2話 希望はすぐ傍に

 そして時は現在に至る。

 護衛対象者不在の中、任務が始まる事に多少の疑問、違和感はあるがそれはまあ、良いとしよう。クライアントは娘の無念を晴らしたいとの事。この一連の事件の解決を望んでいるそうだ。

 昨日、丸一日使って自宅で自殺した六人の家を見に行ったが何も得られる情報はなかった。遺族に「死んだ時どんな感じでした?」とか聞こうと思えば聞けたのだが、流石に僕の中の米粒ほどの良心が痛んだのでやめた。故に任務を言い渡されてから何も進展していない状況だ。

 席が空いているが、あそこが僕が護衛するはずだった生徒、


 七人目の自殺者『雲母坂きららざかルミ』


 彼女の座っていた席だな。自分の小腸を引きずり出して死んだらしい。

 それはいいとして……こうして教壇に立ってみると改めて実感する。

 教室が広過ぎる。大学の大講義室かよ。ステンドグラスとか嵌めてるし、しかも高等学校なのに階段教室。良くわからないけど壺とかも飾ってある。先程歩いた廊下には上品なレッドカーペットが敷き詰められていた。パーティでもする気かよ。

 生徒の面々も豪華絢爛だ。大企業の御曹司、御令嬢のオンパレード。中には【五大財閥】の御令嬢までいらっしゃる。

 僕、実名で潜入して本当に大丈夫なんだよな? 心配になって来た。


「三日月くん、他に何か自己紹介はありますか?」

 教師に促され、僕は我に帰った。


「特に無いです」

「そ、そうですか。何か質問がある方は居ますか?」


 教師が生徒に問い掛けた。要らないフォローをどうもありがとうございます。

 すると、気の強そうな男子生徒が一人手を挙げた。そして教師の許可を得る事なく、僕に指をさし、言う。


「それ染めてんの?」

 人に指をさすなと親に教わっていないのか。

「いや地毛ですが」

 僕は髪の毛は真っ白だ。遺伝子異常ではなく、僕の《呪い》に起因するものだ。別段気にした事はないが、非常に目立つ。しかし、今回の任務は目立ってナンボなのだから問題なし。

 僕の返答に対して男子生徒はうんともすんとも言わない。終わりで良いって事か。


「席はあそこでいいですか」

 あそこ、と示したのは最後列窓際の席。美少女探偵の隣だ。

「え、あの……」

「空いてるんですよね?」

 というか空けてある。

「ええ……」


 歯切れの悪い返事と騒つく生徒たちを無視して僕は席と席の間の階段を上り、目的の席についた。いつもの僕では有り得ない行動だ。自己紹介で一発笑いを取ってからヘラヘラしている頃合いだろう。


「何で来たの? しかも本名。大丈夫なの?」

 隣で頬杖をついている女生徒から声がした。自称美少女探偵様、蜂須賀サクラだ。

「君が無能だからだよ」


 雪原の様に透き通ったシミひとつない真っ白な肌。猫のようなパッチリとした二重のつり目に強烈なクマ。右目の泣き黒子。肩くらいの長さの綺麗な黒髪ボブヘアー。爪には漆黒のネイルが施されている。彼女は黒を好み、必ず何処かしら身に付けている傾向がある。今回は制服でゴスロリは着れないから爪って訳か。

 自称美少女だが、悔しい事に紛う事なき美少女だ。目は死んでるけど。


「お、おお……言うじゃんか」

「まあ、今回は特殊なケースだから仕方ない。それで早速聞きたい事が――」


 そこで何か生徒たちが騒つき始めたので話を中断し、警戒態勢に入った。だが、それは教師のある発言が切っ掛けになっている事に気付き、そちらに意識を向けた。

「もう一人、転入生が居ます。この時期に珍しいですよね。では、華菱さん入ってきてください」

 もう一人……? 渡された資料にはそんな事は記載されていなかった。それに二月に転入生が来るなんて事は滅多にない事だ。春休みを目前に控えた時期だし、二ヶ月待てば新学年になる。嫌な予感がする。待てよ。何か聞き覚えがある様な無いような。

