【天國】が衝突し、豪快な金属音が響くと思いきや、そんな事はなかった。炎に焼かれた針金は強度を落とし、僕の刀がそれを容易く斬り捨てた。
しかし、その衝撃で僕の刀は軌道を歪め、死織の左腕に衝突した。そして、切断した。
痛がる彼女を無視し、振り抜いた右腕の勢いを使い、左手で彼女の胸を殴り飛ばした。
「御返しだ」
「ッ……!!」
それを防ぐ事が出来ず吹き飛んだ彼女は針山の上に仰向けに倒れ込んだ。
痙攣する彼女の元に歩み寄りながら言う。
「一つ耳寄りな情報をくれてやるよ、死織」
そして、その細くて白い首筋に【天國】を当てがった。
その際、髪の中から素顔が露わになった。唯の女の子だった。その顔を胸に刻み込んだ。
――人を殺す。
それがどんな人間であっても許される事でない、それは理解している。だが迷わない。後悔もしない。懺悔もしない。言い訳もしない。他人を殺すという事には、殺される覚悟も持ちあわせていなければならない。その覚悟が僕にはある。
護る為に殺す。救う為に殺す。大切なものを救えるのであれば、それが何であっても殺す。全ての悪を担う覚悟が僕にはある。
故に――僕は人を殺せる。僕を憎め、大典太死織。僕の覚悟の前には塵に等しい。
「その針に即殺の能力なんて無い――ただの針さ」
狭まる視野の中心に彼女の首を定め――斬り落とした。
起き上がらない事を確認してから【蠱術】と【天國】の能力を解除し、鞘が落ちている場所まで歩いていき刀を収めた。
「勝てた……」
軽く百回は死んだが、何とか勝つことが出来た。
ハッタリを看破されていたら恐らく負けていただろう。【天國】を抜刀して負けたなんて姉さんに言える訳もなかったので、安心した
そして。
「凛音さん!」
「……凛」
二人を護る事が出来た。可憐が走り寄って来て僕を抱き締めた。
「おい、苦しい」
胸が当たる、胸が。まだ敵が居ないとも限らないんだ視界が塞がるのは怖い。
「凄かったです! 凛音さん! 今のはその刀の力なのですか? それとも凛音さんの力なのですか!」
「一回落ち着け」
そう言うと可憐は僕から離れたが僕の手を握って離さない。
「ほぼ全部刀の力だよ。こんな小さな脇差だけど立派な妖刀だ。蠱毒の僕が抜刀するのは、ズルいんだけどな。本気で護るって決めていたから」
相手が初見であれば【蠱術】と死んだフリで殺せるので、抜刀する必要はなかった訳だが……前回僕は勝てないと思って選択を間違った。
「ありがとうございます……ボロボロですね……」
そう言って可憐が僕をまた抱き締めた。
「抜刀負荷と蠱術負荷で身体がやばいからやめろ……」
何度死んでも問題ないとはいえ、【蠱術】は身体に相当の負担をかける。使用後は脈が安定しない。心臓が刻む鼓動のリズムが無茶苦茶なのが分かる。
「あっ! すみません!」
「サクラ、僕の携帯に秘匿ナンバーが登録されてるから……ってサクラ?」
「凛、今のは何?」
「……ん?」
「護ってくれた事はありがとう。でも今あたしは怒ってる」
「何で?」
「自分の脚も腕も――首も。何の躊躇もなく斬り落としたよね」
「そうだね」
「……凛、死んだでしょ」
「死んだよ? 多分、百回くらいかな」
「……ッ! 命を粗末にしないでってあたし、言ったよね」
狙撃された時もそんな事を言っていたな。
「いや、だから僕は毒虫だから別に何度死んだって――」
と言う最中、サクラが僕に歩み寄ってきて、手を振り上げた。
またビンタかよ。衝撃に備えよう目を閉じたが、何も起こらなかった。何だよ驚かせて。
目を開けると、サクラの振り下ろされた手を掴む可憐が目に入った。
「凛音さんに何をするんですか」
可憐がサクラを睨みつける。
「可憐ちゃん離して。この人は、このままじゃ駄目」
そしてサクラが可憐を睨み付けていた。
何が起きているんだ。状況に全くついていけない。僕が命懸けで護った二人が仲違いを起こしている。一体何の冗談だ。
「凛音さんを傷付ける人は許しません。サクラさん、貴女でも」
「可憐ちゃんは何も分かってない。凛は自分は人間じゃないから何度死んでもいいんだって言ってるんだよ? 見たでしょ? 何の躊躇も無く自殺した。そんなの間違ってる」
「サクラさん、おかしいのは貴女ですよ。凛音さんはそのままで良いのです。その全てを愛してあげる事が彼を救う道です」
「違う!! 凛は、もっと普通に幸せになるべきなんだよ!」
「普通じゃないと幸せになってはいけないのですか? 良いではないですか。異常なまま幸せになる人が居ても」
「そんなのは救いじゃないよ。真実から目を背けている紛い物。本当の救いじゃない!」
「本当の救い、何て個々人が決める事です。凛音さんが幸せだと感じたら、それは幸せなのです」
「凛は今、幸せなんかじゃない! 何処からどう見ても不幸なのに、自分を不幸だと認められてない! 自分に幸福も不幸も与えられてないんだよ! そんな状態でどうやって救うっていうの?」
「ですから、それを全て愛する事で凛音さんは救われ、幸福を得るのです。貴女は彼に自分の価値観や理想を押し付けているに過ぎません」
僕のよく分からない所で、よく分からない事が起きている。それは良く分かった。つまり、彼女達の言っている事のその全てが分からない。
「あの、二人とも喧嘩しないで」
取り敢えず仲裁でもしておこう。
「凛は黙ってて」「凛音さんは黙っていて下さい」
同時に言われたものだから萎縮してしまう僕だった。
こんな調子でずっと意味不明な言い争いをしているので、それを取り敢えず置いておいて、周囲を警戒し始めた。結界が張られていた、と言っていたな。それらしいものはもう消えている様に思える。有るのは、呆気に取られているボディーガード五人と、E15と大典太死織の亡骸だけだ。
口論が一向に終わる様子が無いので、教訓として僕は鞄に仕舞っておいた携帯電話を取り出し、周囲の警戒をボディーガード達に任せ、彼女達から少し離れた場所で秘匿ナンバーにダイヤルした。
「こちらE5」
『貴様か。M1だ。状況を報告しろ』
何だか親しげな対応になっているのは気のせいだろうか。
「E15が殉職、大典太死織を殺しました。遺体の回収と周囲の隠蔽、それから……すみませんE5の服の支給を願います」
『そうか。了解した。今夜、食事でもご馳走したい気分だ。ではな』
やっぱり優しくなってる! 面と向かうと違うものなのだろうか。てかディナーに誘われたんですけど。嬉しいんですけど! でもM1と飯に行ったら仕事の話しかしなそうだから嫌だ。
結局、諜報班が到着するまでの五分間、サクラと可憐はずっと言い争いをしていた。僕は何をしていたかというと、E15の遺体を綺麗にしてあげていたのだった。
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