7話 孤独な青年

 大典太死織との戦闘後。

 念の為二分程その場で寝転んだままでいた。立ち上がり自分の姿を見る。

 制服はボロボロだ。それに赤黒い血で濡れていてこれでは家に帰る事も出来ない。通報されて終わりだ。携帯も破壊されてしまった。自分のスマートフォンは家に置いてきたし、周囲に公衆電話も見当たらない。これではEOSにも部長にも連絡できない。

「困った」

 携帯電話やスマートフォンがいくら普及したとはいえ、公衆電話は必要な時は必ずある。これ以上数を減らすのはやめて頂きたい。

 うんうんと唸っていると、足音が聞こえた。

 咄嗟に身を隠すが、遅かった様だ。足音は間違いなく僕に向かってきている。ポンコツ具合がここに来て露呈した。僕には危機感というものが圧倒的に欠けている。

「り、凛音様?」

 凛音様? そんな呼び方をする人は『三日月』の使用人くらいだけど、こんな場所に居るわけがない。『三日月本家』からここは三十キロくらい離れている。ちょっと買い物、と来る距離ではない。


「…………」

 沈黙を返答にした。

「り、凛音様、ですよね? あ、あの、赤谷、です」


 この声……聞き覚えがある。そうだ、赤谷あかり。可憐に余計な事を吹き込んだ女生徒だ。

「こんばんは赤谷さん。何も聞かずに携帯電話を貸して欲しいんだけど」

 身を隠しながら言った。我ながら不審すぎる。

「な、何かあった、んですか」

「別に何も」

 【天花五家】オタクの彼女に、『今、大典太と殺し合いしたんだよね〜』なんて言えるわけがない。

「……じ、事情を話してくれる、なら、貸してあげ、ます」

「へえー? 僕と取引きしようって言うの?」

 靴底と地面が擦れる音がした。たじろいだのだろうか。

「う、動けないん、です、よね?」

「動けるよ」

 身体じゃなくて格好の問題なんだ。こんな事なら脱いでおくなり、替えの服でも用意しておくんだった。秘匿ナンバー……というかM1に甘え過ぎだ。猛省。

「じゃ、じゃあ、で、出てきて下さいよ」

 このままでは堂々巡りもいい所だ。もう折れよう。諦めの速さだけには自信がある。

 物陰から出て、彼女の前まで歩いていった。

 切断された部位は世界に溶けるのに何故血液だけは残るのだろう。血液も一緒に回帰してくれればこんな苦労しなくて済むのに。(服はボロのままだが)


「ひ、酷い怪我! ま、まってて下さい。い、今救急車を――」

「救急車はいいから、携帯を貸してくれ」

「で、でも、あの」


 通り掛かったのが赤の他人なら携帯を借りるだけでこんなに苦労する事も無かったのに。神様は相変わらず意地悪だ。

「頼むよ」

 彼女にとって僕のこの有様は余程ショッキングだったのだろう。取引きも忘れて携帯を震える手で差し出してくれた。

「どうもありがとう。この恩は必ず返すから」

 そう言いいながら十一桁の秘匿ナンバーをコールした。彼女の前で話したくはないが、借り受けたものを持って移動なんて失礼にも程があるので諦めた。僕の人生は妥協と失敗で構成されているんだなーとこういう時に実感する。


『M1』

 即座に愛すべきオペレーターにワンコールで繋がった。

「こちらE5」

『状況を説明しろ』

 言うしか無いよなぁ。M1は理詰めで動くタイプだから曖昧な説明では動いてくれない。部長に直コールした方が良かったか、と今更になって思い付くがもう遅い。

「敵と交戦、死傷者なし。E5の服と携帯の支給願います」

『了解した。付近のエージェントを向かわせる。五分程度、その場で待機せよ』

「了解です」

 ……通話が終了すると思いきや、終わらない。

『敵はどうした』

 あちらから質問してくるなんて初めてだ。

「捕縛失敗」

『正体を掴んだか?』

「はい」

『報告しろ。貴様にはその義務がある』

 言えないんです。番号から察して下さい。

「現在、一般人が付近に居ます。今から本社に出頭致しますのでその際に」

『了解』と、今度こそ通話が終了した。

 色々起き過ぎた。面倒だが電話ではなく、直接報告した方がいいだろう。

 通話履歴を削除してから赤谷女史に返却した。

「助かった」

「い、今のは?」

「と……友達」

 苦しい! 苦し過ぎる言い訳だ。血みどろの状態で救急車を呼ばずに他人の携帯で友達に電話を入れる奴はただのサイコパスだ。いや、腕に短刀を捻じ込んで仕込んでいる時点でまともではないか。