 サクラちゃんを見ると、彼女は両肩両手を上げ、ジェスチャーだけで『分からない』と返事を寄越した。

 豪華な扉を開き、教室に這入ってくる少女に僕は確かに見覚えがあった。


「……嘘だろ」


 教壇に立った少女と目が合った様な気がした。


「では自己紹介をお願いします」

 教師に促された少女はゆっくりとお辞儀をしてから、優雅に話し出す。

「甲賀峰高校から転入致しました。華菱可憐と申します。趣味は読書、特技はけん玉です、なんて。皆さん、よろしくお願い致しますね」

 爽やかに微笑む少女に対し、生徒たちから好意的な溜息と静かな歓声が挙がった。

 分かる、可愛いもんな。この年代で大人びた長身黒髪ロング巨乳美人なんて好きにならない方が難しい。同性だって妬みを通り越して憧れに変えてしまう魔性を持った選ばれた人間だ。でも特技けん玉はスベってると思う。完全性の中にあるそんな抜け加減が彼女の魅力な訳だけど。


「うっわ凄い可愛い。何、知り合い?」

「前回潜入した高校の護衛対象者」

「本当? こんなケース今まであった?」

「無い」


 というか何で転校してるんだよ。あれだけ苦労して護ったのに、態々また危険地域に飛び込んで来るなんて、僕のあの三週間の苦労は一体何だったんだ。

「でも前の学校では偽名で変装してたんでしょ? 趣味でコレクションしてるあのウィッグ被って。誤魔化し効くんじゃない?」

 趣味じゃないから。それはいいとして――。

「いや多分無理だ。ただの元クラスメイトなら兎も角、護衛対象そのものだもの。話しまくりだもの。最終局面なんて演技忘れてカーチェイス&ガンアクションだもの」

 それと何だか色々恥ずかしい事も言った気がする。『君を救う』とかなんとか。

「他人の振りで通すか、口止めするか。どっちにする? 協力するよ」

 サクラちゃんが神妙な面持ちで僕に問い掛けた。

 良い奴。好き。

「真面目に授業を受けるつもりは無いから、あまり接点は無いかも知れない。けど、リスク的に考えて後者だな」

 と僕が返答すると、既にサクラちゃんは何か考えて込んでいた。何か作戦を考えてくれているのか。頼もしい。僕は何も考えが浮かばないぜ。

 そうしているうちに華菱可憐は自己紹介や質疑応答を終え、着席した。その間、僕に視線が向く事は無かった。席もかなり遠い。もしかしてやり過ごせるか……?


「結論から言うよ――狙いはキミだ」


 長考を終えた彼女が黒板を向いたまま僕に話しかけてきた。

「え?」

「彼女の苗字、この学園の理事長と同じだよ」

「なるほど。彼女は理事長の血縁者だったのか。でもだったら何で甲賀峰高校なんて普通の公立高校に通っていたんだよ」

 これはあたしの推理だから話半分に聞いて、と前置きしてから彼女は話し出す。

「恐らく、彼女は何らかの事情で聖アクナシア学園に通いたくなかったから、普通の公立高に進学したんだ」

「だったら何故、今になってその気に?」

「キミだよ、凛。華菱可憐はキミを追い掛けて来た」

 とんでも推理が飛び出したもんだ。話し半分未満に聞いておいて良かったぜ。

「そんな訳あるか。百歩譲って僕の身バレはあり得る。だけど同日に転入してくるなんて可能か? それに、何故僕を?」

「まあ、多分この推理は当たるよ――HR終了後、見てなよ」

 そう彼女が言ったと同時に、終業のチャイムが鳴り響いた。

 教師が退室し、各々生徒達が立ち上がり、目当ての相手――華菱可憐の周りに集まっていく。その人集りで僕は彼女の頭しか見えない。雑談を聞くに、彼女はクラスメイトと知り合いらしい。『懐かしいね』だとか『元気だった?』とかそういった言葉が聞こえてくる。


 対する僕のこの圧倒的孤独感。

「そういえば。可憐は、聖アクナシア学園中等部卒だった」

 前回の資料に書いてあった。それを思い出した。

「そういう事は任務前に確認しておいた方が良いんじゃない?」

「すみません」

 でも前回の任務の情報を加味してくるのは中々難しいと思うの。

 そんな事を考えながら今後の身の振り方を考えていると、僕とサクラちゃん前に女生徒が現れた。

「おお赤谷ちゃん! おはよ、どしたの?」

 サクラちゃんが気さくに話し掛けた。

「お、おはようございます幾望きぼうさん。あ、あの……み、三日月さん……」

 幾望さん、今回のサクラちゃんの偽名だ。『幾望桜きぼうさくら』という名前らしい。なんでも、特待生で登校を免除されている入学時から不登校の生徒の身を借りているそうな。そんな許可が良く通ったものだ。

