9話 ストーカー、襲来

 結局一睡も出来ずに朝を迎えてしまった。折角の休みなのに、何処へも出掛ける気になれない。いや、外出出来ないんだったか。


「何で言っちゃったんだろう」


 こうして後悔を口にするのはもう十回を超えた。あれ程見たかった録画してある番組もテレビをつける気分にすらならない。

 寝転んだまま時計を見ると針は丁度午前八時を指していた。今頃、サクラちゃんは学校へ登校しているだろう。可憐も。

 また選択を誤った。あの場面で言う必要は無かった。そしてよく考えると可憐とサクラちゃんに詰問された時も、答える必要は無かった。初日から色々飛ばし過ぎた。


 ――幸運にも、周囲の人間が有能すぎた。

 探偵の蜂須賀サクラ。

 僕の過去を知って追ってきた華菱可憐。

 天花五家マニアの赤谷あかり。

 その全部が噛み合って、裏目に出た。その結果、僕は物語の蚊帳の外だ。そして重要なのは、彼女達は一切は悪くなく、僕一人だけが悪いという点だ。

 それでもいいか、と思い直す。僕がいくら誤った選択をしても、他人が幸せならそれでいい。

「悩んでても仕方ないな。テレビでも見るか!」

 僕の腕の中には例の短刀が埋め込まれている。それを撫でながらリモコンに手を伸ばし、スイッチを入れた。


 世界の不幸な子供達が自分たちで学校を立て、それにボランティアとして日本の学生が参加したというニュースだった。それから、何処かの国で紛争が起きているというニュース。

 ほら、やっぱり僕は不幸じゃない。

 決して見下している訳ではない。ただの事実として、僕は恵まれている。こうして雨風凌げる場所に、不自由なく定住出来ている。

 国家間紛争なんて僕には止められないけど、学校を一緒に作る事には参加できそうだ。機会があれば、行ってみよう。いや、もう今からでも行こうかな。

 ――人を救わなければいけない。

 それが僕の義務だ。こうして娯楽に身を浸す事すら本来、僕には許されない。あの時の分まで、ババを引き続けなければいけない。

 僕はあの学園生活を、何処かで楽しんでいたのかも知れない。それすらも選択ミスに思えてくる。

 堂々めぐりも良いところだ。思考を切り替えよう。

 何故、『大典太』は学園に固執するのか。

 何故、生徒を自殺をさせ続けるのか。

 回りくどいにも程がある。他人を淘汰する能力があって、気に入らない事があるのであれば実力行使に出た方が余程楽だろうに。確実に何らかの目的があるんだ。何だかむず痒い。何か閃きそうで、閃かない。喉元まで出かけている様で、出ない。

 ……おっと、また前回の仕事のことを考えてしまっていた。もう、終わった事なんだ。

 唐突に、僕のプラベート用のスマートフォンがデフォルトのままの着信音で鳴り出した。


【着信中『爺さん』】


 『三日月本家』の一番偉い方からの着信だった。

 蠱毒になった僕を養子にし、被害者遺族や、マスコミなどから護ってくれた張本人、三日月元治郎。この爺さんには今でも頭が上がらない。上げる気も全くない。しかし三日月家を飛び出した手前、引け目を感じているこの頃だ。

 無視する訳にもいかず、通話ボタンを押した。


「……もしもし凛音です」

『おお、凛音か。ワシじゃ』

「おはようございます、元治郎様」

『その呼び方はやめいと何度も言っとろうが。お爺ちゃん、と可愛く呼べ。戯けが』

 爺さん、絶好調だな。

 僕に対してはこんなお茶目なお爺ちゃんだが、本家では恐れられる御前様だ。


「了解しました。お爺ちゃん、何か用ですか?」

『お主が『大典太』と殺り合ったと聞いてな。何故報告を入れないのじゃ?』

「……忘れてました。申し訳ありません」


 サクラちゃんの事で頭が一杯で、完全に忘れていた。何処の誰とも知らない奴なら兎も角、相手が【天花五家】であれば殺り合う前に一言伝えて許可を得るのが筋だ。そうでなくとも事後報告はするべきだ。

 僕達はあくまで『殺し屋』であって、『戦争屋』ではない。故に敵陣に強襲をかけるなんて事はまず有り得ない。しかし、一歩間違えればそうなってしまう可能性はゼロではないのだから、報告はきちんとするべきだ。

『まあ、ええわい。こっちで何とかするからの』

 優し過ぎんだよジジイ。惚れるわ。

「有難うございます。既に報告が上がっている様ですが、大典太の序列三位に敗北しました」

『お主、本気で殺ったのか?』

 声に怒気が篭るのが分かった。

「…………」

 本当の事を言わないといけない雰囲気だ。この人相手に誤魔化しなんて効くわけもない。僕の全部を知っているんだ。

『お主に預けたあの刀を抜いたのか、と聞いておる』

「……いえ」

『馬鹿者ッ!!!!』

 怒られた。『三日月』に泥塗ってすみません。

「申し訳ありません」

『あのな、凛音。何も敗北した事を責めている訳ではないのじゃよ。『三日月』に泥を付けたなどと思っているのじゃろうが、それは違うぞ。そんな事は些事じゃ』

 そう、なのか?