 そして僕に友達はいない。


「て、敵と交戦って……」

「君、日記とかつけてる?」

「な、何の話、です、か」

 何の話なんだろうね。僕も分かんないよ。

「ブログとかSNSとかでもいいや。やってる?」

「し、してます、けど……」

「それにさ、書き込んでいる所を覗かれちゃうんだよ。何かの拍子に偶然、誰かに」

「は、はい……?」

 この手の女子はネットでは別人の様に生き生きしてる人種だ。理解してくれる。きっとそうだ、そうに違いない。偏見でごめん。しかしゴリ押しだ。

「どう思う?」

「い、嫌です、けど……」

「今、僕はその状態なんだ」


 自分で何を言ってるのか分かってない。早く諜報班、来てくれ。もう二分くらいは稼いだか? いや……まだ十秒位しか経っていないだろう。自分に都合の悪い時間はゆっくり流れて、都合の良い時間は早く流れている様に感じるのは本当に何でなんだろう。

「い、意味が良く分からない、です」

 だよね。

「じゃあ君、今どんな下着着けてるの?」

 じゃあ、って何だよ。

 人の居ない場所で女子高生に着けている下着を聞く二十歳男性。完全無欠な事案だ。問答無用で刑務所行きだ。僕が許可する。いやむしろ直ぐに死ね。

「……な、何なんですか」

 セクハラ攻撃、効いているぞ。

 つい十分前まで殺し合いをしていた僕と今の僕、かけ離れ過ぎていて泣きそう。

「つまり今、僕はその状況なんだ。自分の恥ずかしい事を無理矢理聞き出されそうになっている」

 赤谷女史は何も納得出来ていないようだ。当然だ。それどころか警戒と軽蔑の視線を浴びせられている。


「そうだな……これは僕が小学六年の時の話なんだが……」と、遠い目で突然語り出す僕。困惑する女子高生。


「僕の姉さん――とは言え義理のなんだが。その姉さんがさ、僕が居間でくつろいでいると、突然こう言ったんだよ。下着は魂だ、と」

「は、はぁ……」

「僕はその時呆れたよ。布キレが魂だ? 馬鹿を言うな、と。僕は当時白いブリーフを履いていたんだが、当然何の愛着もなかった。それはそうだろう? それはただの布だ。古くなれば捨てる消耗品でしかない。消耗品が魂だなんておかしい」

「はい……?」

 首を傾げる彼女を横目に続ける。

 もう知らん。どうにでもなれ。ヤケクソだ。


「そう言ってやったのさ、姉さんにドヤ顔でな。しかし二秒後には僕はその発言をした事を激しく悔いた。そして撤回し、自分の愚かさを知った。下着は魂だと知ってしまったんだ。何が起きたと思う?」

「さあ……」

 何か彼女の視線から漂う毒牙が抜けた様な気がしたが気のせいだろう。恐怖から困惑、そして呆れただけの話だ。


「おい赤谷さん、僕は真面目に質問しているんだ」

 僕が真剣な面持ちで言うと、渋々彼女はそれに応じた。

「そのブリーフが光輝きだしたとかですか?」

「ブリーフが光る訳無いだろ! ふざけてんのか!」

 ごめん。僕、今どうかしてる。そしてその回答もどうかと思う。

「いや……そんな事言われても……」

「じゃあヒントな。当時、僕は小学生男子、姉さんは高校生女子」

「あっ!」

 何か閃いた様に赤谷女史の表情が輝いた。ブリーフは輝かなかったけど、彼女は輝いた。


「流石に気付いたな。君の答えを聞かせてくれ」

「でも……ありえないです……」

 悩んでいる様子の彼女。

「いや、あり得ないことが起きたんだ。さあ、言ってくれ」

「お姉さんが……自分のスカートをめくって凛音様に下着を、見せた……?」

「あーー! 惜しい!」


 思春期男子の思想を汲み取れたまでは良かったが、姉さんのエキセントリック加減まで考慮出来なかったか。「下着は魂だ」とか言い出す人だという時点で既にヒントになっているはずなんだが、まあ普通に考えて無理だろう。