 しかし名前が同じなのは有難い。

 『幾望きぼう』か……出来れば本人には会いたくないな。

「良かったね転校生。キミにも興味を持ってくれた人が居たね! 御礼を言おう!」

 こいつ鬱陶しい。しかし華菱可憐と僕の人気の格差は一目瞭然なので言い返せない。

 言い返せないが――僕に向いた殺気や視線に気付いていないのか、とは言いたい。

「こんなどうしようもない奴に話しかけてくれてどうもありがとう。御礼に肩でも揉みましょうかお嬢様」

 卑屈と書いてりんねと読む。

「あ、あの……肩は結構、です……あの……」

 何だか酷く動揺して――いや、これは興奮を抑えている様に見える。


 赤谷あかり。

 赤谷グループの会長、赤谷浩二氏の五女だったか。眼鏡をかけた赤味がかった髪を二つに結んだ可愛らしい子、と覚えた。意外に身長は高いんだな。百七十位あるんじゃないか?

「うん、落ち着いて。何かな?」と、可能な限り柔和に僕はそう返した。

「わた、わたし、見ての通り人と話すのが苦手で……ごめんなさい」

 典型的なコミュニケーション障害持ちだ。相手との会話のキャッチボールの中に不必要な情報を混ぜ、肝心の中身が伴わない。それも個性だから良いと思うけど。それを自覚している辺り、むしろ好きだ。


「いいよ謝らなくて」

「すみ、あ……」


 話が進まない!

 僕から話を振ることも可能だが、現状、僕と彼女は初対面。彼女の情報を持っているのはおかしい――となると営業マニュアル通り、話題は彼女の外見か、内面か、天気か、学園の内情か。それともいっそ『赤谷さんってもしかして……』と家柄に関して切り込むか。何だか全部地雷な気がする。やめておこう。僕に話がある様だし気長に待とう。

「うん」

 うん、としか言えないです。ごめんね。

「わ、わたし……オタクでして……」

「僕もアニメとか結構見るから偏見はないよ」


 護衛対象がアニメ特撮好きの時に予習した。それからは普通に趣味になった。そう考えると、主人格の僕に任務は結構な影響を与えているんだな、と彼女の返答を待ちながら考える。


「そ、その……わたしも見ます。け、けど……今はそうじゃなくて……『三日月』って本名、ですか?」

 会話の雲行きが怪しくなってきた。

「そうだよ。三日月凛音。呼ぶ時は凛音様」

「コラ」

 横からサクラちゃんの容赦ないド突きが飛んで来た。

「ほ、本当にそうなんだ……!凛音様、わた、わたし【天花五家】オタク、でして……」

 おい助けてくれ。そんなコアなオタクが居てたまるか。歴女の派生みたいなものか? それにしては趣味が悪い。悪過ぎる。便所コウロギの観察の方が数段マシなレベルだ。

「天下? ごめん、そのアニメ見てないや」

 当然、知らないふりをする。

 特別な秘匿義務がある訳ではないけど、不要なイレギュラーの発生は成るべく避けたい。有用なイレギュラーであれば歓迎だけれども。

「や、やっぱり教えてくれないですよね……」

 僕が知らん振りしてる事を完全に看破している言い草だ。この女生徒、何を何処まで知っているんだろうか。


「知らない事は教えられないからね、ごめんね」

「り、梨乃ちゃんがじ……自殺してしまって、そして生徒が相次いで失踪……露骨なまでの警備の強化……ずっと休みだった幾望さんが学校に来て、その直ぐ後に『三日月』さんの転入……二人は知り合い……」