「……はい」

『相手は同じ【】。序列も三位だそうだの。格上じゃ。負けても仕方がない。生きてるだけで儲けもんじゃ』

 でも、きっと――。

『わしが言いたい事はもう分かるのう?』

「僕が本気ならば、きっと――勝てた。本気を出さなかった事に怒ってるのですね」

『分かれば良い。用件は以上じゃ』

「態々有難うございました」

『何、可愛い子のためじゃ。呉々も無茶はするな。ああ、忘れとった。鞘歌から言伝を預かっておる。自分で言えばいいのにの、恥ずかしいんじゃろ』


 三日月鞘歌みかづきさやか

 三日月家、序列一位。

【天下五剣】『三日月宗近みかづきむねちか』の使い手。僕の義理の姉だ。

 事件後、一年間の廃人時代の僕を世話してくれた四歳上の恩人。

 この二人と三日月家のみんなが居てくれたお陰で僕は歪ながらも何とか生きていけている。


「何でしょう?」

、との事じゃ』

「……そうですか。近い内に、帰省します』

『愉しみにしておる。また将棋の相手でも頼む。それじゃあの』

 そう言って通話は終了した。


 とまあ、有難い激励を頂いた訳だが生憎、今任務で僕は殺害されていて帰省も出きなければ汚名返上も出来ない。

 『』。なんて重い言葉だろう。期待されなければ裏切らなくて済むのに。

 また寝転び、悩み出す。僕は悩む事が趣味なのか?

 基本的に無趣味の僕は、鞘歌姉さんの本を読む事位しかしてこなかった。『自分は人間ではないから』という理由で鍛錬もあまりしなかった。故に「三日月流なんたらかんたら」みたいな技は何一つ使えない。

 家を出てこうしてアパート住まいを始めてからは本も無くなったので家具は一切なく、時計とベッドだけが置いてある状態だった。


 二年前、僕がサクラちゃんと初めて逢って仕事をした時。

 彼女が十五歳、僕が十八歳の時。

 彼女に『テレビでも見たらどう?』と勧められて二人で選んで買ったのがこのテレビだ。

 今思えば、僕は彼女が任務に参加していると聞いて嬉しかったのかも知れない。また逢える、と。だから柄にもなく『無能の烙印を押してやる』なんて豪語したのか。我ながら恥ずかしい。

 そう言えば、サクラちゃんはどうしてEOSでエージェントなんてしているのだろう。まだ若いのに。(僕もEOSに入社したのは中学三年の秋だったけど)

 一度、彼女に聞いた事がある。『この仕事をしている事を親御さんは知っているのか?』と。『お父さんは知ってるよ』と返事が返ってきて安心した。それだけだ。


 ――僕は彼女を知らな過ぎる。


 二度目に彼女と仕事をした時は、テレビの話題になって、『中々見たい番組が見られない』と言ったら『ハードディスクに録画しなよ』と言われて、また二人で買いに行ったのだった。それから頻繁にテレビを見る様になって、僕は昔の様に他人と下らない話が出来る様になった。

 彼女は、僕の希望だ。

 僕の欠けた部分を埋めてくれる大切な人だ。

 そんな彼女を、多分、僕は傷付けた。その理由も――解らない。

 次に会った時何を話せばいいのか、全く見当もつかない。もしかしたら、もう逢えないかも知れない。


 ――『ここに出来た傷が癒えないのです』


 可憐の言葉の意味がほんの少しだけ、解ったような気がする。

 与えられてばかりで、サクラちゃんに何も返せていない。ただ悩んでいるだけでは何も進展しない。捜査の基本だ。

 思い立ったが吉日、僕はベッドから立ち上がり、ウォークインクローゼットに掛かっている南京錠のナンバーを0227に揃え、勢い良く開けた。そして決して絶対に断じて趣味ではない変装セットを吟味し始める。

 やはりここは性別を変えて然るべきだろう。今の気分は天之神朝水の様なこのテコラッタ色ロングゆるふわウィッグにフェアリーピンクのフレアスカートだ。となればローアンバー色のトレンチコートを合わせてガーリーにキメよう。靴は黒のパンプスか……?いや、あえてドクターマーチンで崩すのもアリか?カラコンは何色が残ってたかな……。

《ピンポーン》

 インターホンのベルだ。誰だよ、こんな時間に。壁掛け時計を見るに、時刻は午前九時半だ。

 こんな平日の昼間から来るのは宗教の勧誘か新聞の勧誘だろう。当然、無視だ。

《ピンポーン》

 居ないんだよ、僕は。死んだから。

《ピンポーン》

 三回目は流石に予想外だ。こういうのは大抵二度で終わるものだと思っていたので、流石に無視出来ない。僕の部屋に来る人なんて居ないはずだ。友達居ないから。

《ピンポーン》

 僕は死んだ事になっている以上、対応する訳にはいかない。しかしこれだけ執拗に鳴らしているということは最早バレている事とイコールだろう。サクラちゃんの方ではなく、僕の方に来るのであれば構わない。むしろ歓迎だ。

「分かったよ出ればいいんだろ」

 クローゼットの鍵を閉め、ドアホンまで移動し、画面のない音声のみの受話器を取った。

「無宗教です、新聞いらないです、友達いないです」

 あ、自己紹介してしまった。

『凛音さん、やっぱり居るんじゃないですか』

「誰ですか」

 本当に誰ですか、怖いんですけど。

『可憐です、華菱可憐』

 ……事実は小説より奇なり、とはこのことだろう。

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