8話 二者択一

 意識が覚醒した。

「また知らない天井だ……なんつって」

 起き上がって現状確認をする。

 ここはどうやらEOS本社ビルの中にある病室の様だ。毎回世話になっているから見覚えがある。

 しかし僕が気を失うなんて滅多にない事だ。一体全体何があったんだ。

 視線を左に振ると、サクラちゃんがパイプ椅子に座って膝掛けをしたまま眠っていた。看病してくれたのかもしれない。救護班を呼んでくれたのも彼女だろう。

 横開きの扉が開き、女性が現れた。

 スーツに眼鏡にポニーテールの美人。刑事が何かか?

「目覚めたか、E5。調子はどうだ?」

 そう言われ、自分の身体をあちこち触り確かめた。右腕が軽い。ああ、短刀が抜き取られてたのか。余計な事をしやがる。


「普通です」

「そうか。それは重畳」


 というか誰だよ。僕のコードネームを呼んでいるんだからEOS関係者だという事は分かるけど。しかし万一刑事だったとしたらとんでもない位面倒だぞ。


「すみませんが、どちら様ですか?」

「おいおい、どちら様は酷いんじゃないか? E5、あれだけ世話してやっているのに」

 この声、何処かで聞いた事がある。ああ、そうだ。

「M1」

「ご名答。頭の回転は悪くないのだな。いや、優秀と言って差し支えない」

「本部のNo. 1様に会えるとは何と恵まれた日なんだ」

 誰に聞いても、『見た事ない』の返答しか帰ってこなかった最早EOSでは伝説的存在だ。優秀過ぎる故に、本当は存在しなくて人工知能か何かなんじゃないかと囁かれていた程だ。

 まず秘匿ナンバーを知っている人自体が少ない訳だけど。

「三度も死んだ日を恵まれた日と言える貴様の脳は異常だ」

 という事はまだ日付けは変わっていないという事か。そしてぐうの音も出ない。

「二度ですよ。僕の事なんかはどうでも良い、状況はどうなっているんです?」

「いや、三度だ。ここへ運び込まれた時、貴様は遅延毒で絶命した。例の得意技、死んだフリでもしていたのだろう?」

 マジかよ。ただの死体蹴りかと思ってた。殺した人間に毒を打つとか鬼畜の所業だ。

 と考えている最中でもM1は御構い無しに話を続ける。

「答えはYESと取っていいな?」

「はい」

 なるほど、と彼女は納得した様に腕を組んだ。

「大典太死織の情報を報告しろ」

「外見は地に着く程長い黒髪、紅い瞳、白いワンピース。それから、恐らく二重人格。武器は巨大な日本刀【辭貫一】。刀を体積の分だけ刀身から針金の様に変形させ複数伸ばす事が出来、それを自在に操ります。彼女曰く、言葉の通りに形状を変形させる事が出来るようです。それから縮地術と暗器術を極めています」

 あの縮地は僕が出会った人間の中で最速だった。武器だって立派な妖刀だ。


「他に気付いた点は?」

「何者かに指示を受けた、と。以上です」

「了解した。私から上へ報告を入れておく。現状を知りたがっていたな。そこで寝ているE19の報告は既に受けている。そして今、貴様からの報告を加味して今後の方針を伝える」

 本来は古谷部長の役目なのだがな、あの方は御多忙だ。と彼女は付け足した。

「はい」

 緊張が走る。


「――E5、三日月凛音の私立聖アクナシア学園潜入任務を遂行したとする」


 ……待て何故そうなるんだ。まだ謎は沢山残っている。途中で投げ出すなんて出来ない。

「何か不服があるか様だな、言ってみろ」

 僕の表情を見て何かを察したのか、M1が僕にそう言った。

「『大典太』と恐らく『比古神財閥』が何らかの形で事件に関係しているのは判りました。しかし、肝心の事件を解決出来ていません」

「貴様はいつから探偵になった?」

「――ッ」

「貴様の任務は対象者の護衛だ。そして、その護衛者が不在の中で始まった今回の任務。敵を炙り出す事が貴様の最重要事項だった。それを達成した。つまり任務は終了した。違うか?」

「確かに……そうです。E19の今後の方針は?」

「彼女は探偵として学園に残り、調査を続行してもらう」

 それは困る。サクラちゃんを護れない。それに、可憐の事も……気になる。

「E19の単独行動は危険です」

「貴様の後任にE15を彼女の護衛を兼ねて学園警備に配置する。それに、E19も『二桁持ちツーナンバー』の立派な高所列EOSエージェントだ」


 E15。

 僕を格闘技能訓練でボコボコにした男だ。

 正義感に溢れた青年で、『お前みたいな奴がE5である事が納得出来ない』と僕の事を心底嫌っていた。目立った功績は上げていないが、格闘、火器の取扱い等どれを取っても一級だ。僕なんて足元にも及ばない。僕よりも、彼がサクラちゃんの側にいた方が安全かもしれない。


