5話 凛音の過去

「お帰りー。え、何その顔こわ。そんな表情もするんだ」

 教室に戻るとサクラちゃんは他の男生徒と談笑していた。

 良かった。いつものサクラちゃんに戻ったようだ。

 僕が席に着くとサクラちゃんの周囲に居た生徒は全員散っていった。

「僕、そんな顔してた?」

「うん、一瞬だけど……ほらみんな怖がって離れてったし」

「談笑を邪魔して悪いな」

 この容姿じゃ男が集ってきても何の疑問も無い。(目は死んでるけど)社交性もあるし、何より話が上手い。誰に対しても聞き手にも話し手にもなれる稀有な人だ。

「別にいいよ。特に実のある話をしてた訳じゃないから。そんで、華菱可憐は何だって?」

「サクラちゃんの推理は当たってたよ。それでその理由だけど、『僕を救いに来た』だとか何とか。ほんと意味不明。迷惑千万」

「あ、完全に納得いった。あたし彼女の事、好きかも」

 掌にポンッと手を乗せ、サクラちゃんは言った。

「教えてくれよ」

「多分、今話しても分からないと思うよ。ま、大丈夫そうだね」

 勝手に納得して自己完結してやがる。まあ、どうでもいいか。仕事を優先しないと。

「今後の身の振り方だけど、多分もう相手方は僕がこうして授業を受けている事で少なからず動揺していると思う。学内じゃなくて校外、つまり帰宅時に何らかのアクションがあるはず」

「……また自分を囮に使うの?」

「それしか今の所、方法が無いだろ。安心しろよサクラちゃん、僕は死なないから。て事で放課後は別行動で。絶対に付いてきちゃ駄目だからな」

 腑に落ちない点があるのだろう。彼女は何かを悩んでいる。

「……分かったよ。あたしもちょっと調べ事したいから丁度いいかも」

 探偵視点から今回の件を整理したいのだろう。

「じゃあそういう事で」


 授業が終わる度に僕は教室を抜け、或いは授業に出席せずに学園内を隈なく調査した。サクラちゃんはその際、ずっと僕にベッタリ引っ付いて来た。マンモス大学の様な広さだったので、それなりに時間を要してしまい、気付けば帰りのHRも終わる時間になっていた。


 結局、凄く豪華で清掃の行き届いた警備がとんでもなく厳重な学園だという事しか分からなかった。サクラちゃん始め、警備員やエージェントにも話を聞いたが、特に変わった事はないらしい。神崎梨乃が自殺した事と、僕が狙撃された事以外は。

 それと、やはり赤谷女史が何やら学内を嗅ぎ回っているらしい。

 サクラちゃんによれば、彼女は一年生の時、神崎梨乃のクラスメイトで交友関係にあったらしい。探偵ごっこをしているのは、それが理由なのではないか、との事だ。自殺者の共通点についても話し合ったが、やはり容姿の優れた人間であったという点しか情報は得られなかった。

 それから、時計塔屋上は周囲に強固なバリケードを張り、完全立ち入り禁止エリアになるそうだ。神崎梨乃の事件の時にそうしろよ、とは思ったが今になって言っても仕方がない。


 しかしここからが本番だと僕は踏んでいる。

 当初の約束通り、渋るサクラちゃんと別れ、生徒達が廊下を歩きかう雑踏を、多くの険しい視線を浴びながら観察した。姉さん曰く、僕は立っているだけで他人の不安感を煽る素質がある、との事だ。

 クズオブクズ、ナチュラルボーンクズの僕らしい素質だ。

 そして、下校する生徒や部活動へ向かう生徒達を見送り終わってから、鞄を取りに自分の教室へと向かった。

 教室の前に立っても中から生徒の声は聞こえない。みなそれぞれ移動し終わったのだろう。放課後独特の静寂と切なさだけがその場を支配していた。

 仕事を優先していた為、あまり通学は出来なかったが、僕が高校生だった時も放課後に教室に残っている物好きな生徒は少なかった。

 扉を開けると、そこには一人、女生徒が座っていた。物好きが一人、と。

 自分の机の横に掛けてあった一度も役に立った事のない防弾防刃性の鞄を手に取り乱雑に財布を投げ込み、面倒なのでファスナーを閉めることなく持ち、教室から出ようとした瞬間に声をかけられた。