「えっ!!」

 驚愕を露わにする彼女。それ程までに自信があったということだろう。

 結構興味を引けていた事に笑いそうになる。


「正解は……?」

「突如全裸になった姉さんが脱いだ下着を天高く掲げた、が正解。惜しかったね」

「全然惜しくないじゃねぇか! というか何なんだよこの話!」

 驚いた。

 憤慨する彼女を見て思った。これが彼女の素ではないのか、と。

 吃ってもいないし口調も荒いし、まるで雰囲気が違う。

 ……それは鏡を見ているような――僕自身の素を見ているような錯覚に陥る奇妙な感覚だった。何もかもが僕と違う。なのに、何だろう。この感覚は。

 だからという訳でもないけど、僕は言うつもりのなかった続きを、話した。


「この話は僕がただ性に目覚めたというだけの話ではないんだ。実の所それは結構どうでもいい。消耗品に魂を見出したという点が重要なんだ」

「消耗品に……魂……」

「そう。永遠に続くものに魂なんて宿らない。刹那にあるものこそ魂が宿る。永遠なんて、刹那の前には無価値だ。そんな風な価値観を得たんだ」

 輪廻なんて、刹那の前には無価値。そう僕が知り一層僕は僕を嫌いになった、そういう話だ。


「そう、かもしれない。いや――絶対にそうだなぁ。終わりがあるからこそ物事には価値があるんだよな……終わらないものなんて――永遠なんて無価値だ」


 乱れた口調のままで赤谷女史は呟いた。

 それは僕に向けられたものではなかった。刹那い、唯の独り言だった。


「失いたくないから大切にする。壊したくないから大切にする。価値は――魂はそこに宿る。何をしても失われず、何をしても壊れないものに愛着なんて生まれない」

 どんなに傷付いても、どんなに殺されても、どんなに死んでも存在し続ける僕という存在。故に僕は誰からも大切にされない。それが僕自身からであってもだ。

 だから、無価値。故に、ガラクタ。


「と、今はそんな事はいいんです! 何があったのか――」と、我に返った彼女が僕に詰め寄って来た。

「うわッ! き、傷が……!! 通報は要らないけど傷が……」

 もう面倒になったのでその場に倒れ込んだ。疲れた。


「――凛、凛! 大丈夫! ?ねぇ! ねぇ!」

「……ん? サクラちゃん、どうしたのこんな所で」


 救いの女神が現れた。地獄は終わったんだ。

「凛が敵と交戦したってM1から連絡が入って、飛んで来たの!」

 ああ、そう言えば諜報班ではなく『付近のエージェント』を向かわせるって言ってたな。サクラちゃんが一番近くに居た訳だ。

「ああ、まあ、うん」

「血だらけ! 平気なの!? 何でこんな無茶するの! 馬鹿! もう……馬鹿ッ!」

 そう言って僕の胸を両拳で太鼓の達人が如く叩くサクラちゃん。

 馬鹿です、すみません女神様。

「あーその、ごめんって。それ、服?」

 サクラちゃんの手には大手衣服販売店の袋が握られていた。恐らく僕のために買ってきてくれた物だろう。

「あ、うん。急いでたから凄い適当なやつだけど……それより説明して」

 赤谷女史が居るんだから今は出来ないだろ。とアイコンタクトを送る。

「分かった」

 そういいながら袋を手渡してきた。それを御礼を言いながら受け取った。

「僕の下着、見たい? 光輝くかもよ? 赤谷さん」

「なな、ななな、何を、何を」

 顔を真っ赤にして両手のひらをブンブンと振り回している。

「じゃ、着替えてくる」

 そう言い残し、僕は一度隠れた物陰に移動し着替えた。服はパーカーとぶかぶかのチノパンだけだった。ファスナーが直接肌に当たって冷たい。そんな事、口が裂けても言わないけど。そして、代わりに血だらけの制服と下着を袋に乱雑に詰め込んでついでに鞄を拾った。