 ――それでも、納得できない。


 口を開こうとすると、それを遮る様にM1が僕に言う。

「貴様は、公では『序列三位 大典太死織』に殺害された事になっている。これ以上、表舞台に現れるのはかえって混乱を生む」

 言うこと成すこと正論だ。

 大典太死織と対峙した時。彼女を僕が殺せていれば違う展開になっていたのだろう。負ける事前提で、奥の手を隠したままで敗北したのだ。悔いが残る。

 思い返せばいつもそうだ。重要な選択肢を必ず間違える。右と左、上と下、表と裏。その簡単な二択ですら事が重要であれば、必ず外してしまう。そうやって僕は間違い続けてきた。

 ――僕はミスをした。

 沈黙していると、M1が話し出す。

「死亡後に貴様が遭遇した『赤谷あかり』。彼女には既に緘口令を敷いた。これを破れば何らかの形で処罰が下る」

 こういう所まで手が早いのがM1だ。

 普通に考えれば一般人に緘口令なんて敷ける訳がない。

 だが彼女はそれを簡単に成し遂げる。恐らく、学園側と話をつけたか、或いは赤谷グループの弱味を握り、それを使って黙らせたか……それとも僕の理解の及ばない方法かもしれない。いずれにせよ付け入る隙はないだろう。

 今更、サクラちゃんと僕が『ツーマンセル』に成った事を伝えても、何の効力も無いだろう。未だ正式な申請も行っていない非公認の口約束では歯が立たない。仮に正式なものであっても無理だろう。

「貴様は何でも一人で抱え込みすぎだ。これ以降は他の者に任せろ。――これは命令だ」

「……了解、しました」

 と、渋々、承諾した。

 真逆、本当に任務が一日で終わるとは思っていなかった。狙撃された時は、驚きはしたが同時に嬉しさもあったものだが、今になってはあの嬉しさは何処へやら。読みかけの本の後半を破り捨てられた様な気分だ。

「それと、これを返却しておく」

 M1が差し出したのは、短刀だった。

「……どうも」

「無茶も程々にな。貴様の今任務の働き、非常に素晴らしかった。EOSエージェントとして十全だ。人目に充分配慮しながら帰宅し、明日以降は指令があるまで自宅にて待機せよ。以上」

 そう言ってM1は退出していった。


 後悔しか残っていない。まだやれた筈だ。どうしていつも僕はこうなんだ……。

 返却された短刀を見つめる。鍔も柄も付いていないただの刃物だ。刃物と言っても、刃こぼれは酷いし錆びている為に物を裂くことはもう出来ない。

 この短刀で、僕は取り返しのつかない選択ミスをした。その戒めで、常に腕に埋め込んでいる。

 歯を食いしばり、右肘に切先を当てがった。

 また、埋め込まなければいけない。筋肉や筋の隙間に上手く捻じ込むのは結構コツがいる。入れたまま日常生活を送るのにも結構な時間が掛かった。


「……ッ! 凛、何してるの!!」


 パイプ椅子で可愛らしく寝ていたサクラちゃんが身を乗り出して大声を上げていた。

「サクラちゃん、おはよう。色々迷惑掛けてごめん、助かったよ。そういえば服の請求書はちゃんと貰ったの?」

「そんな事どうでもいい!! 何をしているのか答えてッ!!」

 サクラちゃんは最早、錯乱している。

「これを腕に入れるんだ」

 そう言いつつ、思い切り左手に力を込める。溢れんばかりに肘から血が吹き出し、滴り落ちた雫が白いシーツを紅く染めていく。

「やめてよ! 何でそんな事するの!」

 彼女が僕の左手にしがみ付いて刃を引き抜こうとする。

「今日だって入れてたよ?」

「う、嘘、でしょ?」

「こんな事で嘘吐いてどうするんだよ。結構グロいよね。シーツも汚しちゃったし……どうかしてたよ。トイレでしてくるよ」

 立ち上がり、歩き出そうとしたが彼女が正面から僕に抱き付いてきて離れない。

「こんな事、やめてよ……ねぇ、どうしてこんな事するの……」

 彼女の瞳から溢れる涙は、とても綺麗だった。比較して、僕から漏れ出る雫の醜悪さと言ったらない。グチャグチャにして殺したい。


 ――僕は僕を殺したい。


「泣かないでよサクラちゃん」

「じゃあ、やめてよ」

「あのさ、昼間話したよね? 僕は毒虫だって。僕に構うの止めたら?」

「凛が『ツーマンセル』になるって言った。だから放さない。何でそんな事するのか答えて」

 確かに言ったけど、あの辺りは結構意識が朦朧としてて記憶が薄い。因みに言えば、赤谷女史にセクハラした辺りも何だか良く覚えていない。ノーパン宣言も覚えていない。全然。