「凛音さん」

「消えろ、可憐」

「名前で呼んで下さるのですね」

 前の任務の癖で名前を呼んでしまった。

 おそらく僕を待っていたのだろう。教室になんて帰って来なければ良かった。

「【天花五家てんかごけ】」

 無視して退出しようとするが、また彼女に呼び止められた。

 赤谷あかりにまた何か聞いたのか。

「『童子切どうじぎり家』『大典太おおでんた家』『数珠丸じゅずまる家』『鬼丸おにまる家』そして――『三日月みかづき家』。【天下五剣】と呼ばれる五振りの真打をそれぞれ有する敵対派閥。そして【五大財閥】の影」

「なんの話かさっぱりだな」

 赤谷女史、侮りがたし。マジで余計な事喋りすぎ。自分の好きな話題になると饒舌になるタイプらしい。

「その中の一族、『三日月』には《蠱術使いこじゅつつかい》と呼ばれる異能力者が存在するそうです」

「へえ、そうなんだ。で、そいつが何なの?」

「《蠱術こじゅつ》。貴方が先の事件で戦いの最中、口走った言葉です」

「覚えてない」

「《蠱術》、またを蠱毒こどく。調べてみれば、大量の毒虫を壺の中に入れて、共食いをさせて最後に生き残った毒虫を神霊とする《呪術》だとか。そして、その虫を使い、人を呪い殺すというもの。明治時代には禁忌きんきとされていたそうです」

「お前、さっきから何が言いたいの」

 詮索も大概にして欲しい。傷口にそれこそ毒でも塗り込む様な真似だ。

「貴方が使》なのですか?」


「――地獄への道は善意で舗装されている」


「え?」

「お前はそうやって押し付けがましく善行のつもりで僕に関わってきているんだろうけど、正直言って迷惑だ」

 これは紛れもなく本心だ。放っておいて欲しい。

「――凛、あたしも知りたいんだよね」

 言葉と同時に扉が開き、サクラちゃんが現れた。

「何、帰ったんじゃなかったの? 約束と違うじゃない」

「帰ったんじゃないよ。調べ物をする、と言ったでしょ?」

 ああ、そうだったか。

「で、何を?」

「いい加減、もう隠し通すのは無理だよ。【天花五家】の事も。――キミのことも」

「幾望桜さん」

 そういえば可憐とサクラちゃんが話すのは初めて見るな。二人とも道ですれ違ったら二度見する位の美少女だな。

「蜂須賀サクラ。彼と同じEOSのエージェント」

「何で言うかな……」

 でもまあ、僕がEOSエージェントだとバレている以上、彼女の正体が露見するのも時間の問題だったかも知れないな。理事長から話が下りてくる可能性もあるし。

「『三日月家』の養子になったのが、十一年前。間違い無いよね?」

 何で美少女二人に詰問されなければいけないんだ。全くご褒美とは思えない自分の性癖を呪わずにはいられない。どうしてマゾに僕は生まれなかったんだ。

 放課後、教室、美少女。こんなに最高のシチュエーションなのに全部が台無しだ。

「間違いないよ。それで?」

「十一年前と聞いて引っかかる事があってね。調べてみたら、ビンゴだった」

「ビンゴ大会ってやった事ないんだよなー」

「茶化さないで」

 サクラちゃんが物凄い剣幕で僕を睨み付けていた。目の下のクマと相成って、とんでもなく恐ろしい。泣いたり、笑ったり、怒ったり。この半日でどれだけ彼女の心を掻き乱しただろう。理由は不明瞭だが、その全ての原因が僕なのだ。申し訳なく思う。