「おまたせ」

「サイズ全然違ったね、ごめんよ。あと携帯の支給も出来ない」

「いいよ、ありがとうサクラちゃん」

 因みに、と僕は続ける。

「今の僕、パンツ履いてないよ。赤谷さん」

「ななななな、なんなんですか!」

 この子、面白いな。

「赤谷さん、家まで送るよ。もう暗いし」

 というか帰って欲しい。

「ま、まってくだ、さい。わた、わたし何も聞いて――」

「――知らない方が良いこともある。死にたくなければ僕の言う通りにしろ」


 彼女の言葉を遮って言った。

 世の中、無知こそが最大の幸せだ。知らなければ、優越感や劣等感と無縁でいられる。知ってしまえば、忘れられない。最初から知らなければ、忘れる必要すらない。そして何より、『無知』や『無関係』というのはこの世界では最弱であると同時に最大の武器になる。

 井の中の蛙は大海を知る必要なんて無いんだ。幸せの価値は、それぞれの個々人が決める事で、何かと比較した時点でそれは歪んだ紛い物だ。

 僕は知ってしまった。あの毒壺の中で。だから引き返せない。


「凛、その言葉じゃキミが赤谷ちゃんを殺すみたいに聞こえちゃうよ。彼女怯えてる」

 サクラちゃんに指摘されて気付いた。赤谷女史は涙ぐんで震えていた。

「あ、ごめん。そういう意味じゃないんだ。携帯のお礼は必ずするから」

「わ、分かりました。じゃ、じゃあお願いします」


 彼女の案内で自宅まで三十分程度歩き、無事御屋敷と言っても全く問題無い豪邸に送り届け、僕は一息ついた。

「ねえ、凛。敵は何者だったの?」

 笑顔で赤谷女史を見送った彼女はもう居なかった。仕事モードへ切り替えたのだろう。

「敵は『大典太家』だった」

「嘘、でしょ?」

 目を見開き、驚きを隠せない彼女を横目に僕は続ける。

「『大典太死織 序列三位』。誰かの指示を受けたってさ」


「待って――五秒で追いつくから」


 サクラちゃんが目を閉じ思考を開始した。

 序列三位。勝てない相手じゃなかった。

 殺すつもりなら恐らく殺せた。最早、負け犬の遠吠えでしかないけど。最初から勝てないと思っていたから最後の最後に不覚を取ったんだ。……こんな事では駄目だ。誰かの大切な人を、今にも彼女は殺してるのかも知れないんだ。


「『大典太』が敵なのであれば昼間に時計塔で凛が狙撃された理由も納得がいく。裏で画策しているのも『大典太』、一連の連続自殺にも必ず関わりがある。そしてここからはあたしの推理なんだけど――主犯は【五大財閥】の内にいる」

「待て、頭が良く働かない。説明を頼む」

 さっきからボーッとしてしまって思考が上手く纏まらない。

「【天花五家】は【五大財閥】の影、そうだよね?」

「うん」


 【五大財閥】高日神、上巣神、比古神、常立神。そして天之神。


 分家は多々あるが、本家はこの五つだ。日本という国はこの五つの財閥の掌の上にある。

 因みに『三日月』は『高日神』の影だ。

 次期当主、『高日神光陰』に三日月凛音として僕は会った事がある。帝王学とか叩き込まれてるんだろうな、って印象がある(子供の感想かよ)。それでも結構気さくに話し掛けてくれた。


「あるんだよ。唯一、聖アクナシア学園に生徒が居ない財閥が。『大典太』の表側『比古神財閥』」

 思わず、僕は息を飲んだ。

「サクラちゃん、君を無能だと言った事を僕は完全撤回する。凄い」

 良くそんな事に気付いたな。豊富な知識が前提、それを活用できる閃きと大胆さ。到底僕一人では辿り着けなかった。


「これは全部、キミの手柄だよ。『三日月凛音』が転入して来てから歯車が歪み始め、綻びが生まれたからこその今がある。あたしはこの学園に潜入して二週間になるけど、本当に何も手掛かりが掴めなくて実は焦ってたんだよね」

「なあ、サクラちゃん、ツーマンセルにならない?」


 EOSエージェントは相方を自由に選ぶ事が出来る『ツーマンセル制度』がある。というか基本的に二人一組で行動する。このツーマンセルは一度決めたら相手が殉職する以外に解除は認められていない。つまり、僕と組んだらもう二度と変更不可という事だ。

「え、もうあたしたちツーマンセルじゃなかったの?」

 キョトンとした顔をするものだから笑えてくる。美少女探偵、君は本当にとんでもなく可愛いよ。ああ、笑えて……くる。


「こちらE19!! E5が昏倒、至急救護班の要請を――遅延毒を打たれた可能性あり! 血清が必要かも! それから――」

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