「……この短刀は、僕が妹を殺した時のもの。戒めと実益を兼ねて、腕に入れている」

 ライフルで狙撃されるよりも、刀に腕を落とされるよりも、針で無限の穴を開けられるよりも、毒殺されるよりも、この瞬間が一番痛い。だから歯をくいしばる。


「殺したく、なかったんだよね?」

「うん」

 殺したくなかった。

「家族の事、好きだったんだよね?」

「うん」

 好きだった。

「妹さんの事、大好きだったんだよね?」

「うん、大好きだった」

 僕の腕からは紅い泪が滴っている。


「――好きだった。ずっと一緒に居たかった。高級車なんて無くていい。立派な豪邸なんて無くていい。ご飯だって、みんなで食べられれば何でも良かった。僕はみんなが好きだった。休み時間にするドッジボールもサッカーも苦手だった野球も好きだった。クラスメイトとする下らない話が好きだった。優しい先生も、怖い先生も好きだった。僕は……それだけで良かった」

「凛……凛……ッ!」

 僕の胸に顔を埋めて泣いている彼女の頬に、僕の腕から紅い雫が、落ちた。それすらも、泥水に見える。綺麗な顔を汚してしまった罪悪感が押し寄せる。


「何で僕なんだ。僕は死にたかった。《不死》なんて要らなかった。僕は死ぬべきだった。僕は間違えた。こんなの望んでない。僕は――死にたい」

「……何が起きたの?あの学校の中で」

 胸が苦しくなって僕は彼女を抱き締めた。

 何故だろう。僕にはこんな資格無いのに。愛しさも、殺したはずなのに。

「授業参観日――武装した集団に襲われた。僕は怖くて、震えてた。双子の妹も同じクラスだった。やっぱり怖くて、震えてた。授業参観日って事もあって、事件の発覚がほんの少し遅れたんだ。その間、僕達はゲームをしてたんだ」

「……ゲームって……まさか……」

「簡単だよ、トランプのババ抜き。但し、周りには銃を持った人間が居るんだ。最後にババを持っていた人間が、殺される。まずは拒否した人が殺された。その後、許可なしに発言した人が殺された。その後、咳込んだ人が殺された。そして、ルールを知らない人が殺された。この時にもう、既にクラスの半分以上は死んでたよ。町立の小さな学校だったからね、もうその時点で校内には百人くらいしか居なかったんじゃないかな」

「…………」

「訳がわからなかった。みんな震えてた。親も、教師も、みんな五人一組。それで一斉にババ抜きをした。多分、他のクラスでもそうだったんだろう」

「……それで?」

「幸運にも、僕も妹もババを引く事はなかった。殺された人達を見ていって、頭がおかしくなった。移動させられて、それを何回も繰り返した。先ずは母さんが、その後、父さんが死んだ」


 そうだ、あの時。


「ババを引け! 俺のババ抜け! って何度も父さんに怒鳴られた。僕は――ババを引かなかった」

 それが最初の選択ミス。あの時、ババを引いていれば良かったんだ。

「最後まで残ったのは、僕と妹と、知らない男の人と、僕の一年生の時の先生。ババを引けって繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し言われた。僕は――ババを引かなかった」

 僕はこんなに口が軽い人間だったのか。今まで、誰にも話した事なんて無かったのに今はどうしてこんなに。

「僕と妹の二人になった時に、男が言ったんだ」

「な、何て?」

「――『二人のどちらかを助けてあげる』」


 助けるも何も、お前達がしている事だろう、とはもう考える頭は残ってなかったな。なんて優しい人なんだろう、と感激したのを覚えている。


「僕は『お兄ちゃんなんだから、妹を護りなさい』ってずっと親に言われて育った。沢山我慢もした。今思えば理不尽な事も沢山あった……だけど、僕は妹が好きだった」

 本当だ。これは偽りの無い気持ちだ。


「僕は約束していたんだ。――雪那せつなを、護るって」


 宮前雪那みやまえせつな。僕のたった一人の双子の妹。

「だから、僕はこの短刀を渡されて自殺しようとした。けど……腕が動かないんだ。怖くて動かない。その時にはもう涙も枯れていて、体の震えも止まっていた。感情は麻痺してた、いや壊れてたんだろう」

 そして。

「――僕は妹を殺した。そして言われるがまま……顛末は昼間話した通りさ」

 これが人生最大の選択ミス。僕は約束を守れず、妹も護れなかった。

「『おめでとう』と言われて気づいた。僕が既に孤独に――蠱毒になっていた事に」


 抱き締めていた腕を緩め、真っ直ぐに彼女の目を見た。

「僕は救われるべきではない。分かった?」

 ここには居られない。彼女の返答も待たずに僕は扉を開け、また逃げ出した。

 諦めも早く、逃げ出すのが早いのは僕の悪い癖だ。しかしこれが治せない。いつだって逃げて逃げて逃げ続ける。僕はどうしようもない程に愚かだ。


 これで僕の話はおしまい。

 幸運に恵まれた故に、僕は蠱毒になった。だから、僕は不幸に浸れない。多くの不幸の頂上に立つ僕は、不幸ではなかったのだから。

 自分が世界一不幸だと思えたなら、どれだけ楽だろう。自分が世界一可哀想だと思えたなら、どれだけ幸せだろう。そんな有り触れた事が出来ず、死ぬ事が許されない僕に出来ることは、贖いとして赤の他人を救う事だけだった。

 建物から飛び出すと、ビル風に泥水が攫われた。それを追って夜空を見上げてみると、幸運な事に今宵は三日月だった。

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