「十一年前、何があったのですか?」

 すかさず可憐が食い付いた。


「聞いた事ない? 『』」


「……知ってます。犯人が父兄参観日に小学校に関係者全員を人質を立て篭もった事件。当時は世間では大騒ぎだったそうですね。新聞の一面は勿論、ニュースもその話題で持ちきり。確か犯人グループは警官に射殺されたんですよね」

 その件を教訓に全国の学校で警備強化が義務付けられるようになる程の歴史に残る衝撃的事件だった。勿論、知っている。当然、某有名ネット事典にも載っている。


「その事件での生存者はたった一人の子供だった。それが――旧姓『宮前凛音』、キミだ」


 こんな短時間でそこまで調べ上げるなんて、大した奴だよ君は。

「確かに僕はあの事件唯一の生き残りだよ。だったら何?」

「言ったでしょ? キミに追いつくって。華菱さんが言ってた事を加味して推理するよ」

 すっ、と息を吸ってからサクラちゃんは話し出す。


「推理――あれはただの立て篭り事件じゃなかった。さっき華菱さんが言ってた《蠱毒》を――小学校を壺に見立て、毒虫を人間に置き換えて実行したんだ。陰陽五行論いんようごぎょうろんでは人間を裸虫らちゅう、つまり虫としているからね。凛の家族、友人。その多くを殺し合わせて最後に生き残った人間を神霊とする《呪術》。結果、キミは《呪い》を受けた。――《不死の呪い》を」


 優秀過ぎるってのも考えものだ。世には明るみにならない方が良い事の方が圧倒的に多い。僕達が知っている事なんて、世界のほんの一部にも満たないものだ。その知っている事だけを大切して生きていくだけで幸せになれるのに。知らなければ良かったと後悔するだけなのに。

「《不死の……呪い》」

 可憐は何か合点がいったように呟いた。

 左腕があるのはそういう理由だ。説明の手間が省けて良かった。

 はあ、とわざとらしく嘆息してから僕は言う。

「正解。僕は親も友達も友達の親も教師も――実の妹も殺した殺人鬼。どう? これで満足? 軽蔑した? 侮蔑した? 優秀な探偵さん、それから可憐な御嬢様。これでいいか?」

 僕は嫌われるのは慣れている。だからこんな事では何も感じない。

「…………」

「…………」

 二人はただ沈黙していた。問いただしておいて、答えたら黙りかよ。一体全体、本当に彼女達は何がしたいんだ。僕の答えの先にメリットなんて無いことは分かっていた事だろうに。

「ああ、そうだ。二人とも人類三大タブーって知ってるか? ……その様子じゃ知らない様だな。じゃあ教えてあげる。殺人、食人、そして近親■■――僕は一日で全部やった」

 もう、全部言ってやる。

 僕を救うとか戯言ほざいてるこいつらに見せてやる。

「僕は毒壺の中で生まれた孤独な蠱毒。醜悪で劣悪な罪人。咎人。いや――人外、人でなし、毒虫。僕の身体は毒で動いているんだよ」

 失うものなんてとうにもう何も無い。『』全て失った。

「僕を救う? 巫山戯ふざけるのも大概にしろ。戯言も程々にしろ。偽善の底を知れ。こんな毒虫を救う様な人間は居てはいけないんだよ」

 もう、二人の事を僕は見なかった。眩しくて、目が潰れてしまう。あんなに美しい人間たちを一遍に見るのなんて、御免被りたい。


「でも安心して。君たちは僕が護るから――この無価値な命を使ってさ」


 そう言ってサクラちゃんの横を逃げる様にすり抜けて、今度こそ退室した。

 言ってしまった。どうでも良くなって言ってしまった。けれど、これで単独で動きやすくなった。二人はもう、絶対に僕を追ったりしないだろう。関わり合いになって来たりもしないだろう。

 心が軋む音が聞こえたような気がした。僕はそれさえも殺して歩く。

「目には目を、歯には歯を。毒には毒をだ。さあ、敵さん。『三日月凛音』はここに居るぞ」

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