 この女生徒、勘が良い。自力である程度の捜査もしているのかも知れない。しかし、生徒が失踪しているというのは間違いだ。イマイチ浅い。つまり――価値無し。

「よく分かんないけど、サクラちゃんとは昔馴染みでさ。昔話に花が咲いてて」

「あー凛は昔から無能でさー」

 サクラちゃんも僕と同じ判断をしたのだろう。ここぞとばかりに会話に参入した。無能って言った事を根に持ってやがる。


「そ、そうですか……」

「今度そのアニメの話聞かせてよ」

 と僕が言っている最中に予鈴の鐘が鳴った。それを区切りにして僕は立ち上がった。

「ごめん、ちょっとトイレ」

「はいな」

「も、もう授業……」

 と言う赤谷女史をスルーして出入り口に向かって歩き出した。僕を追ってくる視線は――四つか。内、サクラちゃん、赤谷女史。残り二つどちらかは、必ず僕に接触してくる。

 こうして考えると、実名潜入は効果的だったと思える。流石、部長。

 生徒の少ない廊下を少し移動し、会話を聞かれないであろう場所を選択した。しばらく窓の外を眺めていると、足音が聞こえてきた。


 ――来た。


「初めまして、三日月凛音さん」

 その言葉を聞きながら振り返る。そこには茶髪ロングのゆるふわ系女生徒が立っていた。

 サクラちゃんは普通に推理を外すということを教訓として得た。


 【五大財閥】の一家、『天之神』の御令嬢、天之神朝水。


【天花五家】の僕を知っていても全くおかしくはない。いや、知らない方がおかしい。視線の一つは、こいつだ。

 【五大財閥】と【天花五家】は光と闇、表と裏、善と悪、プラスとマイナス。そんな関係性だからだ。

 彼らが財閥として世を表立って操っているのを対照に、こちらはその真逆の存在。彼らの出来ないこと、つまり――僕達は主に殺しで飯を食っている『殺し屋集団』だ。

 その、本来表舞台に現れない裏方の僕が、こうしてキャストとして参加している異常事態。それを放っておける訳もない。しかし、それを知っていて一人で現れるとは勇気がある。


「どうも、天之神朝水様。お会い出来て光栄です」

「まあ! わたくしの事を知っていらして?」

 何ともまあ、臭い。というか現代日本にこんな口調の人間が実在するというのは驚きだ。

「そういうのは抜きでいいですよ」

「まあ! ということは――演技もやめちゃっていいって事ッスよねぇ?」

 ゆるふわな雰囲気が霧散した。目付きは怪しく、瞳は濁っている。そして口元に張り付いた異様な笑み。

 これは……いきなり当たりを引いてしまったか。


「――お前、誰だ?」


「あはは! そんな睨まないで下さいよぉ! ご同業さん。アタシは別にアナタと敵対するつもりは無いんスよ? それだけ一応伝えに来た訳ッス」


 ご同業。敵対前提の存在。

 とすれば同じ【天花五家】、そして『天之神』の裏側。となれば――。


「――『数珠丸じゅずまる家』」

「せいかーい! アタシは今、天之神朝水の影武者やってるんスよ。こんな事が起きてる学園に通学させる訳にはいかないッスよねぇ?」


 確かにその通りだ。多くの自殺者の存在の共通点はこの学園だ。どんな阿呆でも辿り着く。それを知った親は――使うだろう。使えるものがあれば。


「という事は、お前が今回の事件に絡んでいるという線は消していいんだな?」

「もちのロン! アタシは今件になーんも絡んでないッスよ。天之神朝水は天之神朝水でしかないですからねぇ。てか上からの指示なんで、好きでここにいる訳じゃないッス」

 因みに、と彼女は続ける。

「アナタが何で転入して来たのかとか……まあ、何となく分かりますけど、聞きません。だからアタシもアナタに協力しませんよ。そんだけッス。それじゃ! 授業に出ないといけないんで、バイビー!」

 そう言って天之神朝水として彼女はゆるふわな雰囲気を纏い、廊下を優雅に歩いて行った。

「はあ」

 バイビーは死語だろ、という突っ込みはともかくとして、割と波乱な任務になるな。

 『数珠丸』。今任務では敵に回さない方が良さそうだ。

 携帯を取り出し、部長に直接先程のことを報告した。そして鳴り響く本鈴を無視して歩き出した。目的地は勿論――第一自殺現場だ。


 ☆

 凛音が教室を出た後、彼女は即座に行動を開始していた。

 彼女は、幾望桜と話している時も、赤谷あかりが話しかけている時もずっと凛音を視界の端で捉えていた。そして、天之神朝水が彼を追って教室を出て行く所も。

 周囲に張り付いた生徒達を剥がし、二人になった幾望と赤谷に彼女――華菱可憐は話しかけた。


「三日月凛音さんのお知り合いですか?」

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